もともとは美術大学の油絵科が出自なので、学んだことも今振り返ってみれば無意識にも西洋芸術を中心に据えた見方で学んでいたのだと思う。とくに好きだったのは大竹伸朗。彼もまた、20代のころのイギリスへの旅し、デイヴィット・ホックニーやマイク・ミルズと出会ったことが画業を形成していく上での重要な要素となっている。彼のその後の活動はアフリカに旅したり、日本の地方に注目したりと、決して西洋を中心に据えて表現を行っているわけではない。しかし、表現活動をする場として選択しているのは現代アートのギャラリーや美術館で、そういった施設のキュレーターは西洋美術や現代アートばかりを勉強してきた人たちなので、どんなに作品が非西洋圏をモチーフとしていたとしても、展示の仕方や紹介のされ方などは自ずと西洋的な文脈に書き換えられてしまう。 自分の働いているミュージアムのコレクションには、ホモジーニアスな歴史観から逸脱しているような、血なまぐさい首刈りだとか、人身供養などの風習があった地域のものもたくさんある。そういった地域の歴史や思想というのは、現代アートでも深く掘り下げられることは少ないし、ましてや義務教育では教わらなかった。 いまこうやって世界の染織品を直に手で触れたり、その民族について深く知るにつれて、いままでの「現代アート」的なフィルターで見ていた、いってみれば物見遊山に流し見気分で見ていた感覚とは違う、新しい感覚をが芽生え始めている。はっきり言うと、自分の今までの生き方や考え方が、そんなに正しいものとも思えなくなってきた。近代資本主義的生活、国家、社会、そして「私」までもが、確固として存在していることに疑問が湧いてくる。 いま自分がやっていることは、モノを見ること以上にその「背景」を見る経験なのだと思う。人類が散り散りになってそれぞれの空間で生き延びていくうえで作られたモノたち。それらには現代に溢れかえっている趣味的な「なんちゃって作品」にはない、必然性がある。そしてその必然性は、ホワイトキューブの中で一巡してすぐに理解できてしまうような簡単なものでは決してなかった。
別冊ele-king「アート・リンゼイ 実験と官能の使徒」に寄せられた文化人類学・今福龍太さんのインタビューから多くを学んだ。アート・リンゼイのニューヨークとブラジルを往復するなかで生まれた新作『CUIDADO MADAME』をテーマとしつつ、今福さんとブラジル・中南米との関わりや、映画監督の話があり、最後はブラジル・ガイーアのカンドンブレ、キューバのサンテリーア、ハイチのヴードゥー、アメリカ南部のフードゥーなどの音楽が全て「黒人奴隷の移動の軌跡とインディアンの強制移住の歴史」の上で同じ系譜にあると語る。そしてそれらを繋ぎ合わせようとする現代ミュージシャンのハイブリット試みは非常に刺激的だという。「顔つきも、身につけた言葉遣いも、身体のリズムもみなそれぞれ違うけれども、それを出会わせてみたら、おなじひとつの兄弟姉妹から生まれた末裔たちはなにを感じるのか。」 この発想は自分が今関わっている仕事にも活用できないだろうか。フォークテキスタイルという工業化以前の名もなき民の染織品は、身のまわりの自然と共同体との強固な結びつきから生まれたものである。歴史のなかで複雑に絡み合った国、民族、宗教を紐解いていき、一つの大きな道をたどっていく…。 おそらくテキスタイルにおけるこの探求のプロセスとしては、民族のアイデンティティを表す文様や色などが主要なテーマとして位置付けられ、他方では風土に根ざした素材・技法といった視点がより背後にある造形性として比較されるだろう。もっといくと、やがて経糸緯糸以前の、乱数的なテキスタイルとしてのフェルト、樹皮布までさかのぼることになろう。また、テキスタイルという枠をとってしまえば、人類の起源まで遡り、ついには人、モノ、生物、すべての境界が消滅した「無」という哲学的境地をさぐることになる。 こまやかでマニアックな探求ではあるが、このような大きな道筋をたてて研究することが、研究を人類全体の未来を探りえる有意義なものとして成立させることにつながる。
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