huukei

往時目譜近時


 2017年10月31日(火)   下痢 diarrhea


 「悪魔の踊り」    ヘルメスベルガー2世
 https://www.youtube.com/watch?v=_D8N6T2GWXA




今日、下痢をした。

出たものは下痢であった。

トイレに座って、出てきたものが下痢だった時、人は誰もがこう思うはず。
何故僕は(私は)下痢をしているのか? 何故、下痢が出ているのか? と――。

何故、僕は下痢をしたのか?

ハロウィーンだから?
胃腸の中で、お化けやら悪魔やらが、わるさをしているの?

いや、それは無いだろう。
僕は今のところハロウィーンには馴染みが薄いのだ。
そういう人の所には、お化けも悪魔もやっては来ない。

では何故、今日の僕の肛門から出てきたものは下痢だったの?

舌ビラメがあたってしまったのだろうか。
いや、それも無いだろう。 普通に美味しかったし、それなりに新鮮だった。

舌ビラメでハートを作ったのが悪かったのか?
縁起でもないことをしてしまったのか?
祈願したつもりだったのに
僕は いけないことをしてしまったのだろうか?
下痢は天罰か――。

もしそうなら、悲しい。

確かに僕は、あのハートを、自分の為に作った。
自分自身の為に作った。
ハートは、愛の形である。
にも関わらず僕は、一方通行的な、ただ単に自分自身が満たされたいが為だけに、
ただそれだけの目的の為に、あのような「愛の形」を作ってしまった。
もはやそれは、愛の形とは言えない。
言えるだろうか? いや、言えやしない。

それは愛の形ではない。 ただの、欲の塊(かたまり)だ。

舌ビラメでハートを象(かたど)り、そこに祈願したものは何だった?
舌を重ねたい? 舌を重ねて、下も重ねたい? 「下」とは股間の事だ。
接吻をし、互いの股間も重ね合いましょう、と言っているのだ。
下品且つ低俗極まりない。 馬鹿だ。 呆れる。
そんなもの、祈願という神聖な精神の領域内に収めるべきものでは無い。

――つまり、その低俗極まりない僕の拙い行為が、今日の下痢の原因なのだとしたら、
しっかりと反省をしてこの天罰を受け入れなければならない。
いたしかたあるまい。 しょうがない。 僕の心は、下痢も同然だ。

「愛」とは慈しみと労わりであり、欲であってはいけない。
その事を肝に銘じたまえ。

しかしだ、しかしである――
僕の恋する女(ひと)よ、
例えば君にも何かしらの欲があることを前提に話をするが、
君の欲と 僕の欲とを二つ合わされば、それは愛になるのではないだろうか。
互いに、互いの存在が、各々の欲を満たすのだ。
二枚貝のようにピッタリと、一つの愛を象るのではないか…?
自分自身の欲の為に愛を伝える――
自分自身の欲の為に慈しみ労わる――
つまり、伝えているのは、愛の皮を被った欲――。
けれど見方を変えれば、それほどまでに欲まみれになる程の
大切な相手なのだ。 そういうことだ。
欲まみれになるのは、大切な存在であるという証。
欲にまみれていることは、愛にまみれているという事。
即ち、欲は「愛の証」なのだ。
それならば、やはり、この欲は単なる欲では無い。
欲ではあるとしても、健気な欲である。
慈しむべき欲であり、愛すべき欲である――。

美人は三日で飽きるというが、確かにそうだと思う。
三日とは言わなくても、そのうち見慣れてくる。
見慣れてきた頃、アバタモエクボの魔法は解け、冷静な感情が芽生え出す。
その時に初めて、欲の資質が問われるのだ。
「あなたが あんなにも懸命に伝えていた欲は、本当のところ、どのぐらい愛だったのですか?
 そこには、どのぐらいの愛があったのですか?」
――そう問われるのだ。

愛が希薄だった場合… つまり、相手を慈しみ労わる気持ちが希薄だった場合、
そこに残るのは、愛など微塵も無い、ただの虚しい欲望の抜け殻だけ。

僕は今、感じている。
僕自身の中に、感じているのだ。
「どのぐらいの愛があったのですか?」
もしもそう問い掛けられたとしたら、僕は胸を張って答える。
満タンです。 僕の愛は、満タンであります!

慈しみも労わりも満タン! 精子も満タン! ぜんぶ満タン!

僕は今、充足した愛の形――本物の愛の形を、この胸の内側と睾丸(金玉)の内側に
みちみちと感じている。
ここには、本物のハートがある。
ここにあるのは、本物のハートなのだ。

だから、今日の下痢の原因は、舌ビラメのハートという えげつないものを作った事とは何ら関係は無い。
あのハートの形は、僕の本心であり、本物の愛の形だったのだから。
舌を重ねたいという思い、下も重ねたいという思い、すべては、愛で満タンなのだ。
ギラギラと満タンに漲(みなぎ)っているのだ。
僕は今、満タン人間なのである。
僕の恋する女よ、君の心も体も、今きっと満タンであるに違いないと信じている。



タン と 舌 を掛けてみた …というわけではない。
「舌ビラメで作ったハート、僕の愛はこんなにも満タンだよ! 舌なだけに」 と、
言うのはちょっとつまらない気がしたから、バックグラウンドを広げて、そして言ってみた。
…というわけでも、勿論無い。
ただの偶然である。



すべては偶然だ。
すべては偶然が織り成しているのだ。
出逢いも、何か他のいろいろな事も、すべては偶然に鏤(ちりば)められた配置によって
まるで美しい星座のように、ハートの形もまた熱く描かれているのだ。

見よ。 僕たちの愛の形は今、この偶然の産物の折り重なりによって
こんなにも活き活きと彩られている!
仮に、苦しみもあるとしても、その事もまた尊い偶然の彩りのうちなのだ。

偶然が僕たちの愛を作っているのでは無い。
描いているのはあくまでも僕であり、君であり、
愛を描いて彩っているのは、僕たち自身なのだ!
つまり、他でもない僕たち自身が、この偶然を用いて僕たちの愛を描き、
そうして彩っているのだ!

なんという美しい世界だ
こんなにものびのびと愛を描くことができるなんて!
僕は世界を愛している
君と出逢えた世界、君が居る世界を愛している!
君を愛すること その事を、目的の一つとして生まれ持ってきたのだと今、確信する。
僕は生まれた。
君という世界を その世界を、愛する為に その為に!


僕は、下痢をする為に生まれたんじゃ無い!











今日、下痢をした。
出たものは下痢だった。

トイレに座って、出てきたものが下痢だった時、人は誰もがこう思うはず。
何故僕は(私は)下痢をしているのか? 何故、下痢が出ているのか? と――。

何故、今日の僕の肛門から出てきたものは下痢だったのか?

その事については、分からない。

ハロウィーンだから という事にでもしておこうと思う。


HAPPY HALLOWEEN. TRICK OR TREAT... ♪





















 2017年10月30日(月)   ハート tongue


恋愛成就を祈願する…




舌ビラメでハートを作った。

舌の形に似ているヒラメだから「舌ビラメ」。
珍しいものが安かったので、今夜はこれにした。

舌を重ねる如く、成就しますように。

舌を重ねたら、下の方も重ねましょう。
あらゆるものを重ね どんどん重ねましょう
重ね合いましょう!!

成就しますように…


そんな事を考えた。





























深海で

 二つの愛が 重なり合う




























 暗い海の底で  愛は光る


























そんな事を考えた。



























もう一度





 2017年10月29日(日)   邊 moze


 「モーゼ幻想曲」    パガニーニ
 https://www.youtube.com/watch?v=cJnh6RTm0HI



超絶技巧、という点で有名なのが、リストとパガニーニ(1782〜1840)だと思う。
でも僕が知らないだけで、他にも居るのかもしれない。
リストはピアニスト、パガニーニはヴァイオリニスト。
リストはパガニーニに影響を受けて超絶技巧を磨いたと言われている。

リストは人間が出来ている人だったそうだが、パガニーニは真逆で、最悪だったそうだ。
傲慢、強欲、酒乱、女癖が激しい。
悪魔に魂を売って技術を手に入れた と噂され、
死後、どこの教会からも遺体の埋葬を拒否され、遺体は30年近く転々としていた
…という説明をテレビでやっていた気がする。

人間性が最悪ではあったらしいが、残した曲は印象深く、
数々の作曲家に影響を与えてもいる。 シューベルトもパガニーニの演奏会を称賛している。

個人的には、「モーゼ幻想曲」が好みだ。

人間性が最低 そんな人が作った曲なんか聴きたくないなあ と思うが、
繊細で綺麗な部分、そういうものが、
その人の中の、表面からは隠れたところにはあったのか どうなんでしょうか。

確かに、
「僕 この人と付き合うの無理。 会話したくない。 関わりたくない」 という人の
作品を見た時、おお…良いなあ… と思う場合がある。
この人の中には、こんなに繊細で綺麗な部分があるのか と思う。

なので、最低で最悪な人が作る物は最低で最悪だ とは一概には言えない。

言えないが、人間性は一番大事なんだから、大事にして磨いた方がいい。
やはり最終的にはそこがすべてだと思う。

どんなに繊細で綺麗な世界観を心の中に持っているとしても、
生き方や、人との関わり方や、そういうのが一番大事で、それが一番の判断基準だと思う。



いや、そんな固い話をされても…… と、今、自分自身に突っ込んだ。





パガニーニの朝食には、パンが無いにー



さびしいに…















 日記


昨夜は、親戚の通夜で受付などをした。
亡くなったMおじさんは、僕にとってはほとんど接点の無い人ではあったが、
真面目だけど奔放な性格で、僕はそういうところが好きだった。
食事をしながら、皆でMおじさんの話をした。



 <戦争>

Mおじさんは第二次大戦時、徴兵されなかったが、
特攻兵の接待をする役目をしており、戦時中はその事に明け暮れていたそうだ。

特攻兵として徴集されたのは、主に10代〜20代前半の少年・独身の青年。
「接待」というのは、娼婦を集めて特攻兵の為にもてなすこと。
最期だから という事で、そういう措置をしていたそうだ。

僕は今までに、特攻基地跡の資料館に行ったり本を読んだりして、
特攻隊について知っているつもりでいたが、そんな事をしていたとは初耳だった。

戦争は、公には語られていない部分が、きっと他にもたくさんあるのだろう。
同情を誘う部分しか語られることはなく、暗黙の了解で公表されていない部分がたくさんあるのだ。
語りべの人たちは、もっとありのままを話した方がいいと思った。
総括的に知っている方が、正確な見方ができる。




 <渡邊家>

話は色々と転々とし、姓の話になった。
「渡辺」は戦後にできた新字で、昔は「渡邊」だった。
僕の家は祖父の代で新字にしたが、親戚は今でもこの旧字を使っている。

しかし、この「邊」がクセモノで、厳密には20種以上ある。
常用漢字では「邊」と「邉」だけだが、例えば、点は一つ、とか、棒は二本でいい とか、
ウ冠はいらない、とか、細かいところに様々な違いがあるのだ。

で、うちの「渡邊」は、どれが正しいのか?
戸籍を辿ると、全部違うのだ。
戸籍を書くのは役所の人だから、役所の人が間違えたらそれが登録されることになる。
点は一つでいい この横棒はいらない このチョンはいらない
役所側は、そんなことをいちいち見極めて書かないうえに、そもそも「邊」という漢字自体が難しいので、
これでいいだろう これでいいや! という感じで、戸籍には登録されてしまうのだ。

先祖代々そういう感じで続いてきたので、今やもう、どの「邊」が正しいのか不明になっている。

とりあえずは、しんにょうのチョンは一つ、自の下はウ冠、その下は方、という事で合意している。
残っている一番古い戸籍がその字だから なのだそうだが、その字もまた正確なのかどうかは不明…。

現在は、戸籍の登録も墓石に刻む文字も、コンピューターが使われるようになったので、
すべてが強制的に常用漢字の「渡邊」になってしまっている。

という話を聞いて、面白かった。




 <食>

かえるやヘビを食べていたという話をしていて、
でも がまがえるは 食べる気がしないわねえ
と、おばさんが言ったのが可笑しかった。

まあ、皮を剥けば普通なんだろうけどね と、横のおじさんが言った。





久し振りに会った少年少女たちは、もうみんな大学生や社会人になっていて、
それぞれにしっかりした感じになっていた。
こうやって進んでいくんだな と しみじみ思った。
僕が一番幼いような気がした。 まあ、でも、みんな元気そうで何よりだった。





















 <鳥への文>


君と歩いた気持ちになった。

でも今 僕の頭の中には 君の 
「これっきりーこれっきりーもう これっきりーでーすかー」
が こだましている。
他にも色々とツボがあったので、噴き出した。

どうやら 僕の中では そっちの君のイメージの方が強い…。


君に触れて時々涙がこぼれる。
遠くにいても君を想って僕は癒えていく。

君と同じ傘の中に。















 2017年10月28日(土)   鐘 campanella


 「ラ・カンパネラ」 La Campanella    リスト
 https://www.youtube.com/watch?v=JpfbDLFSZb4



Campanella
カンパネラ、カンパネッラ、宮澤賢治の「銀河鉄道の夜」に出てくるカムパネルラ、
同じ 「鐘」 という意味。

夕暮れ時を思い浮かべる。

パガニーニの同名の曲の主題(メインとなる旋律) を用いて作られており、
超絶技巧の為の練習曲、となっている。
なので、先のパガニーニの曲が無ければ生まれなかった名曲 という事になる。
そして「練習曲」とはいえ、本気で作っている。




ところで、先日書いた、きびなごの煮つけの事ですが、
12・3分煮る と書きましたが、もしも骨が気になる場合は、
20分ぐらい煮ると良いかもしれません。
その場合、煮汁は多めにします。
たれ状になれば塩分濃度は同じなので、調味料の量は同じで良いと思います。 多分。








月が掛かる、いつぞやの散歩道。
今日は雨が降っている。

親戚が亡くなったので、これから通夜へ行く。














 2017年10月27日(金)   愛 nocturne


 「愛の夢 第2番」    リスト
 https://www.youtube.com/watch?v=pmYn46Sr3pI



これは、リスト自身の作曲による「愛の夢 3つのノクターン」 という曲集の中の、2曲め。
第3番が有名で、ドラマやCMなどで時々聴くことがある。
個人的には第2番が好きだ。

この曲集は元々は歌曲として作られたそうで、後からピアノ曲に編曲したとのことだ。
ウィキペディアに書いてあった。 各楽曲のタイトルも記してあった。
 https://ja.wikipedia.org/wiki略


というわけで纏めてみた。



  歌曲

 第1番 https://www.youtube.com/watch?v=Vjv3AAaNsdk
 第2番 https://www.youtube.com/watch?v=MdXHBSn9aqY
 第3番 https://www.youtube.com/watch?v=5PhTt6JHNN8

  こちらのサイトに詞の解説が載っていた。
  http://www.piano.or.jp/enc/pieces/1547
  訳詞を検索してみたが、見つけられたのは第3番だけだった。
  https://ameblo.jp/shiawasedesu/entry-11889506693.html




  ピアノ曲

 第1番 https://www.youtube.com/watch?v=qlLcRbi_Qa0
 第2番 https://www.youtube.com/watch?v=pmYn46Sr3pI
 第3番 https://www.youtube.com/watch?v=i-ZFDSBQVbk




ノクターン = ノクチュルヌ = 夜想曲

夜の情緒 という意味だそうだ。









おやすみ こすみ

 かねのね ないた


あのゆめ このゆめ みてねむれ


おやすみ

























 (鳥への文)


あなたと人生を重ねる。
あなたは血のように
あなたは骨のように
臓器の一部分のように
無くてはならないもののように ここにある。
この安らげる幸せに感謝するばかり。

あなたがあなた自身を抱きしめている時
そのあなたを抱きしめて声を掛けられたらと思う。
僕にとっては あなたから生まれてくるものが中心。
どんなにうまくいかなくてもそれでいい。
どんなものであってもそれに触れていたい。
いつまでも触れていたい。

どこまで重ねられるだろうか。
生まれてからの今までとこれからを
分かち合いながら
心と心はどこまで重ね合えるだろう。
心をどこまでも重ねていきたい。
そしていつも何かが始まる
あなたの心に触れると何かが始まる
あなたを想うと何かが始まる
互いにそうあれたら。

少しずつ 少しずつ
あなたと僕は
満ちては引き 引いては満ち
互いに本当に満たされる時まで
今はこれを続けていく。
きっと会ってもすぐに満ちはせず
しばらくは波のように寄せ合い 寄せ合い
しばらくは そうなのだろう。
少しずつ 少しずつ
それから本当に
あなたの心が満たされる時が来たらいい。
僕の心は満たされて
あなたの心も満たされたらいい。
それまで 互いに息をしながら交感する。
互いに息を近付けていくように。

















 2017年10月26日(木)   魔王 poteto


 「魔王」    シューベルト (リスト編曲)
 https://www.youtube.com/watch?v=4_BmRekeJ8A



引き続き、露出狂の女性による演奏。 (←失礼…)
正面から見たら全裸に思える。
自分のすべてをさらけ出して全身全霊で演奏している。 そう考えたら凄い。
実際、全裸になった方が本領を発揮できるという人は居るのかもしれない。
もしも居たら、その人は100%狂っている。

「魔王」は、ゲーテ(1749〜1832)の詩に曲を付けたものだ。
馬に乗って帰路を急ぐ父子。 後ろに乗っている息子が死神の誘惑を受けているが、
父には死神の声が聞こえない。 やがて、息子は息絶える。
…という内容。

以前、居酒屋に行ったとき、音大生と思しきカップルが隣に座っていた。
会話が聞こえてくるので聞いていたら、

男 「今、シューベルトの魔王を練習してるんだけど、すっごい難しい」
女 「へえ どんな曲?」
男 「これこれこうなって ああなって こうなって 最後に息子が死ぬっていう話」
女 「へえ」
男 「ピアノの連弾が凄くってさ、最初っから最後までずーっと連弾が続くから、
  もう、だんだん手が痙攣してきて、息子が死ぬ前にこっちが先に死ぬっていう(笑)」
女 「はははは(笑)」

僕 「息子が死ぬのに、何笑ってんだ!!!」  …と、僕はキレて怒鳴った。

それは冗談だが、そのぐらい、難易度の高い曲なのだそうだ。


さて、シューベルトは、ゲーテの詩を好んでいたそうで、たくさんの詩に曲を付けている。
そして、曲の楽譜をゲーテに送ったりしていたそうだ。 (当時はレコードが無い)
ゲーテは詩人として名を馳せていた。
お互いに面識は無いので、いわば、ファンレターを送るようなものだ。

しかし ゲーテの方は素っ気なく、その便りを無視し続けた。
というのも、ゲーテはポップでキャッチーな音楽を好んでおり、
送られてきた楽譜を見るや否や、
「なんだ この複雑で難解な譜面は! 私の詩には、こんなものは合わん!
 聴かなくてもどんな曲なのか簡単に想像がつく! 実にくだらん人間だ!」
そういうニュアンスの言葉を吐いて、楽譜を捨てていたそうだ。

シューベルトはそれでも、ゲーテの詩に曲を付けては楽譜を送り続けていた。
大好きな詩人、尊敬する人に今度こそ認められたい という思いもあったと思う。
しかし 31歳で亡くなる。 最期まで、ゲーテとの交流は無いままだった。

シューベルトの晩年の曲には暗く重いものも多いが、
世の中に認められないことや病のことなど、色々な気持ちがあったのだと思う。
今でこそ世界的に有名だが、当時の大衆にはウケていなかったそうだ。
借金をして生活していたぐらいだった。

それからしばらくして、ゲーテは、たまたまシューベルトの曲を聴く機会を得た。
そしてその時に初めて、シューベルトが意図していた事を読み取り、感激したそうだ。
例えば、「魔王」の ダダダダダダ… という連弾は、
馬に乗って帰路を急ぐ父子の、その馬の駆け足を表現している。
かつて、音符がたくさん並んだ譜面を見て、ゲーテは「ケッ」と思って捨てていたが、
そういう事だったのか… 素晴らしい曲だ… と大変感心し、感激し、高く評価した。


という話を以前テレビでやっていて、ちょっとジーンとしたのを記憶している。

ゲーテの石頭がゆえに、シューベルトは寂しい思いをした。
しかしゲーテは、人生の最後に、石頭ではなくなった。
シューベルトの心のベルトは、どれだけゆるんだことだろう。
シューベルトの心のベルトは、きっと、シューッとゆるんだのだ。
シューベルトの心のベルトは、シューッとゆるみました。



……30点… 40点かな。
まぁともかく、こういうのは、頭の体操になります。
僕は頭の体操がしたいだけなんです。











 魔王
 https://www.youtube.com/watch?v=zCNDBNQj868
元はシューベルトの歌曲だ。




 魔王
 https://matome.naver.jp/odai/2139530660337029701
こちらは芋焼酎である。
「樽で熟成される際、蒸発によって失われる『天使の取り分』に関わる天使を誘惑し
 魔界へ酒をもたらす悪魔 にちなんで命名された。」
ということらしい。
シューベルトとは関係無いが、天使とか魔界とか悪魔とかが、ヨーロッパっぽい。












今日もいいお天気でした。




 2017年10月25日(水)   水 kibinago


 「水の上で歌う」    シューベルト (リスト編曲)
 https://www.youtube.com/watch?v=hrOxzR5VvYk




演奏者は、ユジャ・ワンという中国人。
「糸を紡ぐグレートヒェン」のリスト編曲は、以前テレビでこの人の演奏を聴いたのを機に知った。
検索してみたら他にも色々とアップされていたので聴いてみた。

この人の恰好は肌の露出が多い。 この動画は普通だが、
初めてテレビで見た時には、ピチピチの、丈の短い薄ピンクの服で、ほぼ全裸に見えた。









「水の上で歌う D774」
元はシューベルトの歌曲だ。
 (男声) https://www.youtube.com/watch?v=4OyRAOa57o0
 (女声) https://www.youtube.com/watch?v=O405pK6BuUc

 (詞) https://ameblo.jp/jaimeen/entry-12000851283.html
↑こちらのブログに歌詞が載っていました。













  湖の月の明るき村に住む     高野素十













水の中を食べる――




 きびなごの煮つけ

刺身、焼く、煮る 以外の調理法として。 煮つけですが、水分をほぼ完全に飛ばします。


作り方…
1 キビナゴを小鍋に入れ、酒・水・みりん・醤油を、キビナゴがひたひたに浸かるぐらいに入れる。
2 そのまま15分以上置いておく。 → 柔らかくなる。
 (酒の分量は多ければ美味しいが、ケチっても美味しい。)
 (だし醤油やめんつゆを少し混ぜると美味)
3 火にかけ、沸騰してきたら弱火にし、蓋をする。
4 12・3分経つと水分が飛んで、たれ状になっている。 それ以上経つと鍋底が焦げるので気を付ける。
皿に盛りつけて完成。


ポイント…
 煮詰めてたれ状になると塩気は濃ゆくなるので、最初に入れる醤油は少量でOK。

アレンジ…
 煮る時に生姜を入れたり、ニンニクを入れたり、
 最後に切ったシソで和えたり、ごま油やごまを和えたり、
 山椒や、五香粉、カレー粉などで和えたり、
 醤油を塩に変えてオリーブオイルとバジル等で和えて洋風にしたり、
 …等、色々にアレンジ可。
 稚あゆなど、このタイプの魚だったら、同じ要領でいける。











今日は陽射しをよく浴びた。

道を歩くと、金木犀の匂いで いい気分になる。




 2017年10月24日(火)   糸車 tanuki



 「糸を紡ぐグレートヒェン」    シューベルト (リスト編曲)
 https://www.youtube.com/watch?v=ozCirLYxSBI



シューベルトに影響を受けたアーティストの一人に、リスト(1811〜1886)が居る。
「ラ・カンパネラ」 「愛の夢 第1番」 がよく知られている。
(ちなみに「ラ・カンパネラ」は、パガニーニが作曲したものをアレンジしたもの)

リストは超絶技巧で有名だ。
つまり、この人が作った曲は、演奏するのが物凄く難しいという事になる。

印象に残っているエピソードに、こういうものがある。

リストは、技術の限界を高めていった。
けれど、技術をこれ見よがしに見せつけるような、そんな曲は作らず、
……それとも途中からそうじゃなくなったのかな?? 作っていた時期はあったのかな?
ちょっとはっきり憶えていないのですが…

それで、僕が印象に残っているエピソードというのは、こういうものです。

リストは、多くの作曲家の歌曲や器楽曲などもピアノ編曲した。
当時はレコードが無いので、音楽を聴く場合は、生の演奏を聴くという方法以外に無い。
器楽曲はオーケストラ編成になる場合もあるので、そう簡単にどこででも演奏会は開けない。
ピアノだったら、ピアノが一台ありさえすれば、一人でも演奏会が開ける。
リストは、敬愛する作曲家たちの音楽をもっと多くの人に広めようと、
自分でピアノ用に編曲し、各地に赴いて演奏活動を行った。

印象に残ったエピソードというのは、ここからである。

超絶技巧を備えているのだし、他人の曲を編曲する際には、
ある程度自分のオリジナルなテイストを織り込んだ曲に作り変えるのが一般的だが、
でも、リストの場合はそうはせず、
原曲に敬意を払い、あくまでも原曲の良さを多くの人に知って貰いたいと、
原曲そのままを忠実にピアノで再現する事だけをしている。

…という話が、個人的には印象に残っている。
謙虚さや誠実さもだが、心底その音楽が好きだったのだろう と思う。





「糸を紡ぐグレートヒェン D118」
シューベルトが作った原曲は、女声の為の歌曲だ。
 (曲) https://www.youtube.com/watch?v=jSneYMidY-k
 (詞) https://ja.wikipedia.org/wiki/略
↑ウィキペディアに訳詞等が載っていました。

早くから才能を発揮していたシューベルトが17歳の時、教会のミサ曲を依頼され、
その曲のソリストに選ばれた少女テレーゼに恋をする。
「糸を紡ぐ〜」が完成したのは、教会でテレーゼと知り合って3日後の事だった。
テレーゼへの思いは創作意欲をかきたて、1年で140曲近くを作曲、
しかし数年後、テレーゼは別の男性と結婚し、シューベルトの初恋は終わりを告げる。
テレーゼとのつらい別離の後、シューベルトはこう書き綴っている。
 私が愛を歌おうとすると それは苦悩になった
 私が苦悩を歌おうとすると それは愛になった

以上はNHKの番組による解説です。
僕はシューベルトの曲に好きなものが多いが、
シューベルトの有名な曲は基本的に、哀しい雰囲気のものが多い。
哀しい、けれど美しい。
想いが素直で純粋なのだろうと思う。
だからか、聴いていて癒される気持ちにもなる。












 2017年10月23日(月)   秒針 world


台風 大丈夫でしたか?




今日は23日。




 「23」    Blonde Redhead
 https://www.youtube.com/watch?v=a7FqUNlEdwA


 「Spring and by summer fall」    Blonde Redhead
 https://www.youtube.com/watch?v=d5UKoRDJ-q8
途中のギターのリフが好きだ。




9年前の断薬を機に一切を絶って、童謡とクラシックしか聴かない日々を去年の秋まで続けていました。
今思うと、そこそこ長い期間です。
YouTubeがあるお蔭で色々を再び聴く事が出来ていますが、
アーティスト名と曲名を忘れているものも幾つかあり、
そういうのは、僕の中ではもう迷宮入りです。 自分で口ずさむしかない。
歌うので誰か教えてください と言いたいぐらいです。 まあ、いいのですが…。

上記の曲の歌詞は、
 23秒は 私たちが愛する全てのものを終わらせる
 23の魔法があなたの人生を変える
 あなたの汚染された心 私の汚染された愛 今後悔する
 狂った心 狂った愛
 何回目? 限りがある
 彼は私の友人だった 彼は神の息子だった
 彼は銃の息子だった
 世界を廻していく

…という感じだそうです。 (適当に書いたので、間違っているかもしれません。)
23秒って何から来てるんだろう?
抽象的な、前衛アートのような詞です。


個人的には、狂っているよりも、健全な心で何事にも向き合いたいです。


 − End −















 (鳥に)


弾き語りで聴いたらなんだか、僕は凄く好きでした。
最後にアカペラになる事も、「おお…凄い…」と思いました。
(勿論CDの方も、良いなあ面白いなあと思って聴いています。)

あなたはレンズ越しに 僕を見ていたのだろうか
僕にはそう見えた。

この気持ちはうまく言葉にならない。

ただただそれを受けとめて 受けとっている。
嬉しいというよりは 救われているような気持ちがする。

あなたは 情熱を燃やす時、物凄い勢いでよく燃える。
元々、そういう性格・性質なのだろう。
あらゆる情熱には思いやりを携えてもいて そして真っ直ぐに澄んでいる。

その視線に触れて 何とも言えない気持ちになった。

そして、今までよりも、より現実感を持ってあなたの気持ちを知る事ができた。
心の底に流れてくる。

お礼を考えたいと思ったが また後で考えたいと思う。
今は ただただこの中に浸かっていたい。
しばらくそうしていたい。












 2017年10月22日(日)   コップクン typhoon21


秋に似合いそうな曲。



 幻想曲 ヘ短調 D940    シューベルト
 https://www.youtube.com/watch?v=UyjzqPPXDcw



シューベルトが31歳で病によって死去した、1828年の作曲。
とある伯爵の二人の娘にピアノを教える機会があり、その妹カロリーネの方に強い恋心を抱いていた。
自分の死を予感し、「叶わぬ恋」の思いを込めてこの曲を作った。
発表時にカロリーネに献呈している。
…そういう説明が、ウィキペディアに載っている。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/略

こういう背景があった事は、今日調べて初めて知った。

個人的には、単純に、感動するので大好きな曲です。










散歩道にて。





ファルコンに見えた。





あそこの建物にだけ夕陽が差して反射していた。 綺麗だった。





台風21号は 酷くならないまま過ぎて行った。
午後は選挙へ。
そしてファミレスへ行った。
タイ風のナントカライスを食べた。

台風の日に、タイ風のごはんを食べた。




うん。




わざと食べたのではない。 たまたま、食べたいものがそれだったのだ。













 2017年10月21日(土)   散歩道 mos


 「奇跡」    The Back Horn
 https://www.youtube.com/watch?v=CV6y37aRmCA
曲が始まるのは 01:00ぐらい。
インタビューを受けて遠い目をしながら「音楽って…いいっすね…」
と言ってみたい。
久々に聴いたけど、良い曲だなあ…。 (と個人的には思った。)

 「未来」    The Back Horn
 https://www.youtube.com/watch?v=_A-G2bDyjGY
これは少し寂しい歌詞かもしれない。 でもメロディが好きだ。



思い出して久し振りに聴いた。 昔このグループも大好きでよく聴いていた。

虚無、退廃、寂寥、鬱憤、悲哀、諦念、そういう空気感のものを以前は好んでいた。
いわゆる「デストピア」の部類のものだ。
思春期頃から人間関係などで色々悩んで、デストピアの方向に心が行って、
その世界観をずっと漂っていた。
そして数年前からだんだん少しずつ抜けていき、今は違うところに心はあるが、
真剣に悲しんだり思い詰めたりしていた時期を思い出すと懐かしい。
歩んできた道があって今の道に繋がっているのだから、大事な通過点だなあと思う。
生きている人みんな、そうなのだと思う。

「未来」は映画の主題歌になっていて、タイトルは忘れてしまったが、観た当時は好きだった。
同じく好きな友人が居て、この映画について話をして盛り上がった事を思い出す。

音楽とか映画とか絵とか詩とか、景色とか、感動した事はとても心に残るのだけど、
一番強く残るのは人との触れ合いだなと 僕の場合は思う。

思い出は、芒(すすき)の野原を見るみたいに、自分の中に広がっている。
しみじみとする。

今日は、散歩道の途中で金木犀の匂いをかいだ。
今年もこの季節が来たなあと、しみじみと嬉しくなった。

台風が来ているので風が強い。
どこからか舞ってきたトランプが、道路に散らばっていた。

センチメンタルになりがちな秋。
何か駄洒落を言いたいけど 何も思いつかない事が寂しい。
寂しい秋。
まあそれも秋の醍醐味ということで…。










母と久し振りにモスバーガーへ行った。 Today, I went to Mos-burger at lunch with mum.
10年以上は行ってない。
チョコ味のシェイクを飲みたかったが、メニューに無かったのでコーヒー味にした。
チョコ無いのかよ と思った。

人が笑顔になる事が好きな人。 と、敷いてある紙に書いてあった気がする。
ちょっとジーンとした。
そういう人に私もなりたい と思った。











 2017年10月20日(金)   青空再び !! iroiro


 「夢見るストロベリー」    SHERBETS
 https://www.youtube.com/watch?v=KhrhazGXyWA

シャーベッツといえば、これも好きだった。

 ストロベリーに話を聞いた 畑の真ん中で
 君にとって青い空は恋人だね
 僕は思う 大切なのは夢見ること
 自分が一番行きたい世界を 夢見ること
 僕は思う 大切なのは夢見ること
 僕は思う 嬉しい時 君に会いたい
 君に会いたい 君に会いたい

という歌詞。 個人的にはジーンときます。
でもなんだか虚無感とか寂寥感もあるので、個人的には、やはりもうちょっと明るい気分になりたい。
苦しい時も君に会いたいです。





 「無い !!」    ゆらゆら帝国
 https://www.youtube.com/watch?v=grFAWoTnroY
 (歌詞) http://j-lyric.net/artist/a01632b/l00b1f6.html

シャーベッツといえば、このグループを思い出した。
ボーカルの浅井という人が、ゆらゆら帝国が好きと雑誌などで言っていたと思う。
その繋がりで思い出した。

 最終回の再放送は 無い !!

という歌詞。 これもなんだかジーンときます。
基本的に、生活というものは同じような毎日の繰り返しというか 積み重ねなのだと思いますが、
その生活にも 人生にも 最終回がある。
例えば、身体の何かの機能が病気に掛かったり、交通事故に遭ったりとか、
例えば明後日からは片脚を失って生きなくちゃいけないとすれば、
明日は、健康で生きれた日々の最後の日。 健康な日々の最終回。

それとか、単純に、今日という日、2017年10月20日はもう二度と来ない。 時間としての今日はもう無い。
遅かれ早かれ、死へ一日近づいた。 人生の最終回へ一日進んだ。

そう思うと、今在るものに、なんだかありがたい気持ちが湧きます。

最終回の再放送は無い !! とはいえ、
単純に、喜怒哀楽そのものは、毎日の中でごく普通に何度でもある。
嬉しさ 苦しさ 何度もあるだろう。
嬉しいときが 苦しいときが そういう気持ちが
これからも何度もあるだろう 僕は味わうだろう
それらの気持ちを いろいろな気持ちを。
新しく知っていく気持ちもたくさんあるだろう。
そして季節が深まっていくように
鮮やかに深まっていくのだ。
自分自身が。
人との関係が。
取り組んでいる事とかが。
いろいろが。
いろいろに 季節が深まりゆくように
深まっていく。
と考えると楽しみだ


…と、それらしいような事を書いたところで、終わり。


あんまり こういう方向に頭を使わない方がいい気がする。
もう書いたけど、このままアップするけど、頭は気楽な方がいいと思いました。


大仏バンザイ !!
(今、大仏の動画を観たので。)


そういう感じで 今日は終わりゆく。
また明日 !! じゃーね さよなら ばいばい
シーユーアゲイン See you again
again again again again...











 2017年10月19日(木)   ありがとう really


 「MONEY」    SHERBETS
 https://www.youtube.com/watch?v=R0-SeBsX7Jc

シャーベッツといえば、これも好きだった。
というか、YouTubeにはあんまりアップされていないようだ。
この歌詞の意味はよく分からないけど、多分これは適当英語みたいな言葉だから、
意味を持って歌ってはいない気がする。 ような気がする。多分。



「今日は本当にありがとう。」 と最初に言っている。



ありがとう と、人生であと何回言うだろうか。
今までに何回言ったのかな。 何回思ったのかな。
どれだけの深さで思ったかな。 何に対して思っただろうか。
今。
これから。
ありがとう と思えるところを見つけて
本当にありがたいなと思いながら いつもそう思いながら
過ごせたらいいな  …という理想を書いてみる。


浅くても 深くても 思いは思いだ。
小さくても 大きくても ありがとうは ありがとう。

ありがとう!
今日は本当にありがとう!
今日も明日もありがとう!
明日また会えるよね
約束しよう 約束だよ と 約束をしても
死ぬ時は死ぬし
例えば事故とかで変わる時は変わる。

さようなら今日。
後から今日を振り返った時、
ああ あの時は あの頃は あれがありがたかったな
あれって ありがたかったな ありがたいものだったんだな

気が付いたり
ありがとう
ありがとう
ありがとうは いろいろあるのかな。 あるのかも。

後で気が付くかもしれないありがとうが
今日の中にも隠れ潜んでいるなら
今日は幸せ ハッピー ということですな
うふふ 嬉しいですな うふふ
うふふふふと 笑ったところで
今日はおしまい
ありがとう 今日も本当に ありがとう
では さようなら
ひとまず おやすみなさい
朝読んでいる人は おはよう!
昼読んでる人は こんにちは!
夕方の人は お疲れ様です!
夜の人は おやすみなさい。 よいゆめを。
どうもありがとうございます。
どうもありがとう
今日は本当に
今日も本当に
今日よ 本当に
ありがとう
本当に。












 2017年10月18日(水)   一期 bag


 「わらのバッグ」    SHERBETS
 https://www.youtube.com/watch?v=a4VK6Ff_65w

知人の日記に、これをカラオケで歌ってきたと書いてあり、
検索して久し振りに聴いた。





 「いちご水」    Blankey Jet City (上記と同一のアーティスト)
 https://www.youtube.com/watch?v=UH4d6mxz1oo

  (歌詞)
 いちご水を入れた透明な瓶 それを突き抜けた光が
 真っ白な壁に 薄いピンクの影を映しだし
 君はそっと手を伸ばして それに触ろうとしている
 とても自然なこと





例えば、透き通っているものに触れると、自分も透き通ってくる。
そしてその透明感が、行き先のように思えてくる。
心の行き先。 方向性。
自然とそういう方向へ生きたくなる。

自分も誰でも、心は綺麗なばかりではない。
綺麗な心だけで生きてはいない。
それでいいんだと思う。

澄んだものに時々触れたくなるなら
その心はやはり 綺麗ではなくても綺麗な気がする。

まあでも色んな人が居るから、一概には言えない。
一人一人見て判断するしかない。
綺麗だなと思う部分を互いに持っていて、佳い関係を築き合える相手に出会えたら、
そういう人との出会いは嬉しいし有難い。
化学反応とか相乗効果とかで 心の中に綺麗なものが広がればいい。



「いちご水」
個人的には、「消えてくれないか今すぐ」 という部分にあまり共感しないので、
そこだけ違う歌詞にして聴きたいところだ。
例えば、キスしてくれないか今すぐ 僕のほっぺたに今すぐ とか
触れてくれないか今すぐ 僕に頬寄せて今すぐ とか
いまいちかな。 何か他にないかな…  別に何でもいいか。


そりゃあキスしたいよ! 今すぐしたいよ!
抱き合いたいよ! 今すぐしたいよ!
でもできないんだもん、会えないんだもん 仕方ないよ
嫌になってくるよ もう、消えてくれ
消えてくれ いっそのこと HPも何もしばらく見たくない
なぜなら
なぜなら愛しているから

…という気持ちなのだとしたら、なんとなく分かる。










 (touko氏に)

丁度、前回の日記を読んで、
「今度呑みにいきましょう!」 と思ったところでした。
呑みに行って、歌ってきたんですね。
そして、電話で歌ったの懐かしいですね。笑

「つまずいたっていいだ にんげんだ」  アイーダみつを

バッグはひとつで 全部入った大切なバッグだから
わらのバッグじゃないけど
わらを入れたバッグを持って、
今度またどっかで呑みまっしょい
僕はジュースにします◇
カラオケでもいいですね












 2017年10月17日(火)   知る given


土曜付で綴った「1812年」の、もっと好きな演奏のものが他にあったので、
リンクを貼り換えました。 画像も生々しくて好きじゃなかったので…。
こちらはオリジナル版、つまり改訂される前のものだそうです、
僕は初めて聴きましたが、このバージョンが一番好きだと思いました。
興味のある方はどうぞ。
 https://www.youtube.com/watch?v=daSjDZlSqEc


ところで、
チャイコフスキー、他にも好きな曲が幾つかあるのですが、
その内の一つ、



 「昼の光が満ちようと 夜の静けさが広がろうと」
 https://www.youtube.com/watch?v=W3XcmBcryiU



「Seven Romances」(7つの歌) の中の6番目の曲。
歌詞は、別の詩人が書いています。
訳詞を簡潔に書くと、


 昼の光が満ちようと 夜の静けさが広がろうと
 どんな脈絡のない夢の中でも どんな現実のいさかいの中にいても
 私の生を満たし いつも私と共にある
 いつも変わることなく定められた思い
 それはいつもあなたについて。

 あなたのことを考えれば 過去の幻は恐ろしくない
 再び愛に燃えて羽ばたく
 信頼 憧れ 霊感に満ちた言葉
 心に秘められたかけがえのないもの 聖なるものすべて
 それはすべてあなたから。

 明るい日が訪れようと 憂いに満ちた日々が来ようと
 もしも人生をだめにし すぐに私が滅び去っても
 このことだけは分かっている 墓に入るその時まで
 私の考え 思い 歌も力も すべてあなたのためだということを。
 私の考え 思い 歌も力も すべてあなたのためだということを。




歌詞の一番最後の「あなたのため」は、
優しさという概念そのものへ向けての気持ち と思って聴いています。
優しさや愛を受けたことへの感謝、そして自分もそういうふうに生きたい と。

ロシアは寒いからか、寒い空気感を持った曲が多い気がします。
且つ情熱的な曲が多い気がします。














anata no
音の
想いの
ひと粒ひと粒が 結晶のように
ふわりと舞ったり 砕け散ったりしながら
踊りながら 過ぎてゆく
心に
小さな光の粒を残して。































 (鳥への文)


あなたの想いは嬉しかったし有難かったけれど
寄り掛かりたくはなかった。

あなたと一緒になる為には、むしろその想いに甘えない方が良い
寄り掛かるのは僕自身にとって良くない 弱くなる と思った。

けれどここ数日で考えが変わった。
むしろ その支えを素直に受けとめて、大事に思いたい。
それになんだか、
そうしなければ僕自身が先に進めないような感覚を感じてきた。

あててくれるその手がとても大切に思える。
あなたは僕を待っていたと言った。
今になって思えば、僕もあなたを待っていたのかもしれない。

その手をあててくれることは
僕が思っているよりずっと深い意味を持っているのかもしれない。

確かに あなたが言うように
貰ったからこそ返せるものがある。
受けたからこそ自分も与えることができる。
知れたからこそ抱き合えるのなら
あなたの想いと同じかそれ以上に あなたのことも抱きしめたいと思う。

欲をぶつけるわけじゃないけど
あなたの手を寄せてみたら、もっとこれを強く感じたいと思った。
あなたがくれようとしているものは くれるものは
素直に思えば、心のどこかで求めていたものだ。
いつからか諦めた、いつからか求めることを忘れていた。
母性に触れたい、母性に癒されたいという願い。
胸の奥底まで深く深く その手を入れたくなる。 とにかく強く感じたい。

そしてその手は その想いは
欠けた部分にぴったり当て嵌まっているから不思議だ。
手の大きさや熱さなど。 確かに僕はあなたを待っていた。
あなたの言う「答え合わせ」というのは、本当にそうなのかもしれない。

あなたは 僕に何が残せるだろうか と言っていた。
僕は 僕の中に あなたへの想いが残ればいい。
何より あなたが居るということ自体が、
僕にとっては 自分の身体の一部分になっているような気になっている。

あなたはどうだろう。
僕も何かができればいい。
あなたの心の奥底まで入っていければいい。











 2017年10月16日(月)   渋谷 purpose




ドラえもんが僕に恋をしている。
僕もドラえもんに恋をしている。
見つめ合う二人。 …いや、ドラえもんはたくさん居る。
……真ん中のドラえもん、頭が四角くなってるね。
久し振りにゲームセンターに入った。 何もせずに出た。






渋谷の109に来ている。
…いや、渋谷の109が鹿児島の駅ビルに来ていた。
渋谷に居る気分になった。











久し振りに映画館へ行った。
「僕のワンダフル・ライフ」
ワンワン。
犬の映画だ。

色んな気持ちを重ねながら観て、2リットルぐらい泣いた。
終わった後も、500ミリのペットボトルぐらい泣いた。
↑「ペット」と「ペットボトル」を掛けているわけではない。

オススメですと言っているわけではないが、個人的にはとても泣いた映画だった。

 公式サイト
 http://boku-wonderful.jp/

「記憶を持ちながら生まれ変わって、再び君に逢いに行く」 というのはロマンチックだが、
いや そんな事あるわけないだろう と冷静に思う。
しかし その設定を通して描かれる色々に、
自分の事、人の事、飼っている犬の事などを重ねて、ジーンときた。

映画の原題は、「A Dog's Purpose」
Purpose は、目的。
つまり、犬の 生きる目的。

自分が生きる目的、人が生きる目的、そういうことにも重ねて、ジーンときて泣いた。
映画の、涙腺を緩ませる力は凄い。
笑いのツボに嵌ったように、涙のツボに嵌った。

特にオススメというわけではないし、クールな目線で見たくなる点も多々あるが、
しかしそういう点を気にせずに観ると、個人的にはとても泣けた映画だった。







今日から長袖を着ている。
寒い地域は、だいぶ寒いのでしょうね。
風邪などにお気をつけあそばせくださいませ。
ワンワン。











 2017年10月15日(日)   スキー choral



  君 死にたまふことなかれ

                (与謝野晶子、反戦を謳った詩の一節)









戦争を題材にした曲で、個人的に好きなもの…



 「序曲 1812年」    チャイコフスキー (約15分)
 https://www.youtube.com/watch?v=daSjDZlSqEc



ナポレオン率いるフランス軍がロシアへ侵攻した時の様子 を描いた曲。
1880年の作品。

ところで、チャイコフスキーは、LGBT、ゲイだったそうだ。
その事でどんな苦悩があったのか、あまり語られていないが、
どうだったのだろう。 作品にも影響しているのだろうか。


「1812年」
この曲の最初に歌われているのは、ロシア正教の讃美歌。
6分頃に出てくる勇壮な旋律は、フランスの国歌「ラ・マルセイエーズ」。
この旋律のように勢いよくフランス軍が攻めようとするが、
慣れていないロシアの極寒に苦戦する。
侵攻→ 極寒に阻まれる→ 再び侵攻→ 再び極寒に阻まれる
これを繰り返し、遂にナポレオン軍は弱まり、諦めて撤退。
ロシアが守られた、ということを表現するロシア正教の讃美歌が再び流れ、
歓喜の合唱で幕を閉じる。

…という解説を、以前テレビで観た。
解説があると、ふむふむ と思って聴く事が出来て、いいですよね。

この曲は、友人から委託を受けて作ったものであり、
作曲者自身は、ナポレオンのロシア遠征という題材には、感動する部分が全く無いし、
興味が無かったそうだ。
でも委託を断りきれずに仕方なく作ったそうだが、
結果的には、今でもよく演奏される程の人気の高い曲になった。
個人的には最後の方で感動する。

上記のリンクの演奏は合唱付きだが、合唱無しでもよく演奏される。
個人的に合唱付きの方が好きなので、これを貼った。







ナポレオンは、ほとんど寝なくても大丈夫な人間だったと伝えられている。

僕は、寝たい方の人間だ。

あなたは、どんな人間ですか。


おやすみなっしー


zzZ  zzZ  zzZ













zzZ  zzZ  zzZ


 2017年10月14日(土)   灰 star


ショスタコーヴィチといえば…



 交響曲第7番 「レニングラード」    ショスタコーヴィチ
 https://www.youtube.com/watch?v=hMGGe4Hy-SQ

個人的には、第一楽章の、7分ぐらいから始まる部分が好きだ。



70分ぐらいある大作。 1941年に発表、戦争をテーマにしている。
伝記や伝説の戦争や闘争を扱っているものは多いが、
現実に体験している戦争をリアルタイムで曲にしたものは、珍しい気がする。


「レニングラード」というのは、レニングラード包囲戦のこと。
当時のロシアのレニングラードという都市に、ナチス軍が侵攻してきた。
多数の犠牲者を出したものの、結果的にはロシア軍が勝利した。
当時のレニングラード内で、この曲は書かれたそうだ。

この曲について作曲者は、
「ファシズムとの闘いと勝利、その犠牲者、そして我が故郷レニングラードに捧げる」
と説明している。
なので、「ナチスとの闘い」を書いた曲 と解釈するのが普通だが、
作曲者は 「ナチスとの闘い」 とは言っておらず、「ファシズムとの闘い」 と言っている。

ファシズム = 全体主義・結束主義。
個人の自由を排除し、国民一人一人を監視し、あらゆる活動を規制する。
そういった独裁的な政治の在り方を、ファシズムと呼ぶ。

「ファシズムとの闘い」
つまり、「ナチス政権のファシズムとの闘い」に限定しているのではなく、
自国のスターリン政権の事も含めているのだ。

作曲者は、あくまでも個人の在り方、個人の自由を求めていた。
つまりこの曲は、第二次大戦におけるナチスとの戦い という単純なテーマではなく、
個人としての、社会そのものへの抵抗の意志を表した曲だった。


…という説明を、先日、テレビで見て、
ほほう…! と思った。

社会そのものへの抵抗の意志…
ほほう と思った、という事を伝えたくて、これを書いた。
ここから何か話を広げようと思って今考えていたが、何も浮かばなかった。

しかし僕は、なんだか勇気づけられる気持ちにもなった。

この「レニングラード」は、曲の最後、勝利の喜びを表現して終わるが、
この曲を発表後も、作曲者自身の人生は苦境が続く。

苦境の連続の中で、心はどこへ向かい続けたのだろう。
しかしやはり、きっと、何かを大切に持ちながら、どこかへ向かい続けたのだろう。
新たに知ることも、新たに見えるものも、すべてがその人の心となって。



話がちょっと広がりかけたところで、終わりたいと思う。



真剣な気持ちで頭を使った時に思うが、
鼻をほじる気楽さ というのは大切だと思う。 (僕自身が)





秋になると風向きがそれまでと変わり、火山灰が降る季節となる。
今日は風も強く、舞う灰で目が痛かった。
明日からは、天気予報では雨続きとなっている。
積もっている灰を流してくれることを期待している。




 雨

灰を

 流しゃんせ













 2017年10月13日(金)   涙 ikirumono


今日は、13日の金曜日ですね。 怖いですね。
恐怖に打ち震えましょう!


それはさて置き、
昨日、暗い物にも時々触れたくなる と書きましたが、
そういう時に聴きたくなる曲↓



 ピアノ五重奏曲    ショスタコーヴィチ
 https://www.youtube.com/watch?v=5bGn_UdQT5Y

19:30〜 第四楽章 (約7分)



第四楽章をよく聴きます。

ショスタコーヴィチはロシアの作曲家で、第二次世界大戦を経験しており、
その後のスターリン政権下の抑圧の中で作曲活動をしていた事も影響してか、
この人の曲は全体的に、暗い、悲痛な曲が多いです。








涙は、温かい。
その事は、なんだか面白いと思う。
体内から出てくるものなのだから温かいのは当たり前だけど、
涙は、冷たくない。

悲しみを、涙を流せば流すほど、そこには温かさが伴っている。

まるで温かさが寄り添ってくれているかのように。
まるで この悲しみがいつか誰かへ寄り添う優しさになることを 伝えているかのように。

そんなふうに涙は温かい。

涙が溢れて、
涙に触れた。

思いが溢れて、
思いに触れた。

涙は冷たくない。
涙は温かい。











 2017年10月12日(木)   氷陽 siva


前日に綴った曲名が、Venus、 女神 だったので…


 IN MY DREAM (WITH SHIVER)    LUNA SEA
 https://www.youtube.com/watch?v=crXslpw8Nj略


タイトルを訳すと、「恐怖に打ち震える夢の中で」 だろうか。

 (ちなみに原曲はこちら) https://www.youtube.com/watch?v=x135WUYs4FY
 (歌詞) http://j-lyric.net/artist/a0007b5/l00685a.html


歌詞が全体的に暗く、
 汚れた天使の羽 飛ぶことさえ許されず 疲れ果て見た夢に 明日は無かった
というサビなどをずっと聴いていると、暗い気分になってくるので、僕はあまり聴かない。
しかし曲そのものは好きなので、上記のクラシックギターのみのバージョンがあるのが嬉しい。




例えば、落ち込んでいたり、陰鬱な気分の渦中にある時にこういう絶望的な悲しいものを聴くと、
気持ちを重ねる事ができる・共感してくれる存在がある・抱きとめてくれる、
そういう癒しや安心感を得られる。

けれど、前向きになろうとしている状態、あるいは前向きな状態にある時には、
僕の場合は、こういう歌詞はあまり聴きたくない。
音楽以外でも、絵でも詩でも何でもそうだ。 暗いままで終わっているものには触れたくない。

暗い物を求めていた時期には、それらの物の存在が有難かった。 救われていた。
気持ちを吐露する事が出来たから。 独りにはならなかったから。
だから、そういう物の存在もまた世の中には必要なのだ とは思う。

今、落ち込んだ時なんかには、暗く悲しい物に触れたくなる時もたまにあるが、
でもやはり、それを聴いて前を向こうと思える物だったり、
あるいは、その中に前を向こうと思わせる要素が含まれていたりする方が、
個人的にはその方がいい。 やはり前を向きたい。 ポジティブでありたい。
沈んでいるのなら、沈んだ気持ちから這い上がりたい。 強くありたい。

暗さ・悲しさ・絶望感・陰鬱、ネガティブを、無いものにするのではなく、
そういう気持ちを噛みしめたり抱きとめたりしながら、上を向いて、前向きに行きたい。







 IN MY DREAM WITH SHIVER

SHIVER は、シヴァ神の事だとずっと思っていたけど、今日調べたら違った。
恐怖や寒さに打ち震える という意味の英語だった。
昔やっていたFFVというゲームに出てきた、シヴァ。 ゲームの中では、氷の女神だった。

しかし そのシヴァ神(SIVA)も、調べてみると、
実際のヒンズー教においては、「氷の女神」というわけでは無いようだ。
だから多分、FFVを作った人は、SIVAとSHIVERを掛けたのではないだろうか、たぶん。









 WITH SHIVER
 恐怖に打ち震えながら


僕は、学校とかで苛められたりする事が基本的に多かったので、
恐怖という感覚は、お友達んこのように身近な感覚として持ち続けていた。

そう、ちんぽこりんが身体にくっついたまま離れないのと同じように――。

今でも人と接する時には、正直、心のどこかで恐怖心が自然と湧く。

けれど最近はもう、例えば何か言われたり、嫌な態度をされても、
小さい人だな とか、小さい部分がある人なんだな と判断している。

怖気づく、身がすくむ、緊張する、
恐怖心を、乗り越えていく。

乗り越えていく。
勇気を出し、心を強く持ち、
階段を昇り、坂を昇り、長い道だとしても、
越えてゆくと、陽が差す場所に出る。 そこにはもう、通ってきた道の暗さや寒さは無くなっている。
陽の強さは、もう確かなものとして心の中に広がっているから。

そして、同じような気持ちを辿ってきた人達と通じ合える事、その事もまた温かさだ。
むしろ本当に陽が差す時、その陽は、その強さは、人との触れ合いから生まれているものだとも思う。









 WITH SHIVER
 凍えるような寒さに打ち震えながら


冷たさを知ることで、
人の心が何なのかが見えた。

でも 心の全てが見えたわけではない。
ひとつずつ 見え隠れしながら見えていく。
心は単純ではない。

心はやっぱり分からない。
自分のこともよく分からない。

分からない。
けど少なくとも 行き先は陽。
心の行き先は、陽。
陽へ向かう。

凍える寒さを知る人は、陽。
寒さを見つめ、
その中から陽を見つめた人が陽。
陽を見つめている人が陽。
そして、陽へ向かう人が、陽。

とは思うものの 現実には
どんなに階段を昇っても どんなに坂を昇っても
苦しみがずっと続くように思えて
それでも昇り続けるけれど
昇り続けて もう疲れた

疲れた

それでも今日一日は終わり、明日が来る。

その事は残酷な気もするけれど、だけど、
未来は、明日の方角にしかない。 それも事実。
なら、明日が来る事、それは明るい事。

陽を見た。 陽を見る。 陽へ向かう。

寒さを知る人、
そういう人との繋がりは温かい。
繋がりが温かい。
その温もりをお守りにして 糧にしながら
歩いていきまっしょい


これからも どんまいどんまい!

人間社会、色々と学ぶことがあり、よきかな ですな。



 〜おわり〜








 (今日の一言)

人は、しばしば、駄洒落を言いたくなるものだ―― シヴァ神














 2017年10月11日(水)   百姓 come


昨日綴ったのが、虹結び という曲名だったので…


 「Caress of Venus」   L'Arc-en-ciel
 https://www.youtube.com/watch?v=czYoOFC_etE

ラルクアンシエル=虹 という意味だった気がする。
この曲が大好きだった。




虹色 ななつ色 七人七色…



ところで、黒澤明の映画「七人の侍」は、その後の色んな映画監督にも影響を与えていて、
スターウォーズも、この七人の侍からインスピレーションを得て作られているそうだ。

個人的には、黒澤明の映画では、「夢」が印象に残っている。
「七人の侍」も、さっき久し振りにチラッと見たら面白かった。

サッカーの日本代表をサムライジャパンと呼んでいたが、
実際に日本を支えていたのは、お百姓さんたちだから、
百姓ジャパンと呼んだ方がたくましい、という意見をよく耳にしたものだ。

近所に、サムライという名前の居酒屋があった。
村井という人がやっていた。 村井という苗字に、サムライを掛けていたのだ。
最近潰れて、今は、台湾風まぜそばのお店になっている。

国際化し、移り変わってゆく世の中で、自分は自分の人生をゆっくり斬り拓いていこう。
押忍、 サムライ、押忍!
イヨ〜〜ッ、 ッポン! どすこいどすこい
忍者ハットリくんでござる 今日も良い天気でござる にんにん




もうすぐ新米の季節。
お百姓さんに感謝…。





     。。。   。。。
  。。。   。。。   。。。

。。。 。。。 。。。 。。。 。。。

























 (鳥への文)

一応 念の為書きますが、
前日に「継続は力なり」 という言葉を書いたので、
その流れで昨日、柳田國男と遠野物語の事を思い出して、綴ったのであります。
例えばNさんの事について個人的に重ねる気持ちとかは、特に何も無いです。

素敵だなと思ったのは、想いが原動力となっている という事です。
世の中に溢れている色々な想い…… 恋、友情、家族愛、動植物、その他色々ありますが、
想い・情熱を原動力にしているものには、なんだかその事に惹かれます。
遠野物語も、それで記憶していました。



夜道を歩きながら、
君の歌っている気持ちを、同じように君にも送りたいと思った。
君が過去に作ったものも、僕はその気持ちを同じように今の君に送りたいと思った。












 2017年10月10日(火)   物語 story


 サムライセブン  エンディングテーマ「虹結び」
 https://www.youtube.com/watch?v=wFHE3vIndlc (オンエア Ver)
 https://www.youtube.com/watch?v=5YggxCCKsEI (フル Ver)

検索して久し振りに聴いた。 侍だった頃を思い出した。
このアニメは、確か黒澤明の「七人の侍」 を元にしていた。



ところで
お弁当を買うと、沢庵(たくあん)って、普通は2切れ入っていますよね。
これは、1切れだと、ひときれ=人斬れ
3切れだと、みきれ=身斬れ
…になってしまい、縁起が悪いので、2切れと決まっているそうです。

「沢庵」は、その昔、沢庵和尚というお坊さんが作ったお漬物、が発祥と言われています。
現在でも、お弁当の中に、その歴史や信心が残されているという事が、日本人らしいなと思います。

 〜以上うんちく













  秋の夜の遠野に遠野物語     倉田紘文

あきのよの とおのに とおのものがたり


「継続は力なり」…
この言葉は、遠野物語の編者、柳田國男が残した言葉だそうだ。

遠野物語―― 岩手県の遠野という地方に伝わる民話を編纂して纏めたものだが、
編者自身の恋の経験が、動機となっているそうだ。
NHKの「歴史秘話ヒストリア」で、以前見た記憶がある。

 この無料動画サイトで今も見れるようです(dailymotion)
 http://www.dailymotion.com/video/x2d68ro
 17:00ぐらい〜  エピソード2 柳田國男の愛と悲しみの物語


愛する人の魂が、自分の傍にあってほしい
どうか、傍にあってほしい
そう願う気持ちが、遠野物語を編纂させた。

生者と死者。 現実と非現実。
遠く別々のところにあるそれらを繫いでいるのは、想い。
偶然、「遠野」という名前の地方だったという事も、なんだか印象深い。























  (鳥への文)

遠いところに居る君を
想えば
空に浮かぶ月を見る。
君よりも月の方が近い。
なんて
言いたくなる。
けれどその柔らかな光は
月も君も同じ。
いや君の方が温かい。

君を見守りたい気持ちになる。

話をしたいと思いながら道を歩く。
実際 何を話そうかと思うけど
同じ空間を共有するだけでもいい
君と僕はどこか雰囲気が似ている気がするから
居るだけでどことなく嬉しくなる気がする。

今、魂が映しているものが
お互いに 似た 同じようなものなのだとしたら
君はこれまでにどんな道を歩んできたのだろう
或いは前世では
前々世 前々々世では
そういうの信じているわけじゃないけど
例えばの話
どんな道を歩んできた

君は
その魂に
何を刻んできた

君が今日 その魂で見ているものは
見逃さずに見ているものは
熱い想いを持ちながら見ているものは

これから君を迎えるものは一体何だろう

遠くに居る君
その足音は聞こえないけれど
聞こえる気がするし
その音に合わせて 僕も歩いている気持ちでも居る













 2017年10月09日(月)   体育の日 baka


♪きんこんかんこーん
  きんこんかんこーん♪ (チャイムの音)

授業が始まりました。
今日も皆さん、仲良く ともだちんこしてくださいね。
今日も笑って健やかに、元気に がんばりまんこ。



今日は、体育の日ですね。

中学生の頃だったでしょうか、僕が通っていた学校では、
とある女子生徒が、「ブルマは恥ずかしい!嫌だ!」 という声を署名して集め、
生徒会を通して審議を重ね、遂に改革を起こしました。
確か、僕が三年に上がった頃には、女子はもうブルマではなくなりました。
なんと、ビキニになったのです。 中学生の男子には、刺激が強すぎます。

いえ、男子と同じく、短パンになったのです。
ブルマは嫌だ! という声が、遂にブルマ革命を起こし、短パン化してしまいやがったのです。
…いえ、めでたく短パン化したのであります!
革命でした。 その時、政治を見た気がしました。

ちなみに僕は、中学の頃は、まだマスターベーションには目覚めていませんでした。
将来はギタリストになろう と夢見ている、純情な少年でした。

ブルマの改革前……
今でもおぼろげに憶えていますが、体育祭の練習をする時、勿論本番もですが、
女子の綱引き。
一本の太い綱を、たくさんの女子が一心不乱に引っ張り合っている、
お尻をやや外側に突き出し、みんなブルマ。 僕の学校は、水色のブルマでした。
水色の爽やかなブルマのお尻と、普段は絶対に見る事のできない白い太ももが、
一本の太い綱を一心不乱に引き合いながら、群れて蠢(うごめ)いている……

すごく 眩しい光景でした。
すごい光景だな〜 これすごいな〜 と思いながら見ていました。

改革後、二度と見ることの叶わなくなった、あの、
暑い陽射しの中で、眩しく輝きながら蠢く、お尻と太ももの群れ……

を、思い出しました。 


今日は、体育の日であります。


♪ちんこんまんこーん ちんこんまんこーん♪


妄想の授業おわり。











 
 ♪チンコンマンコーン チンコンマンコーン♪


◇2限目◆



 空手バカ一代  オープニングテーマ
 https://www.youtube.com/watch?v=gDTJ1YeBeek

検索して、50年ぶりに聴いた。
懐かしき我が青春時代を、しみじみと思い出しにけり。


ストーリー…
第二次大戦時、特攻隊として出撃したが、海に墜落し、生き残った青年。
日本に帰り、生きる意味を見失って自暴自棄な生活を送っていたが、
ある日、空手に出会い、夢と情熱を取り戻していく …という感じだった気がする。

ところで、「雨あがる」 という映画を以前観たことがある。
黒澤明の遺作だったと思う。
江戸時代、ある侍が何かをしてしまう、という映画だ。

この映画の中で、主人公の侍は毎日、精神統一の為の素振り? をしていた。
人の居ない静かな場所へ行き、そこで集中しながらゆっくりと刀を抜いて、
サッと一度だけ振り下ろし、そして、ゆっくりと鞘に納める。 深く息を吐く。
これを3回ぐらい繰り返して、家に戻る。

映画を観たのは結構前になるのだが、
そのシーンの真似をして、数ヶ月前から、僕も毎日、四股突きや蹴り等をしている。
空手の「四股突き」や「蹴り」だ。
気持ちを静め、集中して、それをする。

一日に一度それをすると、なんとなく精神が統一される気がする。
言うなれば、精神統一ごっこ だ。
「精神が統一されているような気がする」 そんな気持ちになる、そこが大事なのだ。

最初の頃は腕を痛めたりしていたが、今は痛くない。 筋肉痛にもならない。
つまり、肉体が成長しているという事だ。 そういった達成感も得られるので良い。

気合(声出し) をするのも良い。
カラオケに行って、ともだちんこー! と大声で歌って発散するのも良いが、
精神統一ごっこで 「エイ!」とか 「サー!」とか 「イエーイ!」とか 他にも何でもいいので、
そんなふうに気合を入れて声を出してみるのも、なかなか気分が良く、充足感を得られる。
何より、強い精神になった気持ちになる。
(近所付き合いもあるので、少々控えめの声で出している)

エアー瓦割り、
これもなかなか良い。 エアギターを弾くのと同じ要領でやる。
実際に瓦を割ったような気分になるので、気持ちが良い。

四股突きも、エアー瓦割りも、
終わった後には、拳を握った両手を胸の前で交差させ、ゆっくりと息を吸い、
そしてゆっくりと吐きながら、解く。 一礼をする。
これで、その日の心は、完全に統一される。
強い精神になった気持ちになっている。

新聞の広告欄に、「自宅でできる出家 なんと自宅に居ながら出家ができる!」
みたいなのが載っている事があるが、きっと、それと同じ感覚だ。
自宅でできるところが良い。
平凡な日常の中で、自宅に居ながら、空手の達人になった気持ちになれる。
精神統一の達人になった気持ちになれる。
瓦が無くても、手軽に、瓦を割った気持ちになれる。
たとえ そこまではなくても、
少なくとも、精神が統一された気持ちには、実際僕はなっている。

継続は力なり。
ただの 「ごっこ」 ではあるけれど、
継続して得られる気持ち、その気持ちそのものは、きっと本物なのだ。

オススメです。




♪ちんこんまんこん ちんこんまんこん♪

本日の授業、終わり。 礼!  せんせー さよおなら ブビッ








頭は低く目は高く
 口を慎んで心広く
  孝を原点として他を益とする
…と書いてある。





ええい! 小難しい事は よく分からん!
僕はバカになりたいんだ! 頭を空にして、バカの道を行きたいんだ!!
バカラテ道を行きたいんだ!!











 (恋文)

いつか 君を突きたい
たくさん突きたい

いつか たくさん 突かせて ね

たくさん
たくさん











 2017年10月08日(日)   神様 window


昨日綴った内容には、社会性の欠如している箇所がありました。
すみませんでした。
社会性が欠如するという事は、社会人でなくなるという事です。
気を付けたいと思います。
社会の窓が開いたままという事は、それはまあ仕方がない、そういう時もたまにはあるよね
と思うことにしますが、そこから何かが出ている状態で歩くというのは、
これは、問題です。
そして、よく考えるに、男性器をその窓から出すことは可能ですが、
女性器をその窓から出すことは、不可能です。
「ま○こ」という言葉を使うのが社会的にタブーに扱われる理由は、そこにもある気がします。
つまり、物理的に出せないのです。 故に、口に出せない、という事でもありますし、
それから、
形状的に、秘めたるもの、秘境、というような神聖なイメージもある為かもしれません。
たとえ経験豊富だとしても、なんとなく、そこは神聖な場所…。
故に、軽々しく口に出すのは、何となく憚(はばか)れる。
そのようなアレもあるのかもしれません。 そう思いました。 どうでもいいですね。
すみませんでした ひいい すみませんでした……








すみませんでした… と、謝りましたが、しかし本当に、それでいいのだろうか?
社会の窓は、それでいいのか?
窓から映る景色は、そのようにして雲ってしまってもいいのだろうか?
自由な精神が曇る…

どう思いますか?

おぼっちゃまくんの「ともだちんこ」は、今の時代だと放送できない気がします。
それはつまり、社会全体のモラルが上がったという事です。
社会の窓が、ひとつ美しく磨かれたのです。
「これはちょっとおかしいよね」 と思う人たちの声が勝ったのです。
社会は変わった。 社会の窓は変わった。 美しさが勝った。

そう、窓は曇ったのではなく、磨かれた。
磨かれた、綺麗になった、美しくなった。
そうして今もきっと、社会は、社会の窓は、美しさへ歩みを進めているのです。

おお ブラボー!
ブラボー ゴッド!
神よ この社会に感謝します
感謝を捧げます
神よ かみさま かみさまんこ
かみさまんこ! かみさまんこ!
かみさまのまんこは かみさまんこ!
かみさまんこっこ!!!!
かみさまんこバンザイ! かみさまのまんこにバンザイ! まんこ! まんこ! まんこ!
ゴッドちんこ! ゴッドちんこ! かみさまのちんこは ゴッドちんこ!!
でっかいゾウ! とってもでっかいゾウ!
ちんこ! まんこ! ちんこ! まんこ!
ゴッドちんこ万歳!!
かみさまんこ万歳!!!

(一斉に) かみさまんこ バンザイ!!!!







かみさまんこ
と、社会の窓から大声で言ってみたかっただけです。
お気になさらないでくださいまし。








明日 一人で反省しているかもしれない。














今日の社会の窓から見えた風景。 綺麗な、黄色い彼岸花の花畑。






猿に見えたけど、よく見るとサツマイモだ。
嵌めてみたい顔を思い浮かべた。












 2017年10月07日(土)   雲湖 tintin


 おぼっちゃまくん オープニングテーマ
 https://www.youtube.com/watch?v=uWgON40KbXw
今日、検索して、30年ぶりぐらいに聴いた。



とある人たちの談義を聞いて、今日、新しく頭に入った言葉。

雲湖朕鎮

うんこ・ちんちん と読むらしい。

というよりは、「うんこちんちん」 と続けて読むらしい。
四字熟語だ。

使い方は、
・僕の今日の雲湖朕鎮は、すこぶる快調です。
・あなたの雲湖朕鎮を見せてください。
・雲湖朕鎮はどこですか?
・今日はとっても素敵な雲湖朕鎮でしたね!
・またいつか雲湖朕鎮しましょう。
・お互いの雲湖朕鎮に乾杯! 漫湖朕鎮にも乾杯!

という具合で使うらしい。


…本当は違うので、気になった方は調べてちょんまげです。


ちなみに、チンチンは、フランス語で「乾杯」を意味する。
だから、雲湖朕鎮は、うんこに乾杯。 漫湖朕鎮は、まんこに乾杯 という事になる。

雲湖、うんこ。 これは、湖に映った雲のこと。
漫湖、まんこ。 これは、沖縄にある、湖の名称だ。

沖縄は、かつて琉球王国の時代、中国の領土のような感じだった。
というのも、あの辺りで一つの独立した国として在る為には、中国の許しを得る必要があり、
年に一度ぐらいの頻度で、献上品などを携えた遣いの者を、中国へ送っていたそうだ。

そうやって交流があったせいか、沖縄の方言は、響きがどこか中国語に似ている。

ともかく、

うんこちんちん まんこちんちん

乾杯!


雲湖朕鎮は、いわゆるテンパっている状態の人に掛ける言葉だそうだ。
「どうしよう!」 「大丈夫!うんこちんちん!」 という感じだろうか。
漫湖朕鎮も同じように使うが、これは他に、恋人にセックスしようという気持ちを伝える時にも使えるそうだ。
「しよう!」 「まんこちんちん!」 という感じ。


今日も一つ賢くなった。
教えてくれた人にありがとう。
雲湖、漫湖、朕鎮、満開。



※漫湖朕鎮という言葉は、存在しません。 (漫湖は存在します。 PCの変換でも出ます)





♪ぼっくんは歩く身代金

 ともーだちんこー♪









 2017年10月06日(金)   僕の薬談 road


以下、断薬について、一つの経験談として綴ります。
興味のある方はどうぞなっしー。




 <昨日の追記として>

現在は、以前と比べたら、平均的な睡眠時間はだいぶ増えた。
大体毎日、6時間前後だ。 ほぼ毎日途中で一度は必ず目が覚める。

眠りに落ちにくいのは、思考の他に、自律神経が安定しにくい という理由もある。
暑さや寒さで目覚めやすいので、纏まった睡眠時間になりにくい。

全く寝れない状態からスタートしているので、今だいぶ寝れるようになったとは言っても、
これまでの睡眠不足が蓄積しているので、基本的に毎日それなりに眠い。

眠くても、昼寝をしようとすると夜が寝付けず、生活のリズムが狂うので、
横になる時はせいぜい20分程度に留めている。 (昼寝と言っても、眠れるわけではない)

ある程度の運動をした方が良い。
ただ、疲れれば寝れるというわけでもないので、ハードにやっても翌々の疲労がなかなか回復しなくてきつい。
だから、適度に留める。

あと、生活のリズムを決める。
何時頃起きて、何時頃には食事、何時頃には布団に入る、など。
アバウトでいいので、大体のリズムをキープする。
体内時計のリズムが一定している方が、寝付きやすいし、良いと思う。

というのを、今も心掛けている。

現在、7時間以上眠れるようになるのを目標としている。

もしかしたら、僕の頑張り具合が足りない部分もあるかもしれない。
ともかく、まあ気楽に、長期的に向き合おう と思っている。





 ― ― ― zzz ZZZ ZZZZ







 <苦しさについて>


断薬の苦しさは、最初が一番苦しかった。
薬に手を伸ばしたくなる胸苦しさ、薬を欲する胸苦しさ、
そういう独特な胸苦しさを、とにかく耐え続ける。

Nさんに告白することを目標にして耐え続けた。
途中、もう無理だ、頑張れない、という山が3日間ぐらいあったが、
その時は、Nさんを抱きたい(セックスしたい)、という本心の思い一心で耐えた。
その山を過ぎたら、冷静に「セックスを考えるのはまだ早い」 という考えに戻ったが、
ともかく、以後、徐々に苦しさが減っていき、
開始してから3ヵ月ぐらいで、猛烈な胸苦しさからは抜けた。

ちなみに、これは4回目の挑戦だった。
Nさんへの告白を目標に3回目を奮起した時、途中で挫折し、やはり諦めた。
だけど数ヵ月後、再び4回目を奮起し、結果的にはこの挑戦で最後となった。
1回目の挑戦から1年半後だった。






 <苦しさについて 2>


毎回挫折していた独特な胸苦しさを耐える事は、開始から3ヵ月間ぐらいで抜けた。
その後、引き続き向き合うことになったのは、
眠れない事と、思考の事だ。

最初の胸苦しさがロッククライミングなら、次の睡眠や思考の問題は、長距離走のようなものだ。
耐えるという意味では同じだが、比較すれば、睡眠不足を耐える方が楽だ。

思考については、とにかく四六時中、ぐるぐると同じことを考えている状態に陥りやすい。
頭にきた事とか、不安な事とか、後悔した事とか、そういう出来事を思い出し、
ずっとぐるぐる考えている。

だから、そうならないように心掛ける。
ポジティブな考え方の引き出しを増やしたり、まあ仕方ない、大したことではない、とか、
まあこんなもんだろう、とか、受け入れて諦めたり、など、
とにかく、それなりに悩んでいいから、
不安とか怒りとか後悔とか、そういった類の出来事の、
同じことをずっとぐるぐる考えている状態を、終わらせる。
色々ありながらも生きていこう、というような意志を持つ。

何故こういう、ぐるぐるの状態になるのか? 分からないが、
僕の持論で言えば、こういう理由だと思う。

僕の場合、薬を飲むと、思考から解放されていた。
不安な事とか頭にきた事とか、考え自体が消える。 考えようとしても、頭に浮かばない。
パソコンで言うところの、強制終了ボタンみたいな感じだ。
だから、飲むと気楽になり、「まあいいか」という感じになっていた。

その気楽さは、あくまでも薬に依るものなので、つまり、薬の効果が切れてくると、
色々と思い出されてきて、気分が辛くなってくる。

そしてまた薬を飲むと気分が軽くなり、よしっという気持ちになって元気になる。
僕は、元気になりたいと思っていたから、薬を飲んで元気になった時の自分を、
これが本来の自分なんだ 元気な自分に戻ったんだ と考えていたが、
むしろ本来の自分と言うべきなのは、気分が重くなっている状態の自分なのだ。
そっちの状態と向き合って、そこを変えていかないと、本当の元気にはならないのだ。
薬で得られる元気や気楽さは、あくまでもその場凌ぎのような、一時的な効果だ。
アルコールが入って良い気分になっている状態と、理屈的には似ている。

薬を長年使い続けた。 そうすると、
何かの出来事を、具体的にポジティブに考えて処理する、というような事をほとんどしてこなかったからか、
その事がなかなか出来ない。 その脳にエンジンが掛からない。
ぐるぐると同じことを思考してしまうのは、つまり、ポジティブな事を考える脳の動きが鈍い、
そこの部分のエンジンの働きが悪い、そこの部分が活性化していない、
薬に頼り続けていた分、そういう部分に筋肉がほぼ全く付いていない、
だからぐるぐる状態になるのだろう と予測している。

どんな辛い事が起きても前向きにしかならない、という人間はいないと思うが、
タフな思考が全く働かない、という感じだと、僕の場合は眠れないままだ。
だから、そこそこタフになろうとすることが大事だ。

これらは、あくまでも僕個人の感じ方であり、僕の場合はこうだった、という話だ。








 <依存について>


これもまた、あくまでも僕の場合は… という話だが、

薬を飲むと思考や感情の苦しさから解放される、
そういう意味では、アルコールとか覚せい剤とかと、使用感覚は似ていたと思う。

当時そういう自覚を持っていたので、「薬をやめたい」と主治医の先生に相談したが、
返事はいつも、「焦らずに、今は様子を見よう」 だった。
「徐々に減らしていって、そうしたら、ある時スーッとやめられる」 と説明を受けていた。

でも、僕の体感では、スーッとやめられる気がしなかった。
そうではないのでは…? と疑念を持っていた。
何故なら、
実際、徐々に処方を減らしてもらい、1種類を1日2錠 までに減らしたが、
更にそれを完全に断とうとすると、ものすごく苦しくなるからだ。

先生の見解と自分の体感が食い違う。
先生は医師で、この道の専門家なので、僕は一応先生の見解を信頼したが、
でもやっぱり自分の感覚を信じよう、と思って、やめることに挑戦した。

しかし何度やっても途中で挫折し、Nさんと出会った時にも最初は挫折した。
だから、もう、このままずっと飲み続ける人生でもいいかもしれない、と思うことにした。

でもやっぱり断ちたい、自分の人生だから、自分で決めてやっていこう と思い直した。
先生の意見とは食い違っていて、自分の感覚が絶対に正しいという確信は無い。
苦しいのは嫌だ。
けど、少なくとも薬を飲み続けることに僕の未来は無い、と思い、
消去法で、断薬する道を選んだ。
失敗すれば、例えばストレスが原因で引き起こされる何らかの病気になる可能性もあるが、
もうこの道に人生を賭けようと思った。

丁度その時期、僕をずっと担当してくれていたカウンセラー(女性)の先生が、結婚して休職する事になった。
なんだか僕は、病院に取り残されたような、
自分の人生を病院に預けていても、先生がずっと面倒を見てくれたり責任を取ってくれるわけではない、
自分の人生を生きるのは自分なのだ、と思った、
その事も、断薬を決行するキッカケとなった。

そうして、結果的には、その後の4回目の挑戦で乗り越えられた。
(正確にはもっと多かったかもしれない。 ともかく何度やっても無理だった。)








 <注意点として>

断薬後に向き合うこととして、思考を変えていく事、と書いたが、

自覚しにくいものとして、
例えば、僕は俳句や詩や、絵を描いたりする事などが好きなのだが、
そういう時にも、ぐるぐると考える状態に陥りやすい。
俳句で例えれば、一つの句がうまく纏まらなくて、それをず〜っと考えている、とか。
そういう時にも要注意だ。 料理とか、日常の結構色んな時にも言える。

完璧主義の芸術家とかも居るので、その事自体は何の問題も無い気がするが、
脳がそういう状態で思考しているということが、パターンとして良くない。
だからやはり、ある程度のところでやめる、受け入れる、諦める、そういうふうにするのが大事だ。

俳句や詩は、パッと作る、つまり一刀両断のような作り方が可能だが、
絵の場合は、完成させるまでにそこそこ時間が掛かるので、執着する状態になりやすい。
なので、サッと描いて終わるような、落書き程度に留めていた。




 <注意点として 2>

僕はともかく眠れるようになりたかったので、
気持ちを落ち着かせる効果のあるハーブティーとか、お酢とか、お酒とか、
ともかく、そういう類のものを、初めの頃は毎日摂取していたが、
これもまた、薬に依存する感覚と同じになっている と気付き、やめるようにした。









 <番外編>

薬を服用していた頃は、ほぼ毎日、
とにかく無性にマスターベーションをしたくなる、というのがあった。
発情しやすいというか。

薬が何らかの影響を及ぼしているのか、どうなのか、分からないが、
僕は念の為、マスターベーションも同時に断った。
マスターベーションは汚い行為だ と思ったのも、断った理由だ。

結果的には去年の夏まで、8年間断っていた。
解禁した理由は、尿が濁る事が多くなってきたのと、尿漏れするようになってきたので、
全くしないのは、前立腺に悪影響なのではないか このまま病気になるのではないか と思ったからだ。

マスターベーションは汚い行為 と思っていたが、
医科学的に、男性の身体的な機能として、溜まった古い精子を排出させる行為は必要らしい。
それに、このまま一生我慢し続けるのは、それはそれできついと思った。
つまり、「我慢」という感覚から抜け出せないのだ。
行為をしたくなるのは、本能的に、遺伝子的に、機能的に、身体に備わっている感覚なのだと思った。
だから、やりたいならやればいい。
行為自体は、汚いとか綺麗とか、そういう次元の事では無い と今は思っている。

ただ、どういうものを見て どういうふうに興奮しているか、それを考えることは大事だと思う。
汚いとか綺麗とかは、その部分にある。

今振り返って、結構な長期間を我慢し続けた必要性はあったのか? と考えると、何とも分からない。
頻度を減らす努力をする という程度で良かったような気がする。










 <現在>


思考、そして不眠に向き合ってきたが、
(ついでにマスターベーションにも向き合っていたが、)

思考を少しずつ変えていって、タフさが増せば、つまり、ある程度リラックスしている状態になるので、
夜、寝れるようになる。

現段階では、僕は今ひとつ、未だタフになっていく途中だと思っている。
まだ、満足できるほど眠れるようになっていないからだ。
なので、頑張っていこう、という感じだ。

コップに7割の水が入っていて、これを満足と思うかそうでないか、
という話で言えば、それなりに満足はしている。

しかしもうちょっと寝たい! スッキリしたい!

まあ ゆっくりずむでやっていこう。









 <終わりに>


これらは、あくまでも僕個人の感じ方であり、僕の場合はこうだった、という話だ。
人の身体も心も、感覚も感性も考えも、皆それぞれ違う。
この経験が同じように当てはまる人たちが、全国にどれだけ居るのか、あまり居ないような気もしている。
僕の感じ方が正しいのかどうかも分からない。

薬を服用している人たちに、断つべきだとは思っていない。

とりあえず、経験談として綴ってみた。


現在、僕は働いていない。
家族は皆働いているので、僕が家事炊事などを担当している。
働かずに、そういう状況で居させて貰えているからこそ、出来た事だと思っている。
だからとても感謝している。


最後に何か駄洒落でも… と思ったが、思い付かないので、これにて終わりたいと思う。
チャンチャン



薬を飲んで僕は、クスリと笑った。



…頑張ろう。










 2017年10月05日(木)   僕、寝具 sleepy


 トム・ソーヤの冒険 エンディングテーマ
 https://www.youtube.com/watch?v=PP1kQYtdXv0



普段よく意識している事に、「心の強さ」、「考え方」 などがある。

薬を絶って以後、特に、傾向として、
人と何かあった時にマイナス思考に陥りやすい という事を自覚している。
頭にくることとか、ストレスに感じることとか、傷つくこととか、しまった…と思うこととか、
そういう事があった後、そういう感情のマイナスの方向に、ぐるぐると思考を続けてしまいやすい。

なので、考え方を、強さや気楽さやポジティブな方向に持っていこう と心掛ける事が必要だ。
それは多分、脳の筋トレみたいなものだろう と思っている。
筋肉がある程度付いていれば、それなりに重い物でも持てる。 その事と同じだ。
マイナスな状況に対して、それなりに強く処理できるのだ。

僕は多分、今、あんまり強くはないような気がしている。
もうちょっと強くならねば と思う。



毎度の如く、個人的な話だが、

断薬したばかりの頃は、緊張や不安感が強いからか、
動悸が激しくて、全く眠れなかった。
1日に1時間も寝れなくて、4・5日経って、さすがに2時間ぐらい眠れる、
というのを繰り返し、最初の1ヵ月間の睡眠は、合計で30時間ぐらいだった。

動悸の為か、バストアップしたような気がする。

次第に眠れるようになっていったが、1日に2〜4時間というのが普通だった。
日中ものすごく眠い。 夜もものすごく眠いが、眠れない。
脳が締め付けられる感じで、身体もきつい。

それでも、家事・炊事はできるし、時々知人の手伝いをしたりとか、
車の免許を取ったりもできた。
身体は自然とそのサイクルに順応しようとするのか、食欲もそこそこあった。

時間と共にそのうち眠れるようになるだろう、と思いながら耐えていたが、
1日に2〜4時間程度というのは変わらず、それも断続的な睡眠なので、
4年後、身体がきつすぎて、気持ち的にも限界がきた。
もう無理、と思った。 本気で、もう死にたいなあと、ぼんやり考えていた。

背水の陣になって気付いた。 気付くのが遅かったかもしれないが、
前向きに考えていかないと何も変わらない、眠れるようにはならない、という事に気付いた。
自分から思考を変えていかないと、何も変わらない。 多分、永遠に眠れることは無い。

不安や恐怖とか、怒りとか、落ち込むとか、
いつも、そういう気持ちの中にぐるぐると思考しているから、
それを、そうならない感じに、自分の中で持っていくのだ。

その頃から、2012年から、思考をポジティブに心掛けるよう努め始めた。
強く、とか、図太く、とか、気楽に、とか、そういうふうに。


そうして、もう5年ぐらい経っている。

断薬は、僕が独自の考えで実行した事なので、相談する相手も居らず、
見本のような情報も無い。 見本のような人も居ない。
家族も含めて理解者が居ない。
そういう意味では、孤独といえばものすごく孤独だった。
でも、この経験が、ゆくゆくは誰かの為にも役立てるかもしれない、と思えば孤独には思わなかった。
理解者が居ないという状況は、かえって自分の意志や信念を強固にし、鍛えられる。

経験が無ければよく分からない、というのは普通だろうし、
そもそも、家に居られるという事には大きな感謝だ。

薬を服用している人たち全員が僕と同じでは無いと思う。
むしろ、僕の経験は少数派のような気がしている。
重ねて書くけれど、断つべきものだとは考えていない。
僕が僕自身について考えた時に、断ちたいと思って断った、というだけの話だ。



今、
前向きに、といつも思ってはいるが、
日常で何かあった時とかに、やはり、思考がマイナスな方向にぐるぐると陥りやすい。
この事は睡眠に直結するので、その意味では、体力面でも死活問題になる。

だから、もうちょっと強くなりたい。
超人的に強くならなくてもいいから、もう少しだけ強く。
元々がナイーブな方だと思うので、もうちょっとタフや気楽さを目指したい。


目指す場所へいこう。

人生は一度。

一度の人生、ファイト一発。

心はいつでもロッキー山脈。







己と闘え!己のネガティブに打ち勝て! 敵は強いのだ、
強いのが敵というものだ、
立ち向かえファイター、ひるむなファイター!!






「あなた、その目はどうしたの…?」
 「ああ、これはクマだよ、君の事を考えてたら眠れなくってさ」
「まあ、あなたって人は…」
 「君の美しさと愛の大きさに比べたら、こんなもの、屁でもないさ」
「あなた…」
 「あ、屁が出る。 ブビブブブッ」
「…臭いわね。 殴ってもいいかしら」
 「よせよハニー、暴力は嫌いだよ」
「ふふ、ジョークよ。 あなたを愛してる」
 「僕もだよ。 愛してる。 ブビッ …あ、また出た」
「…やっぱり殴るわ」
 「よせハニー、パンチより、パンツをくれ! パンツの匂いを嗅がせてくれ! ブビッ」










  (鳥への文)

いつか パンツの匂いを嗅がせてほしい。












 2017年10月04日(水)   十五夜 usagi


今日は十五夜にて候。 中秋の名月なり。

里芋に白玉団子などを食せり。
月に住む兎に思い馳せる。
  うさぎ うさぎ なにみてはねる
あの兎は 吾にとって、一つの信念と重なる。
煌々と輝きながら一人で餅を搗く。
餅を搗きたいから餅を搗いているのだ、
餅を搗くのが好きなのだ。
まるで遊ぶように。
それから
一人ではあるが、あれは多分誰かの為にも搗いているのだろう。
もち米や臼や杵を用意してくれたのは誰だろうか。
要するに、一人ではないのだ。
一人に見えるけれども。
一人ではない。
そもそも あれはただの模様で 兎ではないのに
兎であると誰かが言って
しかも、餅を搗いている とか抜かした。
けれども、馬鹿馬鹿しいと感じる人の数よりも、
面白いな〜素敵だな と思った人の数の方が多かったので、兎の餅搗き伝説は今日に伝わる。
ほら 一人ではない。
たくさんの人たちに愛されながら今日にまで至っているのだ。
今夜、その大勢の人たちの一部分となって僕は、ベランダから月を見た。
  うさぎ うさぎ なにみて はねる
  じゅうごや おつきさん みて はねる
月にいる兎が 月を見ることはできないけれども、
きっとこの歌をうたっているよね 兎さん。
兎 歌って餅を搗く。
聴いているよ。
見ているよ。
うれしいな。
月の兎、
煌々と 輝きながら餅を搗く。

 まるい

  まあるい おつきさま。















  月の雨上りて 月の雫かな    高砂恵美子



  満月や 物影一つ一つ濃し    豊田たえ子



  両の手に 月を戴き 踊らなん    笹木雪子





  夢の中 月の兎になつてゐる    山田黎子






















  (鳥への文)


僕にとって 今やあなたは北極星となって そこにいる。

僕はあなたに飛び込んだ。
あなたが僕に飛び込む。
互いに、一つの水の中に居る。
水は温かい。

互いの目が何を見ていても、何を聴いていても、どこにいても、
手足には、その温かく澄んだ水の感触がいつもある。

僕があなたを斬ったとして あなたが僕を斬ったとして
互いに、赤く染まった水の中に居る。
そしてその水が再び元通りに澄む時、以前にも増して澄んでいることだろう。
僕の方はそう思っている。
それを度々繰り返したとしても
一つの水の中で、長い時間を掛けながら 二つの心も澄んでいく。


この水に浸かりながら話す――
僕が今、頑張らなければならないと感じているのは、
単純に、もうちょっとタフになることです。

あなたと一緒になることを現実的に考えれば、そこは真剣です。


あなたは一昨日、昨夜、虚しさの中で眠ったのだろうか。
なら その虚しさから引き剥がすように抱き寄せる。
そしてその優しい胸を、この胸に重ねて、
互いの指が 互いの躰に根を張るまで、そうしている。

勿論、自由にいてほしいから、離れたい時には気楽に離れてほしい。

でも僕が抱き締め続けるだろう。


何を言っているのかよく分からなくなってきたので、この辺で。






  (其の二)


この辺で と言いながら其の二を綴りたく候。


以前あなたのライブで聴いて、好きな曲があった。
CGCG…というコード進行だと思う。
僕が当時作って気に入っていた曲があるのだが、CGCGの部分が同じ進行だったので、
「おっ」 と思ったこともあって記憶していた。 (ちなみに僕の曲は拙いものだ)

また聴きたいなあと思いながら、でもどの曲か分からないので、
まあそのうち会った時に尋ねようと思っていた。

会って喋るのは緊張するなあと最近思っていて、
こないだ、下調べにと、喋っているあなたを視ようと思って適当に動画をクリックし、
適当な時間帯をクリックしたら、そのCGCGを弾いていた。
おお、これだ!と思ってよく聴いていたら、「証明」だった。
あれは、「証明」の弾き語りバージョンだったのだ。

そして、そのタイトルは、元は「線路上の芸術」だったとあなたは喋っていた。
「芸術」というのは死体のこと、と。
それはつまり、自分の自殺願望か、それとも他人の自殺のことなのか、分からないが、
ともかく死体のことだった。

Nさんへの告白を目標にして僕は断薬を乗り越えたが、
それでもその時1度目は挫折し、2度目で成功したぐらいだったから、
もしかしたら、Nさんとの出会いが無かったら、断薬することは永遠に出来なかったかもしれない。
そうしたら僕は、それこそ自殺していた可能性もあるし、少なくとも現在の僕は居ないだろうと思う。
あなたに再び出会うことも無かったかもしれない。

人生を賭ける気持ちで断薬に臨み、つまり僕は生きようとしたが、
そのキッカケになった当のNさんが自殺したというのは、皮肉というか、残念に思った。

断薬に臨んだ年は、あなたが「証明」をした年だ。
死をモチーフにした歌で、あなたは始まっていた。
この偶然は、僕個人にとってはちょっと印象深い。
僕自身の、意志の証明にも重なった。


Nさんは恩人ではあるが、薬のことを理解してはいなかった。
だからNさん個人にというよりも、僕はNさんと出会ったタイミングと縁に感謝している。
辛かったのは、家族や子供だろう。
僕にとっては、それなりに距離のある人だったから、正直そんなに悲しくは思わない。


僕は、そして現在に至り、あなたと合流した。


あなたにも、歩んできた人生がある。
あなたにも、あなたの現在がある。

その全てに手を伸ばして そっと触れたい。

鳥が飛んでいる。
僕は見上げる。
ありがとう と感謝する。

今日もあなたの口ずさむ歌を聴く。
その情熱を、火を、想いを聴く。
明日もまた聴いている。
その明日も、またその明日も、またその明日も。
ずっと。

傍に聴いていたい。


勿論、自由であってほしいから、好きな歌を、思いのままに歌っていてほしい。
たとえ何も歌わなくても、その時間の音を聴いている。



その火の隣に。








満月の夜に綴る。















 2017年10月03日(火)   飛行機雲 somewhere










飛行機雲が好きだ。
線が好きだという理由もあるが、
人々がそれぞれの目的を持って、どこかを目指して行く、
その事を想像しながら見ていると、自分もまたどこかへ行くような気持ちになる。



 2017年10月02日(月)   ひとやすみ india


「日曜アートシーン」を見て、気になった画家。

 入江明日香
 http://www.asuka.mimoza.jp/index.html

身体の関節とかに植物などが配されている。 単純に、面白いなあ・綺麗だ、と思った。






さて、十月になった。

神無月。 かんなづき。

島根県の出雲大社にて、日本各地の神様たちが集まって会合を開く、
つまり各地の神社の神様は不在ということになる。
なので、十月を神無月 と呼ぶ。 神の留守 とも言う。
人の縁を相談する会合、と伝えられている。

島根県では、神様が集うので、神無月ではなくて 神在月、かみありつき と呼ぶそう。
この時期は、神様の会合の邪魔をしないように、
音を立てずに静かに生活する風習が残っている地域もあるのだとか。













僕 お坊さんだから関係ないや











実は、日本国外にも神社があるのだそうだ。

 ハワイ大神宮
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%略

カメハメハ大王が祀られているらしい。














何だそりゃ!? オラがぶっ壊してやる!












今日ニュースで見たのだが、
インドを舞台にした、新作の歌舞伎が上演されたそうだ。

スーパー歌舞伎など、僕は興味深く見ているのだが、
新しいものを模索しながら作っているという事に、なんだか元気も貰える。

自分の心を前向きな方向へ持っていくことも、一つの創作のように思うので、
こうやって挑戦している人たちにも勇気付けられながら、これからも前向きにいきたいと思う。














ま、ひとやすみしながら頑張ってね♪








がんばるゾウ♪ パオパオーン













 2017年10月01日(日)   コーヒー a cup


今日は、コーヒーの日 だそうです。


 「コーヒー・カンタータ BWV.211」    バッハ
 https://www.youtube.com/watch?v=s4PpNlO_ZCs (英訳・ハングル語訳付)


バッハの時代、ヨーロッパにコーヒーが伝来し、大流行した。

なんじゃこりゃあ!めっちゃうまいやん! と、人々が揃って口にした。
なんっねこいは!わっぜえ〜うめっど! と、人々が揃って口にした。
どげんしっせこぎゃんにがっ味ば出しよっとか!わっぜえうめっが!
(どうやってこんな苦い味を出してるんだ!ものすごく美味しいじゃないか!) と、人々が揃って口にした。
うめっ、ほんっにうっめっ。ほんっにうんめかなあー!わっはっは
と、人々が互いに口を揃え、幸せそうに笑い合った。
そして、或る娘が呟いた。
 「1000回の甘いキスよりも、1杯の苦いコーヒーを」 と。
標準語で、そう呟いた。

そのような町の人々の様子を歌にしたのが、この「コーヒー・カンタータ」。
哀愁漂うメロディが、
コーヒーが好き、ああコーヒーが飲みたい、という切実な気持ちを引き立てている。


上記のかごんま弁が合ってるかどうかは分かりません、僕はシティボーイ、標準語なので…。

鹿児島シティ、よかとこやっど〜! (いい所だよ!)
美味しいコーヒー屋さんも、いっぺ〜あっど〜! (いっぱいあるよ!)


個人的には、コーヒーを飲むと胃の調子が悪くなるので、あまり飲まない。
嗚呼。














  (恋文)

あなたが好き、ああ貴女を飲みたい。
貴女から溢れ出る、様々な思いを飲みたい。 飲み干したい。

一体、貴女の心の底に沈んでいるものは何だろう。
貴女の刻んできた時間の中で、その心に積もり横たわっているものは一体何なのだろう、
ああ触れたい、感じたい、貴女の心の底に潜って隅々まで見渡したい。
僕の見開いた目が、きちんと、その姿を映し取れますように。
カップでひと掬いして、貴女の前に差し出す時、
甘いミルクや砂糖を混ぜて、きっとそうして手渡すから、
一緒に味わおう、飲み干そう、
一杯の甘みは、千杯の苦味をもきっと越えていく。

それから夜空に浮かぶ星を指先で結ぶように、そっと互いの躰をなぞりながら、
静かに踊るように、歌ったりお喋りしたい、
静かに踊るように、時には無言で見つめ合いたい。
ああ貴女が好き、貴女を一杯ずつ飲み干したい、
貴女から溢れる様々な思いの数々を、
千杯でも、一万杯でも、何億杯でも僕は飲み干し続ける。

でも本当は、そんなこと出来っこ無いだろう。
僕は牛乳が苦手だ。 貴女の心の底をカップに掬っても、
そこに甘いミルクを入れることは出来ない。
僕が入れるのは砂糖だけだ。
僕に入れることができるのは、僕が持っているものだけだ。
さらさら砂のようにこぼれ落ちた、小さな、ちっぽけな粒のような僕個人の気持ちを、
この掌に載せて貴女の前に差し出す。 それぐらいだ。 本当に出来ることは。

或いは、差し出したくても、何も差し出せない時もあるだろう。

その時は、何も持たないこの掌を、せめて貴女の掌に重ねて、祈らせてほしい。

心の底に横たわっている、夜の海のように深く暗く横たう、その大きな塊が、
いつかきらきら月光を浴びながら、
蒸発するように、光の中へ還っていきますように。

ゆっくりと 光になりますように。












往時目譜近時

watanabe keisuke