huukei

往時目譜近時


 2017年05月31日(水)   人と光 human ray

夕方のニュースを見ていたら、新しい映画の情報をやっており、
光 というタイトルの映画だったが、
出演者のインタビューが印象的だった。

・障害があるという事を感動的なものに捉えたり、
 障害者は可哀相 という気持ちだけで接するのは、間違っているのではないか。
・目が見えない人の中にも、嫌な人はいるし、色んな人がいる。
 だから私は障害者に対して、単純に、自分とは違う人、という認識をしている。
・互いが本音を語り合う事で新しい社会の在り方が拓けてくる。

箇条書きにすると、こういう旨の事を喋っていたと思う。

障害者の人生を感動的なものに描こうとする現在の風潮に、異を唱えたい
という映画だそうだ。 …だったと思う。


 ― ― ― ―


   所感

僕も同じような考えを持っている。
人間という根本的な部分では皆同じだから、同情だけで接するのは違うな、と思う。

これまでに、視覚障害の人たちを対象にした料理教室や、知的障害の人たちとの交流会、
統合失調症の人たちが集うカフェへ通ったりと、してきたのだが、
結論としては、善い人もいるし犯罪者みたいな人もいるし、様々で、
根本的には関係無い と思った。

障害等の特性を理解した上で接する事は、優しさとしても注意としても必要だと思うが、
単純に、根本的にどういう人間なのかを見る事は大事だ。
どういう性格で、どういう気持ちを持って、どういう生き方をしている人?
そこは障害うんぬんに関係無い。



   所感 其の二

それから、こういう人も居る。
Yさん(Y先生) 現在80歳ぐらい

今は昔… (回想)

中学時、人間関係で色々悩む事が多かった頃、
古文の授業で習った短歌に惹かれて、それを作る事が心の拠り所になった。

男性であるその古文のY先生は、60歳前後だろうか、優しくて、
先生に短歌を見てもらったり話をしたりする事が、日々の支えになっていた。
僕にとっては親よりも色んな事を話せる、唯一の理解者のような存在だった。

中高一貫校だったので、高校に上がっても当然その先生との交流は続く。
友人もいたが、僕には先生の方が、何でも話せる大事な存在だった。
人間関係では相変わらず悩む日々だった。

しかしだんだん、先生は性の話題を持ち出す事が増えてきて、
ある時、少年が好きだという事と、僕は性の対象であるという事を明かした。
その後、いわゆるセクハラが続き、度々身体を求められたりと、
当時の僕は、何かよく分からない、屈折した感情になっていった。

当たり前だが僕は身体を預ける事は無かったし、かわしてきたので、
結果的には、された事としては軽い事だけだ。


他の色々な出来事も重なり、僕なりに考えて高校を中退したので、
Y先生との関わり合いもそこで無くなったのだが、
短歌自体は好きで続けていたので、数年経ったある時、僕が投稿していた短歌誌を通じて連絡が来た。

短歌の感想を伝えてきたのだが、話をしていると、性への感覚は変わっていない様子だった。
当時の事については何も言わなかったので、僕の心境を伝えると、
そんなに悩ませてしまっていたのか… それは悪かった…
実は、俺も幼い頃、もっと酷い事をされたんだよ… と言った。

えっ、そうだったんですね… と驚いて、その時は複雑な気持ちになった。

本人ではなく別の人から聞いた話だが、
Y先生は教師になった頃から、常に誰かをターゲットにし続けていたそうで、
その事が発覚して退職させられた、という経歴が過去にあったそうだ。
警察に捕まる程には発展しなかった、だから定年まで教職自体は続ける事が出来たのだろう。

つまり、Y先生は、Yさんは、
自分の少年時の辛い経験、その経験を受けとめて強さの方向へ歩む、
という事を、人生の中でしてこなかったのだ。
屈折したまま、誰かを傷つけ続けることで、自分を慰め続けていたのだろうか。
そこら辺がどんな心理だったのかは分からないが、何にしても、
弱い、哀れな生き方を歩み続けていた という事だ。


大げさかもしれないが、僕は、自分にも性欲があるという事を受け入れたくなかったり、
憎しみのような感情を僕なりに持っていた時期も確かにあったのだが、
今は、もうそういう悩みや気持ちは無い。

Yさんは現在も存命なようで、短歌誌で名前を見かける。
キリスト教を信仰しているらしく、信仰心を詠んだ短歌などを見た事がある。
僕は宗教を否定しないが、救いを求め、すがる気持ちで信仰しているのであれば、
その事を悪く言う気も無いが、本当の救いというのは、自分が強く生きる事だ。

僕も別に完璧では無いので、弱い部分も色々あると思うが、
ただ、方向性としては、やはりそうなのだと思う。

Yさんの辛い経験には同情するし、本当に可哀想だと思うが、
哀れな生き方をし続けている事には同情しない。
それでもその事にも同情して理解はするとしても、
僕や誰かに今も矛先を向け続けるのであれば、それは当然受け入れる事はできない。

性格が陰湿で、嫉妬深く、不誠実な面もあり、関わり合いたいとは思わないが、
ただ気になる事としては、その人が、死ぬまでの人生を通して、
どれだけその心を美しいものへと、自分の力でそうしたのだろう、という事だ。
偉そうに言うわけでは無いが、
折角なら、誠実で優しくて強い心に、そういう方向へ歩めばいいのになと思う。


長くなったが、
今日テレビで、『障害を持っていたり、苦難を強いられている人達の人生を
感動的なものに仕立て上げたり、同情だけで接するのは間違っている。
嫌な人もいるし、色んな人がいる。』
と話しているのを見て、その通りだ、と思った。

という話でした。

つまづいたっていいじゃないか にんげんだもの
いろいろあるよ にんげんだもの
人を想いたい 人間だもの

 〜ジ・エンド〜


そういえば、以前、
虐待等でHIVに感染した児童を保護している海外の団体による、アート作品の展覧会があり、
観た事があるのだが、
明るい、優しい作品が多かった事が印象的だった。

屈折して、他人を巻き込んで傷つけていく人もいる。
まっすぐ立っていこうとする人もいる。
悲しさや恐さから脱せず、暗いままの人もいる。
明るさへ向かっていき、明るく優しい人もいる。

嘘の手を差し伸べる人もいるし、
本当に心から手を差し伸べる人もいる。
その手を傷つけたり利用したりする人もいれば、
手を掴んでまっすぐ立つ人もいる。

立ち上がれない事は悪いわけでは無いし、
屈折してもその時期を通過した後で変わる場合もあるから、正しい在り方というものは無い とは思う。
苦しさから立ち上がる事が出来た人は、様々な出会い等を含め、幸運なのかもしれない。
それから、やはり心のどこかで、強くあろうとするのだろう。
思い遣り、誠実、そういうものを大切にする強さ。
他にも、強さには色々あると思う。


 2017年05月29日(月)   玉葱と cool


先日書いた、冗談だよ という意味で使う英語、

 × It's kidding!
ではなく、
 ○ Just kidding!

でした。間違えていました。
I'm sorry. Just kidding...


 ― ― ― ―


  【玉ねぎと味噌の味がバツグン! 涼しい味 Cool Japan】




  さらし玉ねぎ、きゅうり、椎茸 の 味噌和え

・さらし玉ねぎを軽く絞ったもの
・椎茸の薄切りを茹でたもの
・きゅうりの薄切りを軽く絞ったもの

 これらを、
 味噌を水少々で伸ばしたもの、だし醤油少々、カボス汁(無ければ酢少し) で和える。


味噌の量は、野菜の分量によって決めます。
僕はだし醤油を使っているので↑水と書きましたが、
だしから作っている場合はだしで伸ばして、そこに普通の醤油少々でも勿論良いです。
うま味の要素を何も使わずに、水、味噌、醤油、酢だけでも、それはそれで美味しいです。

きゅうりを絞った汁を、捨てずに混ぜても良いと思います。

暑いので、冷やすと一層美味しいです。

僕は、生の玉ねぎが苦手なのですが、これは個人的には好きです。


色々書きましたが、つまり、ただの味噌味の和え物です。


 2017年05月28日(日)   飲み屋街 cafeterras

物凄く久し振りにカラオケへ行った。
以前はギターで弾き語りをするのが好きだったが最近はしていないので、
歌う事自体が久し振りだった。
楽しいから、たまには歌った方が良いと思った。

ところで、歌声というのは独特だ。
喋ってる声とだいぶ違う人もいるので、歌うのを聴くと新鮮に思う。
へえ〜〜こんな声なのか と、それもまた不思議な魅力だ。

綺麗とかに関係無く、歌声というものを誰もが持っているので、
この人は歌うとどんな声なのだろう と、ちょっと興味が湧く。
選ぶ曲とか歌う時の感情とかで、その人の内面が垣間見えたりもして、
そういうのを観察出来るという意味でも、カラオケという場は、良い機会の場だ。
と思った。


 ― ― ― ―


しかし途中から、何らかの原因で、猛烈な腹痛に襲われ、
青ざめてぐったりしていた。
緊張していたのだろうか。 直前に食べた物が悪かったのだろうか。

刺青に当てるレーザーはそこそこ痛くて、数日間はヒリヒリしているのだが、
自傷していた時の痛みにも似ていて、
自分にとっては前向きな気持ちにもなる痛みでもあったから、懐かしいな…と思って、
痛みに何となくしみじみと、ジーンときている思いもあるのだが、
内臓の痛みというのは、ただ単に痛くて、忍耐力を養われている修行のようだと思った。

それはともかく皆楽しそうにしていたので良かった。


 ― ― ― ―


飲み屋街の近くに住んでいるので、夜に犬の散歩をする時には、
飲み屋の通りを歩く事も多い。

初夏の今、夜は涼しい。
暗い夜道に、お店の灯り。
そこを歩いたり立ち止まって喋ったりしている人達も御機嫌で、店からも笑い声が洩れ、
その中を歩くのは何となく楽しくて心地が良い。

 夜のカフェテラス   ゴッホ
 https://ja.wikipedia.org/wiki/略
 (絵をクリックすると拡大表示されるみたいです)

 解説はこちら
 http://www.art-library.com/gogh/cafe-terrace.html

飲み屋街とは全然違うが、そして描かれた季節も違うが、
この絵のような、心地良い雰囲気を思った。

こういう気持ちを共感できたら幸せだと思ったので載せたが、
まさしくそういう気持ちで描いたのだろうか、描いた人はやっぱり凄いな…と思う。


 2017年05月27日(土)   雲 cloud

長らく運転していないので、感覚を忘れないうちに と思い、久し振りに乗った。
天気も良かったので、このまま永遠に乗っていたい気持ちになった。



 N D B P N D B P







昨日の空。 一日、雲が面白かった。









大らかな気持ちが湧いてくる。




 S K Y H I G H






毛虫を掴まえて、愛でた後、軽く茹でて、半分に切ったもの。
どんな味がするのかな? とりあえず最初は塩味で食べてみようかな

It's kidding! (冗談だよ!)

アスパラガスの根っこの方を、今までは切り落として捨てていたんですが、
写真のように細かい蛇腹目に切ると、食べられる
という情報を得たので、やってみたら、確かに繊維が気にならず食べられました。
これは良い と思いました。


 2017年05月25日(木)   除去 jyokyo

4年程前から、腕の入墨の除去をしている。
病院に行ってレーザーを当てているのだが、今日で7、8回目になる。
消えにくい色(水色と黄色)を使ったので、一般的な黒や青よりもなかなか薄まらないそうだ。

僕の場合は、ケロイド化しやすい体質なので皮膚移植はやめた方が良い との事で、
そして、レーザー除去は完全に消えるという事では無く、あくまでも 薄くなる という事だった。

もう、だいぶ薄い。



  (所感)

入墨を入れている人に、必ずしも除去すべきだとは思わない。

じゃあ何故除去しているかと言うと、自分にはもう必要無いと思ったからだ。
僕にとっては大事なアイデンティティのようなものだったが、もう必要で無くなった。
それから、強さや、色々な意志や願いの象徴でもあったが、
それを入墨として持っていることへの必要性を感じなくなった。

思えば僕は、強さというものは、つまり暴力の強さなのだと思っていたかもしれない。
それを持たない者は弱い者であり、負ける者、と。

殴るという意味での暴力ではなく、つまり暴力性ということだ。
威嚇する事、恐怖させる事、そういう事をしないと、不安だったのかもしれない。
弱くありたくないから、負けたくないから、不安だから、自信が無いから、
トゲトゲにしていれば自信が持てて、強い自分であれたのかもしれない。

けれど、薬をやめる事が長期に渡って困難だったという経験もあって、
苦悩や困難を乗り越えることが、どれだけ強いことだろう と思った。
乗り越えること、耐えることや、受けとめること、そういう強さに惹かれるようになり、
上に書いた事はむしろ、そうしていないといられない弱さ なのかもしれないと思った。

あと他に、ある弁護士の人と知り合ったのだが、
暴力団等とのトラブルを専門にしていて、
法律を駆使しながら人を恐怖や不安から助けている、という事が、その時は目から鱗だった。
強いな…と思った。

そうやって色々を経て、僕の中でのパンクスのような反抗精神は、何か違う強さの気持ちへと転換され、
服装や言葉使いなども含めて、自分の在り方を少しずつ変えていった。

ちなみに、入墨の絵柄は、家族の絆をテーマに自分でデザインした絵柄だったのだが、
むしろ入墨を入れた事で家族と溝を作っていた、という、苦笑い話である。


自傷行為も激しかったので、僕は手首はあまり切らなかったが、腕と上半身に傷痕がたくさんある。
傷ではなく傷痕なのだが、つまり過去のものなのだが、
この傷痕を人が見たら、「エッ この人 普通の人じゃないな」 と引くのが、一般的な反応なのだろう。

それはそうとして、
傷は「痕」になるが、入墨は、そのまま身体に残るので「痕」にはならない。
つまり、人が見た時に、過去のものなのか現在のものなのか判断できない。
だから普通は警戒して、関わりを避けるだろう。 身を守る為に当然のことだ。

たとえ考え方や気持ちが、入墨を入れた時とは変わっていても、見ただけでは分からない。
でも除去していれば、除去した痕を見て、ああ通過して今は違うんだな と判断できる。
勿論そうは思わない人達もいるだろうが、とにかくそう考え、除去する事にした。


重ねて書くが、これは、僕の場合は という話であって、
他の人たちに対して、同じように考えるべきとか、除去するべき とは思っていない。
大切にしている想いを大切にすべきだと思う。

ちなみに、入墨を入れたのは25歳の時である。

なのである。


今日は曇りだったけれど、それなりにいい天気で、
病院は谷山という地域にあるのだが、駅から歩く往復路が、のどかで気持ちが良かった。


 2017年05月24日(水)   花祭 humahuaqueno

さて、そろそろ春も終わる。
佐保姫も、春の花をみんな咲かせ終えて、山へ帰る頃。
どうも有難う。 最後に 咲いた花々を束ねてあなたにあげるわ。

 花祭り  クリスティーナとウーゴ
  https://www.youtube.com/watch?v=WIBLNigFWJQ
 (1978年 東京でのコンサートの音源だそうだ)

クリスティーナとウーゴ、この二人は夫婦で音楽活動をしていたが、
交通事故で一緒に亡くなっている。
色んな人生があるんだな…と思う。

なないろの はなたばを あなたにあげるわ
サビの部分の歌詞を、本当はそういう歌詞ではないのですが、
そう思い込んで憶えていました。


季節も時間も 少しずつ移り変わっていく。
綺麗なものたちや綺麗な思いは周りに ずっと在り続ける。
それらにも触れながら、皆、自分が在り続ける。

何に触れよう 何を思おう

限られた時間の人生、短いかもしれない 長いかもしれない
短いとしても 長いとしても
明日を思いながら
今日を思いながら


 2017年05月23日(火)   もよひ all ok

今日気が付いたのですが、

僕はこれまで、良い という言葉の文語体を、良ひ と書いていましたが、
 × 良ひ
 ○ 良い
でした。

  約束の日は雨もよひ雪もよひ      石井美穂

という俳句を以前紹介した事があったのですが、僕はこれを、
 雨も良い雪も良い  …と解釈していました。
しかし、間違っていました。
正しく漢字で書くと、
 雨催ひ雪催ひ  …でした。

意味は、
 催ひ… 支度、準備
 なので、雨催ひ 雪催ひ… 雨が降りそうな空 雪になりそうな空
 つまり、雨模様 雪模様  …空模様の事です。

約束の日は雨もよひ雪もよひ
…これはつまり、約束をした日に限って雨や雪になるなあ
ということだと思います。
友達と会えて楽しいのだから、雨でも雪でも良いぞう
ということではありませんでした。

とは言え、
いじらしい季節だなあ、と思いながらも、その季節を感じながら楽しんでいるようにも思います。
きっと友達との時間も、楽しいものなのでしょう。


僕が入会している俳句会は、有季定型で文語体を基本としています。
僕個人も、折角なら文語体で書けるようになりたいので、それに集中しています。
なので正しい使い方を勉強してはいるのですが、今日間違いを発見しました。
まだまだでした。
まだまだ、というのは先があって良ひ気がします。
おっと! …良い気がします。

それでは、これにて、さよなら!

今日も良い天気でした。 そちらはどうでしたか?
さよなら、さよなら!


 2017年05月21日(日)   虫めづる caterpillar

虫めづる姫君 を読んだ。

堤中納言物語 (つつみちゅうなごんものがたり) という
平安時代の短編小説集の中の一編だ。

もうずっと前になるが、「風の谷のナウシカ」の漫画を読んだ。
全七巻だが、映画化したのは二巻までの話、と聞いたので気になって読んだ。
そのあとがきに、「ナウシカは虫めづる姫君をモデルにした」、と書いてあり、
いつか読もうと思っていたのが今回になった。

最近、虫を愛でる人を見て、
あ、そういえば… と思い出したのだった。

読んでみると、この姫君の愛づる虫というのは、毛虫のことだった。
世間では、美しいものばかり愛でるけれど、ばかばかしい、
毛虫はこんなに醜くて忌み嫌われているけれど、いつか羽化して蝶になる、
もっと物事の本質を求めないと、本当に美しいものや楽しいことは分からないよ。
…そういう考えをもって、毛虫を愛でている。

ちなみに、この現代語訳を読んだ。
 https://www.amazon.co.jp/略


個人的な事を書いてもしょうもないかもしれないが、
ナウシカを今読んでも、僕はあんまり触れたいものではない。
でも、メッセージ自体には共感している。

虫めづる姫君を読んで、雰囲気が好きではあるが、内容に凄く惹かれるわけではない。
堤中納言物語に収録されている他の話は、
描写や形や雰囲気など、部分的なものには惹かれたが、
内容としてはあまり関心を持てるものではなかった。

でも、こういうのもあるんだなあ という意味で、面白いと思った。
虫めづる姫君はフィクションだとは思うが、
少なくともこれを書いた人は、こういう思考をしながら物事や世の中を見つめていたのだから、
平安時代に、こういう事を考えて生きている人がいたというのは、
いつの世も変わらない気がするし、面白い事だと思った。


 ― ― ― ―


最初から蝶のように優しくて美しい人なんていなくて、
苦しいこととか色々を通過する事で、心が何か変わっていく。
(当然だが、僕自身が蝶のように優しくて美しい人間だとは思わない。)

優しさや思い遣ることは確かに大事だと思っているが、
色んな人がいて色んな場合があるから、やはり経験は一つ一つが独特に思う。
小さな事も大きな事も含めて、言葉にならないものもあったりしながら、
新しく何かを学びながら、心は在り続ける。

心はおもしろい。
時々疲れる時もあるけど、一番おもしろいと思う。

それなら物質には意味が無い と思った事もあったが、そんな事なんて無く、
誰もが皆、物質を通しても、心の何かしらを見つめたり、心の何かしらに触れたりしている。

人に、色々に、自分自身にも、これからも宜しくお願いします と思う。


 ― ― ― ―


この先も 誰かと共感し共有する景色が その事がずっとつづいていきますように。



 * * * * * *




花芽いづる

虫もよい 花もよい

白もよいし 赤もよい


この木の名前は、分からない。


 2017年05月19日(金)   春の白鳥 swan



  白鳥の水ひろびろと城の春      高野素十


  白鳥のとび行く空の春の雲      同



高野素十  1893―1976
この人は医師なのだが、ドイツに留学中の40歳頃の作。
上は、シウエッチンゲン城、と前書きしてある。
下は違う日に違う場所。

城がリアルタイムのものとして存在していた戦国の時代は、今はもう昔となって、
観光地となったその庭園の広い池に、白鳥がのんびりと浮いている。

穏やかな日和。

白鳥は水の上を泳いでいる時、その姿はとても優雅に見えるが、
実は、水の中にある見えない足はバタバタと一生懸命に水を掻いていると聞いた事がある。

バタバタと足掻いていながらも、白鳥の白い身体のように、心を
心を白く…とまで言わなくても、出来るだけ白さ、清さへ向きたい。
そういう方向を思っていたい。

これからも、何かを足掻くのだろう。
ただ何か白い方向を見つめていたい、白さや清さ、つよさなどを思っていたい。

白鳥はそしてとび行く。 空に雲。 春の雲。
その白い春の雲に、その白い身体は溶け込んでいく。
希望のよう。





 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜




  ギョコラ

バレンタインデーに、自分へ買った。
煮干しをチョコレートでコーティングしたもの。
原材料を見ると、シナモンと洋酒が使われている。

熊本駅のお土産屋に売っていて、
どんな味なんだろう、意外と美味しいのかも、
と思って買ってみたが、意外とまずかった。
噛んでいると、美味しいチョコレートの風味が薄れていき、じわじわと広がる生臭さ。
煮干しを単体で食べるのは好きだが、チョコと混ざると、おえー…。

とは言え、完食した。

季節外れの感想文。


 2017年05月18日(木)   てふてふが across


昨日書いた事に関連して…
と、まるで一人でしりとりをしているようですが…




  春

 てふてふが一匹韃靼海峡を渡つて行つた      安西冬衛




安西冬衛(あんざい・ふゆえ 1898―1965) という人の、
春 とタイトルが付けられた一行詩。

ちょうちょうがいっぴき だったんかいきょうをわたっていった と読む。

韃靼海峡って、どこ…?
 https://ja.wikipedia.org/wiki/略
日本では間宮海峡という名前が付けられているが、
中国では韃靼海峡、ロシアなどではタタール海峡と呼ばれているそう。
韃靼人 = モンゴル人 = タタール族  だそうだ。

かつて、北海道の北に位置するサハリンは、樺太と名付けられた日本領だった。
異国に居た作者が、
病気に掛かった為に帰国が叶わなくなり、その思いを綴ったものだそうだ。

日本へ帰りたい、という気持ちを、
大陸側から日本へ渡る、という意味で、敢えて大陸側からの視点で韃靼海峡と表現し、
てふてふに… 儚いような弱々しいような蝶に、自分の姿を重ね、その思いを託した。

今ネットで調べた情報によると、そういう背景があるそうです。



…それで、蝶は本当に海を渡るの――?

  Yes、 海を渡る蝶もいるそうだ。

どんな蝶が――?

  大きな蝶とは限らない。
  紋白蝶のような小さな蝶も海を越える。

一匹で越えていく事があるの?

  数十万とも言われる群れでは確認されているが、一匹では、無いんじゃないかな?

ふ〜ん

  ちなみに、蝶の正式な数え方は、一頭 である。

匹じゃなくて頭なの? なんで?

  理由は、ネットで 「蝶 数え方」 で検索したら出て来るよ。
  これはあくまでも正式には、という事だから別に、匹と数えてもいいと思う。

あ、出てきた。 へえ〜なるほどね。 どうもありがとさん!

  うむ!







      ▽▽







海を渡るその羽はつよい







 ▽▽  ▽▽  ▽▽

  ▽▽   ▽▽  ▽▽

 ▽▽   ▽▽   ▽▽

  ▽▽  ▽▽  ▽▽






















































 2017年05月17日(水)   韃靼 dance


昨日の関連として…

かつてロシアでは、ヨーロッパから伝わったオペラが人気を博していましたが、
自国を題材にしたオペラが無い
という事で作った、ロシアを舞台にした初めてのオペラ、それが、

イーゴリ公 だそうです。
1890年、作曲者は、ボロディン。
化学者でもあり、ボロディン反応 という現象を発見した人だそうです。

ちなみにこの17年後の1907年に、「見えない町キーテジの物語」のオペラが上演されています。

「イーゴリ公」も、ロシアとモンゴルとの闘いの話ではあるのですが、
このオペラの中の、だったん人の踊り という曲が有名で、聴いた事のある人は多いと思います。
だったん(韃靼)人 = モンゴル人 なのですが、

ロシア側からすると憎い相手のはずなのに、
そのモンゴル人が踊り歌う場面を、このオペラの中で最も美しいメロディで描いている
…という事に、ジーンときました。

ボロボロ泣きました。
……。

ボロディンは、このオペラを完成させる前に急逝しており、
交友のあったリムスキー・コルサコフとグラズノフという人たちの手によって完成したそうです。

 だったん人の踊り
  https://www.youtube.com/watch?v=0w9crmZT-C0

紹介した動画は、日本人による公演のもので、
日本語字幕が付いていたので、これにしました。
海外のものを見てみると、身体の動きがもっと凄いものもあり、
人間ってこんなに、変わった動きも繰り出せるんだなあと、凄いなあと思います。
でも、日本人のも充分に凄いです。


 2017年05月16日(火)   キーテジ kitezh

神殿の水の中めく…… と、昨日書いた。
それで、


見えない町 キーテジの物語  The Legend of the Invisible City of Kitezh
 リムスキー・コルサコフ作曲  約23分
 古い音源のせいか、音の高低が少し変ではありますが、雰囲気があります。
  https://www.youtube.com/watch?v=2MAI2j3MpfI

 こちらは高低が正常です。
  https://www.youtube.com/watch?v=v1OozitPlWU


ある湖の中に、キーテジという町がある。
…というロシアの伝承を元に作った曲。
「見えない町」 「見えぬ町」 「見えざる町」 など色々な表記があります。

この曲は四つの楽章から成り、僕は第一楽章と、第四楽章の最後が、特に好きです。
(YouTubeの動画の「もっと見る」をクリックすると、各楽章の時間が表示されています。)

それで、見えない町 キーテジの物語 とは何ぞや…?
気になった方は、こちらを参考に… (NHK交響楽団のHPが開きます)
 http://www.nhkso.or.jp/library/kaleidoscope/11531/

元々は、「見えざる町キーテジと聖女フェヴローニャの物語」 というオペラ作品だったそうですが、
それを四章の組曲にした様です。
オペラの各幕と、組曲の各楽章は連動している様なので、
こちらの方(知らない人です)のブログ記事を参考にすると、解り易いと思います。
 https://ameblo.jp/pelleas2016/entry-12008504532.html

フムフム…。


 2017年05月15日(月)   立夏 datta


  神殿の水の中めく立夏かな      阿部寿岳


読み… しんでんのみずのなかめくりっかかな


去る五月五日は立夏だった。 今日気が付いた。
暦の上では、もう夏が始まっている。
しかし実際の体感としては、まだ春の中。

神殿と言うと、自分はギリシャのパルテノン神殿を想像するが、
この句の場合の神殿は、日本の神社の事を指している。

神殿、その周りを取り囲む木々は、若葉で青々と生い茂っている。
穏やかな風がそよぎ、そよいで、しん――としている。


ところで、パルテノン神殿や、その時代の彫刻は、
白い
というのが通説でしたが、
近年、これらは、実はカラフルな色が塗られていた、
という事が判明したそうです。
彫刻の衣服や首飾りは勿論、
眼なんかも、瞳は青く塗られていたそうです。

神殿も、CGでカラフルに再現されていました。
「パルテノン カラフル」 「ギリシャ 彫刻 カラフル」 とかで画像検索すると、
色々見られます。

白いと神聖な感じがしますが、色が付いていると反対に俗っぽいというか、
そんな印象です。



― + ― + ― +


晴れていた。
夕方、広い場所に行って、空を眺めた。 とても綺麗だった。
久し振りにゆっくり眺めて、最近はこうしてゆっくり空を眺めていなかった事に気が付いた。
心ゆくまで眺めてスッキリした。


 2017年05月14日(日)   花貝母 utu


  美しく鬱を分け合ひ花貝母      山本千春


読み…うつくしくうつをわけあい はなばいも


花貝母というのは、貝母の花、もしくは開花した状態の貝母のこと。
どんな花…? (Yahooの画像検索結果の画面が開きます。)
 https://search.yahoo.co.jp/image/search?p=略

解釈…
下向きに、うつむいて咲くので、その様子を鬱に例えた。
幾つもの花たちが鬱を分け合いながら咲いているように感じ、
その姿を美しいと感じた。

いわゆる鬱に限らず、ちょっとした悩みなども含めて、
悲しさややるせなさ、苦しさ、怒り、そういう気持ちや経験を、
互いに分かち合って一つの場所に咲いている。

その「一つの場所」を日本や地球に例えたら、
たとえ遠く離れているとしても、いつも一つの場所に咲いている。
共感する、分かち合う、互いに思い遣る、そういった事の美しさ、
花貝母の持つ美しさの一つは、その美しさ。
人も同じく。



  マメマメ 知識

貝母(ばいも) という名前の由来は、球根の形が二枚貝に似ているから、だそうです。
中国原産で、中国語の貝母を日本語の音読みにした呼び方だそうです。
花の内側の模様が網状になっており、笠にも見える事から、
編笠百合(あみがさゆり) とも呼ばれるそうです。

なんで母という字が使ってあるのかは……分かりません!
I don't know. Bye bye bye.


 2017年05月12日(金)   春の旅 springs song

  5月12日  金曜   天気:午後より土砂降り:;:;:;:;


紹介する時期が少し遅れましたが、
「春の唄」
作詞/喜志 邦三  作曲/内田 元

編曲違いの2曲を…

 https://www.youtube.com/watch?v=IQaoHQ_yCgI

 https://www.youtube.com/watch?v=p6awA3dq7V0

好きです。




   若くなる人の心や春の旅      正岡子規


日々の散歩もまた小さな旅、


   どこまでも風船の旅 空の旅      水野さやか


風船も旅をしてゐる、


   ひとりゐて いつもの窓に春の空      安部つたえ


窓辺に蝶がやって来て、暫くそこにゐて、またすぐに風に乗ってどこかへ、


   初蝶の風のかけらとなりにけり      山下晶石


風のかけらとなってどこかへ、
どこかで今もきらきらしてゐる、
風のかけらの蝶の旅、
空の旅、
春のわたしの今日の旅。


 2017年05月11日(木)   イースター moai

昨日、イースター(復活祭)って書いたけど、
そういえば、モアイ像で知られるイースター島って、なんでその名前なの?
キリスト教のイースターと関係あるの?

と思って調べたら、つまり、こういう事でした。
1722年、オランダの海軍提督だったヤーコプという人が、
海を探検していた時、
この島を最初に発見したのが、偶然、イースターの日だったから。

それで、イースター島 と名付けたそうです。
(「イースター」は英語だそうですが、
 正式名は、スペイン語の、「パスクア」島 だそうです。
 パスクア = イースター だそうですが、
 なんでオランダ語じゃなくてスペイン語が正式名なの? それは分かりませんでした。
 分かっても、割とすぐに忘れそうですが…。)

島の発見後 暫くして、3千人程の住民の殆どが、奴隷として拉致されていったそうです。


ところで、宮崎県の サンメッセ日南 という所には、
イースター島の長老会公認の、
世界で初めて完全に復刻されたというモアイ像が立ち並んでいるそうです。
僕は行った事はありませんが、こちらのAllAboutというサイトに情報が載っていました。
 https://allabout.co.jp/gm/gc/399315/

サンメッセ日南 の公式HPは、こちら。
 http://www.sun-messe.co.jp/index

へえ〜〜 と思った今日なのでした。

ところで、イースター島の民族音楽はどんなものかな?
…この動画をYouTubeで見つけました。 個人の旅行の映像だと思います。
多分、打楽器の部分が、そうなのではないかと思います。
 https://www.youtube.com/watch?v=BrnFJq9CVUE


 ― ― ― ―


今日は月がよく見えて綺麗でした。
春らしく すこし朧でした。


 2017年05月10日(水)   聖五月 seigogatu



  海よりの風の透明聖五月      村上君代


読み… うみよりのかぜのとうめい せいごがつ

海から吹く
私の心と呼応する
清い風。


「聖五月」というのは、「五月」の子季語。
子季語とは 本来の季語の関連で拡張された季語、と書いてあった。

聖五月…
キリスト教の祝祭の一つに、イースター(復活祭)がある。
春分を過ぎた頃だそうだが、その50日後に、聖霊降臨祭、
その後に聖母祭がある。 それが五月なので、
誰が作ったのかは分かっていないが「聖五月」という言葉が生まれた との事。
ちなみにキリスト教には「聖五月」という言葉は存在しておらず、
日本の小説や文芸の中で生まれた言葉 だそうだ。

僕は無宗教だが、この句を読んで、
若葉が萌え出す五月に、なんとなく神聖な気持ちを持った。
吹いている風が、なんだか清らかなものに思う。
今、街路樹の若葉に、街に吹き渡っている風は、どこから来たのか
遠いところから来たのか
五月、吹いている風をなんとなく清く思う。



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先日書いた高浜虚子の句に訂正がありました。

× 春の夜や机の上の肘枕
○ 春の夜や机の上の肱まくら

肘→肱 読み方はどちらも「ひじ」です。肱は旧字体だそうです。
「枕」は平仮名でした。もしも書き留めた方がいましたら、済みませんでした。

まくら と平仮名で書くと、肌の柔らかさも表れると思います。
偶然、「く」が、折り曲げた肘を想起させます。


マクラカタブラ マクラカタブラ… (意味は無いです)

扉よ開け!

眠りへの扉 この世よ いざさらば
グーグー ZzzZzz


 2017年05月06日(土)   出逢ひ hi


  ○

出逢ひ

みずいろの ともし火と
きみどりいろの ともし火の

  ○

異なる火の出逢ふ

  ○

火と火の

  ○

燈火と燈火の

  ○

君の持つ君の火と
私の持つ私の火の

同じ火でありながら

  ○

まるで違ふ火の
しかし煌煌煌と燃えてゐる
火は互ひに
出逢へば語らん

語らひは炎となりて鮮やかな
大いなる君の火に手をかざす
私の火にも手をかざし給へ
と言ひたいが 私の火は少しちひさいか

  ○ 友 ○

火は煌煌としていつでも
いつまでも火である 燃えてゐる
燃えてゐる火である いつでも
いつまでも
煌煌と 煌煌煌と いつまでも



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墓参り。 西の空。 夕方。

今日は気温が高かったので、風が涼しくて気持ちよかった。


 2017年05月05日(金)   今日は kyouha


今日は雨がふって雨のひかり

昼は蛸の入った弁当、夜は近所でとんかつを食べた


他愛もない事ばかり綴っていく
誰が見ているのだろうか
ただこの日誌は川のようなものなので
誰も見ない日があっても
流れて行けばそれでいい

何を書いても流れてゆくし
全て流れる

星も流れれば 花片も流れる
人の思いも流れてゆくもの
流れつづけるものを抱いて
ここには私の川が在り続ける

陽が映っている
水面に 流されることなく
そこにずっと

いつも動じず
陽よ
水面の中から照らせ
いつもいつも照らせ

動かない草花も
そこに居て風にそよぐ

暗くなって夜には
月がやさしく ふたたび水面の中より
流れるものを照らし始める

その明るく温んだ水を
静かに飲みに来るひとも居て

川を愛でに
今日もここへ
また、誰かの川へ行きもして

私の川音を聞きたいと
誰かの川音を聞きたいと

たとえ ざわつきの中 塞いで何も聴こえなくなっても
たとえ 何も見えなくなっても
暗闇に居てもいいから
けれど迷わないように ここへも来るようにと 繋ぐ手があるかのように


 2017年05月03日(水)   像を見た mitazou

美術館へ行き、色々見て刺激を受けてきた。


カレー市民の像…
あれはカレーライスを考案した人だよ
それともカレーが大好きな人?

聖ヨハネの像…
ヨハネって、聞いた事はあるけど何をした人?
ヨハネは、あれだよ、キリストの… キリスト教の何かをした人だよね …分からん

考える人の像…
昔は確か考える人の像もあったはずだけど、今は無くなったみたい
もう考えなくなったのかな?
頭が疲れるから考えるのやーめた!って言ってどっか行ったのかもしれないね


像を馬鹿にしているわけでは決して無いが、
そんな会話をして、和んだ。


 2017年05月02日(火)   鳥と藤 cuckoo & the fuji

五月になると、なんとなく嬉しい。

色々な鳥の声が聞こえる。


「カッコウとナイチンゲール」 オルガン協奏曲 HWV295    ヘンデル
 https://www.youtube.com/watch?v=oW2Faes1zhs

鳥の鳴声のような旋律が所々に出てきます。


ナイチンゲールって、どんな鳴声??
カッコウもナイチンゲールも、生で聴いたことは無いかもしれない。




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今日は久し振りに灰が降った。
外は硫黄のにおいがする。



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  紫の藤の花をばさと分くる風ここちよき朝ぼらけかな      与謝野晶子



藤、
今年は開花が早かったそうで、連休明け迄が見頃、とニュースで言っていた。




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様々な人が、世界中にいる
その事をいつも意識するようにしている
限られた関わり合いの中で、それが全てではないと思いたいから

いつも 地平線や水平線を眺めるような感覚を持っていたい

ここを離れて遠くへ行きたいという気持ちでは無く、
遠くの存在がある事を意識しながら、ここで関わっていたい。
遠くの存在 = 強さや美しさの極みのようなもの。


勿論ここも尊い


 ― ― ―


のんびり


 ― ― ―


しずかな


 ― ― ―


しずかな声


なんでもよくなる
どうだってよくなる


 声
  声

誰もが身体に温度を持つ

風を隔てて

水平線を映して話をする

たわいもない話


 2017年05月01日(月)   ゆめもやう yumemoyou



 たんぽぽの絮全円のゆめもやう      豊田都峰



読み… たんぽぽのわた ぜんえんのゆめもよう




  <とよko氏に  墓の白蒲公英>  (お墓に白いたんぽぽが咲いていたとのことで)

その場所で ずっと守られ続けられていた
ちいさな営みは…

その人たちの その人の
ゆめが きれいなまんまるに
全円になって
その夢の種を 飛ばすのは
飛ばしているのは…

その場所にしゃがんで 愛でながら
夢の一部になっている…

飛ばした夢のひとつとして 今そこにいる…

その思いの花に守られ続け そして誰かを守り続けているひと あなたの為と
あなたと、あなたが守っているひとの為と
伝えているかのようにも

自然界の色々な好条件が重なり その場所に偶然続いて繋がっているだけのこと
なのだろうけれど

思えたので書いてみた [(^ ^)]




 *  *  *  *




一つ葉田子 ひとつばたご
別名 なんじゃもんじゃ

近づくといい匂いがする。


往時目譜近時

watanabe keisuke