huukei

往時目譜近時


 2017年04月30日(日)   陽ざしと花の bus stop

  sunday's sun



松葉海蘭 (まつばうんらん)。 小さな紫色の花。

数年ぶりに電車に乗った。
谷山駅付近の線路が新しくなり、地上30メートルくらいの高さでモノレールのような景観だった。

免許の更新。
全く運転していないので今回も優良ドライバーである。
そして行きも帰りも電車である。
本来ならバスで行きたかったが、
免許センター前までの路線が、いつの間にか廃止されていたのだ。
え?バス無くなったの!?
無くなっていました。
バスガスバクハツ


 ― ― ― ― ―


先日の、名前の分からない花畑の花の名前は、ハゼリソウ という事が判明した。
名前を書いたプレートが、よく見ると挿してあった。



今日見たら、こんな姿に変貌していた。


  (詩として)

ああ こんなふうな 陽ざしと花の光っている場所で
語り合いたい
何を語る というわけでなく
ささいなこと 身辺のことなどを
最近のことなど
あるいは何も話をせずに
しかし何かを語り合いたそうに
そうして、いつしか語り合っている
気が付くと…
陽ざしと花の光っている場所で
語り合う時間も光るように
気が付くと
どこかへ飛んで行ってしまう
もう帰っては来ない 来ないよ
こないようでいて、また帰ってくる くるよ
帰ってきたの?
うん帰って来た
新しい、羽の模様をたずさえ
気が付くとたずさえていた

そしてまたどこかへと飛んで行くように 去り
帰ってはこない
こないと言いながら
また来ることを約束するかのように
約束して去った

すっかり忘れたころ
もう覚えてはいないのに
お互いに目が合った なぜか
それから話をし始め
その模様、すてきだね
どうしてかな すてきなのは
なぜかな
でもすてきだね
すてきだね
気が付くと そんなふうに笑い合った

陽ざしと花の光る所


 2017年04月29日(土)   太陽の tanpopo


  太陽の色に似たくてたんぽぽ黄      遠藤タミ子



読み… たいようのいろににたくてたんぽぽき

たんぽぽは、白いたんぽぽと 黄色いたんぽぽとがある。
白い方は日本古来のものだそうで、滅多に見かけない。
黄色い方は西洋たんぽぽ、外来種だそう。

上の句は、黄色いたんぽぽ。
たんぽぽは太陽の色に似たくて黄色になった

「太陽に憧れる。
明るさ、強さ、たくましさ、

太陽が、私を上へと育ませる
根を深くへ伸びさせる

私も太陽さんみたいに 」

そんな たんぽぽみたいに僕も
なれていない時も実際あっても、
せめていつも心の底に たんぽぽを二つ三つ 置いていたい。



 / / / / / / / / /  〜*  **



  春宵や 栞に結ぶ青リボン      南 周子


読み… しゅんしょうや しおりにむすぶあおりぼん

春宵 = 春の宵(はるのよい)
宵とは、日が沈んだばかりの、夜に入って間もない時間帯のこと。
現在は、鹿児島は7時前後、
関東だと6時30分前後だろうか。

ふと、窓を見た。
もう日は沈んだなあ。 夜になってきた。
――窓の外が青い世界になっている。 うっとり…。
ん〜〜〜 伸びをして… さてと、
読んでいた本に栞を挟んでとじた。
使っている栞には青いリボンを結んでいるのだけど、
今のこの時間帯と 丁度色合いが一緒だ。 ふふ。

とじた本は 机の上に置いた。



 / / / / / / / / /




  春の夜や
    机の上の肘枕      高浜虚子




読み… はるのよや つくえのうえのひじまくら

ぼんやりと思うあれこれ
暖かくもあり 少し肌寒くもある
春の夜のなか




 / / / / / / / / / 〜* **    *  * *


 2017年04月27日(木)   純真 cosmos

秋桜(コスモス)、
花言葉は、少女の純真、真心。

英語表記だと、Cosmos
これは、花の名前以外に、「調和・秩序」という意味がある。
(対義語は、Chaos カオス。 混沌・無秩序)


Cosmos ――調和、秩序。  星座の世界。  秩序を持つ完結した世界体系




<<<<
星は動かない。
星座もまた動かずに一定の形を保ちつづける。

流れ星だけが 自由に行き交う。
>>>>




  <ここからは、ある鳥への書簡として>

君は、弱い者を、弱っている者を包もうとする。
時に自分を包む。



  抱擁

君は僕を抱擁する。

僕も君を抱擁する。
君に優しくされたから、それに対する感謝からか、
他にもあるだろうか、

お互いにそうなのだろうか。

一切の俗の無い透きとおった水のようにそうしたいという気持ちが同じなら、
今既に心の上でそうしている という事。

この記憶がこれからも続いていくのだろうか、
分からないけれど、
もしもこれが土なら、ここに生い茂っていく緑がある、流れ出す川がある、
こんなふうに君と心を重ねたら
僕の中では、二度と失わない記憶のように、木の年輪のようになって刻まれる。
その事は、なんだか少し恐くもあるし、そして本当に有難く幸せに思う。


記憶は 記憶こそがいつまでも
僕の中を流れつづける記憶として
過去にならずに 今流れつづけるものとして
まるで
遠いところから
呼び覚ますように
近くから
安らげるように




― ― ― ― ― ― ―


 書簡を綴り終えて。


様々な鳥の鳴く声は 野に響き渡り
街に響き渡る

星は行き交う この空を
皆は眠っている 空の下で

夢を見ている人たちの
その人の夢に現れて流星は
そうして眠っている身体の中の血液と混ざり合うかのように
流れ
温かいように 流れつづける


 2017年04月25日(火)   薩摩守 tadanori


  あたら夜の月をひとりぞながめつる思はぬ磯に波枕して      平経正

  【通釈】
  もったいない位の素晴らしい夜、月をたったひとりで眺める――思いもしなかった磯で、うちよせる波を枕にして。

このHPからの抜粋です。 「千人万首」
 http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst略



1185年の今日は、平家が滅ぼされた日という事だそうです。

平家と言うと、「青葉の笛」という唱歌があります。
一の谷の戦敗れ… という出だしで始まるのですが、
平忠度という人物の事を歌っています。
(今日は壇ノ浦の合戦の日で、平忠度は一年前に起こった一の谷の合戦で死んだそうです)
(ちなみに上に書いた短歌は、忠度ではなく経正という人のものです)

源氏のナントカという武士が討ち取ったのが平忠度でした。

討ち取った後、忠度の身に着けていた文を見つけて、そこには、この短歌が書かれていたそうです。
 行き暮れて木の下蔭を宿とせば花や今宵のあるじならまし
 【通釈】 旅をゆくうち日が暮れてしまい、桜の木陰を宿とすれば、花が今夜のあるじということになるのだ。

討ち取った人は、この短歌を読んで人柄に感銘を受けて、出家して、
忠度の供養塔を建てた… という話があったような無かったような…。

忠度は、ただのり と読みます。
現在の鹿児島県、つまり薩摩の統治を担っていて、「薩摩守(さつまのかみ)」 という役職に就いていました。

薩摩守 = 忠度
無賃乗車 = タダ乗り

ある僧が、渡し舟に乗り、「(我こそは)平家の公達、薩摩守忠度(であるぞ)」 と言って舟賃を踏み倒そうとする場面が、
江戸時代の狂言の中に見られるそうです。
以来、無賃乗車する人のことを、薩摩守 と言うのだとか言わないのだとか…。


自分の地元との関連があったので、ちょっと書いてみました。


 2017年04月24日(月)   うぐいす nachtigall

ここは街中だが、近くに農学部がある為か、うぐいすが時々この辺りにも来て、鳴声を聴く。


ウィーン少年合唱団による、
シューベルトの 「うぐいす D.724」 と 「セレナーデ D.921」
 https://www.youtube.com/watch?v=L5EhZTKcet8
 うぐいす D.724  …0:00〜
 セレナーデ D.921  …4:55〜

違うバージョンとしては、こういうものもありました。
 セレナーデ D.921  女性合唱
 https://www.youtube.com/watch?v=qTQwXLqpFPo


少年合唱団特有の、光り輝くような合唱が僕は大好きです。

実を言うと、歌詞がどんな内容なのかは忘れました。
外国語の場合、僕はあまり内容が気にならないタイプです。

楽器として捉えた時に、声というものがとても好きです。
当たり前かもしれませんが、人間味があるからです。

言葉の意味は分からないけど、
自分の感情を重ねながら、好きなようにイメージ的に解釈して聴くのが好きです。
それは言葉が理解出来ないという事の利点だと思います。

単純に、この曲のメロディと合唱が好きなので、時々聴いています。

アバベアベバッジャバデンフィエットピヨーホー
ペッピリボーチョントギャンディンチャーポヨン
テリンデルリンペリオロディンバンヲンヲロロンッチョロ
オロチョ… チヨチヨ…
ホチャーピョー! ホチャーピョー!
ホッチャーバッバッピョー! バッバン! バッバンピョー!
オッチャパン! オッチャラメッチャキョー! メッチャキョー!
デヒ デヒ
オキャンソンダピョン! オキャンソンダッピョン!
オッキャン ブッチャ フッチャ
オッキャン ブッチャ フィッチャ
オッチャン コレ パンヤン  コレパンヤン!
バ!
ネコチャン フンジャラッタンチャ!
ネコフンジャッタランチャッタン! タン! タンポッポー!
ハエビューン! ハエガビューン!
ベヒ ベヒ ポぺポッポー
ポケポコ ポン  ポケポコ ポン



さてと…。


 2017年04月23日(日)   げんげ renge




レンゲ(げんげ)。 漢字で書くと、紫雲英、蓮華。



  親牛も子牛もつけしげんげの荷     高野素十



  げんげ田のうつくしき旅つづけけり     久保田万太郎






 2017年04月22日(土)   エシャレット rakkyo


らっきょうの酢味噌和えを食べたくて、らっきょうを買った。
生食出来る、細長いらっきょうである。

しかし作るのは初めてで、
あく抜きした方がいいのかな? と思ってネットで調べた。

軽く茹でる、との事だった。

この、生食可能な若採りのらっきょうの事を、別名 エシャレット と言うそうだ。
エシャレットってどんな味だったっけ? と最近思っていたが、
なんだ若いらっきょうの事だったのか!と、新しい発見をした。

若採りのらっきょう = エシャレット

つまり、らっきょうを、お洒落ットな呼び方にしてみた、という事なのだろう。

そうだったのか〜、ふ〜ん と思いきや、
なぬ? 「エシャレットとエシャロットは別物」 って書いてある…?

若採りのらっきょう = エシャレット ≠ エシャロット

その謎についての詳細が書いてあります。 農林水産省のページ
 http://www.maff.go.jp/j/heya/sodan/1304/01.html

エシャロットというのは、小型の玉ねぎ なのだそうだ。
そして別のHPの情報によると、日本では栽培されていないそうだ。

今まで、エシャレットとエシャロットは字が少し違うだけで同じ物 だと思っていたが、違った。

そうなのか〜 じゃあ、エシャレットは、認識していなかっただけで実はよく食べていたんだなあ
時々スーパーで、「ん?エシャレット?珍しいのが売ってるなあ」と思って買っていたものは、
エシャロットではなく、らっきょうだったのだ。 エシャロットを買った気になっていた。
ハンバーグの付け合わせ等に調理して、なんだかお洒落な気持ちになって食べていた物は、
らっきょうだったのだ。
「これ何?」  「エシャレットだって」   「へえ〜珍しいね」
などと会話しながら食べていたが、あれは、らっきょうだったのだ。
これまでに何回かあった気がするが、全てらっきょうだったのだ。

と思いながらクックパッドを見ていたら、
エシャレットのおかか醤油和え、というレシピを見つけ、
美味しそうだったので、今日は酢味噌じゃなくてこっちにした。

エシャレットのおかか醤油和え = 美味
エシャレットの酢味噌和え = 美味

エシャレットは若採りのらっきょうのことでお洒落ット
エシャロットひょっとしたら食ったこと無いのでは

 〜おわり〜


 2017年04月20日(木)   明日に tomorrow


明日に響く音を思う。

音が響き渡っている。

明日が輝く。

明日へ集う人たちが輝く。

遠い昔に産まれた私が、「今日」を幾つも重ねて、今日まで来た。

今日もまた、明日へと歩む。

今日の私が、明日の私へと。

輝きを運ぶ。

しなやかな腕。


砂浜の

波に立ち、

見つめている。

明日の音が 聞こえてくるようだよ。


 2017年04月19日(水)   大いなる big





  大いなる春といふもの来るべし     高野素十




読み… おおいなるはるというものきたるべし


「春がくる」


時期としては、二月〜三月頃でしょうか。
なので、今とは少しずれてしまいますが、大好きな句です。
希望を抱くような気持ちになります。


 2017年04月18日(火)   翡翠 green peas




  グリーンピースぜんざい (翡翠煮)

グリーンピースの季節である。
グリーンピースというのは、えんどう豆の事だそうだ。
えんどう豆というのは、スナップエンドウ等のことだそうである。
うぐいすあんパン、というものがあるが、
うぐいすあんというのは、グリーンピースと白あんで作った餡子の事だそうだ。
そうなんだそうである。

自分はうぐいす餡が好物なので、グリーンピースの甘煮も好きだ。
味付けは、最初に塩味を薄味程度に付けて、それから砂糖を入れると、
砂糖の量を多くしなくても満足する甘さになる。

甘煮にしないのであれば、
出汁、塩、薄口醤油、好みで生姜のすりおろし、等で煮ると、おいしい煮豆になるらしいです。
いわゆる「翡翠煮」というのは、これの事だそうです。

家では、僕以外は「においが苦手」と言って食べないのですが、
僕が好きなので、ここに記してみました。


 * * *




知らない花の花畑。
満開。




近づいたら、いい匂いが立ち込めていた。
ラベンダーに似ていると思ったが、ただ単に紫色だからそう思い込んだのかもしれニャい。


 2017年04月17日(月)   横ちょう yokochou

春の音楽。

「さくら横ちょう」  作曲/中田喜直
 https://www.youtube.com/watch?v=3gh8e7YF02M

 https://www.youtube.com/watch?v=略
 (上のはノイズが入っていますが、こちらは入っていません)


この詞には、中田喜直と別宮貞雄が曲を付けており、
自分は中田喜直の方をよく聴きます。

 別宮貞雄 (ギター伴奏編)
 https://www.youtube.com/watch?v=draQSulF-UE


メロディが好きなのでよく聴いていましたが、
正直に書くと、僕は今日初めて歌詞をきちんと見ました。
なるほどこういう歌だったんですね。

検索して調べてみましたところ、
作者によると、この歌詞の経緯は、
同じ小学校に通う女子を思い返して作ったそうです。
まるで女王のような雰囲気のその人と、二人きりになれたらどんなにいいか、
と思っていた、その気持ちを綴ったそうです。
(ちなみにこちらのブログからの情報です。http://loggia52.exblog.jp/9049558/

なるへそ…。


― ― ― ―

 (昨日の追記)

佐保姫の裾をふみたる今朝の君… というのは、
もしかしたら、昨日僕が書いた状況とは、逆かもしれないです。
つまり、
始まりの頃ではなく、終わりの頃。

花を咲かせた佐保姫が、その木から去ってゆく。
花は桜か。
桜の花びらの散り敷く道を踏みながら、君は歩く。
花の名残を惜しみながら。

朝陽が差している。
季節が少しずつ、また新しくなってゆく。


― ― ― ―

俳句は、詩も音楽も何でもそうだと思いますが、
間違って解釈することが間違いではないので、
なんでもありなので、だから、もしも心の中に何か素敵なイメージが湧いていたら、
それもまた大事にすればいいのだと思います。

結論で言えば、
見る人・聴く人がそれぞれに、何かを感じたり、遊んだりすればいいのだと思います。
その句と遊べばいい、というのを、
誰でしたか忘れてしまいましたが、詩人の評論で読んだことがありました。
その通りだと思いました。


 2017年04月16日(日)   佐保姫の saohime


  佐保姫の裾をふみたる今朝の君     窪田富美子


読み… さおひめのすそをふみたるけさのきみ
佐保姫 とは…… (インターネット歳時記のページが開きます)
 http://kigosai.sub.jp/?s=略

実態の無い季語。 雪女、などと同じ類。
「佐保姫」を知ることで、何となく佐保姫という存在を思い描きながら過ごす春のひとときは、
楽しい。

佐保姫は三月〜五月、つまり三春を通しての季語だが、
佐保姫の裾というのは、春先のことだろう。
だから、少なくとも鹿児島は、もう裾ではない。

けれど、春になり、
心は綺麗な冬の名残を惜しみながら少し遅れて春になっていくのだとしたら、
君は丁度今、佐保姫の裾をふんでいる頃だろうか、と思った。

それからまた、こうも思う。
春の間、春の花が咲き続ける。
今は桜が、それから他にも色々咲いている。
五月に咲く花もある。
それぞれの花に合わせて、佐保姫は来て「咲けよ咲けよ」と舞う。
これから咲く、或いは今咲かんとする花に立ち会った時、
その時に君は佐保姫の裾をふんでいる と言える。
春、外を歩いて君は色々な花の色や姿に目を向けては、見惚れたり和んだりしている。
そんな姿を想像してみたりした。

君 とは…?
 男女共に心にはいつも誰かがいる。
 そしてまた、誰もいない方がいい時もある。
 そういう時にも何となく、誰かを思ったりもする。
 時間と共に誰かもまたいる。


 2017年04月15日(土)   春の人 spring


 <吾輩は坊ちゃんである>   春目漱石 (夏目ではなく春目)

朝、散髪に行こうか草むしりをしようか、どっちにしようか考えた。

髪をむしることにした。

散髪に行くことにした。
いつも行っている全国チェーンの大衆的な美容室へ。
行けば、ランダムで、空いている人がカットする。

いつもこう言う。「長さは普通で整えてください」
そしたら今日は、いつになく坊ちゃん刈りになった。

すぐに伸びるからいいか、と思ってそのまま帰ったが、
今までになく坊ちゃん刈りになってしまっているのを見兼ねた姉が、
前髪だけを改めてカットしてくれた。
それで今、少なくとも坊ちゃん刈りではなくなった。




 <桜ちるなり夕日の岡に>   与謝野春子 (あきこ ではなく、はるこ)

夕方、甲突川の桜を見に行った。
花見の客で賑やかになった川沿いを、てくてくと、途中で立ち止まりながら歩く。
橋を渡って向こう岸へ、そうしてまたゆっくりと歩いていく。
色々な集まりがたくさん、外国人、お年寄り、若者、家族連れ、派手な人、犬連れ、
皆、川沿いのさくらの場所に集まって、
その集まりも一つの花のように、
それが幾つも咲いている。
桜が、そして花見という伝統が呼び寄せて咲かせた、幾つもの人の輪、人の花。
一人で歩いている人の胸にも今、桜の花明りが洩れ、彼彼女等は花になって歩いている。

川が流れている。

遠くに日が沈んでいく。
誰彼の顔を思い浮かべたりした。




 <春にあなたに会ったなら>

春に会う人は、皆、春が似合う。

冬の寒さが好きと言う人にも、春に会えば、
春が似合っているなあと僕は思うのかもしれない。

そんな風に、人は春になる。
春の人になる。
春の人になってほほ笑む。

春夏秋冬の話をする。
夏、たのしいね
秋、すきだな
冬、うれしいな

話をする人は春になって 春の人になって
ほほ笑んでいるから、
そんな人を見ると、やっぱり春が似合うなあと心の中で思う。

春にあなたと会えば、そう思う。

だから僕は春が好き。
そして夏も秋も冬も好き。
そして夏が好きな人も、秋が好きな人も、冬が好きな人も。

話をしながら、影を見つめる。
影は濃く、暗く、黒く…。

見つめていた影に、桜の花片がひとひら落ちてきましたよ。
あら ふわりと舞ってころがった
ころがって 影にくっついた
あら あなたの影に
あら 僕の影にも
くっつきました
ひとひらの明かりが灯った
 あ、 またひとひら舞いながら落ちてきた 桜色ひとひら またひとひら……


ああ やはり春の人になってほほ笑んでいる、
それを見ると、春が似合うなあと心の中で思う。


 2017年04月14日(金)   舞 dance

 <それは春に似合う>

春に合う音楽

「郢曲 鬢多々良」 (えいきょく びんたたら)  作曲/伊福部昭 (いふくべ・あきら)
20分くらいの曲です。

 https://www.youtube.com/watch?v=tWQotk8AdrA
 第二部 6:15くらい〜、 第三部 16:00くらい〜

 https://www.youtube.com/watch略
 伊福部昭本人のインタビューが含まれる音源もアップされていました。

 今、サッと検索して調べてみた情報によると、
 郢曲… 平安時代から鎌倉時代にかけての、宮廷音楽と庶民の音楽の中間のもの
 鬢多々良… 自由な形式の舞のための音楽
 だそうです。

 平安時代のダンスミュージックをイメージして作った曲、
 と説明されていたのを、以前テレビで聞いた気がします。


伊福部昭は、「ゴジラ」のテーマ音楽の曲で有名です。
多分誰もが口ずさめる、あの曲です。

「ゴジラ」は第二次世界大戦後に作られた映画です。
核爆弾の実験による放射能の汚染によって、海の中で生まれてしまった怪物、
という話だったと思いますが、
伊福部昭もまた、戦時中、放射能を扱う作業に従事しており、
それによって健康を害したという経験もあった為、ゴジラの姿に自分を重ね、
この映画の音楽を作る依頼が来た時には、思い入れを強くしたそうです。

同じメロディを反復させるというのは、クラシックの世界では敬遠されていたそうで、
作曲家の友人達からは、陳腐になるから止めた方がいい、と忠告された事もあったそうですが、
北海道に生まれアイヌの音楽に親しみながら育った伊福部昭にとっては、
アイヌの音楽、つまり、短い同じ旋律を繰り返すのが特徴の音楽は、
自分の大事なアイデンティティの一つなのだ、という事で敢えて用いていたそうです。

音楽学校などで学んだ経験は無く、独学で作曲していましたが、
21歳の時に作った「日本狂詩曲」が、フランスのコンクールで最優秀賞を取り、
それ以後、作曲家としての人生を歩む事となりました。
この曲はオーケストラ編成の曲ですが、作曲時には当然、
実際にオーケストラで音を出して貰いながら作曲する、という環境は無く、
全てイメージの中だけで作曲し、譜面に起こしたそうです。
(ヴァイオリンとピアノは弾いていたようです。)

――これらは、以前テレビで見た情報の記憶です。
脳味噌を絞り出しましたが、記憶違いの箇所もあるかもしれません。
時々そういう事があります。
記憶って不思議だなあと思ったりします。

ちなみに、春に合う、と書きましたが、いつの季節にも合っている気もします。

「日本狂詩曲」 どんな曲? こんな曲です。
 https://www.youtube.com/watch?v=VAUE5DTd-9I
 第二部 7:00〜


福を呼ぶかもしれない、春の伊福部昭情報でした。


 2017年04月13日(木)   花畑 What's your name

昨日綴った文に、訂正があります。(既に訂正しました。)

 × 石鹸の香とすれ違い青き踏む      (詠み人知らず)
 ○ 石鹸の香とすれちがひ青き踏む      恵藤淑子

です。
「すれ違い」→「すれちがひ」。
作者名は、昨日は眠たかった為、今日改めて確認しました。
でも、詠み人知らずというのもまた、不思議な感じがして個人的には好きです。

平仮名、漢字、文語体など、それだけでも印象が変わってしまうので、今後気を付けます。
もしも昨日メモをとった方がいましたら、すみま千円。
 × 千円
 ○ せん

… fin …


* * * *




何ていう花の花畑?  What's your name?


 2017年04月12日(水)   春眠や shunmin


  春眠や 声かけし人 夢の人      小山ため

―――夢を見た。


  鶯の声の高らかトレビアン      南 周子

小洒落たイタリアンレストランで食事をした後、山道をドライブ。
おいしかったね。
窓を半分くらい開けて、流れゆく景色や風をゆっくり楽しむ。
時々、鶯(うぐいす)の声が聞こえてくる。


  舞ふ巫女の鈴にこたへて春の鳥      峰 麗々

ゆっくり走っていたら、大きな神社があった。
入口付近には、お土産屋さんみたいなのとか、お店が色々ある。
おもしろそうだから、ちょっと立ち寄ってみた。
せっかくだからと境内の中へ歩いていくと、何かの神事をやっている最中だった。
何だろうねえ。巫女さんの踊り、鈴の音、綺麗だねえ。


  木の橋をわたる春風 春日傘      藤垣とみ江

神社の敷地を出てちょっと散策していると、古い小さな橋を見つけた。
周りの風景とぴったり合ってて、なんかいいねえ。
花もたくさん咲いてる。
あ、向こうからお婆さんらしき人が歩いてくるよ。鮮やかな、お洒落な日傘を差している。


  石鹸の香とすれちがひ青き踏む      (詠み人知らず)

今のお婆さん、いい匂いがしたね。


  夕暮れや菜の花色の窓明り      阿部千鶴子

散策してたら、もうすぐ夕方。
車に戻って、さてと。
ゆっくり発進。
窓には、黄色い花畠。



花畠、花畠、花畠、花、花、花、ゆめ、春眠・・・ うとうとと心地よい・・・・
布団の中で少しずつ少しずつ目を覚まし、
そういえば、免許更新の期限がもうすぐだ。
忘れないうちに行っておこうかな、
最近はもうめっきり運転してないな。


 2017年04月11日(火)   苺酢豚 itigo subuta

昨日、
ごく平凡におやつを食べようと思い、ピノ(アイス)を一個、袋を開けたら、
なんとハート型であった。
当たる確率はそこそこ高いのかも分からないが、それなりに喜びを感じた。


そういえばこれも昨日の事だが、
島津雨のことを半分ふざけて書いてしまったが、これは、きちんと言えば、

・一見マイナスな出来事でも、見方を変えればプラスにもなっている
・逆境を、寧ろ力に変える

など、そういった精神の在り方を伝えているのだと思う。

そういう人たちの精神力によって薩摩が支えられていたのだと思うと、
やはり凄いんだなあと思う。
他の場所も同じように、その地域を真面目に統治していた人たちは、
やはり勇ましく前向きな精神力を持っていたのだろう。


ところで、城下町だった場所には、大体どこでも美味しい食べものが伝わっているらしい。
美味しいお菓子、美味しい郷土料理。

美味しい和食……では無いのだが、
三年程前に和食が世界遺産に登録された際、その運動に尽力していた、とある人が考案したレシピ、
苺の酢豚 (http://www.kyounoryouri.jp/recipe/略
なるものを今日、決行してみた。苺が半額になっていたからだ。
これまでずっと気になりながらも、なかなか作らずにいた。が、本日トライ。

以前NHKの「今日の料理」で紹介されていたものだが、
放送されたのは丁度、和食が世界遺産に登録された時期である。

そもそも、酢豚は中華料理だ。
この「苺の酢豚」は、バルサミコ酢で作っている。つまりイタリアンだ。
中華とイタリアンを組み合わせたものだから、和食では全く無い。
しかし、こういうふうに、異なるものをミックスさせたりアレンジしたりする事は、
日本人らしいのだろう。






まずい!!!

  だんだん吐き気がしてきました。

    白ごはんにも合いませんでした。

      今日の夕食は姉と二人だったのですが、とはいえ申し訳無かったです。

        でも、ずっと気になっていたから、味が分かって良かったです。

勿論、美味しく感じる人にとっては美味しいのだと思います。
気になった方は是非お試しを。


という平凡な日記でした。
こういう平凡な事が出来るという幸せをしみじみ噛みしめる、一日の終わりに。


 2017年04月10日(月)   誕生日 birthday

十日の午後5時25分に産まれたので、
今年もプラス思考、ゴーゴー・ニコニコ、と自分でこじつけている。
本日をもって人生の三十五年が経過した。

注意) お祝いしてちょんまげと言っているつもりでは御座ゐません。

そして本日、雨である。
この時期の雨は、せっかく咲いた桜を散らしてしまうので、花の雨 という名前が付いている。

目出度い日に降る雨……
これを薩摩の島津家風に言うと、島津雨 と言う。
目出度い日に降る雨は不吉の前兆なり …ではなく、
今日は目出度い日なのだから、降る雨もまた目出度いのである、アッパレ! という意味だ。

忠臣蔵という映画がある。僕は好きというわけではないが、
現実の忠臣蔵の史実に、こういう話があったのを記憶している。
大石内蔵助が赤穂浪士に対し、命を懸けてまで討ち入りする気が本当にあるのかどうかを試す為に、
「討ち入りに参加したい者はこの紙に名前を書きなさい
 けれど、もしも中途半端な気持ちで名前を書こうものなら、
 この紙に墨で描いた黒いカラスたちが、すぐにでもその者を喰い殺すだろう」

そう言って、紙を渡した。
それで躊躇した者は、名前を書かなかった。

そういう事が、ごく自然に信じられていた時代だ。
「は?何をおかしな事を言ってるんだこの人は!」 とは誰も思わない時代だ。
もしも目出度い日に雨が降れば、それは完全に不吉の前兆、
と思い込んで落胆して心配したり怯えたりするのが普通の時代だ。
薩摩を統治する島津家の嫡男の誕生日が、雨…… 天は我々を見放したのか?最悪だ!
天の馬鹿!
「こら!天に「馬鹿」なんて言ったらバチが当たりますよ!ちゃんと謝りなさい!」
「はい… すみません」
「もっと丁寧にきちんと!」
「…この度は私の申しました一言で天照の大御神様の御心をどうたらこうたら… 真に申し訳の立ちませぬ所存でうんたらかんたら…」

そんな時代に、
「目出度い日なんだから全部目出度いのだ!
雨だって目出度い! そうだ、せっかくだから、この雨にも名前をつけてあげよう、
島津雨。
さあ、雨よ、お前もこの日を祝いなさい。」
……と、そういう感じに出来てしまえる器量を持っていた、という事に対して、
単純に凄いなあと思う。


ちなみに、うろ覚えなので僕の記憶が間違っている可能性もあります、
赤穂浪士の時代と同じなのかどうかも知りません
適当に聞き流すくらいの感じで、「へー」と思って戴けると嬉しいです。
正直に言うと、結構適当に書いています。


というわけで、今日は雨降り雨ふりですが、
濡れている桜の木も花も花びらも、これはこれでまた綺麗なものです。


ところで、月見台というものをご存知ですか?
昔の人が、月を見る為に作ったベランダのようなもので、
そこでお茶を飲んだりお酒を飲んだり、詩を作ったりしたそうです。
一人で過ごしたり、二人、数人で集まってお喋りしたり、詩を交わして遊んだり。

そんな、月見台というものを作るという感覚が僕は大好きなのですが、
誕生日という一日もまた、一年の中での月見台のようなものだと思います。
満月の如く一年間掛けて満ちた歳、
新月の如くこれから新しい歳の一年間が始まる、
そんな二つの月を愛でる一日、誕生日。

皆さんの誕生日もまた、すてきな気持ちで月を望む一日でありますように。

 〜完〜


 2017年04月09日(日)   日記 days

 (昨夜の話)
外食先。
注文したものが運ばれてくるのを待つ間、少し退屈になったので、
携帯に入っているソフト「今日は何の日?」を見た。
四月八日は、タイヤの日、釈迦の誕生日、という事だった。

暫くしてから、電気が急に薄暗くなった。

満席のお客さんの中に誕生日の人がいたようで、
デザートのタルトに灯の点いたローソクをさしたものが運ばれて来る。
「あら〜」 「わあ〜」 と、お客さんたち皆で拍手をする。

ありがとうございますと釈迦が頭を下げた。
……おばさんが頭を下げた。
ほんわかとした気持ちになった。



 (今日の日記)
京劇公演を観てきた。
会場は満員御礼で、客層は六〇歳前後の人が多かった。
電光掲示板による字幕が付いていたので、内容を理解しながら観る事が出来た。

内容に惹かれるかと訊かれたら、正直に言うと僕は凄く惹かれるわけではないが、
でも異国情緒に溢れていて、とてもよかった。

何より、この京劇独特の音楽が好きなので、自分はこれを聴けるだけでも大満足した。



 (明日の日記)
明日の朝、目を覚ます。

外へ出れば桜を目にすることだろう。

特定の人ではなく僕の知る様々なあなたへ――
あなたは、このように、咲いて見える時がある。
いや、大体いつでもそう見える。
けれどやはり満開に咲いている時がある。
満開に咲き、幾つもの小さな花片を美しく散らせている。
そんな姿を見る。

素直に手のひらを差し出せば、ちらほらと花片が乗る。
しばらくそれを見つめた後、
ふっと吹くと
花片はどこかへ行き、
桜の木は明るく輝く 笑っているようにも見え、
変わらず花片を美しく散らせている。

例えば葉の生い茂っている姿の時にも
また例えば枯れ木のようになっていても
同じ桜なのだ。

あなたは僕にとって桜なのだ。
誰かにとっても桜なのだ。
桜さくら
そこに立つ桜。
そこにある花。
僕の手のひらにも舞い降りた花片。
その花片を握った。

そこにいる桜。


 2017年04月08日(土)   幻想文 fantasia

  幻想文

 <Sギ氏への、所感として、また書簡としての文>


「あなたのサイトの画面は最近変わりましたが
確かにセクシーなので、見る度に恐縮します。
ああこの人から言葉が発せられているのかと思うと
何か尊くも思えます。
男女って尊いですね。
男女とは素晴らしい事なのか、哀しい事なのか、よく分かりません。
でも少なくとも哀しくはなく、多分素晴らしい事なのでしょうね。

ですが僕は実は少し哀しくもあるのです。
それが何の哀しさなのかよく分かりません。
哀しい……?
いや、
哀しさではなく、切なさ。
切ない。

それでも互いに橋を歩かなければなりません。

僕とあなたは橋を歩いています。
決して向かい合って近づきつつあるのではなく、
近づき合いながら同じ方向に歩いています。
手と手が触れ合いそうな距離なのかもしれません、
けれどそうはせずにただただ歩いていく。

橋の上から景色を眺めたりしています、
あちらには広い光る海がある、とても綺麗、
あちらには広い夜に輝くビル群がある、それもとても綺麗、
あなたはいろいろな命の輝きを見ているんですね、
殺伐とした混沌とした闇の中にありながらも一生懸命に踏ん張って輝いている人たち、
そんな事をあなたが言った事があったような、なかったような…
とにかく、その輝きを見つめながら輝いているあなたを僕は見つめました。
あなたは泣いていたのかもしれませんが…。

そしてまたあちらの景色を見ました、青く光る広い空。
綺麗ですね…、
景色に心を奪われながらまた歩いていくと
雨が降りました。
あなたは、傘はいらないと思ったのかもしれません、
それなら僕も濡れたいと思いました。
激しく降る雨を眺めたものです。
あなたはびしょびしょになってしまいましたが、
燦々と燃える太陽が現れたのであなたは乾きました。
僕もびしょ濡れになりましたが、あなたと同じように乾きました。
太陽は、橋の下からそっと出てきたようでした。

あなたは笑い、笑うあなたを僕もまた笑って見つめました。

橋の上から見える景色は、まだ続いていくように思われます。
それはどこまで続くのか分かりません。
あなたと僕の橋。
……一体どこまで?
橋の先は見えないので分かりません。
ただただ、歩いていきます。
あなた、僕、歩きます。
あなた、僕、歩きます。

橋の先は見えません。
けれどこの橋に、終わりがあることは事実なのかもしれません。
…それとも終わりという概念は無いのでしょうか?
……未来の事だからよく分かりません。
そのうち、
歩いていくうちに橋の幅はだんだん広くなっていき、
あなたと僕との距離は、互いに両手を思いっきり広げても当たらないくらいに
そうなっていて、歩いているのかもしれません。
そうやってのびのびと身体を伸ばした、
すると、意図せずして少し指先と指先とが触れた、
触れた、
その一瞬に知る。
あなたの本当の体温を。

と書くと、なんだか本当に切ない。
そんなこと自分勝手かもしれませんが…。

……今、
この切なさは一体何だろうか?と考える。
切なさ……?

いや、
切なさではなく、愛。
この気持ちは愛なのだと思う。
完全に恋ではないとは言い切れないような、愛。


男女って、尊いものですね。


それでもやはり同じ方向を向いて、あなたは、僕は、歩いていく。
――人は変わっていく。
あなたは変わり、橋から降りる。
誰も居なくなった橋は、やがて霧の中に姿を消していく。

その日には、この愛は消えて無くなっていて、
愛を抱いたことすらも、もう覚えてはいないのかもしれない。
あなたも同じく、あなたの心に抱いた気持ちを、もう覚えてはいない。
様々なことを、もうはっきりとは思い出せない。
そんなことが、そういえばあったな、あったかもしれないな、と。

いつか未来に、
広い場所で、ほほ笑み合いながら、現実の互いの顔を見ている。
雑踏の中、たくさんの人たちの中で、軽くほほ笑みを交わしながら――。

広い場所で、ほほ笑みを交わして、
大勢の内の一人としての、現実の互いの顔を見ている。
大勢の内の、少し特別な一人としての互いの顔を。

ほとんど何事も何も無かったかのように。

そして本当に、何も無かったのだ。


本当に…?
本当 とは…?


本当とは、

――僕は今、完全に恋ではないと言い切れないような、愛をあなたに抱いている。
この愛を持ちえた現実を、宝物として密かに持ちたい。
――あなたが僕に抱いてくれた気持ちもまた、僕が持ちえた、他にない一つの宝物として、
密かに持ちたい。

もしもいつしか、この記憶が互いに本当に色褪せたとしても、それはそれとして、
それはそれとして僕は大事に持っているのだろうと思う。


今、
すぐ横にいるあなたから伝って来る温かい空気の温度を感じながら、
歩いています。
あそこに、虹が掛かっているのが見えますか。
―――七色、 いえ八色、 いえ十色、十二色、 百色 千色とも―――。
あの虹を渡るのもいいかもしれませんね。
そうしましょうか。
そうしますか。
次はあそこへ行きましょう。
それともこのままここで眺めましょうか。
他にも様々な景色を眺めて
様々な景色を――
あなたは歩きます。
僕は歩きます。
あなたも、僕も、歩きます。
その尊いこと。
尊い事。」


 2017年04月07日(金)   想 omoi

昨日書いたものは、一度、風に飛びましたが、またふわりと風に乗って戻りました。
ログは保存していたので。
ばかばかしい!不安なんて。 なんて何にでも簡単には言えませんが、
ただこれについての不安は吹き飛ばしました。
それはつまり安心です。


<ギギ… Sギ氏… モウシワケアリマセヌ アイスミマセヌ
 ニクシミガ ウマレルホドニ…
 ダガシカシ ソノ ニクシミ オイシソウ
 イタダキマス ヒョイッ バリバリ モグモグ ゴクン
 アーオイシカッタ! ナカナカノ ビミ チソウデ ヤンシタ
 オレイ二 コレヲ アゲヨウ アゲマス
 ゲボゲボゲボゲボゲボ… コレ キタナクナイデス
 ヒカリノ ツブ ニ カワッタノデス
 森山ノ… ジャナカッタ ヤマモリノ オモイヲ コメテ…>


光の粒はそして 湖へ行った。
<湖ニ 着キマシタ>



 <ばかばかしい!恋なんか!>

…と書きましたが、恋をばかばかしいとは全く思っていません。

訊かれてないけど、いきなり結婚観について語り始める――。

自分は結婚願望がそれなりに大いにあるので、
好意を持ってくれる人に対して、自分なりに考える。

結論としては、やはり顔が自分の好みである事が大事だ、というところに行き着く。
ブルドッグが好きな人は「ブルドッグのあの顔じゃなきゃダメだ」、
と言う人が多いと思うが、まさしくそういう感覚と同じだ。
ちなみに僕自身の顔は、犬という意味でそこそこブルドッグだ。

もしも盲目になったら? という事を考える。
見えなければ、相手の顔とか容姿は関係無い。 だから内面が大事…。

でも、絵でも言葉でも何でも、好みのデザインがある。
そういうのがある以上、やはり見えるものも大事だ。
そして今、見えている以上、顔が分かっている以上、
やはり「僕にとってのブルドッグの顔」を求める。
僕のブルドッグ道はつづく。

縁というものはやはり何かしらある気がしている。
僕のこの先にそういう出逢いが無いという可能性も当然あるし、
あったとしても、どういうふうになっていくのか分からない。
ただ僕が顔にこだわり続けることで、
今好意を持ってくれている人は、逆に、この先に良い縁を得るという事だ。
それは僕の事などどうでもよくなるぐらいの、良い縁であると思う。

実際に未来がどうなっていくかなんて分からないけど、
僕にとって大事な人であるという事は、多分ずっと変わらないのだ。
人にとってどうなのかは分からないけど、もしもそうであったらいいと思う。
そうでないなら、でもそれもいいのかもしれない。

そして、今のこの関係性が、もしも絆のようなものに変わったら、
人生にとって、とても大きなすてきな事なのではないかと思う。

<ばかばかしい!恋なんか! 〜おわり>


(ばかばかしい!恋なんか! …ムーミンに出てくるセリフ)


BGM: 恋はみずいろ
 https://www.youtube.com/watch?v=qXK3e6e3tqs

澄んだところで思い合っていたら、それが絆のようなものになっている。
恋という形でも友情という形でも、それらの先にある繋がりはきっと同じような澄んだもので、
その澄んだ絆のようなものが、
人生において、とても大きな、すてきなことなのではないだろうかと思っている。


 2017年04月06日(木)   甘栗 amaguri

昨日(5日)、恥ずかしい事を書いた気がします。
恥ずかしくなったので、消しました。
まだ誰も読んでないですよね?
誰も読んでいませんように。

昨日に限らず、最近そんな傾向がある気がします。
誰も気にはしていないのでしょうけど…。

気分を変えて… ごく普通の日記を綴ろうと思います。

今日、天津甘栗を食べました。
僕は栗が好物なのですが、「天津甘栗」の栗は、日本では栽培されていないそうです。
なので、売っている天津甘栗は全て中国産です。

時々食べている、「甘栗むいちゃいました」という名前のアイスクリームがあるのですが、
味は美味しいのです。あれに使われている栗は、「○○省で有機栽培された安心安全な栗」と謳っています。

地名を忘れましたが、中国の○○省で有機栽培された安心安全な甘栗――。
しかしこの○○省は、PM2.5の被害が甚大すぎる為、国に訴訟を起こしました。

そのニュースが報道された後、アイスクリームのパッケージからは「○○省」という文字が消えました。

中国人を悪く言うわけでは決してありませんが、中国らしく情報を隠ぺいしたのです。

勿論アイスクリームの製造会社は日本の会社ですが、中国の栗の情報を隠ぺいしました。

ああ、隠したんだな… と思いました。


僕もまた、綴った事を隠すべく、消しました。
隠ぺいしたのです。
そんなところです。

僕は栗が好きです。
甘栗バンザイ!

クリクリ笑いましょう

おわり


 2017年04月04日(火)   饅頭 manjyu

午前、何気なく桜島を見たら噴いていた。
久し振りにこの姿を見た。

百年ぐらい前の大噴火によって桜島と大隅半島は陸続きになった。
地球の歴史の長さからすれば、百年前まで陸続きじゃなかった事が不思議だ。
その時と同規模の噴火が予測されている。
この先いつ起こってもおかしくないそうだ。
関東も、それから南海トラフも、地震の可能性が言われている。
何にせよ、最低限の備えをして、
もし本当に起こったら、出来る事をやっていくのみか。



 <菓子文>

先日お土産で戴いた「十万石(じゅうまんごく)まんじゅう」を、今日食べ終えた。
棟方志功の絵がパッケージに印刷されており、うまい!うますぎる!がキャッチフレーズ。
埼玉名物という事だそうだが、鹿児島名物の「軽羹(かるかん)まんじゅう」と、味が同じだ。
どちらも原材料に山芋を使っているので頷ける。

これからは、かるかんを食べる時には埼玉の友人知人達にも思いを馳せたりしてみたい。
具体的に書くと、Sギ氏、Tko氏、M美氏、ムーミンである。(五十音順です)
こういう偶然はちょっと嬉しい。

十万石まんじゅう (十万石ふくさや)  http://www.jumangoku.co.jp/index.html
かるかんまんじゅう (明石屋)  https://www.akashiya.co.jp/

「It's delicious. 御馳走様でした」



 <文>

ところで前日に書いた、うすむらさきの傘、
春はあなたがくれるもの というのは、
M美氏を始め、友人知人達ほぼ皆に対して持っている感情です。
報恩のような感情です。
やりとりする中で、気持ちに春を感じた時、自信や勇気を得たりしています。
僕が勝手にそうしているだけですが…
馴れ馴れしくてしかも大げさですが…
感謝する思いです。
しかし大げさです。距離感も近いです。
まあそれはともかく…
謝謝。


 2017年04月02日(日)   花と傘 hana kasa


  青空へつづく菜の花畑かな      峰 麓々

先日M美氏と走った道路沿いの菜の花が満開で綺麗だった。
M美氏のこれから歩む道もまた、うねうねしながらも青空へ続いているものと思う。
僕の歩む道もまたそうだと思う。
お互いの関係もまた青い空のように。
青空、
白い雲、黄色い花の風。



<友人への詩として>

  春雨やうすむらさきの傘さして     大森京子

春に降る雨、春雨。

四月。新しい季節へ、さあレッツゴー。
もしもあなたの心に 少し悲しさが降る時があるなら
傘をさします うすむらさきの傘。

罰(ばち)が当たれば太鼓で受ける という言葉遊びがある。
罰は分からないが、悲しい雨が落ちたなら、うすむらさきの傘をさして受けたい。
なんなら太鼓で受けてもいい。


うすむらさきの傘をさして言う

春雨は優しいよ。
雨は辛いね。
それを包み込んでいる春がある。

うすむらさきの傘をさして言う

春はあなたがくれるもの。
僕はその春に芽吹いたものをあなたにあげる。



太鼓を鳴らす。


 2017年04月01日(土)   旅行 travel

遥々埼玉よりM美が旅行に来たので、案内させてもらった。
前日まで雨だったが、この日は見事にギリギリの晴天。
M美曰く、これはM美晴れとの事。お見事也。

M美は、僕が20歳頃にHPを通じて知り合った。
丁度その頃、短い期間だったが僕は東京の立川に住んでいたので、
M美とも会った。M美は16歳ぐらいだった。
今回、会うのは14年ぶりぐらいになる。

僕の現在の住まいは繁華街の近くなのだが、自然の多い指宿や頴娃などへ行った。
運転は全てM美が担ってくれたので恐縮した。

指宿の香料園(ハーブ園、香水を作って売っている)、
頴娃のタツノオトシゴの養殖場とその周辺、
加世田の万世特攻平和記念館、
日置の吹上浜、
ドルフィンポートの足湯、
桜島フェリーの乗船往復を体験

というコースで薩摩半島を周遊した。
ちなみに、指宿(いぶすき)、頴娃(えい)、万世(ばんせい)と読む。
吹上浜は日本三大砂丘で、北朝鮮の拉致があった場所としても知られている。

M美は楽しそうにはしゃいだり、海で夕陽を眺めている時は泣き出したり、
また楽しそうにしたりと、忙しい感じではあったが充実していた。

少女だったM美は、大人のM美になっていて、そしてM美はM美だった。

遠方に住んでいるから特に、人生の中で会う回数は限られる。
M美の横顔を、表情を密かによく見た。

自宅の近くまで送ってもらい別れた翌日、M美は飛行機に乗って帰った。



― ― ― ― ― ― ―

  余談  観光情報としても

特攻隊員の遺書や遺品などを展示している記念館は、万世の他に知覧(ちらん)にも大きな所がある。
万世と知覧は比較的近い。どちらも当時の飛行場があった場所に建っている。

特攻平和会館を作ったのは、一人の特攻隊員の生き残りの人物だったと聞いたことがある。
生き残った事に対して思い悩んだ末、
亡くなった隊員たちの遺品を集めて記念館を作ることを思い立った。

戦後結婚して子供もできたが、仕事の無い休日を使っては遺族の元を転々と訪ね、
自分の家族との触れ合いは全くしなかった。
それでギクシャクする事もあったそうだが、徹底的に遺書や遺品の収集に努めた。

少ない情報を頼りに全国の遺族の元を訪ね回ったが、生き残った事に対し冷たい態度をとる人たちもあった。
感謝し応援する人たちもあった。

地道な行動と年月を掛けて、知覧に特攻平和記念館を完成させた。

……と記憶している。


往時目譜近時

watanabe keisuke