huukei

往時目譜近時


 2017年03月29日(水)   エレン ellen


便で繋がる――

  ぴかぴかに磨きし便器春うらら     稲田ぼう子

読み… ぴかぴかにみがきしべんき はるうらら
磨きし=磨いた

麗らかな春の日、
トイレ掃除に精を出してピカピカに磨き上げた。
スッキリ。
トイレには窓があり、春の風が吹いている。
窓が無くても、春うらら。


今日は少し寒かったです。
そして春はもうすぐそこ。




 ― ― ― ― ― ―



 キリスト → マリア

 「エレン」

自分は音楽が大好きなのですが、
誰にでも好みというものがそれぞれにあります。
旋律や歌詞や色々、好みのものを聴いています。

僕はシューベルトの曲が大体ほとんどが好みです。
と言っても聴いた事があるのは千曲以上もあるうちの数十曲程度ですが、
ですがほとんどが好みで、大好きなものが幾つもあります。

シューベルトは31歳で病死しています。
体調の事もあってか、晩年の曲は諦念観が強く、暗くて重いです、
なので僕はそれらはあまり聴かないのですが、でもそれらの曲も旋律そのものはやはり好みです。

前置きが長くなりましたが、シューベルトの有名な曲に「アヴェ・マリア」があります。
晩年の曲ではないので重い曲ではないです。
この曲は、小さい頃からテレビやBGMとかで聴く機会が度々あったので、
旋律自体は馴染みのあるものですが、特別好きというわけではありませんでした。

けれど今結構好きだなと思っています。それは何故かと言うと、
こういう事を知りました。
この曲の元々のタイトルは、「エレンの歌」 だそうです。
ある物語の中の一場面を表した曲で、
家族や身内を滅ぼされかけて岩陰に逃げ込み、身を潜めて絶望的な状況に置かれた人たち、
その中のエレンという人が、湖へ行き、
仲間や恋する人たちの為に神様に祈りを捧げて歌っている歌、という事だそうです。
その歌声を聞いた仲間たちは、励まされ、また立ち上がったという事でした。
(…だったと思います。違っていたらすみません…。)

僕はずっと、神様に対しての歌だと思っていました。
だから、マリア様への想い…。 …個人的にはピンときていませんでした。

でも、人に歌っている。
人への想いを神様に託している歌。
ああこれは、人を想う歌なのか。
それを知って、何故かいきなりこの曲の旋律に魅力を感じました。

それで今ではなんだか好きです。
 https://www.youtube.com/watch?略


 2017年03月27日(月)   一言 in short

最近、文が長い。
人に送ったメールも長い。
ちょっと気を付けようと思う。

なので、一言日誌

今日の一言…

今日をできるだけ簡潔に一言で言い表そう

今日は、今日
それ以外の何でも無い

今日は希望

そういう事が言いたいんじゃない

今日という一日を集約するような一言…

淋しい

と書くと本当に淋しくなるからやめよう

嬉しいなあ 楽しいなあ

これをあと50回ぐらい書くと、本当にそんな気持ちになりそうだ
いや、10回でもいいかも
5回? 言いたいだけ言えばいい

晴天
星が見える

天気の事以外で何か一言…


2分くらい経ったが、特に思い浮かばなかった。
無の境地にいるという事だ。

僕は別にブッダに憧れていない。
ブッダもキリストも人間なのだから、何かしら未熟な面があったはず。
それに僕は自分が割と好きだ。

ブッダもキリストも便をしていたはず。
それはどんな便だったのか。
おや、なかなか良い形の便ですね。
完璧な便だ。
こういう便をした時は、ちょっと嬉しいですよね。
小さな喜び

笑いのツボはどんなものだったのか。

僕は別に、便が笑いのツボではない。

便を壺に出しているの?
…いえいえ違います。
・・・・・。

ブッダもキリストも
好きな女性はどんな人だったの。
どんな抱き合い方をしたの。
愛と安心に満ち溢れていそう。

大好きな友人はどんな人だったの。
ちょっと変わり者の予感。
でもとても優しそうな気がする。

それとも独りのような感覚なの?
理解者がいない 気持ちを分かち合える人がいない
それは淋しいの?それとも淋しいわけではないの?

人に愛想が尽きたりするの?
そして死を見つめていたりするの?
それとも人が好きなの?
人とのふれ合いが大好きなの?
求めているふれ合いは したいふれ合いはどんなふれ合い?
綺麗な詩のようなふれ合い?
どんな話をするのが好きなの?
それとも別に特に何にもこだわらないの?

こんな事を書いていたら怒る人も居そうだからやめよう。

なんで神様になっちゃったの人間になってよ!!!
人間になって話をしたいな
好きな食べ物はなーに?
どこかへ行きたいね
一緒に過ごしたいな
1.5メートルくらいの距離を保って
僕無口だけどあなたと居てもいいですか

苺は好きですか
今、時期ですね

夕焼けまで見ようか
夕焼けまで一緒だよ
日が暮れたら
ああもうお別れの時間だ

ありがとう さようなら


もしも道端で声を掛けられて、神様に関心がありますかと訊かれたら
すみません、僕は結構です、と答える。

宗教や、信仰している人達を否定する気持ちは無い。

ただ僕も何となく神様のようなものに感謝したくなる時はある。
頑張ります!頑張るぞ!って何となく思ったりする。
ご縁などに感謝したりする。
神様ではないが、神様のような何かにそう思ったりする。


ああそして
人人人人人人……

人よ人よ 知人友人

あなたの心の中にいる僕と
僕の心の中にいるあなたが
現実に目の前に重なる時
僕は何を見ている
ある意味で一つの奇跡のようなものを見ている
生まれている奇跡
生きている奇跡
奇跡を見ている

生まれたことや生きていること
その奇跡は自分の意思で願ったものでは無いとしても
会いたい人に会いたい
会いたい というのは意思だ

僕たちは出会ったのだ
何かに惹かれあったのだ
小さく惹かれ 大きく惹かれ
会いたいと想う
想う

会う――
そしてその日はまた時間の上で過ぎるのだけれど
また会う――
そしてその日もまた過ぎる
また会う――
そしてその日が過ぎて
やがていつか身体が死に つまり脳が死んで記憶が無くなっても
そりゃあ会いたいですよ
会いに行きますよ
会いに行ってもいいですか

自分の中でだんだん大切な人になっていくのは
嬉しいな
魅力を感じ続けて
惹かれ続けて
時々離れて
また惹かれ
時々離れて
また惹かれ…
静かに静かに寄せては離れ 離れては寄せて 寄せては離れ…
相手もそういう感じなのだろうか
だとすればお互い、波のようですね

波のようですね

狂ってもいいですよ 僕は僕の波で受けとめます
月の光を
波にきらきら散らせます 結構真剣になりますよ

穏やかにいてもいいですよ 心地よくて僕少し眠くなって寝るかも
寝る波 眠る波 安らかに

迷子になってもいいですよ 探しません 信じています
再び見えた時には 嬉しくて全部の魚や貝が一斉に飛び跳ねるかも
しぶき しぶき 音しぶき

消えてもいいです 消えてもいいんです

波 綺麗ですね 素敵ですね
ああ本当に 心が喜んでいるのが分かります
水を得たよう 魚のように

僕は貝殻を吹いたりしてみましょう あら、遠くから別の波が来ましたよ
葉っぱを茂らせた新鮮な木の枝を運んでやって来ましたよ へえ面白い!
こんにちは!
遊ぼうと言ってやって来ました
是非遊ぼう みんなで遊ぼう 遊ぼう

――遊んでいます

楽しくてきらきら嬉しくなりました 笑いました
僕少し何かを反省しました 僕少し何か傷つきました でもきらきら楽しかった
ああ楽しい とっても楽しかった!

やがてみんな静かなさざ波になって
それぞれの波の音を、自分の波音に重ねながら聴いていました
好い心地―― とても好い心地――
月光は
さざ波に浮かび
きらきら笑っている

また会いましょう
また会いましょうと言いました
それだけなのです
また会いたいね それだけなのです
また会おう それだけなのです

だからまた会いに行きますよ
会う約束をいつかしましょう
僕の波音
その波音
どこかで重ねましょう
重ねてもいいですか
月の光はきらきら綺麗かな
綺麗だといいな
ああ
素敵な波音ですね
それだけなんです

それから少し大げさに言えば
助けられている
それだけなんです
助けに行きたい
それだけなんです
色々と成長できているかもしれない
それだけなんです
何も無くても会いたいな
それだけなんだす

語尾が だす になった
これわざとじゃないだす

その波に惹かれて 時々離れて また惹かれて
一つ空の下で
それだけなんです
ああ それはなんとなく綺麗なんです
なんとなく綺麗な音 音を重ねているんです

はっきりと確かに綺麗なんです

みんなきっと一人で美しくなっているんです
また会いましょうと心のどこかで思いながら



 2017年03月25日(土)   太平燕 taipien

   <中華情報局よりの情報>



先日熊本へ行った時、折角来たからという事で食べたのだが、
太平燕(タイピーエン)という美味しい熊本名物がある。

明治時代頃に、中国(当時は…清?)から熊本に移住してきた人が、
故郷(福建省)の料理を現地の食材で作ったものが始まり、という由来だそうだ。

どういう料理かというと、
簡単に言うと、ちゃんぽんの麺を春雨に変えたものだ。春雨なのでヘルシー。
茹で卵を半分に切って乗せている場合が多い。

ところでちゃんぽんって全国区ですか?どうなのかな。
長崎発祥で、肉野菜炒めラーメン、みたいな感じのものです。
ちゃんぽんは、とんこつスープ もしくは鶏ガラだしの醤油味 が一般的ですが、
太平燕は、鶏ガラだしの醤油味 が一般的だと思います。
なので顆粒だしを使えば、家でもチャッチャッと作れると思います。



今日は久し振りに天文館へ行き、街の空気などを感じた。
都会の雰囲気も好きだ。
視界を手で削って、木と空だけを見たりすると、
大昔の太古の時代の人達と同じ風景を見ているのだと思うが、
太古の時代から都会という概念はあったはずで、
人が集まる賑やかな都会に来て
心躍るような楽しくもあるような少し寂しくもあるような
そんな気持ちもまた太古の大昔からあったものなのだろうか。
だとすれば今日、太古の人達と同じ気持ちを感じたのだ。
それってちょっとロマンだ。

いや、むしろ、太古の人達が感じた事のない気持ちとは何だろうか。
そんなものあるのかな?

娯楽がほとんど無いような環境下で、生きる為に作物を作ったり狩をしたり、
衣服を作ったり、防犯の為の武器や腕力も必要で、毎日それらの事に必死で、
風邪をひくだけでも生死に関わってしまう、
気楽に過ごす時間っていうのはどれくらいあったのか。(凄く大雑把なイメージ)
それとも感覚的には今とそんなに変わらないのかな?
毎日どんな話をしていたのだろう。
夢を持っている人たちはどんな夢を。
人を思う想いもまた、太古からずっと変わらずに、或いは形を変えながら成長しながら、
ずーっと現代まで続いている…。
誰かが誰かを想う、誰かと誰かが想い合う… それは太古の大昔からずっと続いている。
そんな数えきれないほどの想いの上に、科学や政治や思想の発展もあり、今が成り立っている。

僕もまた誰かを想い、誰かと想い合いながら生きている。
細い線のように。
人との想いで繋がれた、その細い線は、ほのかに光る。
強く光ったり、弱く光ったり、消えたり、光る。
蛍のように。
蛍は闇夜に光るものだが、繋がりの線は朝も昼間もいつも光る。
手のひらの中に在って、確かに握りしめている光に、気が付いている?
(誰に問いかけているわけではなく、むしろ、僕自身に…)
線を伝って来た、こんにちはと挨拶をしてそこへ来た、光の粒。
この手のひらへ伝って来た、光る粒。
心に、空虚のような空間があればそこへ、この光る粒を放そう、
蛍のように舞ってくれる。
不思議と明るくなるものだ。

ファイト一発ですな。

ケセラセラ とか 気楽にいこう とか 好きな言葉。

気高く清く匂う花。




(気高く清く匂う花… 唱歌「野菊」の詞)


 2017年03月24日(金)   ゑくぼ ekubo

十円玉を拾った。
ヤッター!と心の中で思う。
一円玉でも拾うと実際ほくほくするものだ。
一年間で拾ったお金は、集めて翌年の初詣で賽銭箱にいつも入れている。

散歩の途中で通る大学が卒業式だったので
スーツや袴姿の人たちがたくさんいた。
今日だけの袴姿。
なんだかいいなと思った。


えくぼさんという人のブログを見ているのだが、
今日は、「旦那が流し忘れたブツを見てしまった オエーーッ」
と書いてあって、その下の方に旦那さんの写真が載っており、
それが笑いのツボにはまって、今日は外で思い出し笑いを堪えるのに必死だった。
こんなことに必死になれるって平和だと思った。
ちなみにアドレスはこちらです。
http://ekubonokobeya.blog.fc2.com/

この人が座右の銘にしている「いつも心に太陽」というのに僕は影響を受けている。
丁度、断薬後すぐの頃に知り合った。
飼っている犬はここから引き取ったのだ。ちなみに僕とは個人的なやりとりはしていない。

えくぼさんは出産直後に輸血をして、その時にC型肝炎に感染してしまい、
いつ発症して亡くなってもおかしくはないという状況でずっと暮らしてきているそうだ。
(以前の記事に書いてあった。)
そういう背景もあっての事だと思うが、「いつも心に太陽」という言葉が書かれている。
名前も「太陽のえくぼ」さん。現在60歳ぐらい。

いわゆる不幸や困難な状況というものは、無い方がいいし、人にも望まないが、
けれど持ってしまった時、そこで強さや明るさなどが必要になってくる。
色々考えたり思ったりする。
自殺する人もいるが、あるべき姿や、とるべき態度に正解は無いと思う。

自分はどう在ろう、と思う時、強さに惹かれる。
世の中の、強く生きている人たち、
その強さが強さになるまでにどれ程の時間が掛かっているのか分からないが、
そして色々な関わり合いがその強さに作用しているのだと思うが、
僕にとっては強さというのは一つの憧れだ。

強いように見えるだけで、本当は強くはないのかもしれない。
強くならざるをえなくて、結果的にはゆっくり強くなっていったという事かもしれない。
不安定になる時はあるのかもしれない。

強さという方向へ考えようとすることは、僕は少し苦しいというか、
「頑張る」感覚になるので、
筋トレをしている感覚に近いというか、そんな感じがする。
筋トレは無理するとよくない、だから無理はしないが、
確か、筋トレというものは、限界以上の負荷をかけることで筋肉に炎症を起こし、
それが筋肉痛になり、治る過程で新しい筋肉が付いている、
という事だったような、そうでなかったような気がする。
だから、
腹筋で「フンヌッ!」と受けとめて強く考える…
それを、無理せずに、とりあえずやれるだけやって、
そういう事を重ねながら、筋肉のように、ゆっくり鍛えていく…。
それでいいのではないかと考えている。

強さ・たくましさ
……少なくともナヨナヨではない
それは今の自分の大きなテーマの一つである。


 2017年03月23日(木)   駄文 poor writing

「仰げば尊し」 というタイトルで書く駄文

仰げば尊し
  私が仰ぐ師のあなた

三月二十三日、
今日の天気は雨であった。
雨であった 三月であった。
三月は春も間近と言えどもまだ寒い。
寒い雨の日であった。
その中に暖かさを探すのが好きで、
今日も、見つけたと思った。
見つけたと思った。
そう思って口ずさんだ。
口ずさんだよ。
しぐれ…
 しぐれ…
もし あの里を通るなら
告げておくれ あのひとに…
私は 今夜も…
今夜も…
中国人アルヨ!
今夜も中国人であるよ。
ニーハオ!
社長さん、いいものあるよ。
いいものがあるんだよ。
中国語はニーハオ、シェイシェイ、ツァイツェン、オーアイニー しか私喋れないよ。
喋れないよ。
オーアイニーは、愛しているだよ。
愛しているだよ、オーアイニーは。
こんな事言っちゃってるけどね、私プレイボーイ違うのよ。

ところで、ところでね、
日本語で「愛している」という表現は実際あんまり使わないと思う、だから、
どう訳すかを考えた、そしたら、
「月が綺麗ですね」 と訳した、それは夏目漱石だよ。
そうなんだよ。
私、このこと大好きだよ。

月が綺麗ですね。
でも、私、星も好きだよ。星も大好きだよ。
星が綺麗ですね。と、そう言いたいよ。
言いたいよ。
よぞらに――。

月と 星の その差は
その差なんて
遠いか近いか、それだけの違いだよ。そうだよ。
月は近いから大きい、星は遠いから小さい。
そうだよ。そうだ。
近い距離の人は大きな存在、遠い距離の人は小さな存在。
そうなんだ。
それは、淋しいことなんだろうか。そのことは淋しいことなんだろうか。
そんな気がしないよ。
全くしないよ。
人は愛されたいのさ。もっと愛されたいのさ。
もっともっと愛されたくて…。
少なくとも、淋しがり屋の私はそう。
そうなのさ、
だけど、その気持ち自体が淋しさを生むよ。
淋しさを生んでるの。私の場合はね。
淋しいの嫌だから好かれたいんだけど、それって凄く淋しい人になってるのよ。
だから私やめたの。
やめたわ!
淋しいのは嫌だよ。
私は淋しい人になりたくないのよ。
だから愛したいの。
愛したいわ。

愛する。

ってどういう事かしら?ちょっと考えてみたの。
愛する、
…この言葉、なんだかピンとこないね。
月が綺麗ですね、って、確かに月は綺麗よ、確かにそう思うわよ、
月のようにその存在を特別に想う… この感覚は確かに私も持っている。
皆が持っている感覚なのよね。異性として好きだと想う感覚。

でもね、私が今言いたい事は、そういう事じゃないの。
今言いたいことは、
うまく言えないけど…
そうね、何と言えばいいか、
……そうなの、つまりは、
空が綺麗だなあ。
ということかしら。
空が綺麗だなあ。
そう思いたいし、そう思っているの。
ああ、空が綺麗。とても綺麗。私は今、感動している。
ああ美しい、と。
そのように… 私は思うのよ。

青空の中には、月も星も見えていない。
……いや、時期によっては、月は白く見えているわね…
でも、ひとまずここでは、月も星も見えていないものとして、話を進めるわね。
……青空の中には、月も星も見えていない。
特別な異性としての存在も無ければ、そうではない存在もそこには無い。
青空の中では、見えない。
青空の中では、月も星も無い。
月と星の、その差が何も無い。
青空の中では――。
そう、つまりは、青い空なの。
私があなたを見る目線は。
私があなたを見る視点の切り口は。
私があなたを想うその根幹は。
青空。
青い空なの。

結局、生物だから、本能的なところで異性を求めようとするけれど、
その感覚を全く無くすことはできないけれど、…私はね…、
でも、精神がある。
精神、
精神は透明になれるわ。
透明な精神に、男女は無い。そこにあるのは人だけよ。
そこにあるのは人だけよ。
私は、例えばもしも明日か今日にでも死ぬとしたら、と考えるの。
そのような気持ちを発動させて、青空の目になって異性を見るの。
透明に澄ませた精神で見る。
見るの… そうよ、見ているのは「人」なの。「人間」なの。
いつかはどうしたって必ず死ぬ。そうなのだから、今日も同じよ。
今日も同じ。今日も同じ目で見るの。
精神を透明にして。
青空の目で、青い空の目で。
そうやって見ること、それが私の
私の、性別というものを備えている事に対する、応えなの。――私なりの応え。


明日が綺麗……。


「すぐに普通になる。今は特別なプリウス」
そういえば、そんなキャッチフレーズを最近、広告で見たわ。
ユーの中にある、私への異性としての特別さはすぐに普通のこととなるわ。
そしてユーにピッタリなボディと、ユーはいつか触れ合う。触れ合うわ。

そして…
私にとってユーは恒星で、やはり、一つの独特な恒星なのだわ。
あまりにも眩しい、気がする。
独特な… 澄んだ光のよう… そんなような… ああ…
涙がこぼれる。そんな光なの。
私はそれを見るわ。見逃さないわ。
見る。

ところで、私が抱いている夢は、社会貢献することよ。
社会貢献という言葉は漠然としているけれど、つまり、何らかの形で、
何かの形にして… 私の感性と合う人へ、私の感性と私とを求める人へ、何か力になれるような、
私を、人のその心に役立てられるような…
大きく言えば、そういうことがしたい。
あなたと同じ。
だから、
あなたの夢は、あなたの存在は、ある意味で私の夢でもあり、私の願いでもあるの。
私はあなたの夢を、自分の夢のようにも思う。
あなたの夢も叶えたい。
……ごめんなさいね、私がただ私の中で私の気持ちに重ねているだけなの。
千代紙を重ねているようなものよ。
ただそれだけなの。
私は
そうね…
一緒に空を見つめたいわね
青い空を。


 2017年03月22日(水)   どこかで春が somewhere


  どこかで春が生まれてる

そんな童謡がある。

  どこかで春が生まれてる
  どこかで水が流れ出す
  どこかで雲雀(ひばり)が鳴いている
  どこかで芽の出る音がする
  山の三月 東風(こち)吹いて
  どこかで春が生まれてる

自分の知らないところで、生まれている春がある。
自分の知らないところで、流れ出している水がある。
自分の知らないところで、鳴いている雲雀がいる。
自分の知らないところで、芽吹きの音をたてている。

自分の知らないところがある。

自分の知らないところで、生きている人がいる。
いつか知り合う人は、自分の知らないところで、今生きている。
同じ地球上に今、生きている。
もしかしたら同じ町に。だとしたらこの町の今日の天気を共有している。
もしかしたら遠い所に。だとしたらそこはどんな天気の空。

今は、知らない人だけど、
いつか、お互いに知る時が来る。
その時の為に、今日も強くあろうとする。
もう既に知り合っている人とだって、
その心を、お互いに知る機会がある。
そこに今日も支えられて強くありたいと思う。

強さはとても不安定ではある。
とても不安定ではありながらも、少しの勇気を出して積み重ねていく。
いつかのその日まで。その日の喜びまで。

「その日」は何度もある。
「その日」を迎えることはずっと続く。
一人の人と知り合うこと は、色々な機会と一緒に続いていく。
知り合ったら、その後、色々な機会と一緒にその人のことを知り続ける。
その日は何度もあり、続いていく。

今日という日が続いていく限り、
新しい出会いも、
出会った人とのふれ合いも、
続く。
今日という日と一緒に続く。

知らないところで、泣いていて、
知らないところで、苦しんでいて、
知らないところで、闘っている。
知らないところで、ぼろぼろになっている。
知らないところで、目をとじている。
知らないところで、
知らないところで、目を開けている。
知らないところで、少し新しい心になっている。
知らないところで、生活している。
知らないところを、歩いている。

お互いに見つめ合ったら
そこに春風が吹く。
春の風が吹く。

水が流れ出す。

雲雀の鳴き声。

芽の出る音がして 風が
吹く。

全て違う心の、違う人なのだから
それぞれの人との間には、それぞれの風がある。
その風が好きで、

だから、風を浴びたいと思う。

私の心
それぞれの 「あなた」の心
その一つの心

心に残る、時と思い。

どんな風が吹く。
風は吹く。


 2017年03月20日(月)   小国 2

 (帰宅後の所感 少々長文)

自分は吃音があり、知らない人と接する場に行くと、
実際結構どもってしまう為、泣きたくなる時もある。
相手はそんなに気にしていないのだろうが、
例えばきっちり挨拶しておきたいタイミングでその言葉がすぐに言えない時などに、
このやろう…と悔しい気持ちになったり情けなくなったりする。

ただこの根幹は、要するに自分の精神状態だ。
緊張した時にどもるので、リラックスする事に努めればいい…
とは言っても緊張はするものだ。
だからこれはもう、自分はある程度はこういうものなのだ、と思って、
諦めている方がかえって良い。
相手の反応に対しても、まあ色んな人がいるから、そんなもんだろうと思う。

僕は、人と接するのが怖かったり不安だったり、気分が鬱っぽかったり、
という理由で17歳頃から安定剤をずっと飲んでいたが、
26歳の時にそれを絶った。(今34歳。)
それまでにも3回挑戦していたが、苦しさに耐えられず、やめられなかった。
正直もう諦めかけていたが、4回目を奮起し、結果的には乗り越えられた。

4回目を奮起したキッカケは、その時Nさんという人と知り合い、猛烈に好きになった事だった。
薬をやめてその人に告白したい、という気持ちで苦しい期間を踏ん張った。
相当苦しい時間が3日間ほどあったが、もっと正直に言うとその時は、
薬をやめてその人を抱きたい、という気持ちで踏ん張った。
薬をやめたかった理由は、自分の心で強くなって生きたいと思ったからだった。
身体が苦しい期間は2ヶ月ほどで、それを脱してすぐに、
その人は結婚したと人づてに聞いて、ショックだったが、
苦しさを乗り越えられた後だったから、間一髪という感じだった。

それからその人は数年後に自ら命を絶った。
幼い子供もいる中でその道を選んだ。どんな考えや気持ちだったのかは分からない。
ただ、生きているのが苦しかったことは確かなのだろう。

驚いたが、話をした事はあまり無く、親しくは無かったから、悲しさは少なくて済んでいる。
僕としては、この人とあのタイミングで知り合わなかったら薬を絶つ事はできなかった。
だからその存在とタイミングに感謝している。
本人にこの事を伝えてはいないが、
僕個人にとっては、そういう大きな大切な役割を果たしてくれたような人だった。

話は戻るが、薬を絶つ行為は、賭けでもあった。結果的には絶つことができた、という感じだ。
その行為=とにかく前向きに気楽にたくましくあろうとすることに努めること
僕の中ではそういう事なので、現在ももしかしたら、その姿勢でいようとする事に対して極端かもしれない。
極端かもしれないが、ともかく、なるべくマイナス的な感情は抑えるように努めている。

断薬後は不眠症の状態にもなって、今も基本的には満足するほどは寝ていないが、
この事は、自分が前向きに気楽にたくましくあれれば、
そのうち満足するぐらいに眠るようにもなるだろうと思っている。

吃音もまたセットで付いてきたようなもので、
正直、大人になってからもまた表れるとは思わなかったが、
これもまた前向きに気楽にたくましい気持ちであれば、
吃音症という事に対してもそう捉えるし、
あまり吃音が出なくなってくるようにはなるだろうと思っている。

明るく前向きに気楽にたくましく、それが自分の基本であるが、
当然、怒ったり悲しくなったり怖くなったり不安になったり、様々な気持ちになる事はたくさんある。
ものすごくある、
あるが、でも、やはり、そうではあるけれど、
明るく前向きに気楽にたくましく、その方向は、自分の信念のようなものでもある。

この信念は自分一人の為ではなく、誰かの為の信念であるとも思っている。
様々な、自分にとって支えになった・なっている存在の為でもある。
それ以外にも、関わり合う誰かの、そしてまだ見ぬ誰かの為にもなれるような気もしている。

自分で言うのも何だが、僕は相当ナイーブな方だ。
だから信念として持っているぐらいが僕の場合は丁度良いのかもしれない。
多分、プラスマイナス0より少しプラス1、ぐらいになっている感じだ。

様々な死に方がある。自分がどんな死に方をするかは分からない。
様々な生き方、在り方がある。
色々な事を重ねながら、
色々な人たちの色々な生き方や在り方に触れながら、
自分なりの生き方や在り方をするのみ。

ちなみに、断薬していた時に僕は確かに猛烈に恋心を抱いていたが、
後になって、やはり僕自身は自分の好みの顔の人じゃないとパートナーとしては向き合えない
という事に気が付いた。単純に美人という事では勿論無く、好きな顔が1系統ある。
そして勿論、内面があってこそだ。
これはあくまでもパートナーの話で、自分の、ストイックさというか、我儘みたいなものだ。
だから仮にNさんに告白していたとしても、関係は100%長く続かなかっただろうと思う。
ただ、あのタイミングで出会ったという事と存在そのものに感謝している。
僕の人生にとって大事な存在である事に変わりはない。

この先もしも、自分の理想とする人に出会ったとしても、
その人が僕を好きになるかとか、なったとしてもうまくいくかどうかは分からない。
けど、今の時点では理想にこだわりたい…。

これを読んでいる皆さんにも、
恋に限らず、様々な形での本当に良い存在が、人生の中でありますように。
星のように 花のように 鳥のように 雲のように 人 人 人… ペットも…

……長文終わり……。


 2017年03月19日(日)   小国 1

祖母の四十九日の為、前日より熊本の山間部へ。
道路上の地震の跡はほとんど無くなっていた。

近所に住む親戚などが集まり、田舎らしく午後は宴会になる。
僕はその宴会には入らず、同じように別室に来た人たちと過ごす。
更にその部屋も避けて一人で過ごしている人もいて、人間いろいろだと思った。

パウンドケーキと酒を口の中で混ぜながら食べると美味しい
という事を発見した。

祖母は文芸、絵、音楽が趣味だったので色々と作品を遺している。
仏壇に置かれたものを見ながら、人柄を偲んだ。
認知症の施設で五年ほど過ごしたのち亡くなったが、
最後の二年ほどは僕の事はもう分からなくなっていた。
施設に入ったばかりの頃に
  みづからの力の限り生きて咲く
と自分の意志を詠んだものを花の絵と一緒に色紙に書いており、
僕は今回それを初めて見たのだが、尊敬するというか、印象に残った。

亡くなった日は立春で、丁度その後の三日間ほどは暖かかった。
今回、四十九日の前日は雨だったが当日は快晴で暖かかった。

死を看取った時に、ネガティブになりたくないと思って、泣くのを気合いで我慢したが、
後で、泣きたい時はそれなりに泣いた方が良いなと思った。
消化不良になったように感じたからだ。
だから四十九日の前日に雨が降った事は良かった。そこに気持ちを重ねる事ができた。
当日は快晴で暖かかったのも良かった。

夜、鹿児島に帰宅したら、部屋の窓ガラスの外側に大きなバッタがとまっていた。
あまりそこに虫がとまっている事が無いので、
お婆ちゃんが送ってきたのかな、みたいに思ってなんとなく拝んだ。
「もっとこう接すればよかった」っていう気持ちがあったから、
気にしなくていいよ、と伝えてきた と、そう思う事にした。


 2017年03月17日(金)   菜の花 nanohana


散歩道の途中に、小さな菜の花畠がある。
東に桜島、西に山手の団地が見える。

 菜の花や月は東に日は西に     与謝蕪村

有名な句であるが、こういう、首をぐるっと廻したくなるような句は珍しい気がする。

こちらでは菜の花は十二月ぐらいから咲き始め、丁度今ぐらいが見時な気がするが、
季語としては晩春となっている。

菜の花や月は東に日は西に…
唱歌の「朧月夜」が、同じような風景を描いていると思う。

 菜の花畠に 入日薄れ、
  見わたす山の端 霞ふかし。
 春風そよふく 空を見れば、
  夕月掛かゝりて にほひ淡し。

ところで、歳時記を見ていたら、おもしろい季語を見つけた。
 菜の花蝶に化す
という、字数の長い季語。
読み方は「なのはなちょうにかす」。
文語体で書くと「なのはなてふにくわす」。
意味は、
 蝶々の黄を菜の花の精にたとえたもの。
 菜の花の花びらが風に舞って、それがいつしか蝶となって飛び回る。
とある。
例句には、
 菜の花の化したる蝶や法隆寺     松瀬青々
というものが載っていた。
法隆寺といえば、
 柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺     正岡子規
があるが、行った事の無い法隆寺の春と秋を想像して、なんだか楽しい。



菜の花は黄色くて明るい。
見ていると気分もやわらいで明るくなごむ。
優しい明るさ。
それがいつしか蝶となって飛び回っているのなら、
嬉しい気持ちとか、安らぐ気持ちとか、
人とのやりとりの中で感じたそういう気持ちもまた、
蝶となっていつしか私の周りで飛び回っている。
毎日、日々の生活の中に、そんなふうにいつも蝶が飛び回っているのだろう。
蝶――
忘れて消える蝶もあれば、けれど消えずにいて飛び回っている蝶もある。
意識すれば現れてくる蝶もあり、そんなふうに、
死ぬまでに、毎日、このように蝶が生活の中に飛び回っている。
私の周りに飛び回っている。
これを読んでいるあなたの周りにも飛び回っている。
嬉しい気持ち、安らぐ気持ち、受け取った優しさ、明るさ、有り難さ、など、
それらは蝶に化す。
私の化したる蝶は私の周りに飛び回っている。
あなたの化したる蝶はあなたの周りに飛び回っている。
私にも、あなたにも、きっと同じような蝶が同じように飛び回っているのだろう。
黄色くて明るい、小さくて可愛い。
蝶 蝶 蝶 蝶 蝶 蝶…
ひらひらひらと
いつもいつも、私を、あなたを、明るくしてくれるみたいに飛び回っている。


 2017年03月16日(木)   蝶 butterfly


 「梁山伯と祝英台」 (約28分)
 https://www.youtube.com/watch?v=DK3jRo6aTbQ&t=345s

作曲者は、何占豪、陳鋼 の二人となっている。
(おそらく二人とも男性であると思う。)
簡単に説明すると、
中国に伝わる民話を元に作った曲。
梁山伯(男)と祝英台(女)の悲恋の話で、
ヴァイオリンは祝英台を、チェロは梁山伯を表しているとのこと。
詳細はウィキペディアに載っているので、
興味が湧いた方がいましたら、どうぞご覧くださいませませ…。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/略

来月、京劇を観る予定なので、気持ちが中国になっている。
作るご飯も、自然と中華になりがちになる。
その流れで今、これを書いています。

数年前、中国のクラシック音楽ってないのかな?と思って調べたら、
「黄河」という曲と、この「梁山伯と祝英台」が、代表的な曲という事だった。
個人的には、「梁山伯〜」の前半部分がとても好きだ。

ちなみに他の演奏形態としてこちらもある。(古箏と管弦楽)
 https://www.youtube.com/watch?v=mfaLr44kk7I&t=362s

京劇では「柳蔭記」というタイトルだそうだ。(音楽は協奏曲のものと同一ではない)
 https://www.youtube.com/watch?v=Plzcn2MbAfM


そんなこんなな中華情報でした。




 (3/17 追記)

この話は、二人は最後に蝶になって終わるのだが、
物語なのでそれはそれでいいと思うが、
個人的には、
梁山伯と祝英台が生きたとしたら、
それぞれどんなふうにしてその境遇と向き合ったのか、
どんなふうに辛さを乗り越え、どんな強さやたくましさを持ち、
どういう絆が築かれていったのか、
他の様々な人たちともどんな関係を築き、そこにもまたどんな絆が築かれていったのか、
そんなことを考える。
そして、生きてこそ本当に翼や羽を持って羽ばたくことができる
そういうふうに生きることができる
生きて蝶になる
生きている限り新しくなる
生きている事はそうする力を持っている
そしてそれは広がっていくし、深まっていくし、大きくなっていく
少しずつゆっくりではあるけれど
確かな事
そう思ったりする。


 2017年03月14日(火)   てのひらに波の音を tenohirani


 てのひらに波の音をきく桜貝     増田雅久


(てのひらになみのねをきく さくらがい)
僕の解釈…
海に来た。
とても綺麗。
砂浜を歩いた。桜貝を拾った。
歩いて しばらく 海を眺めた。

帰り 拾った桜貝を手にとって 少しの間見つめた。

家に着いた。

寝る前に、桜貝をてのひらに乗せて
今日見た海に 歩いた砂浜に 思いを馳せた。
波のおとがきこえる。

ここに海がなくても、
てのひらに桜貝を乗せれば、波のおとがきこえてくる。

ここに桜貝がなくても、
この句を読めば、てのひらに桜貝を乗せることができる。
そして 波のおとをきくことができる。
波のおとはきこえる。
波のおとがきこえる。
そのてのひらに このてのひらに
 てのひらに波の音をきく桜貝
  てのひらに なみのねをきく さくらがい
囁けば、
きこえてくる 波のおと。

そうして いま しずかな海にいる。
てのひらに桜貝をのせて 波のおとをきいている。


 2017年03月13日(月)   意味 imi

友人知人のブログなどを見ていると、
みんな変わり者だよなあと、しみじみと思った。
頭の中の構造がどうなって、そうなっているんだろうか?
科学的なところも気になる。
みんな、どこかしらが飛んでいるような、抜けているような、
五角形グラフで例えると、どこかしらが突き出ているというか 抜けているというか
そんな気がします…

失礼な意味じゃないです

ブログとかやってなくてこれを読んでいるあなたも
もれなく変わり者なのでしょう
なぜならみんな変わり者だから。

失礼な意味じゃないです
ただ ふと思っただけです
おもしろいなあと思いました。

みんな違う心の持ち主
みんなどっかが変
変てこりんバンザイ
みんなに共通している、二度と無い「私」という人生にバンザイ
ひとつの世の中にバンザイ
みんな何かがどこかが変だと思うけど でもそれで何という話ではない
豊かなこと
潤いもまたその中に。
それから、化学反応というのを思った。
交流することで、お互いに新しいものを心の中に抱いたら、
そしてそれがお互いにいいものだったら、本当にいいなと思う。
生きている意味のようにも思う。


 2017年03月12日(日)   目の奥の warter

黎明館で二科展などを観覧。
色々と見て刺激を受けた。

手作りの雛人形展というのを隣でやっており立ち寄ってみたら、
手鞠が一面に散りばめられている展示があり、個人的に好きだった。
大小まるい手鞠がたくさんあって、
見ていたら、自分の心の中のいろいろもまるくなる気がした。



 ― ― ― ―



 「あるロマンチックすぎるささやき」

(ある人が 何かを話したいわけでは無いが会いたい と言った)

私はささやく
きみの不安にささやく
何をささやいたのかは言わない
なにもささやいてはいないかもしれないよ

しかしささやく ささやいてみる

私はささやいてみる

たとえば、同じ写真を見るとする
そしてそこに映る風景をお互いに知らないとする
つまり、誰か知らない人が撮った風景写真を、お互いに見るとする
そしてそこにいることを空想してみる
私ときみはそこにいる

そこに言葉はいらない
何も話さない
「絵の無い絵本」とか 「歌詞の無い歌」とか
そういったものの如く
言葉の無い会話 とでも言おうか
そのような会話を
きみと、その写真の風景の中で。

きみにとって 私の存在はどのようなものなのか分からないけれど
きみの庭に そのどこかに咲いている草花であれたらいいな

きみの、愛する人との幸せを願っている
そしてきみの庭に咲く様々な人たちの花々
 その触れ合いできみが感じる心からの幸せを願っている
それから きみにとって必要な涙や苦悩なら それもまた願う
 けれどその場合は 遠くからでも
 何も力になれていないかもしれないけれど 見守っていたい

私はささやく
きみの不安にささやく
何をささやいたのかは言わない
なにもささやいてはいないかもしれない
しかしささやく ささやいてみる
私はささやいてみる
きみの目の奥
その目の奥のそよ風のように
私がそこに息をしているように
私もきみに ささやいてみる



 ― ― ― ―



心には透明な水の部分がある。
それは産まれた時からあるのだろうか。

光の粒がさりげなく溢れている。

水の 水面に 時々涙が落ちる。
ゆっくり昇る。光の粒となって。

人生の限りある時間の中。

水の部分は
なくなることなど無く、むしろ
少しずつ少しずつ少しずつ
年月と一緒に僅かに広がっている。
周りに 森を形成しているようにも思える。
その森もまた 年月と一緒に僅かに少しずつ広がっている。

変わることのない透明
人は そこに触れる時 息をする。
呼吸をする。
胸の奥のすみずみにまで行き渡るような呼吸をする。
その透明に、
時に安らいで、時に涙して、
時に力をもらい、
そして 自分の中の同じ透明な水に触れている。

人との繋がりというのは その水で繋がっているようなものに思える。

当然、面倒なことや、色々と思ったりすることはあるが、
繋がりを築いているのは、互いの水――。

忘れたくない。

掬ったとき
こぼれる光の粒

願う

目の奥のそよ風






 2017年03月11日(土)   年月の先に wish


東北の震災から六年
ちなみに自分の祖父の命日でもある(十六年前)

今日、震度2の地震があり、その時ビルの15階にいたのだが、
一瞬だったが結構揺れたのでびっくりして身構えた。

災害はいつでも起こりうるという事を意識した。


ところで、京劇が好きな人いますか?
今年は、日中国交正常化45周年――
というわけで、五年に一度の京劇公演が、鹿児島では来月催される。
その観覧を自分への誕生日プレゼントにする事にした。
昨日チケットを買いに行ったのだが、もうあと残り1席だった。

ちなみに、公演情報はこちらです。
http://china.min-on.or.jp/2017/

個人的には、正直に言うと関心の9割は、内容よりも音楽の方にある。

京劇とは何ぞや?という方がもしいたら、YouTubeのこちらで色々観れます。
https://www.youtube.com/watch?v=略

CDは出てないの?という方がもしいたら、いないかもしれませんが…
http://www.neowing.co.jp/product/VICG-60376
自分が持っているのはこれ一枚だけですが、このHPで視聴できます。
「孫悟空」は、おそらくところどころ現代風にアレンジされていると思います、
そこの部分で好みが分かれると思います。
「秋江」「覇王別姫」は多分古典そのままだと思います。京劇に関しては僕は古典の雰囲気の方が好きです。
※映像は入っていません。

自分の趣味を推すわけではないけど、
こんなのもありまっせ どないでっしゃろか という紹介………。


国際問題は色々あるけど、
いつかは、自分たちはもう生きていない頃かもしれないが、
北朝鮮へ観光旅行へ行くのが普通になる時代が来るのだろう。
それまでにどんな道を通過していくのかは分からないが、
ともかく良い未来があるといいと思う。

壊れていくものは壊れていく
作られていくものは作られていく、作るものは作っていく。

日本国内でもどこでも同じだが、国境に関係無く、気の合う人ばかりでなく、
合わない人も関わりたくない人も当然たくさんいる。
だから闇雲に誰とでも友好!とは思わないが、
その地その地の大切にされている文化に触れることは、なんか良い気がする。
…と、それらしい事を書いてみたりする。

台湾で流行したという、醤油味のカップ麺にプリンを混ぜ込むのを昨日やってみた。
感想は伏せるが、新しい味覚を求めている人は是非…。

色々あるけれど、毎日健康に生きられている事に感謝したい。


 2017年03月10日(金)   犬の目 see

久し振りに会った犬が、もう完全に失明しているとの事で「えー!」と思った。
この間会った時にはまだ見えていると言っていたのに、早いと思った。
勿論、犬が言ったのではなく、飼主のおばさんが話した。

T君という犬だが、うちのSと相性がいいので、散歩の途中で会った時には触れ合わせていた。
目は見えていないようだが、可愛いのは変わらず可愛かった。

もしも自分が失明したら、と少し考えた。
目が見えるっていうのは、相当有難い事なのかもしれないと思った。
というか確実にそうだ。

心が見るものとしては、どうあるとしても、綺麗だと思うものを見ていたい。

どうしても見えないものとしては未来。
この先。
とはいえ、基本的には希望だけを抱いている。

https://www.youtube.com/watch?v略
(「世界の国からこんにちは」 大阪万博の歌だそうだ)
今の心境。

心と心は握手して、また未来へと歩きつづける。

ただただ歩きつづける。
こぼれる美しさが好きだから。
歩きたいと思うのはただそれだけの理由かもしれない。
人と人は、心が重なる時に美しさをこぼす。
いつもではないが、こぼれる時がある。
それが一番見たいものかもしれない。
これからもずっと見たい。触れたいし感じたい。
心。
人それぞれに様々に織りなす。


 2017年03月09日(木)   月が tukiga


月が遠くで 輝いている
まぶしく まぶしく
あまりにも…

その明るさの裏側に
どれだけの苦しさがあるのか
何があるのか 見えないけれど
あるということだけは確か
それだけは分かっている

その優しさの裏側に
どれだけの苦しさを抱えてきたのか
或いは今も何かがあるのか
見えないけれど
あるということは分かっている

だから 辛いな とか
ああまた… と思う事が 今日もあるけれど
それらは僕自身の明るさにいつか転換されるだろうと思うと
んー 悪くはない と思える

そう思う気持ちは太陽なのかもしれない。
やはり太陽は心の中にある。

太陽光発電じゃないけど。
発電

満ちていったり 欠けていったり 満ちていったりしながら
でもだいたい満ちていたらいいな

満たします

ああ そして 蝶が飛んでいる
かろく かろく飛ぶ蝶になる


 2017年03月08日(水)   そういえば pudding noodles


そういえば、という話だが、

去年のことだが、
台湾で、カップラーメンにプリンを混ぜて食べる「プリンヌードル」なるものが流行している
という情報をテレビで得た。
ごく普通のカップラーメンに、ごく普通のプリンを1個よく混ぜ込む
という事だったので
サンポーの焼豚ラーメンにプッチンプリンで当時早速試してみたのだが、
最初は美味しい!と思いながら食べていたが、
途中から気持ち悪くなってきて、頑張ったが完食出来なかった。

ふとそれを思い出してネットで検索してみたら、
ラーメンの選び方が重要だそうで、
「醤油ラーメン系」 もしくは 「セブンイレブンで売っている一風堂ラーメン」
という事だった。
プリンは、プッチンプリンで良いそうだ。

もう一度やってみようかなと思った。
今度は、お椀に少量ずつで試そうと思う。


 2017年03月07日(火)   足音 step

先日テレビで聴いて、結構好きだった。
 シベリウス 「即興曲 第5番」
 https://www.youtube.com/watch?略
(クリックするとYouTubeが開きます)
寒い日に合いそうな曲だ。

今日も寒かった。
だんだん暖かくなってきて春も近いなと思っていたここ二日の寒さは
なんだかホッとする気もする。
それはなんとなく、まだ別れではないというホッなのだと思う。

その寒さの中にも小さく確かに春の芽吹きが少しずつあり、
確かに寒い冬とはもう別れるかもしれないが、
小さな春の芽吹きが一足先に来てその寂しさのようなものに声を掛ける。
大丈夫だよ、と。
わたしは、春はあなたに寄り添っているんだよ。

 ああそっか そっか、そうなんだ…
不安な気持ちは安心して目をとじて
その小さな春の芽吹きに身体を寄せるようにして眠る。
冬の寒さもまたその身体を見守りながら
寒いつめたい空気を吹かせている。

愛し冬…。
冬はこう言う
「冬のおわり その寂しい別れは
別れではなく
 始まりです
しかしその寂しい不安な気持ちに寄り添うものの姿は 永遠だ
限りなく
これからも
 その始まりと一緒に 添って歩こう
 その心の中で薄まっていつしか忘れて姿消える頃まで
 もしくは 姿消えずともそれならそれでずっと ずっと一緒に添って歩こう
 灯を片手に持ちながら――
  冬の灯を 春の灯を
 ああ 夏の灯をもきっと 秋の灯をも 来たれる冬の灯をもきっと 携えて
 添って歩こう
 添いつづけよう
(わたしは冬であるが けれどわたしは本当は、冬ではないよ
四季というものなんです――)
 添って歩こう
 添いつづけよう
 その足音を聴きながら その足音を聴きながら
 その足音を聴いている」


 2017年03月06日(月)   一つの青い空 one sky

夕方 散歩に行ったら 空に雲が一つも無かった
夕方の薄い青空が広がるばかり。
広がる空に人を思い浮かべた
あの人 この人 あの人 この人
今日は少し寒くて
寒い地の人を思ったり
寒いのが好きな人
空が好きな人もいたな。
木がたくさんある所で 風の音を聞いた
水が湧く所が好きな人もいた
海が好きな人も
海辺の花が好きな人もいた。
みんな 風に吹かれながら
今日も いるのだろう。
記憶は頭の中に
気持ちは胸の中。
静かに 静かに思えば
少し涙する
それは安心のような 切ないと言えば切ない
焦がれる気持ちのようでもある。
手を伸ばせば 雲一つ無い空に
何も掴む事の出来ないようでいても 一つの青い空を掴んでいる。

なぜ涙が出るのかなと少し考えた
センチメンタルになっているわけではない
少し考えたが結局よく分からなかった。
そして何も考えたくなくなったから そういうふうに空を眺めた
ただただ眺めた
夕方の 薄い青空が広がるばかり
雲一つ無くて 一つの青い空があるばかり
人を思い浮かべたくなるような 一つの青い空。


 2017年03月04日(土)   ひいな hiina

昨日は雛祭り、

筆に紅つけて雛の口を描く
筆に墨つけて雛の目を描く     十字

(読み…ふでにべにつけてひいなのくちをかく
 ふでにすみつけてひいなのめをえがく)

この2句は本で見つけた句だが、
俳句には俳号(下の名前)を添えるのが普通で、つまり苗字が分からない場合も多い。
「富山県で黙々と写生俳句を作っている人の句」と書かれていた。
とても素敵な句だと思う。

所は愛媛県に変わって、こちらには「座敷雛」という風習があるそうだ。
以前テレビで観て、おもしろいなあと思った。
今年は「該当する家庭が無い為、展示は無い」とのこと。 HPで少し写真を見ることが出来る。
ジオラマ風に飾る雛人形。 興味のある方はどうぞご覧ください。
「まあなの座敷雛」というHPが開きます。
 http://maana-zashikibina.com/

雛祭り特集でした。

こちらでは今、梅や寒緋桜などが綺麗です。
そちらではどんな感じですか。
花の便りがこれから続いていきますね、楽しみですね。


 2017年03月03日(金)   トライ try

命を繋いでケセラセラ。

先日のイベントの手伝いをさせて戴いたKさんから電話があり、少し話をした。
Kさんはシャンソン歌手なのだが、イベントのステージでは初めての挑戦をしていた。
全曲アカペラで歌うというものだった。6曲ぐらいだっただろうか。
その中の一曲は、全編に手話を取り入れたものもあった。
途中で好きな絵本を朗読し、最後にケセラを歌った。(映画の主題歌ではない方のケセラ)

さっき「あれはいつもやるスタイルなんですか?」と訊いたら、今回が初めてだったそうだ。
挑戦するのっていいわよね、と楽しそうに話していた。

その挑戦する姿を見て勇気づけられた旨を伝えたのだが、
他のお客さんたちにも新鮮で好評だったという事だった。

見た目は29.9歳、実年齢は70歳近いマダムKさんなのだが、
これまでに培ってきた経験の基盤があるからこそ出来た事なのだと思う。
新しい事をやろうとしてやっている、その事に感動した。

実は、やる前に少し迷ったそうだ。
だが、やり方は無限にある、と思ってトライしたそうだ。

やり方は無限にある。
方法は無限。 ―― by K藤さん

頑張ったり挑戦したりしている人を見ると、元気や勇気を貰う。
励まされた気持ちになり、おいどんもやるでごわす、と思った。

三月。だんだん春めく。


 2017年03月02日(木)   踊 around the

♪繋いだ手は もう離せない

好きな曲でそういう歌詞のものがある。
zabadakのaround the secret、
ちなみにyoutubeで見つけた映像はこちらです。
https://www.youtube.com/watch?v=XTAxRblFajk

姉がこのグループのファンだったので、はっきり憶えていないが多分小学生の頃から聴いている。
好きな人いますか?
なんだか今日、口ずさみたくなった。

男女関係無い、人間と人間の絆。




ところで、友人がmixiで日記を綴っているという事でしたので、見たいので僕も登録しました。
mixiで何か綴ったりしている人がもしいましたら、良かったら連絡ください。
僕は基本的に、何かやる時にはこのHPのみを使うので、いわゆるロム専になります。
ちなみにアカウント名は、インスタグラムと同じ「wb.keisuke」です。


 2017年03月01日(水)   恒星木 star tree

マッキントッシュを作ったスティーブ・ジョブズだったと思う、
「点と点は、いつか繋がって線になる。
 あなたは今は一つの点かもしれないが、いつか他の点と繋がり、線ができる。
 その事を信じなければならない。」
そういう旨の事を言っていた。

これは、現在の自分を励ます一つになっている。

心を照らす光は 太陽は 恒星は 一つではない。
というのも、友人知人との会話によって自分の中に培われるものが、
相手によってそれぞれ独特のものが培われていくように感じるからだ。
それぞれに、そこにしかない大切な光で 太陽で 恒星だ。

先日僕がひとりごとを宛てた鳥もまた、僕にとって恒星だ。

何が言いたいかというと、
友人や知人一人一人が、独自の恒星である、という事。
一人一人が恒星のようだ。

まど・みちおの詩で、…詩そのものは憶えていないので内容だけを書くと、
このようなものがある。
丸い地球だから、もし全ての人が直立して頭の先を伸ばしたら、
それは決して誰とも交わらず、方々へ、みんなバラバラになってしまう。
だからみんな、そうならないよう、地球の中心へ向かって「おかあさん」と力いっぱい叫んでいる。
…うろ覚えなので大雑把だが、確かこういう内容だったと思う。

地球の中心にある重力。
世の中の、人の世の中心にある愛。
物理的に全ての存在を支えているものは重力だが、
精神的に人を支えているものといったら、様々な愛なのだろう。
愛は、心にしか持てないものだ。

(勿論、重力は心には持てない… ただ、惹きつけられる魅力 という意味では、
 人はそれぞれに何かしらの重力・引力を備えていたり発生させていたりする。
 容姿なども含めて、自分にとっての何かしらの魅力があるから、惹きつけられる。)

一人一人が違う人間で、違う環境で、違う顔形、違う脳、違う身体、
違う価値観、違う好み、違う考え、違う想い、違う心、違う人生。
その違う一人一人が、独自の愛と重力をそれぞれに持っている。

単なる個人的な話だが、本当に、友人知人一人一人の存在が支えになっている。
その独自の愛と重力によって。

支えられながら、出来れば自分も支えになっている時があったら幸いだが、
どうなのだろうか。分からないが、何にしても、自然にありのままでいたい。

ただここに立っていたい。
出来うる限り真っ直ぐに立っていたい。
木が、根を張ってだんだん太くなっていくように、
人生に根を張って35年が経とうとしているが、だんだん太くなり、
他の木と、友人知人と、時々話をする事を、ずっと続けていたいかもしれない。
葉っぱも花もそれぞれの姿で、それぞれにありのままの木の姿で。

最初恒星と言っていたのに、最後木になってしまった。
そしてだらだらと書いてしまった。


〜結論〜
独自の重力と愛を持つ 恒星たち 木たち 友人知人たち
これからも時々僕ともお話してください!宜しく!宜しくお願いします!


往時目譜近時

watanabe keisuke