huukei

往時目譜近時


 2017年01月29日(日)   干し柿の天ぷら home

暮らしの情報

と言うか、テレビの情報。

今日発見した事なのだが、
テレビでNHKの教育番組にチャンネルを合わせて、「d」ボタンを押し、
「きょうの料理」を選択、
画面の真ん中の上辺りにある「特集レシピはこちら!」を選択すると、
週毎か月毎かは分からないが、その時々の色々なレシピが紹介されているようだ。

今回見た中では、個人的には「干し柿の天ぷら」に惹かれた。

普通に食べた方が美味しいかもしれないが…。

わざわざ手間を掛けてこんな風に作らなくても、普通に食べた方が美味しいな…
そういう結論を出す事もよくある。

けども発想の引き出しが増えるので、色んなものを試してみるのはおもしろい。

お店では売っていない、お店では食べられない、
そんな実験的な料理を食べられる事も、作る楽しさ、作る醍醐味だ。

味覚に刺激を!


 2017年01月28日(土)   本屋へ pig

本屋へ行ったのは久し振りだった。

人生はニャンとかなる

人生はワンチャンス

というタイトルの本が表に並べてあった。

中身は見なかったが、タイトルに気持ちが綻んだ。

ブヒブヒ ブッヒヒ ブヒャヒャヒャ
ブヒョブヒョブヒョヒョ


 2017年01月26日(木)   れんげ畑 flowers



レンゲの芽で敷き詰められている。
「ボクたちワタシたち、もうすぐ蓮華畑になりまする」
「もうすぐ蓮華畑になりまする」
「なりまする なりまする」



昨日、雪は降らなかった。
今朝も予報では雪だったが、降っていたのは雨だった。
そして現在、午前、日が差している。



「ボクたちワタシたち、もうすぐ蓮華畑になりまする なりまする
 ボクたちワタシたちが咲かせる花は 蓮華の花でありまする ありまする」



僕は蓮華の花のあの色が好きだ。



「貴殿は人でありますから、人の花が咲きまする 人の花が咲きまする

 ボクたちワタシたちは一年草ですので、花をつけたら その後は枯れて死にまする 死にまする

 貴殿の花は どこで咲く花でありますか どこで咲く花でありますか
 貴殿はその花を 愛でておりますか 愛でておりますか」



風が吹いた。
優しく吹いた。



「ボクたちワタシたち、もうすぐ蓮華畑になりまする なりまする

 人がここに こうして植え続けている限り
 ボクたちワタシたち こうして蓮華畑になりまする
 一年草ですので 花をつけたら その後は枯れて死にまする
 けれど毎年咲きまする 毎年毎年 咲いておりまする

 貴殿の花は 貴殿の力で咲く花なれど
 きっかけに他人の存在がありますれば 他人の力でもありまする
 貴殿の花は 貴殿の想いなれど
 他人の想いでもありましょう 他人の花でもありましょう
 貴殿を想っている人の花でもありましょう

 一つの花の中に在る 数々の想いよ…

 そして紛れもなく貴殿の想いであり 貴殿の花でありまする
 人が持つのは人の芽であり 咲くのは人の花でありまする
 貴殿の花よ――
 貴殿の花は貴殿の力で咲きまする その花の鮮やかさは想いの鮮やかさでありまする
 貴殿の芽 その芽の鮮やかさ それは花の鮮やかさと同じでありましょう

 それらがきっと人の畑にありますよう 社会にありますよう
 たとえどんなに小さな狭い場所でも
 その畑 そこに在る人々 その社会にありますれば、とても鮮やかで美しい

 貴殿よ 想いに彩られながら どうか鮮やかなれ

 貴殿よ どうか鮮やかなれ

 そしてボクたちワタシたち、もうすぐ蓮華畑になりまする なりまする なりまする」



――さあ、今日も風が吹いていますよ。


 2017年01月25日(水)   ダイヤモンド clear




夕方、西の空に一際輝いている、目立った星が一つある。 (写真中央の上部)

あれは人工衛星なのだろうとずっと思っていたし、周りの人もそう言っていたので、
人工衛星か〜、なんかちょっと残念だなあ、まあでもそんなものか。 と思っていた。
広い自由な空に、一番煌々と輝いているのが人工の物、という事が少し淋しいような気もしていた。

しかし、ふと、「そうなのかな?」 と思って調べてみた。


ふっふっふ、と思った。 
どうやら、あれは金星のようである。

あれが金星だったのか! と、なんだか、結構嬉しいものがある。


 〜* 金星 *〜

金星の呼び方は他に、明星(みょうじょう、あかぼし)、夕星(ゆうづつ・ゆうずつ)、等があるそうです。

金星は、明け方に見られる時期と夕方に見られる時期とがあり、
夜明けの明星、宵の明星、と言ったりしますが、
夕星(ゆうづつ) は夕方に見られる時に限った言い方だそうです。

明星=みょうじょう、あかぼし。
ちなみに、「赤星」と書いて あかぼし と読む星もありますが、
これは夏に見られるサソリ座の恒星・アンタレスの事であり、
同じ「あかぼし」ですが金星とは別だそうです。


http://www.astron.pref.gunma.jp/
この「県立群馬展望台」のHPに金星の観測写真や位置情報等が載っていたので確認できました。

メニュー右の「特集・写真等」をクリック → 「特集・写真等 一覧」を選択 →
 左側にある「天体画像集」をクリック  色々な観測写真を見る事が出来ます。


画像集の下の方に、「冬のダイヤモンド」というものもあり、
夜空にある6つの一等星を結んだもの、という事ですが、
これは初めて知ったので、個人的には「ほほう!」 という発見でした。

実際に夜空を見てみると、オリオン座が見つけ易いので、
リゲル、それからシリウス等もすぐに見つけられると思います。

実は密かに空にダイヤモンドが存在していたんだ、という、個人的にはちょっと嬉しい出来事でした。


 ― ― ― ― ― ―


雪の結晶の事を日本では「六花」とも呼び、結晶が六角形である事に由来していますが、
この「冬のダイヤモンド」も六角形。
一等星の数が六つであるという偶然、おもしろいですね。

僕は個人的に、「六月」という言葉が好きなのですが、



 六 月 を 奇 麗 な 風 の 吹 く こ と よ



という正岡子規の俳句であったり、それから、
こちらで夏に行われる「六月燈(ろくがつどう)」という祭のイメージもあったり、
なんだか透き通っているような印象があり、それで好きなのですが、

空に密かに存在している六角形の冬のダイヤモンド、
「ダイヤモンド」という言葉も六文字、
冬の空から降りてくる雪の六花…
「六」 に、また新しい透き通ったイメージが加わり、個人的な話ではありますが佳いものになりました。

それから、今チラッと見たHPに書いてあったのですが、

冬に見られる星座、おうし座、
これを形成する星のひとつに、「昴(すばる)」 があります。
正確には星の集合体であり、プレアデス星団 とも呼ばれています。
六つの星が連なって見えるので、六連星(むつらぼし) とも言うそうです。
「すばる」 は、「集まって一つになる」という意味の「統ばる(すばる)」 が語源だそうで、
六つの星が糸で統べたように集まっているもの、という事だそうです。
この星団は、中国の天文学・二十八宿においては「昴宿(ぼうしゅく)」 であり、
これが江戸時代に日本に伝わり、それまでの「すばる」に「昴」の漢字を当てるようになったようです。

昴(プレアデス星団)の星もまた、六つ。
車のメーカー・SUBARUのマークを確認してみたら、確かに星が六つありました。

他にもまだ、知らない何か新しい「六」 があるのでしょうか。
あるとすれば、今後のそれとの出会いが楽しみです。

そして勿論、六以外にも様々な数字が、夜空にもその他にも、たくさんあります。


 2017年01月24日(火)   傘 umbrella




傘は必要だ。 雨が降る時は必ずあるから。

晴れの日、傘は陽ざしを浴びて休んでいる。
同じ陽ざしを浴びてそこに在る。


 2017年01月23日(月)   ぞうの歌 singing

「ぞうさん」 という童謡を知らない人は多分ほとんどいないと思う。

 ぞうさん
 ぞうさん
 おはなが ながいのね
 そうよ
 かあさんも ながいのよ

 ぞうさん
 ぞうさん
 だあれが すきなの
 あのね
 かあさんが すきなのよ

詩/まど・みちお 曲/團 伊玖磨

以下は、この詩についての、まど・みちお本人による解説である。
(出典元のURLはこちら、http://kamogawa-gijyuku.jp/wp-content/uploads/11_kaneko.pdf
 検索でたまたま見つけました。
 この中に引用されている文章をコピペしましたが、この文章自体は、
 谷悦子著 『まど・みちお−詩と童謡』(1988年) からの引用だそうです。
 僕は以前テレビで まど・みちお本人がこれと同じ内容を喋っているのを観た記憶があるので、
 おそらく谷悦子がまど・みちおから聞いた話をまとめた文章ではないかと思います。
 以下で、(=○○) と書いている部分は、僕が書き足したものです。)

「この地球上の動物はみんな鼻は長くないのです。
 そういう状況の中で 『おまえは鼻が長いね』 と言われたとしたら、
 それは 『お前は不具(=変)だね』 と言われたように受け取るのが普通だと思います。
 しかるに(=それにも関わらず) このゾウは、いかにも嬉しそうに 『そうよ、母さんも長いのよ』 と答えます。
 長いねと言ってくれたのが嬉しくてたまらないかのように、褒められたかのように、
 自分も長いだけでなく自分の一番大好きなこの世で一番尊敬しているお母さんも長いのよと、
 誇らしげに答えます。
 このゾウがこのように答えることができたのはなぜかといえば、
 それはこの象がかねがねゾウとして生かされていることを素晴らしいことだと思い
 幸せに思い有難がっているからです。誇りに思っているからです。
 (中略)
 ゾウに限りません。けものでも虫でも魚でも鳥でも、いいえ草でも木でも
 数かぎりない生き物がみんな夫々の(=それぞれの)個性を持たされて生かされていることは、
 何物にもかえられない素晴らしいことです。
 もちろんその中の一員として、人間が人間として生かされているのは本当に素晴らしいことです。」


― ― ― ― ― ― ― ―


僕は実は、吃音(きつおん)症だ。
そして僕の父も吃音症である。
吃音とは、いわゆる「どもり」 の事だ。

吃音症は遺伝性のものとも考えられており、現に、先祖には吃音の人が数人いる。

僕は思春期の頃に酷い時期があり、学校の授業で教科書を読んだりする時など、
スムーズに読む事が出来ず、その時期は結構悩んだ。

現在、人前でスピーチ等をする機会はまず無いが、
日常の会話の中でも吃音が表れる時はたくさんあり、
家族や友人・知人との会話でも勿論、
例えばお店に電話する時だとか、知らない人とのちょっとした会話の時など、よくどもる。
当然、変な目で見られる時もたまにある。

しかしこれが僕の身体であり、僕である。

9年前に断薬してからは、不安感や恐怖、緊張やストレス等を自力で対処するようになったので、
ちょっと気持ちが後ろ向きになった時には、ダイレクトに身体に、吃音に表れるようになった。

しかしこの事は、つまり気持ちが前向きでありさえすれば良い事なので、
ある程度の「イケイケ・ゴーゴー」(古いだろうか?) でいる事が大事である。


― ― ― ― ― ― ― ―


何故今これを書いているかと言うと、
先日紹介した「ライムライト」の動画の説明の欄に、
この映画に出演した女優は最近では「英国王のスピーチ」 に出演している、
と書いてあるのを見つけたからだ。

「英国王のスピーチ」、この映画がテレビで放送されたのを僕が観たのは三年程前である。

父は現在でも特に人前で話をする時に吃音が表れる為、
この映画を観たら何かヒントがあるかもしれない、と言って父が録画したものを、僕も観たのだ。

内容を簡潔に言うと、
1930年頃のイギリス。 当時の国王である吃音症の人物と、それを支える療法士、の話。

僕がこの映画で印象に残っているのは、療法士の姿勢だ。
…少しうろ憶えではあるが、こういう事を映画の中で言っていた。

 数々の人を診てきたが、その中で私が出した結論は、
 本人にとって一番必要なのは治療では無く、「理解し寄り添う存在」 なのだ、という事だ。

…と。
僕は今これを書きながら、ちょっと涙腺が緩む思いがある。

この映画は、国王と療法士の友情を描いたものだが、
おそらくこの映画の製作者の意図の中には、
吃音症の人達への寄り添う想いのようなものも込められているのだと思う。

実際僕はこの映画を観た後、イギリスの国王も同じだったんだ、
つまり僕はイギリスの国王と同じなのだ、と、自信のようなものを得られたし、
この映画がアカデミー賞を取ったという事も、つまり理解者が多いという事であり、
なんだか安心する気持ちにもなった。

それからやはり、製作者はきっとこの映画を、
「理解し寄り添う存在」 そのものとしても作ったのではないかと思うと、
僕と製作者の間に個人的な繋がりは何も無いとしても、
その製作者の存在に、そしてこの映画に、感謝する思いがある。


そして、この文章の結論としては、
やはり、イケイケ・ゴーゴーの気持ちを持つ事は大事な事である、という事である。
…事という漢字を四つ書いた。

人生に大切なのはイケイケ・ゴーゴーと適度な休息である。


 2017年01月22日(日)   ララ lala

外食先の店内のBGMで、ライムライトのテーマ曲が流れていた。
先日チャップリンの言葉を日誌に綴ったばかりだったので、タイムリーに感じた。
 (YouTube) https://www.youtube.com/watch?v=A9H3EdB85Ps

でも、何だかメロディが違ったような気もするので、僕の勘違いだったかもしれない。
まあいいか、と思って書いている。

さて、映画「ライムライト」は、チャップリンが制作した晩年の作品で、
メインテーマの曲もチャップリン自身が作曲している。

そして今簡単に調べてみたところ、脚本もチャップリンが書いている。
という事だから、劇中の様々なセリフは、チャップリン自身による言葉だ。
その数々が素晴らしいという事でも人気があるのだそうだ。 人生観そのものでもあるのだろう。

以前は早送りしながら適当に観てしまったので、改めてまたちゃんと観てみようかなと思った。

チャップリンの生涯と名言を紹介しているページを見つけたので、リンクを貼っておきます。
個人的に励みになるものもありました。 興味のある方はどうぞご覧になってみてください。
 http://meigen-ijin.com/charliechaplin/


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言葉、それから、詩や絵画や音楽など他にも、様々な芸術であったり、
或いは、運動や活動であったり、
或いは、仕事や、仕事への想いであったり……

勿論、有名な人たちだけでなく、自分の身近な人たちの中にもそれらがある。

人の想いに触れる。
自分の心の中に、同じ気持ちが、同じ想いが生まれてくる。

そしてまるで気楽にと言うように、
空や雲や、風や、花や草や、蝶や、そんなもの達も、いつも傍に在る。
(今日はちょっと風が強いが… 自然の姿は、気楽に思えない時もあるが…)

見えるそれらも、
そして、見えないが人の想いも、
世の中にいつも在り、自分の傍にもいつも在る。

人の傍に在る、人の傍に在ろうとする、そういうようなものたちと一緒に生きる。


 2017年01月21日(土)   ヤシと鳥 wind and

風が強かった。
天気予報によると、明日は雪マークだ。




左のヤシに、鳥がとまっていた。
写真だと解り辛いが、左下の葉にとまっている。

西を見ていた。 そしてそれは風の吹いてくる方角でもあった。

北風(正確には北では無く西だが) に向かって立つ姿は、
別に特に何も考えてはいないのかもしれないが、
何かかっこいいなと思った。


そしてこの絵を思い出した。
 https://s-media-cache-ak0.pinimg.com/736x/略
 Yahoo! の画像検索で見つけた画像が直接表示されます。
 田中一村(たなか・いっそん) という人の絵です。
 画家の没後に出版された画集には「崖の上のアカショウビン」 というタイトルが付けられていますが、
 画家本人は、自分の絵にタイトルを付けていなかったそうです。

この絵は、雲の形から考えて、追い風なのだろうと思う。


かっこいいでござるな。


 2017年01月20日(金)   洗心 sensin

 洗車 【本気で】 やります! ニコニコレンタカー (太陽がパッと笑っているイラスト)

という旗が数本、ガソリンスタンドの店頭に並んで立っている。
あれを見ると元気が湧く。
僕も本気でニコニコしよう、という勇気のようなものが湧く。
笑おうとする意志 それはとても大切だと思う。

考え方ひとつでポンポコになる、というような歌を先日テレビで偶然聴いたのだが、
まさしくそう思う。
ニコニコの意志によって、心の中にポンポコやピョンピョコといった気楽さや余裕、楽しさが生まれ出す。


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 笑いとは 即ち 反抗精神である     ―― チャップリン

笑い というのは、馬鹿にして笑うとか、皮肉にして笑うとか、
自虐して笑うというような事よりも、
本当に明るく考えて笑う、僕の中ではそういう風に捉えている。
いい意味での諦め、寛容、そういうものでもあると思う。

それから、反抗精神というのは反抗期のそれではなく、
困難に抗い打ち砕こう、岩をも打ち砕いてやるという精神であり、その意志であると思う。

人生には困難が当たり前のようにセットになっている。
飲み物が必ず付いてくる。味噌汁が必ず付いてくる。漬物が必ず入っている。
そんな物だったらいいが、ゴロゴロしたトゲトゲした頑丈そうな巨岩も付いてくる。

しかしそんなゴロゴロしたトゲトゲした巨岩をも打ち砕いてやる、打ち砕いてやろうという精神、意志。

それは、わらおうとする事と同じだと思う。

 楽しいから笑っているんじゃない。笑っているから楽しいんだよ。
CMか何かでそんな言葉を最近聞いたが、つまり、そういう事なのだ。

顔で笑う のもいいが、心で笑う。 つまり、考えてわらう。
考える事は、困難と感じる出来事によっても様々だろう。
別に顔が笑っていなくても、「ハハハハ」と笑っていなくても、心がわらっている。

わらう というのは、生きようとする意志なのだ。
そして心を生かそうとする意志。
自家発電、自己治癒のようなものにもなる。

わらってみよう わらおう という意志。
それは、あらゆる困難を打ち砕いたり、乗り越えたり出来る力を生むと思う。


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莫迦 という言葉がある。 「ばか」 と読む。
馬鹿 と同じ意味だ。

「馬鹿」は、中国の故事か何かで、
ある権力者が、誰かに、鹿の事を間違えて馬だよと言って渡したところ、
渡された人は「ああ、これは良い馬ですね」 と媚びた返事をして、
いや これは鹿ですよ、と周りの人達の中には言ったりする者もいたが、
そう言った人達は後でその権力者によって殺された。

馬鹿 という言葉が日本で使われるようになった由来は分からないが、
馬鹿という言葉の由来の一説には、そのようなものもあるそうだ。
権力者の身勝手な振る舞い、
簡単に言えば、悪い意味での自己中心とか自分本位とか、そういう事だ。

そして、「莫迦」 はと言うと…

莫迦 は、仏教の言葉だそうだ。
「莫」 という字は否定的な意味合いの時に使うそうなので、
莫迦――つまり釈迦では無い、
釈迦の精神からかけ離れている、といったニュアンスではないかと思う。

……そこで思い付いたのだが、

獏(ばく)、という、悪い夢をむしゃむしゃ食べる架空の生き物がいるが、
獏迦 と書いてバカと読むのはどうだろうか。 勿論、いい意味でのバカ である。

困難に対峙したと感じた時に、心に湧いてくるネガティヴをむしゃむしゃ食べ、
そして困難を打ち砕き、打ち砕いて食べてやるぞ、ぐふふふふふ、と笑う獏迦。
味わって吸収して他ならぬ自分の血肉に変えてみせよう、自分にとってよいものに変えてみせよう、
きっと必ずそうしてみせよう、そうしてみせるぞ。ぐふ、ぐふ、ぐふ と笑う獏迦。

お釈迦様はお寺で、いい意味で平和に気楽にボーッとしているようにも見えるから、
そのような気楽さも兼ね備えている、気楽な「獏迦」を、心に!
獏迦の精神を心に!

そう、僕は獏迦ボンになろう。 獏迦ボンになりたい。
獏花ボン でもいい。
あと、暇 という字も、「か」 とも読む。 休暇、など。
獏暇ボン でもいいなと思う。
まあ、何でもいいのだ。 ぐふぐふぐふふふとわらう獏カボンになろう。
ニコニコレンタカーになろう。
今日も笑おう。


 2017年01月19日(木)   一月の itigatuno




一月のヤシ。




空は時々絵画めく。
美しい空はいつ見ても美しい。
いつも新鮮な感動がある。
空はいいものだと思う。
癒される。

見ていると気持ちは空を泳ぎ出す。
そんな気持ちの足取りで現実を歩いていく。
現実、それは厳しいと思えば厳しいが、のどかな風も吹くし、
優しい人たちもたくさんいて、そう考えるとくすぐったいような気もしてくる。
足音はさりげなく響いて
そして今日も今日という一日が静かに目をつむろうとする。
僕も目をつむる。
目をつむります。目をつむる。


 2017年01月18日(水)   少年 see

龍の玉 を知っている人はいるだろうか。多分丁度、今の季節だ。
今日はこの句を鑑賞してみたいと思う。



 龍 の 玉 少 年 青 き 夢 を 見 る     大蔵和子



(りゅうのたま しょうねん あおきゆめをみる)
龍の玉 とは… (「きごさい」内のページが開きます)
 http://kigosai.sub.jp/?s=%E3%82%8A%略

青き夢 というのは、稚拙・幼い という事ではなく、
若さ溢れる夢、という事だろうと思う。
青い=青春
つまり、冬の厳しい環境の中で、若さ溢れる青春の夢を心に抱いている。
そう、心にあるのは「春」。心は春へ向かっている。

少年に、青き夢は、ぴったりだと思った。
少年だからこそ思い描ける夢。きっと、少女もまた同じだろう。

青き夢を見ている少年。 作者はその少年が夢を話すのを聴きながら、
近くに龍の玉の実を見つけて、「その夢が実るといいね…」と、
願いを込めてこの句を作ったのだろうと思う。
もしくは、ある時、龍の玉を見て、少年と話した事を思い出して…。



それからもう一つ、個人的な鑑賞としては、こうだ。

少年という過ぎ去った時期に、龍という架空の生き物を重ねて、
一つの青く澄んだ丸いイメージの中に収める。
そうして自分の心の中に、少年を秘めた神秘的な青く澄んだ玉を作る。
それは美しさを見ようとする事、その行為に重なる。
美しさを見て湧く感情。
その感情は、希望や希求といったようなものを含んでいる。
その感情はつまり、夢を描いている時の感情だ。

少年、それは透明で、白く、青く、澄んだ、真っ直ぐな心。
それはあくまでも濾過されたイメージ。
そう、少年の僕は僕自身によって濾過された。
或いは、僕が僕自身を篩(ふるい)に掛け続けて、そして過去から現在に至っているのだ。
(その事はまだ続いていくだろう。)

そしてその濾過されたものは、或いは篩に掛け続けて残っているものは、
滑走路のように、過去の自分から現在の自分まで、そしてきっと未来の自分へも真っ直ぐに伸びているもの。
或いは、うねりながらも、過去・現在そして未来へも伸びているもの。


 龍 の 玉 少 年 青 き 夢 を 見 る

 それはつまり、
 美 し さ に 触 れ よ う と す る こ と


美しさを見て、抱く夢。
夢を抱きながら、美しさの中を歩む。

僕自身は美しい存在では無い。確実にまだまだ学ぶ事がたくさんある存在だ。
そうあると同時に、美しいものを見ようとする、美しいものに触れようとする、
美しさの中を歩みたいと思う、出来る限りそうありたいと思う。
その事を誰かに美しいと思われたいのでは無い。
単に僕がそうありたいからそうありたい、という事だ。
「美しさ」は、常々自分にとっての美しさ、という事ではあると思う。


 2017年01月17日(火)   桜へ love letter

誰からも聞かれてはいないが、俳句の魅力について語ってみる。

俳句の魅力――


それは単純に、好きだから好き、と言えばそうなのだが、

◆まず、日本固有の文化である、という点。

日本人に生まれたので、日本人としてこの文化に携わる事は、
日本人であるという意識と、誇りのようなものも感じる。

この先、英会話を覚えて、海外の人と接する機会を持った時、
同じように詩などの芸術が好きな人と知り合った場合に、
日本文化の一つに親しんでいるという点でも、良い事にもなると思う。


◆俳句には季語を使う事が要求される点。

日本語の、様々な言葉を知る事が出来る。
それは改めて日本の魅力を感じるキッカケになる。

そして、俳句を作ろうと自然や生活の中で季語を探したくなるので、
そういうものに目を向けていると、日々における微妙な季節の移ろいを感じ、
何かこう、自分は今、季節の、時間の最先端にいつも居るのだ、
という感覚を覚え、どこか気持ちが前を向く。


◆写真にもなり、映像にもなり、時にドラマにもなり、絵にもなり、詩にもなるという点。

江戸時代から始まり数多在る句が全て、五七五の文、という事で言えば同じものなのに、
句によって、写真、映像、ドラマ、絵、詩、などと、様々に変化する。それがおもしろいと思う。


魅力は他にもあると思うが、今は思いつかない。


僕は、これを書いて、皆さんも俳句やりましょうよ! という事が言いたいわけではありません。
(勿論、以前に増して俳句に興味が湧いた方がおられれば嬉しいです)


今、録画していた俳句の番組を見ながら、書きたくなって書いただけです。
つまりは、僕から俳句への、ラブ・レターです。
俳句、好きです。僕と付き合ってください。

そうして僕は俳句と交際を始めました。
とても恥ずかしいです。恥ずかしい句ばかりです。

恋は、愛へ変わっていく、とよく言います。下心から真心へ、と。
そのように、この恋も愛へ変わっていくのでしょうか。
間違っても、変になってはいけません。そこに心はありません。

心を持つこと。それこそが真髄なのです。

現在、ご縁があり大分県の俳句誌に参加させていただいていますが、
俳句を通しての人との出会い、
それがまた俳句を魅力的なものにしています。
それは、僕とあなた(俳句)との間に産まれた子供のようです。
老若男女、様々に産まれます。
これから関係がどのように育っていくのか、分かりませんが、楽しみであります。

難しいし、結構頭を使わなければならないし、そんな顔もある俳句ですが、
これからもきっと、一生の付き合いになるのでしょう。

僕の気持ちが変わる事が、もしかしたらあるのかもしれませんが、
その時でも俳句は、僕が離れていく事を気にも留めず、一つの文化としてこの国に、
ずっと根差し続けているのでしょうね。何も変わらずに。

けれどきっと暫くは、僕はその俳句という大きな木に咲く花々を――なんだか桜みたい
その桜の花々を愛でているのです。
そして時にはその木に咲かす花の一つを作り、つまり句を作り、嬉しくなったりもしているのです。

俳句様、今後ともどうか宜しくお願い致します。いつまでもお元気で、花を咲かせている木でいらしてください。
その花々を愛でる人々は絶えずあなたの傍に集まっていることでしょう。
僕もその花の一つを作れるよう僕なりに楽しみながら精進致します。
それでは、次はまた五七五にてお目に掛かりたいと思います。 失礼致しました。

(ハートマーク)◆Keisuke Watanabe. Kagoshima, JAPAN◆


 2017年01月16日(月)   行方 future




13日。冬の宵、散歩道。
一日曇っていたが、雲間に明るさが見えた。
「これは私が目を覚ましてあくびをした時に開けた口だよ」 と空は言った




同日、小道と防犯灯。左側の上が、人の横顔のようにも見える。
映っている星は、多分シリウス。
「これは私が地球で光る事に憧れたので誰かがその夢を叶えてくれたものだよ」
と防犯灯の電気を見てシリウスは言った



16日。
散歩に出たら今日は雲が無く、夜になると星がよく見えた。

その中の一つの星が言った。

私達は明日の朝には見えなくなってしまいますが夜になり雲が無ければまたその時に
その時にお会いできます 約束します
私達はできる限りあなた方地上の人々や生き物達を見ていたいのです
見守っていたいのです
なぜならとても興味深く素晴らしい場所なのですよ あなた方の住んでいるこの地球は――

そして星はこう続けた。

広い宇宙の中にまるで永遠のように散らばっている私達星々は、そのどれもが、
一つの憧れを抱いてこの一つを見守っているのです
なぜなら、あなた方は私達にとって憧れそのものなのです
その「憧れ」 をうまい言葉で言い表す事が私にはできませんが、
……言うなればそれは、その憧れとは、つまり 光る という事でしょうね

夜空に輝きながら星は言った。
そしてこう続けた。

私もそこで皆と一緒に思いを輝かせたい 皆と手と手を取り合いそこで輝きたい
そんな憧れの気持ちを抱きながら私達はあなた方をいつも見つめているのです
見守っているのです
そして… そして叶うなら、もしも叶うならば…
全ての人が一人残らず一緒になり、地上で皆で一つの光になる…
あなた方一人一人が光り輝く為の道のりとしてありとあらゆる感情が意味を成し、
いつしかあなた方はそれぞれに一人一人光を放つ…
そしてそれらは思い合うように助け合うように溶けあうようにしてやがて本当に一つの光になる…

星は続けた。

この事は私達全ての星々にとっての夢です
ですが夢は、未だ夢です
あなた方は誰もが未熟です
未熟ではありますが確かに光輝いている者も大勢います
ですがやはり 素晴らしい思いを抱き美しく光を放っているように見える者でさえ未熟です
だから 全ての人が一人残らず一緒になり、皆で一つの光になる……
そんな私達の夢が地上で叶うのは、きっともっとずっと先々――
あなた方はもうとっくに存在していない頃でしょう
けれどあなた方一人一人の存在は、確かなその種なのです
可能性を持ち、可能性を作り出す事のできる、確かな種なのです

星は続けた。

だからあなた方一人一人の存在は私達にとって、未来なのです
あなた方一人一人の存在は、私達の夢がきっと叶うであろうその時の未来、そのものなのです
私達星々も光りたい
地球の 地上で あらゆる人たちと一緒に光りたい
思い合うように助け合うように溶けあうように光りたい
地上で 皆と一緒に光りたい――
私達は私達のこの夢をあなた方に託している気持ちでいつもあなた方を見つめているのです
見守っているのです
夜空に輝いている星々は、私達は、つまりは、あなた方なのですよ
あなた方の未来の行方は、つまり私達星々の光の行方でもあるのです

と、星は言った。


 2017年01月15日(日)   苺 strawberries

1月15日で、苺の日だそうだ。

苺といえば、前々から気になっていたレシピがある。
NHKの料理番組で紹介されていた、『苺の酢豚』 である。

苺と豚肉だけを使って作る、バルサミコ酢の、酢豚。

…え!? と思う人が多いと思う。僕も、テレビで見た時には、「は!?」 と思った。
デザートではない。おかずである。
はっきり言うと、マズそうである。

こちらのNHKのページで、レシピが掲載されています。
 http://www.kyounoryouri.jp/recipe/19459_略

このレシピの考案者である村田吉弘という人は、
数年前、和食が世界遺産に登録された際に、中心となって尽力した人物だそうである。

そういう人が考えたレシピだから、おそらく美味しいのだろうとは思う。 おそらく…

「白ごはんに合うのかな?」 という疑問も、実際に作って食べてみたら解消される事だろう。
どちらの方向に解消されるかは分からないが、試し甲斐のあるヴィジュアルである。

こちらではそろそろ店頭の苺も安くなってくる頃。
苺の日にちなんだ、苺の情報でした。



それから、苺 といえば…

ストロベリー・スウィッチブレイドというグループのこの曲が、昔好きだった。
断薬した時にCDは捨ててしまったのだが、今も好きな曲である。
ヴィジュアルではなく、あくまでも音楽が好きなのだ。

ストロベリー・スウィッチブレイド 「Since Yesterday」(1984年)
 YouTubeアドレス https://www.youtube.com/watch?v=x7QPBzAJ_io

この人たちは、スコットランド人だそうだ。
そしてこの曲の冒頭(トランペットの部分)には、
フィンランドの作曲家・シベリウスの、交響曲 第5番のファンファーレが使用されている。
…と、ウィキペディアに書かれていた。今初めて知った。
(ファンファーレ とは、主に祝福の時などに使われる短い旋律の事だそうだ)

シベリウスは1865年に生まれ、1957年に亡くなっている。
亡くなった1957年、ストロベリーは、多分まだこの世に生まれていない。

シベリウスは生前、フィンランド人が誇りに思えるような、フィンランドらしい音楽を作りたい、
そういう思いから、フィンランドの伝統詩「カレワラ」を題材にした曲など様々な曲を作っている。
……僕が以前見たテレビの情報の記憶によれば、である。

カレワラは、1917年にフィンランドをロシアから独立させるのに多大な影響を与えたもの、とされている。

つまり、カレワラも、そしてカレワラに親しんだシベリウスが作った音楽も、
フィンランド人にとっては「誇り」のようなものだったのだろう。

1957年のシベリウスの没後暫くしてから、1984年にストロベリーの活動は始まっている。
ストロベリーの活動地はスコットランドだったそうだが、
スコットランドからフィンランドまでの距離は、東京から北京(中国)までの距離と同じ位だ。
それなりに遠く離れている。

スコットランド人であるストロベリーが「Since Yesterday」という曲を作るにあたり、
どんな思いでこのシベリウスのファンファーレ…祝福の旋律…を使ったのか、僕は分からないが、
同じ北欧であるから、やはり、「北欧の人間としての誇り」のような意味合いも込めて、
自分自身を祝福するような思いも込めて、シベリウスのファンファーレを使ったのだろうか。

単なる僕の推測だが…。


気が向きましたら、どうぞお聴きください。

シベリウス 「交響曲 第5番」(1915年)
 YouTubeアドレス https://www.youtube.com/watch?v=V8qiAMOiygs
(ファンファーレの部分を含む楽章は22:35〜、
 ファンファーレは23:50 辺りから始まります。)
― ― ― ― ― ― ― ―


誇り

アジア人としての誇り
日本人としての誇り

その前にある

一人の人間としての誇り

それは世界中の、生きている誰もが持ちうるもの

他人の誇りを打ち砕こうとする者にも誇りがある

それは誰もがなりうるもの

誇り

それは誰もが持ちうるもの


僕という一人の人間としての誇り

それは心静かに燃えるもの

心静かに燃えているもの


 2017年01月14日(土)   運勢創作 original work

何気なく、新聞に載っている、「今日のあなたの運勢」を見た。

僕の今日の運勢は、「明るい音楽を聴こう。気持ちが上向いてくる」 であった。

他のものにも目を通してみると、結構おもしろい。

例えば、
5月 モラルのない通行人に悩まされることになる
6月 自分の中にたまっているものを全部吐き出す
8月 相手の気分を損ねてしまうが気にしないこと
9月 居心地のいい場所から離れることができない
10月 知らない所へ行き新鮮な気持ち。気が晴れる
12月 疲れが出て素っ気ない態度になりやすいかも

なんだか、自分にも丁度当てはまっている感じがして、読みながら頷いた。


運勢とは、言い換えれば、日々における精神の姿勢、心の持ち方、その勢い、の事だ。
そしてそういったものは、基本的には自分で作り出すものである。

新聞に毎日欠かさず掲載される、この占いは、つまりは、こういうことでもある。
『あなたの日々における精神の姿勢、心の持ち方、その勢い、それを作り出す為の、私の提案集。
 12通り、用意しております。
 もしもこの中で役立てるものがありましたら、どうぞご自由にお役立てください。
 それでは、まず1つ目… そして2つ目… 3つ目… 』

この中から適当にピックアップし、自分の心の姿勢の糧にしてみる。


これは「今日の運勢」を見て今日思いついたことであり、
毎日やっていたら飽きるかもしれない。
でも、時々こういう考えを持って運勢欄を見てみることは、少し楽しいかもしれないと思った。


 2017年01月13日(金)   鈴蘭ポプス finlands pops

これまでに載せたYouTubeのアドレスを、
自分の好きな演奏のものに貼り換えたり、追加したりしました。

もしも気が向いた方がいましたら、
僕の日誌の目次欄の、下の方に、検索バーがあります、
そこで「音楽」 と検索しますと、YouTubeを含んだ記事が一覧表示されます。

YouTube内で他のものを見つけられなかった場合と、
元々好きな演奏だったものは、そのままにしてあります。


― ― ― ― ― ―


ラジオを聴いていたら流れてきた曲。割と好きでした。
 YouTubeアドレス https://www.youtube.com/watch略
カルデンミット(Kardemimmit) という フィンランドのグループの、
「遠く離れても(Pilkoitettu)」 という曲だそうです。
民謡風の、お洒落な雰囲気のポップスです。伝統楽器カンテレの響きが綺麗です。

フィンランドや北欧の伝統詩に、オリジナルの作曲や編曲をしているのだそうです。


カンテレとは、フィンランドの伝統詩「カレワラ」に出てくる、ワイナミョイネンという人物が作った楽器、
とされているそうです。
ワイナミョイネンは、長い白髪と長い髭の老人です。

ちなみに、伝統詩「カレワラ」についてはこちら、
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%略
楽器・カンテレについてはこちらをご参考に…。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%略
(どちらもウィキペディアのページが開きます)

カンテレの由来が、個人的におもしろかったです。
詳しくは上記のページに書いてありますが、
四季を通して枝を切られる事を悲観していた白樺を慰めようと楽器の枠にし、
カッコウが鳴く時に口からこぼれ落ちる金銀をペグ(弦を留める為のネジ)にし、
荒野で一人恋人を待って歌う乙女の髪を数本貰い受け弦にした。
…という事だそうです。

この事を踏まえて楽器の音を聴くと、なんだかまた良い音に思えます。


そういえば、埼玉県に建設中の、ムーミンのテーマパーク 「メッツァ(Metsa)」 ですが、
今調べた最新情報によると、2018年秋〜2019年春に完成を予定しているそうです。

気長に待つとします。


魅惑のフィンランドポップス特集でした。


 2017年01月12日(木)   兎 usagi

12日の今日は満月です。
日本中、そして世界中すべての場所で満月。



 月 天 心 う さ ぎ 遊 び て を り に け り     高田英子



(つきてんしん うさぎあそびておりにけり / 遊びてをりにけり=遊んでいる)

冬の満月は高く上がり、天頂近くを通過する為、「月天心」と呼ばれているそうです。
手元にある雑誌に書いてありました。

冬の満月 = 月天心

しかし、これはおそらく、天文学者などの間でそう呼ばれている、という事であり、
例えば上記の俳句の「月天心」、これは秋のものであると考えられます。
なぜなら、月天心という季語は無く、
「月」が秋の季語ですので、秋の満月が天高くに上がっている光景を詠んだもの、と思います。

よって、上記の句の季節は、秋である――。
厳密にはそういう事になります。
しかし、鑑賞はもっと自由でゆるくても良いと思います。


今日は上記の句を、冬の句、本日の句として捉えて楽しむ事にします。


とても寒い今夜、空高く、天心に掛かっている冬の満月の、うさぎの模様。
そのうさぎが、この寒空の真ん中で、堂々と元気に駆けたり跳ねたりして遊んでいる。
そんな風に思ってみると、なんだか、可愛いし、元気が出ます。

雪うさぎ、という言葉もありますので、
このうさぎが冬のうさぎであるという事も、違和感が無くしっくりきます。

作者は秋にこの句を作ったものと思いますが、
冬は冬での楽しみ方があり、そうすると秋のイメージとはまた違った雰囲気を楽しむことができ、
一石二鳥な句だと思いました。

ちなみに、こちらは今日、曇っていて月は見えません。
ですが雲の上では、見えない所では、元気に駆けたり跳ねたりして遊んでいるうさぎが一匹、
あるいは、おいしそうに餅をついて遊んでいるのか、
そんなうさぎが、堂々と、凍えそうなくらいに寒い冬空の真ん中に、煌々と存在しているのでしょうね。



なんだか、これを書いたら、この曲が合うような気がしました。
小さい頃にテレビで見て、好きだった記憶があります。

「雪祭り」 (NHK みんなのうた より YouTubeアドレス)
https://www.youtube.com/watch?v=k75wesZIou4

― ― ― ― ― ― ―
ところで、YouTubeのアドレスを載せる際に、これまで公式のものに限定していましたが、
ふと、その事にこだわる意味があまり無いと思いました。

目的は、誰かにとっての好きなものと出会うキッカケを作ってみる事、です。

著作権等を無視してYouTubeにアップする行為は、確かに良くないと思いますが、
ここにアドレスを載せる事に関して言えば、
例えば、夜の横断歩道で、赤信号だけど車が来ていないから渡ろう、
それと同じようなグレーゾーンの感覚を持って、これからは載せていこうと思います。

当然、コンサートを盗撮しているような物の類は選びません。


 2017年01月11日(水)   雪の予報 snow soon


 世界の名言集


感情に支配されるのでは無い。私が感情を支配するのだ。

 ――ホテル ワタナベ 総支配人


考えているのでは無い。何も考えていないのだ。

 ――「考える人」を制作した彫刻家 ロダン・ワタナベ


何も考えないのだ!

 ――バカボンのパパナベ


バカがいい バカになろう 砂漠の真ん中で

 ――地元にある B-Z スーパーセンターのイメージソング 「頭の中を ゼロ」 から


まあ いいではありませんか

 ――リラックマ




ああ

ああ…

ああ でも 静かに流れている その空に掛かっている雲が、
砂漠から水を運んで来た。

「水を運んで来たんだよ」 と言って教えてくれたのは
一つのちいさな声だった。
あの雲が、砂漠の水を運んで来たんだよ――と言って指差した
その方向を見上げると、最初の雪が降っていた。

初めまして、私は砂漠から来た者です
と自己紹介をして――挨拶をして――雪は降りた。
私は人差し指か中指か、薬指か、どれかに雪をとまらせようとして、
そして雪は指の上で、私の体温で溶けて消えた。

「訊いてもいい?」 ちいさな声は言った。
やがて雪の静かな音が辺りを支配するのだ、その時、私達の声はお互いに無用になる
だからその前に聴いておこう。――何?

「名前、何ていうの?」
ああ、私の名前。そういえば、言っていなかった。
でも、そうだな、言わずにおこうかな。
――からかうつもりじゃないが――私の名前は、君と同じ名前だよ。
「同じなの?僕、名前無いよ。じゃあ名前、無いの?
 名前無いんなら、同じ名前だね。
 じゃあ、僕、今日、二人の名前付けるよ。同じ名前考える。んーっと…
 んー…。
 そうだ、これに決めた、これにする!」 ――うん。
「決めた!ふふ」 ――うん。
「僕たちはね、名前ね、こう言うの」

ああ その時、やはり静かになった。静かになったのだ。
辺りはただただ、静かになった。


 2017年01月10日(火)   ゆっくり廻る slowly slowly




夕方、農園にて。
手前の花はホトケノザ。広がっているのは、もうすぐレンゲ畑になる畑。


自分自身を地球に例えると、人は、周りの色々な星のよう。

距離の近い星、遠い星。
明るくて近い星。
遠いけれど明るい星。
など…。

それぞれに、物理的な距離と、関係の距離があるが、
皆確かに、それぞれに明るい。

星空、それが嬉しい。

地球に例える自分自身は、
星空の、それぞれの星を見たり、
近くからの、遠くからの、光を浴びたりしながら、
ゆっくり廻ろうと思う。


 2017年01月09日(月)   赤 red

「あかぼし俳句帖」という漫画を、人から勧められて読んでみた。
ビッグコミック オリジナル という雑誌で現在連載されている漫画だ。
俳句に目覚めた男性が奮闘する話が描かれている。

今日読んだら、ふむふむ…と、為になる事が書いてあった。


 たとえ拙くても、自分の句を作ることが、後々の自分の為になる

…という感じの事だった。

絵を描く時にも言えると思ったが、
良いと思われたいから、認めてもらえるように誰かの目線を想像しながら描く…
という事をするよりも、
どう思われても構わないから、自分の描きたい描き方で描く。
そうした方が、自分の為に、そして後々の自分の為になるのかもしれない。
と思った。

たとえどう思われても、なんだか気分が清々しいかもしれない。
描きたい描き方は、気持ちや考え方、目線の変化等と共に変わっていくのだろうが、
描きたい描き方で描いている、という事が大事かもしれない、と思った。


この「あかぼし俳句帖」の原作者、有間しのぶ、
以前、NHKの番組「NHK俳句」に出演しているのを観た事がある。
その時の選者は夏井いつきだった。

漫画に出てくる俳句は全て自分で作っている、と、有間氏は言った。
そしたら夏井氏が、凄いですね、良い句ばかりですよ、と褒めていた。

夏井氏といえば、バラエティ番組にも出ていて、かなり辛口の批評をする人として知られている。
その夏井氏が褒めていた。という事を記憶していたので、
「ふむふむ… ほうほう…」、と思いながら読んだ。


まだ読み始めたばかりだが、俳句の勉強にもなり、おもしろい漫画かもしれないと思った。


 2017年01月08日(日)   発想 water light

知人の知人が交通事故に遭い、手術で片脚を切断したという話を聴いた。
家族も居て、まだ働き盛りの男性だ。

家族の気持ち、
そして本人は、これからの人生に片脚は存在しない。


数年経つが、知人の両親が、道路で車に乗ろうとした時、
丁度そこに別の車が突っ込んで来て、母は即死し、父は重体となった。

現在は、父は回復し、趣味の田んぼでお米を作ったりしている。


有名な人だが、元体育教師で、
授業中の事故により、首から下が全く動かせなくなり、
その後その身体で、30年ぐらい経つ、という人も存在する。

他にも、様々なことを余儀なくされている人たちが、大勢存在している。

その中で、絶望し、意欲を失い、自殺する人も大勢いる。

生きようとし、薬物やアルコール等に依存し、生きる人も大勢いる。

生きようとし、生きる人も、また大勢いる。



生きている事や、健康や、生活は、当たり前ではないのだなと思った。

その事を意識しないでいられるという事は、
つまり、平和という事なのだから、有難い事だと思う。

だけど、意識しないでいることによって、
明るさやたくましさといった方向へ懸命に気持ちを歩ませること、そのことを忘れているなら、

逆に言うと、
意識することで、ファイト、そういう気持ちが湧くなら、

やはり、当たり前ではないという事に感謝して、
明るさやたくましさといった方向へ懸命に気持ちを歩ませよう、ファイト、と思う。


力の出せない時には、そういう時期にはゆっくりすることを心掛けるのが一番だ。

ただ、もしも、眠っている力が目を覚まして稼働しようとするのを自分の中に感じたら、
その心の稼働を始めるのは、今なのだ。

心のそれは、誰からも見えない変化かもしれないが、
でもそれは明らかに、自分の中で太陽になる。
心の太陽が昇っていく速度は、実際の太陽よりももっとずっとゆっくりで遅いのかもしれないが、
もしかしたら三日で一ミリ、それぐらいの速度なのかもしれないが、
それでも、稼働を続けていれば、確実に昇って行って、自分の中で静かに確かなものになる。



僕の、
マイナスに思う事も、辛く思う事も、様々ないろいろを、一つ一つをプラスにしていき、

その、プラスにしたものが、
誰かの、いろいろな誰かの心の、プラスなものに役立てるかもしれない。
明るいもの、安心、生きる力などになるかもしれない。

それを財産のように自分の中に秘めていくのも、なんだかおもしろい気がする。
皆と助け合えるような材料になる。


色々あるだろうが、現実は、まだ先は続く。


そういえば、
 みんなの力を自分の力に 自分の力をみんなの力に
そういう言葉を先日、ある外国人の画家がテレビで言っていたのが、印象的だった。

みんなの発想を自分の力に 自分の発想をみんなの力に。

発想が人生を明るく変化させたり、潤したりしていく気がする。


 2017年01月07日(土)   七草 nanakusa


 百 人 の 七 草 粥 に 火 を 入 れ る     佐藤忠興


今日は七草ですね。
…と書きたいところですが、これを書いているのは八日の午前です。

七草粥を食べた方はいますか?
僕は食べませんでした。
今日か明日に作ろうと思っています。


春の七草は、
 せりなずな ごぎょうはこべら ほとけのざ すずなすずしろ はるのななくさ

という、五七五七七での覚え方があるようです。

・すずな =菘、もしくは鈴菜と書く =蕪(かぶ)
・すずしろ =蘿蔔、もしくは清白と書く =大根 だそうです。


 七 草 の す ず な の 紅 も 佳 か り け り     稲村節子

この句の作者は、七草粥に、「赤かぶ」を入れて作ったのだと思います。
もしくは、誰かが作ったものを詠んだのでしょうか。
赤い色が混じった七草粥もまた、楽しくていいなと思います。

こちらでは、七草の日に七歳の子供が神社に詣でる、
という風習が、現在も色濃く残っているようです。
僕はニュースでしか見ませんでしたが、多く賑わっていたと神社を通ってきた人から聞きました。


― ― ― ― ― ― ― ―


インスタグラムに登録しました。
非公開設定にしている友人知人のページを閲覧する事が主な目的です。

アカウントが分かっている方々には後程こちらからフォローを送信しますが、
もし、これを見てくださった方で、他にインスタグラムをしている方がいましたら、
良かったらご連絡ください。アカウントは「wb.keisuke」です。

ちなみに僕が現在使用しているPCとガラパゴス携帯には、アプリが対応していません。
写真や動画をアップする事が不可能ですので、僕のページには何も無いです。

HPを始めた頃、このレンタルサイト「エンピツ」は、最先端でした。
しかし現在では、むしろアナログなものになりました。
時代の流れを感じます。


 あ を ゝ ゝ と 春 七 草 の 売 れ 残 り     高野素十


お店で売れ残った七草が、棚の上で青々としています。
七草も終わり、少しずつ町が青めいてきますが、
寒さはこれからですね。


― ― ― ― ― ― ― ―


俳句を始めて良かったなと思う事の一つに、「季語と出会う楽しさ」があります。
日々の中に、季節の移ろいと共に顔を出す季語、消えていく季語、があります。
「今日はどんな季語に出会えるかな」という楽しみが、朝起きた時に感じられるというのは、
なかなか良い気分です。

好きな詩にこういうものがあるのですが、作者は、まど・みちお だと思います、
言葉はうろ憶えなのですが…
 太陽や月、星、山や海、雨や、虹――
 一番古いものたちが、どうしてこんなに、いつも一番新しいのだろう
というようなものでした。

古いものも、新しいものも、その中にある「普遍」、
触れた時、それは心にいつも新鮮な気持ちをもたらすはずです。

そしてその「普遍」…つまり「変わらないもの」は、何だろうかと、思ったりします。

たとえ形を変えたとしても、その中の変わらない何か。
古いものにも、新しいものにも。
昔の自分にも、今の自分にも。
昔触れていた物にも、今触れている物にも。
「普遍」が、「変わらない何か」が、全てを貫いているはず。

だから、できるだけそれの傍に居たい、それを目に映していたい、聴いていたい、
それを感じていたい、
そう思っている今日この頃です。

そしてそれは歩く力になり、原動力にもなります。


 2017年01月06日(金)   青い星 sirius

昨日に引き続いて…
とある情報局よりの情報をお伝えしたいと思います。


…… …
… …


宮澤賢治は俳句も残している。
今回、個人的に好きな句を紹介したいと思う。


 狼 星 を う か ゞ ふ 菊 の 夜 更 か な     宮澤賢治

 秋 田 よ り 菊 の 隠 密 は い り 候       同


狼星=ろうせい。シリウスの事。
他の言い方として、天狼(てんろう)、青星(あおぼし) がある。俳句の季語にもなっている。

シリウスは、おおいぬ座を形成している星々の中の一つ。
英語では Dog Star とも呼ばれている。

太陽に次いで明るい恒星(=自ら燃えて光を放つ星) である。
光の色は、青白い。

「シリウス」という言葉は、
ギリシャ語で「焼き焦がすもの」「光り輝くもの」を意味する「セイリオス」
に由来している …との事。
(出典元:「日本語表現インフォ」 http://hyogen.info/word/6240675


宮澤賢治の俳句については、以下のHP「ブログ俳諧鑑賞」で確認しました。
鑑賞の仕方等、興味のある方はご覧ください。
http://yahantei.blogspot.jp/2006/07/blog-post_02.html


……情報は以上である。
この情報が、誰かにとって明るい星の光の一つになっている事を願っている。
願っているのです。そしてそれから、そして…
私、今日は少し、なんとなくぼーっとしました、なぜなら、星々を巡っている途中で、
ケーキ屋に立ち寄ったのですが、入口の付近で吹いてきた風に、
その冬の風の中に、なんとなく春の気配を感じました、七草ですものね、
七つを数えましたよ、そして私はこれから、北斗七星にケーキを渡して帰路に着く、
帰路に着くのです、
ケーキには苺がひとつ乗っている。
ひとつしかありません、でも、あなたにあげましょう、その手から夜の空高くに投げてください、
そしたら私はまた再び訪れましょう、再び情報を持って訪れます、あなたの瞳が青白く、
青白く光る。

瞳が 青白く輝く。


「そう、そのような眼で…。 私も見ているよ」

今のは、友人のシリウス・セイリオス氏からの伝言です。


いつかまた。 さよなら!

from... Romio "Andromeda" Stargarden.
2017. 1. 7   Have a nice garden!


 2017年01月05日(木)   アンドロメ田 star garden

情報を携えて遥々やって来た、私の名前はアンドロメ田 ロメ男。
数々の星々を跨いで情報屋をやっている。
遥か彼方アンドロメダ星雲の光線のあたたかい部分が私の住まいだ。
私は時々、地球上に入り乱れている無数の電波の中に、こっそりと紛れ込んだりしている。
さて早速だが、今回の情報は…


NHKで朝5:55〜、「名曲アルバム」という5分間の番組がある。
クラシックの様々な曲を、曲にまつわるエピソード等と一緒に紹介している番組で、
演奏形態はクラシックだが、ポップスやジャズ、民謡等、取り上げる曲は様々だ。

今月は、宮澤賢治が作詞と作曲をした「星めぐりの歌」を放送している。
早速録画して観てみたのだが、合唱で歌われており、編曲も個人的に結構好きだった。

この歌は、弟や妹を寝かしつける時に実際に歌っていたそうだ。
歌詞は以下のようになっている。


 あかいめだまの さそり
 ひろげた鷲の つばさ
 あをいめだまの 小いぬ
 ひかりのへびの とぐろ
 オリオンは高く うたひ
 つゆとしもとを おとす

 アンドロメダの くもは
 さかなのくちの かたち
 大ぐまのあしを きたに
 五つのばした  ところ
 小熊のひたいの うへは
 そらのめぐりの めあて


尚、放送予定時間は、以下のNHKのHPで確認できる。
5:55〜以外は、しばしば予定変更される事がある。
http://www4.nhk.or.jp/meikyoku/


宮澤賢治は他にも数曲の楽譜を残しているらしく、数年前、それらを特集した番組を観た事がある。
「牧歌」「月夜のでんしんばしら」等が紹介されたが、
「種山ヶ原」「ポランの広場」等、既存の音楽に歌詞をつけたものも幾つかあった。
どれも詞が印象的だった。

YouTubeアドレス…
 星めぐりの歌(詞・曲 宮澤賢治)……https://www.youtube.com/watch?v=Vp9oqf略

 星めぐりの歌(詞・曲 宮澤賢治 編曲:林光)……https://www.youtube.com/watch?v=KqRRN9aIxHI

 牧歌(詞・曲 宮澤賢治 編曲:野崎洋一)……https://www.youtube.com/watch?v=kH_sYDgnyqI

 種山ヶ原(詞 宮澤賢治 曲 ドヴォルザーク 編曲:?)……https://www.youtube.com/watch?v=JlVtv1gTyGE

 ポランの広場(詞 宮澤賢治 曲 エヴァンス)……https://www.youtube.com/watch?v=5Pp-j-vp略


それから、「宮澤賢治の詩の世界」というこちらのHPでもmidi音源で聴く事ができるようだ。
http://www.ihatov.cc/
左側にある「歌曲の部屋」という文字をクリックすると、様々なタイトルが表示される。
声も伴奏等も全て音楽作成ソフトで制作しているようだ。

因みに「ポランの広場」は、このような詞である。
個人的には好きな曲だ。


 つめくさの花の 咲く晩に
 ポランの広場の 夏まつり
 ポランの広場の 夏のまつり
 酒を呑まずに  水を呑む
 そんなやつらが でかけて来ると
 ポランの広場も 朝になる
 ポランの広場も 白ぱっくれる。

 つめくさの花の かほる夜は
 ポランの広場の 夏まつり
 ポランの広場の 夏のまつり
 酒くせのわるい 山猫が
 黄いろのシャツで出かけてくると
 ポランの広場に 雨がふる
 ポランの広場に 雨が落ちる。


…今回は以上である。
もしも琴線に触れた方が居らっしゃれば、私の飛行が役立ったという事なので、満足です。
そして私はもう一つの情報を携えて、翌日もここに来る予定なのだ。
情報屋 アンドロメ田 ロメ男 より。 さよなら!


 2017年01月04日(水)   銀の魚 I'm sea fish

いつもそうしているのだが、ラジオを聴きながら夕食を作っていたら、
サウンド・オブ・ミュージックの音楽が流れてきて、
聴いた事のある曲だったが、タイトルと歌詞の意味を初めて知った。

 すべての山に登れ

というタイトルだった。
歌詞の意味は…忘れてしまったので、ネットで調べてみた。
原題は Climb every mountain だった。自分なりの解釈で、このようにしてみる。

 全ての山に登ろう。ありとあらゆる山に。
 あらゆる脇道を通り、知っている道も、あらゆる小道を通り、
 あらゆる流れを渡って、あらゆる全ての虹を追う。

 あなたが歩く、そのことが、その道を輝かせている。

 全ての山に登ろう。叶う夢がある。
 全ての山に登ろう。見つかる夢がある。


経験と共に、考え方や価値観が変わる事もあり、目標や夢も変化したりする。
あらゆる山を登りながら、
達成する目標もある、叶う夢もある、
そしてまた新しい目標や夢が出来て、
いつも何かしらそういったものがあるような感じでありたい。
別に些細な、小さなものでもいいのだ。
どんなに些細で小さなものでも、その目標や夢で、人間そのものが大きくなるのだ。

(今、とてもいい事を言った感がある。)


話が少し逸れるが、先日観たNHKの「日曜美術館」で、
谷川晃一という画家を取り上げた回があった。
この方の造語だそうだが、「雑めく」という言葉が紹介された。
雑めく。
それは、ときめく、というような気持ちで脇道に逸れる事、を言うそうだ。
(因みに画家の作品に関しては、下記の「南庭工房」というHPで観る事が出来ます。)
http://www.nantei-kobo.co.jp/index.html

 全ての山に登ろう。あらゆる脇道を通り、あらゆる小道を…

ちょっと好奇心や冗談でときめき雑めき、脇道に逸れて、楽しくなったり嬉しくなったりする。

そんな楽しさや嬉しさもありながら。


 2017年01月03日(火)   橙と水色 go well with

(1月4日記)

夕方、散歩に出たら、空が綺麗だった。
鱗雲のような雲の一つ一つの端が鮮やかなオレンジ色に光っていて、隙間から見える空は水色。
オレンジと水色の対比が綺麗だった。

もう少し広い場所に出たら写真を撮ろう、と思って歩いているうちに、
意外と早く色が移り変わっていった。

撮ってみたけれど、実際の色は写真よりももっと鮮やかだった。




この道路沿いのガソリンスタンドには、ニコニコレンタカーが大きな広告を掲げている。
2,525円なのでニコニコレンタカーなのだ。イラストの太陽がパッと笑っている。

自動車学校に通っていた頃、教習のビデオに出てくる車のナンバーは、
全て「2525」もしくは「3939」だった。
にこにこ、そして3939はサクサクと読むのだろう。
運転する時の心構えのようなものか。

なんだか気に入って、普段からニコニコを心構えのようにしている。ついでにサクサクもだ。
明るくいこう、かろくいこう、そういう感じだ。

かろい というのは、軽い と同じ意味の古語である。
まろい(丸い)というのもある。

かろい
なんだか響きが好きだ。


 2017年01月02日(月)   書き初め kakizome

書き初めをした方はいるだろうか。


 書 き 初 め の う ゐ の お く や ま け ふ こ え て     高野素十

 書 き 初 め の あ さ き ゆ め み し ゑ ひ も せ す     同


正月の書き初めを詠んだものだと思う。
「いろは歌」を書いたのだろう。

 いろはにほへと ちりぬるを
 わかよたれそ つねならむ
 うゐのおくやま けふこえて
 あさきゆめみし ゑひもせす

漢字を交えて書くと、一般的には以下の様になるらしい。

 色は匂へど 散りぬるを
 我が世誰ぞ 常ならむ
 有為の奥山 今日越えて
 浅き夢見じ 酔ひもせず

(解釈等の詳細も含めて、下記のウィキペディアのページに書いてありました。)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3略

この「いろは歌」には「ん」の文字が無い。
という事で、「ん」を入れた「鳥啼歌(とりなくうた)」というものもあるそうだ。

 とりなくこゑす  ゆめさませ
 みよあけわたる ひんかしを
 そらいろはえて おきつへに
 ほふねむれゐぬ もやのうち

 鳥啼く声す 夢覚ませ
 見よ明け渡る 東を
 空色映えて 沖つ辺に
 帆船群れゐぬ 靄の中

東を「ひんかし」「ひんがし」「ひむがし」と書いたりするのは、俳句でもよく見られる。
南を「みんなみ」「みむなみ」、二月を「二ン月」とも書いたりする。


 有為の奥山 今日越えて 浅き夢見じ 酔ひもせず
現実の今日という一日一日を折り重ねていきながら……
 鳥啼く声す 夢覚ませ
鳥の声に耳を傾けたりもして……
明るくない感情になっていたら、できるだけ、明るい方向へ目を覚まし……
 帆船群れゐぬ 靄の中
未来は未知の中。明日も今日も未知の中。
様々な色々な人とこれからも関わっていく。
僕の帆も、ゆっくりとその未知の中を進んでいく。

僕は書き初めはしなかったが、心の中に書き初めをするとしたら、
…何て書こうかな。
2525。
ニコニコと書こうかな。

今年も2525ニコニコでいこう。


 2017年01月01日(日)   ぜよ zeyo

2017年也。
気楽にいこふぜよ。
”ぜよ”は四国、土佐の言葉だっただろうか。

我が住まいは薩摩だが、薩摩には「島津雨」といふ言葉がある。「しまづあめ」。
その昔、何代目かの藩主、島津○○氏に、後継となる息子が産まれた。
その日の天気は雨だった。
とてもおめでたい日なのに雨だなんてがっくり……とは思わずに、
…ひょっとしたらそう思ったのかもしれないが、だけどそうとはせずに、
その雨に「島津雨」と名付けた。
以後、めでたい日に降る雨を「島津雨」と呼び、縁起の良いものとした。

確かそういう話だったと思う。

だから、たとえ雨が降ってほしくないなあと思うような日に雨が降ってしまっても、
まあそれはそれで縁起の良いものではあるから。と思える。
「島津雨」という言葉があったからこそだ。
今は江戸時代ではないから、「島津雨」は全国共通の言葉として使っても良い気がする。


 お 降 り と い へ る 言 葉 も 美 し く     高野素十

正月の三が日の間に降る雨や雪には、「お降り(おさがり)」という呼び名が付いている。
めでたい正月に天が降らせる雨や雪。俳句の季語にもなっている。

折角の正月なのに雨だなんて残念……と思ったとしても、
だけどこの雨には「お降り」という美しい名前が付けられている。
だから雨が降った年には「ああお降りか、ふむふむ…、残念だけど何だかこれはこれでいいものかもしれない」
と思う。

名前を付けた人にありがとうと言いたくなる。
日本各地、日本以外の各地にも、きっと様々なおもしろい言葉があるのだろう。






初日の出。加工してみた。

「お降り」は正月の季語なので折角だからと思って書いたのだが、
実際のこちらの今年の天気は快晴だった。
日本各地、正月を迎えた人たちのそれぞれの天気はどうだったのだろうか。

そして、そのそれぞれの人たちには、それぞれに自身の名前がある。
皆がそれぞれに、それぞれの自身の名前を持って今年も歩んでいく。
僕も僕の名前を持って今年も歩んでいく。

今年も精進。

てげてげに。中くらいに。御気楽に…。
(てげてげ、これは鹿児島の方言で、”適当”とか”適度”という意味。
 中くらい、これは長野の言葉らしい、今日読んだ本に出てきた。)

僕の心の中に在る様々な名前や言葉。
友人知人の名前、交わした言葉。

2017年も宜しくお願い致します。


往時目譜近時

watanabe keisuke