huukei

往時目譜近時


 2016年12月31日(土)   鐘 bell is ringing

好きな俳句等を記しているノートの中から…


 除 夜 の 鐘 消 へ ゆ く 一 つ 一 つ か な     石崎晋象


 2016年12月30日(金)   永遠に forever

今日見た空を、忘れない。
今日見た空を、忘れたくない。

そんな空が、人生の中で、幾つもあるなら。
そんな空が、時々あるなら。

この空の下で人と生きることはきっと素晴らしいことだ。

この空の下で人と生きていることは素晴らしいことだ。

人間関係も空。
空模様はいろいろ。
僕の心の奥で、何かは燃えている。

いつの日か来る死は、もしかすれば今日来る死だ。今すぐに来る死だ。
生きている以上、死ななければならない時がどこかで必ずある。

燃えるものは、
強さか、たくましさか、かろさか、気楽さか、
鮮やかなそれは、僕自身の全てを鮮やかにする。

人との死別も、自分との死別も、永遠。
人との間に感じた、忘れたくないものも、永遠。

生きることは、人間関係は、いろいろな事もあるが、
学ぶことができるのだし、学ばせてもらえているということでもあるのだから、
根本的には素晴らしい。その素晴らしさも、また永遠。

Go Go Go.


 2016年12月29日(木)   畏み申す kasikomimousu

久しぶりに、畏まった手紙を書いていた。
(ちなみに、畏まる=かしこまる。今パソコンで変換して初めて知った。)

「下さい」と「ください」の使い分け方が分からなかったので調べたら、

下さい=give 、「くれ」の丁寧表現
ください=please 、お願いする時等の丁寧表現

「下さい」…
 それを下さい。
 私に手紙を下さい。
 何か飲み物を下さい。

「ください」…
 私に手紙を送ってください。
 ご自愛ください。
 お元気でお過ごしください。

という事だった。
それから、目上の人に「下さい」という字はできれば使わない方がいいとの事。
ご存知だった方いますか…?
ナルホド…と思った今日のひととき。

 靴を脱いで下さい
という看板の場合、正確には、脱いだ靴を下さい、という事になる。


― ― ― ― ― ― ― ―


もうすぐ正月である。


 もういくつねると お正月
 お正月には 凧あげて
 こまをまはして 遊びましょう
 はやく来い来い お正月


滝廉太郎の曲で、詞は東 くめ、となっている。

滝廉太郎は、幾つかの童謡を残している。
…厳密に言えば、「童謡」という概念を作ったのは北原白秋であり、
この「お正月」が作られた1901年(明治34年)は、まだ「童謡」はこの世に無かった。

明治時代に入ってから文部省が作った「唱歌」というものは既に存在していた。
それ以前から日本の各地に伝承されている「わらべうた」というものはあった。
けれど、教育としての、幼稚園児の為の歌、というものは無かった。
「唱歌」は言葉が難しいので、幼い子供向けではなかった。

幼い子供には幼い子供の為の歌が必要だ、という事で「幼稚園唱歌」というものが作られた。
…どういう経緯でかは忘れてしまったが、曲を滝廉太郎が、詞を東くめが中心になって作っている。

現在でも、幾つかの楽曲が入ったCDが販売されているので、音源を入手する事は可能である。
(演奏は1980年頃のものである。)

「お正月」という歌は、この時に作られた「幼稚園唱歌」の中の一曲で、
他に、「ほうほけきょ」、「ひばりはうたひ」、「雁」、「雀」などが個人的には好きなのだが、
YouTubeで探してみたら、
おそらく滝廉太郎が大好きなのであろう方のページを見つけた。
ご自身で歌われているようである。伴奏は音楽作成ソフトによるものと思われる。
色々な楽曲がアップされているが、今回は季節的に「雁」のアドレスを載せたいと思う。
ちなみに「雁」の詞は滝廉太郎自身による。
https://www.youtube.com/watch?略


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冬の中で、移ろう今日のひととき。


 2016年12月28日(水)   冬の夜の夢 untitled

真っ暗い深い闇のような場所に、その真っ黒な扉はありました。

私は好奇心から扉を指でノックしてみました。
思いのほか堅くて、指が痛かったので、
今度はグーを握った横の平たいところでドンドン、と叩いてみました。
すると向こうからもドンドン、と返って来ました。
少し驚きましたが、でもそれほどびっくりはせず、
再び好奇心から今度は「もしもし」と言ってドンドンと叩いてみました。

するとまた向こうからドンドン、と音が返って来たのですが、
音の他には返って来る声などはありませんでした。

私は扉を見廻しました。すると、ふと後ろへ振り返りたくなり、そうしましたところ、
一体の人形が椅子に腰掛けていました。
まるで煌めいているような明るい綺麗なお洒落な服を着て、そこに居たのです。
驚きましたが、表情が穏やかで優しげでしたので、私はすぐに落ち着きました。
人形は、天井から垂れ下がっている細い紐の存在に気が付くよう、私に促す為、
その細い腕と小さな指とを微かに上に動かしました。
確かに、紐はいつの間にか、或る時から私の目の前に現れて垂れ下がっていた様でした。

じゃあ、これを引っ張ればいいんだ。そう私は思って、
すぐに紐に手を掛けて引いてみました。
けれど思いのほか紐があまり動きませんでしたので、今度は少し力を込めて引きました。
天井は見渡す限り真っ黒い、永遠の底無しかと思うぐらいに暗い、深い闇でした。
その闇の奥の方、けれどもあまりそう遠いとも思えない辺りの位置から、
ほんの微かな音がしたような、しないような小さな感触を私の手の中に聴きました。

私は突然、綺麗な服を着ていたあの優しい顔の人形が居なくなっている事に気が付きました。
人形が座っていた椅子ごと、姿を消していたのです。
すぐに、さっきドンドンと叩いてみたあの扉の方を振り返りましたが、それも無くなっていて、
そこにはただの暗い黒い闇が広がっているばかりです。
たった今まで手にしていたはずの長い紐もいつの間にか消えて無くなっていました。

その時です。
視界という視界が一瞬ですべて真っ白になりました。
私の手も腕も胴体も足もみんな白くなってしまって、自分の身体がどこにあるのかよく分かりません。
おそらく私の首も顔も瞳もみんな、
そのすべてが、ただただ真っ白な空間の、その透明な一部分のようになってしまっているのでしょう。
すべてが透明な真っ白になった。

「あ!」と思って、私は確かに、その時にはこの眼で本当に見たのです。
真っ白い鳥が、ばたばたばたと音をたててそこから飛んでいく姿を。


 2016年12月27日(火)   西班牙 spain

これまでの記事を部分的に削除しました。時々整理しようと思います。

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昨日、中華風の炒め物を作っていたのだが、
途中で、コショーと間違えてカレー粉を入れてしまった。
カレー味になった。食べたかったものではないが、それはそれで美味しかった。

今日、キャベツの千切りをしていたのだが、
途中で、人差し指の腹をスパッと切ってしまった。
血が止まるまでの間、強制的におやつの時間にした。それはそれで幸せだった。

人間万事、塞翁が馬。


明日は炊飯器を爆発させてしまうかもしれない。

でもきっと大丈夫だろう。


Amazonのカートの「後で買う」に入れて半年以上あたためていた物が、
お取扱い不可能になっていた。

ga---n... oh my god...
しょうがない。なるようになるさ。
ケ・セラ・セラ!

今ふと調べてみたら、ケ・セラ・セラ!=Que Sera, Sera! これはスペイン語らしい。
Whatever will be, will be! 英語ではこう言うそうだ。

ところで、スペインを漢字表記で書くとどうなるのか?
アメリカは米、イギリスは英、イタリアは伊、フランスは仏、ロシアは露。
これらはよく見かけるが、スペインは?

調べてみたら、”西”だそうだ。

アメリカは亜米利加、イギリスは英吉利、イタリアは伊太利亜、フランスは仏蘭西、ロシアは露西亜。
カタカナの発音を漢字に当てているので、何となく納得できる。
じゃあ、スペインはどう書くの?

”西班牙”だそうだ。

…これをどう読めば、”スペイン”になるの?

 おじいさん:「それはじゃな、西班牙っていうのは日本人が考えたものではなく、中国から伝わった言葉なのじゃよ」

え?そうなの?

 お姉さん:「英語のSpainをカタカナで表したものが、”スペイン”なのよ。」

じゃあ、なんで中国ではスペインを”西班牙”って書くの?

 おじいさん:「それはじゃな、https://fuwaloco.com/spain_kanji/ このHPを見たら書いてあったぞ」
 お姉さん:「書いてあったわ」

ふ〜ん。じゃあ後で見てみるね。
ねえ、これって、覚えてたら何か役に立つことがあるの?

 おじいさん:「無いかもしれん、でもな、脳みそに、新しいシワが増えるぞ。それはとっても良いことじゃぞ」

へえ〜、そうなんだ。よく分かんないけど…。
でも楽しかった。どうもありがとう、おじいさん、お姉さん。

 おじいさん:「あいよ、がんばるんじゃぞ!」
 お姉さん:「こちらこそ。またね」


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一日の中に、
おはよう、こんにちは、おやすみ がある。

一人の命に、
誕生、人生、死 がある。


木の年輪のように、
一日、一日、一日が、
一年、一年、一年が、
自分に重ねられていく。
大げさな言い方かもしれないが、その僅かな年輪は、
きっと世の中の樹…地球という、広い広い大きな丸い樹にも、うっすら重ねられていく。

その広い広い大きな丸い樹には、多種多様の様々な人達が暮らしている。

その無限のような数の中の一人、僕の一日そして一年。
その無限のような数の中の一人なのは、皆同じ。
人の数は、無限のような数。

その中で自分はどんな木になりたいのか。
あらゆる価値観が混在している世の中で、どんな所に根を張る木で居たいのか。
どんな精神を大事にする木で居たいのか。

一日の中に、
おはよう、こんにちは、おやすみ がある。
それは人の一生と似ている。誕生、人生、死 と似ている。

Que Sera, Sera!
居眠りもしながら。空や雲や、道の草花などを見つめたりもしながら。


 2016年12月26日(月)   多彩 colorfully life

朝から頭痛がしている。
 僕らはみんな生きている 生きているから痛いんだ
 僕らはみんな生きている 生きているからこんな時もあるんだ

ラジオを聴きながら夕食を作っていたら、「時代」が流れてきた。
 まわるまわるよ 時代はまわる

時代は廻る。
廻りながら、きっと螺旋のように僅かに僅かに上へと昇っているのだ。
毎日の中で確かに色んなこともあるけれど、
くるくる傘を廻して歩こう。
赤い傘 青い傘 白い傘
黄色い傘 茶色い傘 うすむらさきの傘
グリーンの傘 オレンジの傘 レインボーの傘
七転八倒 8.5起き九起き。もいっちょ十起き。

色んな出来事、色んな人間関係、嬉しいことも、辛く感じることも、
ある意味で全ては贈り物のようなものにも思える。
贈られてきた時、それらは実はきっと、見えないリボンで飾られている。

僕らはみんな生きている 生きているから、時代はまわる。
まわるまわるよ 毎日はまわる。
喜び悲しみ繰り返し 毎日はまわる。
そんな毎日を
傘でくるくる躍らせて
歩くよ。どこまでも。
新しい足跡。新しい足音。
リボンが風で揺れている。


 2016年12月25日(日)   胡桃 kurumi

12月25日にちなんだ遊び。
頭文字だけを読むと、クリスマス、サンタクロース、になる。
五行と七行のクリスマス。


クルミをたくさんどこかへ隠し
リスが踊った
「すてきだね」
真っ直ぐな瞳で友だちのリスは言った
「すてきだね」と私に言った

「さがしものは見つかった?」
ン〜それが見つからないの
たくさんクルミ隠したのにな…
「くるくる踊れば見つかるかもよ?」
ローソク三本灯かりを点けて
ーララーラララーララン(♪) 歌ってクルクル踊ったよ
「すてきだね」 友達のリスはまた言った


― ― ― ― ― ― ― ―


今夜、深夜0時〜3:55、NHK-BSでチャイコフスキーのバレエ「くるみ割り人形」が放送される。
http://www4.nhk.or.jp/premium/
(詳細は上記のNHK「プレミアムシアター」のHPで確認できます)
録画して後日観る予定だが、この上演での振り付けが僕の好きなものかどうかは分からない。
観るまでは分からないが、でもとても楽しみにしている。


ロシア本国では、冬になると街のデパート等でよく「花のワルツ」が掛かっているという。
「花のワルツ」は、「くるみ割り人形」の中の一曲だ。

「くるみ割り人形」には、「花のワルツ」を含め個人的に好きな曲が幾つか入っているのだが、
その中でも特に、第1幕の「雪片の踊り」が好きだ。
(「雪の精の踊り」等のタイトル名で表記される場合もある。)
この曲には合唱が付いていて、その合唱の部分が特に好きなのだが、
YouTubeで探したところ、こちらを見つけた。
https://www.youtube.com/watch?v=exafwR5j1iU

それから管弦楽のみの演奏のものも見つけたので、そちらも紹介してみたいと思う。
https://www.youtube.com/watch?v=SloA60xK8gA

もうひとつ、マンドリンと児童合唱団という珍しい演奏形態のものがあった。
https://www.youtube.com/watch?v=r8K9XhaVyRI


ここを読む方々の好みは様々だと思いますが、
誰かにとって好きなものが増えるキッカケになったらいいな、と思っています。


 2016年12月24日(土)   笑む emu




に つ こ り と サ ン タ ク ロ ー ス 笑 ひ け り   keisuke




(上の写真は、フリー素材のHPからダウンロードしたものです)

クリスマス・イヴも午後9時を廻った。
そろそろフィンランドのオーロラの森を一斉に出発して、
サンタクロースたちとそのトナカイたちは世界中を駆け巡り始める頃だろう。
赤鼻のルドルフは、今年はどの国の家々を巡るのだろうか。

11歳の今日、サンタクロースはもしかして本当は居ないのだろうか、
という疑念を晴らす為に、何か欲しいものがある?とさり気なく尋ねてくる親には秘密と答え、
夜、ベッドのどこかに一通の手紙を隠してから眠った。
サンタクロースなら超能力を持ってして、隠された手紙の存在にすぐ気が付くはずだ。
そして手紙を読んでくれるに違いない。
手紙にはこう書いた。
「サンタクロースへ。プレゼントはいらないから、強い心をください」
クリスマス・イヴの夜に、本気で希望を託したのだ。

翌朝目を覚ますと、布団の上に封筒のようなものが乗っていて、
開けると、近所のデパートで使える商品券が入っていた。
その時は絶望感でいっぱいになった。

それがサンタクロースからの最後のプレゼントとなり、
僕の、白いおひげのおじいさんへの信心は潰えたのだった。

今思い返せば、遠い昔そんな日があった事に感謝である。

あれからいろいろな経験を重ねながら、自分なりの強さは身についていく。
10代が終わり、20代が終わって、
そして現在、気が付けばもう来年からはアラフォーである。
しかし何はともあれ歳を重ねていけている事には感謝である。
今まだ頭頂部は薄くなっていない。薄くなっても別に構わないが。

現在はまた現在で向き合わなければならない様々な事柄がある。
強い心を、と思う気持ちは、また現在の気持ちでもある。
経験を重ね、たくましさを重ね、気楽さを重ね、これからも少しずつ育っていくのみである。

僕の心と頭の中をサンタクロースの持つ袋に例えるとすれば、
袋の中には、今、人にあげられるような何かが、きっと何かしらはあるかもしれない。
それらは僕にとっては、無形の財産のようなものだ。
そして、生きている人皆が、そうなのだと思う。
袋の中に、誰かにとっての嬉しさや喜びや安心になりうるものが、詰まっているのだ。

僕も含めて人それぞれに、その袋の中身にどんなものがあるのか気が付いていなかったり、
あるいは、あるのに使っていないものも、ひょっとしたらあるのかもしれない。

明るさや、たくましさ、優しさや、気楽さ、様々な視点での見方・考え方…
自分の中にあるそれらを使える事は、つよさでもある。

森の夜空にかかるオーロラは綺麗だ。他にも様々な、この世の中の美しい景色。
この世の中に永遠に自由に続いていくそれらの美しさ。

感謝。


 2016年12月23日(金)   呟く人たち tweet people

ムーミンパパは孤児であった。孤児院で生活していた。
ある夜、孤児院を抜け出した。幾日もさまよい歩き、ある日、ロッドユースに出会った。
ムーミンパパはロッドユースや他の仲間と一緒に大きな船に乗って、長い冒険の旅に出た。
ある日、陸の孤島に辿り着いた。
別のある日、海で溺れているムーミンママを見つけた。
ムーミンパパはムーミンママを助けて、二人は砂浜で初めて話をした。
ムーミンパパは家を建て、その土地に暮らす事を決意した。

 keisuke@Twitter
ふむふむ、そうだったのか…。

 keisuke@Twitter
現在、散歩中。

 keisuke@Twitter
北風を忍耐しながら歩く。

 keisuke@Twitter


ケナフの花。オクラの花に似ている。大学の農園にて。


 keisuke@Twitter
わらう。

 北風@Twitter
どうだ人々よ、寒いだろう。ビュウ。

 keisuke@Twitter
今日は寒いなあ。でも忍耐。

 徳川家康@Twitter
けふは冷え込む日也。
ならぬ堪忍するが堪忍。…我慢できない時に我慢する事が本当の我慢である。

 忍者ハットリくん@Twitter
辛抱するでござる。にんにん。

 keisuke@Twitter
気楽にいこう。

 keisuke@Twitter
散歩中。
北風は相変わらず冷たく吹いている。

 keisuke@Twitter
小雨がふってきた。この時期の雨は確か、時雨(しぐれ)と言うんだ。

 種田山頭火@Twitter
おとはしぐれか
(音は時雨か。聞こえてきたこの音は、時雨の音だろうか)

 徳川家康@Twitter
ぐうぐう……むが!居眠りしていた。茶屋で休憩するつもりが眠ってしまっていた。
さて出立するとしよう。

 高野素十@Twitter
時雨るゝと四五歩戻りて仰ぎけり
(しぐるるとしごほもどりてあおぎけり
 軒を出た人が、「ああ時雨れている」と言って、四・五歩戻って空を仰いだ)

 徳川家康@Twitter
ああ、時雨れている。茶屋に着いた時は陽が差していたが…
しばしの間、この軒下で雨のやむのを待つとせむ。鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス。
やまぬならやむまで待とうホトトギス。

 忍者ハットリくん@Twitter
時鳥と書いてホトトギスと読むでござる。にん。
杜鵑、不如帰とも書くでござる。にんにん。

 ホトトギス@Twitter
特許許可局、特許許可局、特許許可局

 北風@Twitter
ビュウーゴホン!私は北風だがね、君は春に啼く鳥なのだから、今は静かにしていなさい。ビュウ。

 徳川家康@Twitter
雨がやみそうにない。待っていたのだが、そろそろ出立するとせむ。

 宮澤賢治@Twitter
雨ニモマケズ 風ニモマケズ…

 北原白秋@Twitter
♪ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン♪

 種田山頭火@Twitter
うしろすがたのしぐれてゆくか

 keisuke@Twitter
帰宅。寒かった。でも歩いていたら暖かかった。

 ムーミンパパ@Twitter
雨が上がった。
私は再び「海のオーケストラ号」に乗って、荒波をくぐり抜ける冒険の旅に出発した。
…荒波をくぐりたかったがその日の波は穏やかで、月は白く砂浜は青白く輝き、
何とも、実に穏やかな宵であった。私は冒険の旅に出る事を取り止めて、
しばらく一人で砂浜に、この宵のひとときを愉しむ事にした。

 ロッドユース@Twitter
ムーミンパパを砂浜に一人置いて、私は「海のオーケストラ号」を波にゆっくりと走らせ始めた。
今、月光の反射する明るい水平線を双眼鏡で覗いているのだが、謎の形をした物体が見える。

 幽霊@Twitter
さよなら三角 また来て四角 四角は豆腐 豆腐は白い

 一反木綿(いったんもめん)@Twitter
わたしも白い

 ピョートル・チャイコフスキー@Twitter
旅先で湖畔に来てみたら、幽霊と妖怪と雪の妖精たちが、一緒になって楽しそうにきらきら踊っている。
白鳥が静かに眠りながらそれを見ている。不思議な光景だが、何にしてもジヴァピースヌィ。美しい。
(ジヴァピースヌィ = живописный = 絵のように美しい)

 ピアノ@Twitter
ポロン ポロロン

 keisuke@Twitter
冬の陽の温かさと、影の冷たさ。
その間を行き交う幻。
幻は光。


 2016年12月22日(木)   雨の水面 amenosuimen

・抽象的な表現による詩。
・今日は雨。冬。
・冬の雨の日のあそび。
・自分自身が水たまりになり、水面に詩の空を反射する。
 その場合、水たまりに降り込む雨は、文字のひとつひとつ。

・つまりこれは水面。
・何にせよ、冬の雨の日の遊び。


1、
わたしから しずかにこぼれていったものを
わたしは知らない
また、わたしの元に静かに現れたものの事も
わたしは知らない

2、
わたしわたしわたし

3、
あなただけが知っているものなのに けれどあなたはその事に気が付いていないのだ

4、
知らない知らない知らない知らない知らない
知らない知らない    知らない

5、
それらの現実を全て、この鞄に詰めて持って行くんだ
鍵を掛けた

6、
鞄の鍵は、今わたしが持っている
けれど鍵自身はその事を知らない
己が鍵であるという事も知らない
鍵の身体はわたしの掌で安らかに温まって
すやすややさしい息をしている

7、
鍵は眠って 眠りの中で夢を見た
夢の中で、鍵の身体は青い空にあった
白い雲の上にあった
天空から、そしてそのまま重力によって落ちる
落ちる、真下へと

8、
鍵の身体は真っ直ぐ、わたしの鞄の鍵穴に、
見事にぴったりすっぽりと差し込んだのだ(!)

9、
けれども重力はその事を知らないでいる
重力の眼はただひたすらに地球の中心を見続けている

10、
つまり、これらの事は全てわたしだけが知るこの世の事
この世で確かにわたしがわたしの瞳に映した出来事
ただ、一体何の事であるのか、わたしはその事を知らないけれど……

11、
山山に雨が降っている。
雨 雨 雨
 雨 雨 雨 雨
  雨音が作り出す階段を素早く駆け昇って
   雨を降らせている者に挨拶をするんだ
    わたしの知らないものに挨拶をする。

山山に霧  霧のなかに雨


end roll、
雨雲の上で今日も穏やかに掛かっているであろう月
しずかな雨音の中、わたしが眠ると
わたしの夜の夢の 橋の景色でそっと 瞬いている


12、
傘を差せば、
わたしの吐息に雨は降り懸からない
詩を傘に
あるいはわたし自身を傘にして  //end


 2016年12月21日(水)   踊るクリスタル crystal dance

けふは小春也。
けれどすぐにまた春は遠のく。
冬が来る。
     ――冬が来る。

すっかり凍えて寒くなった空から
ふるよふるよ六花は降る。
街の音を静かに消しながら
つもるつもる 凍れる六花は街に道にと、家々にと咲いて降る。
しずかに積もる。
     ――雪が積もる。咲くように、咲いたように。

けれどその冬はまだ来ない。
けふは小春である。
どこか心温かき小春也。
つめたい風は吹いては来ない。
小春のよろこび。
小春のみに身体をかたむける今日。


けふ、今日、
背景色を#fffafaにしました。
最初に作ったホームページ、つまり18〜25歳の間、背景色はずっとこの#fffafaにしていました。
なので個人的にはしっくり来ている色です。この#fffafaは「snow」という名称だそうです。

昨日新聞で知ったのですが、雪の結晶の事を英語では「snow crystal」、
そして日本語では他に「六花(むつのはな、りっか、りくか、ろっか)」とも言うそうです。

線香花火、六花、話に花が咲くと言ったり、…他には思いつきませんが、
花にたとえるのは綺麗な感じがしていいなあと思います。

#fffafaの話に戻りますが、この色は個人的には雪というより、肌色のような感じがします。
インターネットという空間において、
肌色の、生きている温度を持つような雰囲気の色は、
単純に僕自身が、見た時に少し安心感を覚えます。


― ― ― ― ― ― ― ― ― ―


肌の色といえば、以前NHKで放送されていた「シリーズ世界遺産100」を見るのが好きだったのですが、
その中でブラジルの世界無形文化遺産「レシーフェのカーニバル」というものが紹介されました。
サンバで踊るリオのカーニバルと似ていますが、少し違っていて、
テンポの速い音楽に合わせて、フレーヴォというぴょんぴょん飛び跳ねるようなダンスで踊ります。
片手には小さなパラソルを持っているのが特徴だと思います。

フレーヴォとは、煮えたぎるという意味で、
まるで熱い鉄板の上で踊っているように見えるから、という由来だそうです。

フレーヴォの歴史を辿ると、発祥は、カポエイラだそうです。
カポエイラは、黒人の奴隷が白人の暴力から身を守る為に考え出した、武術のようなもので、
反抗していると思わせないように、踊っているように見せながら暴力をかわす。
…現実にそれをどういう風に通用させていたのか、僕は少し想像しにくいのですが、
ともかくそういう説明をNHKの番組ではしていました。

レシーフェのカーニバルで踊られているフレーヴォというダンスは、
このカポエイラを基にして今日に至っています。
カーニバル自体は、お祭り気分で皆で一緒に踊って楽しむ、そういった単純なイベントの様ですが、
音楽も含めたこの底抜けの明るさは、過去の歴史上の奴隷の苦しみから来ているのだと思うと、
なんだか感慨深いものがあります。

色々思ったりするけど明るく考えて行こう、そういう気持ちにもなります。


 2016年12月20日(火)   吹く huku

 朝 目が覚めたら 風の吹くままに

NHKの日曜美術館という番組を時々録画して見ているのだが、
家のデッキは番組開始の5秒前から録画される。
その短い5秒の中に、上の言葉を見つけた。

「ヨーコさんの"言葉"」という番組のラスト5秒の部分だ。
佐野洋子という絵本作家によるエッセイの番組で、
NHKのHPでも全ての放送の動画を無料で視聴する事が出来、
ちょこちょこと見ているので少ししか見ていないが、
なんだか、考え方の幅が広がる感じがして面白い。
http://www3.nhk.or.jp/d-station/program/yokowords/
(クリックするとNHKのHP内の「ヨーコさんの"言葉"」のページが開きます)

朝 目が覚めたら 風の吹くままに――

きっと、母体の中で生を受けてこの世に誕生したその時から、
風の吹くままに は始まっている。


風の吹くままに


生きている限りは、いつ突然死んだとしてもおかしくない。
勿論長く生きる可能性もある。
そんな中で、身体の機能は休むことなく、一秒一秒を淡々と進んでいく。
その一秒一秒は、ある意味で全てが朝のようなものだ。
時計の秒針はいつでも、グッドモーニング、グッドモーニング、グッドモーニング、と言っているようなものだ。
それはいつだって、どことなくなんとなく新しさなのだ。

風の吹くままに。


 2016年12月19日(月)   光 hikari

PC用Kindle(無料)を使っていたが、年末のセールでKindleを購入した。
今年一年の自分へのプレゼントとした。
先週届いていたが体調を崩していたので、ようやく開封した。
なんだか未来の人間になったような気がした。

ところで、「青空文庫」をご存知の方はおられるだろうか。
僕は去年人から教わるまで知らなかった。知った時は驚いた。

著作権が切れている作品、つまり古典的な作品のみが、
ボランティアの人たちによってインターネット上にアップされているものだ。
全て無料で読む事が出来る。
僕の地元の図書館には置いていない物も、ここにはある。
http://www.aozora.gr.jp/
(上記アドレスをクリックすると、青空文庫のHPへリンクします)

そしてAmazon内でも、電子書籍のKindle用に変換されたものが、無料で配信されている。
Amazon内で「青空文庫 作家名」等で検索すると、色々出てくる。

紙の本にはまた紙の本の良さがある。
例えば知里幸恵のアイヌ神謡集もここにはあるが、
これは紙の本(岩波文庫)の場合は、左ページにアイヌ語、右ページに和訳、
という体裁をとっているので、左右の言葉を見比べながら読む事ができる。
そういった事ができるのは紙の本ならではだ。
それから紙の本の、匂いも結構好きだ。

いろいろなものがある世の中になったなあとしみじみ思う。
インターネットの世界の進化の目まぐるしさは凄い。
古典の作品を書いた人たちは、想像もしなかったのではないだろうか。
それとも想像したのだろうか。
ドラえもんを描いた人が想像した未来の世界は、
あれは完全に空想の世界ではあるが、でも、夢のある世界だ。

様々な夢を、この世の中で叶えようとしている人たち。
想像してみる。人の夢を。
どんな夢にも、きっと、人や何かを思う想いがある。
それは温かくて、優しくて、また、静かに熱い。

衛星から地球の地上の夜を映した、映像や写真が、時々テレビで放送されたりするが、
ああいう感じで、人の思い描いている夢がひとつひとつ光っているのだとしたら、
――夢とまでは言わなくても、思いが光っているのだとしたら、
この世の中は今までも、そしてこれからも、
その衛星の映像や写真のように、美しく、綺麗な世の中なのだろう。

世の中では今日も様々な事が起こっている。
それでも、衛星から地球の地上の夜を映したように、光があって綺麗なのなら、
そのように光っているものが幾つか、あるいは幾つも、
あるいは幾つも幾つも幾つもあるのなら、
幾つもの数えきれないほどの人の思いがあるのなら、
世の中の全体像はやはり綺麗なのだろう。

僕の日常の中でも色々な事が起こる。心の中では色々な感情が起こる。

人の世が、個人の心が、
未知で真っ黒な状態がスタート地点だったとするなら、
その中で希望となっているのは、やはり、思いだろう。想いだろう。

人は、人や何かを想う。
そうして地球の地上の夜は、ひとりひとりの想いが光り、今日も綺麗なのだ。
黒い闇は黒い闇なのかもしれないが、しかしその黒い闇には光がある。

温かな熱と共にある、光の粒、人の夢、
それらよこれからも地上にあれ。
これからも世の中にあれ。
そして僕の心にもあれ。
心の中にあれ。


 2016年12月18日(日)   印象 inshou

歩いていたら金木犀の匂いがして、今頃そんなはずは、と思ったが、
近くに金木犀が咲いていた。
銀木犀というものもあるらしく、それは金木犀の後に咲くそうだから、
今日見たものはもしかしたら銀木犀だったのかもしれない。
それとも単に遅咲きだったのか。
ともかく、いい匂いがした。

ウィキペディアで調べてみたら、金木犀は、銀木犀の変種であるそうだ。
銀木犀=木犀、という事らしいから、
つまり、原種は「銀木犀(木犀)」で、そこから金木犀という変種が生まれた、と。

 銀木犀
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%略
 金木犀
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%略
(ウィキペディアのページが開きます)

更に歩いていると、前方で、立ち止まって空を見上げている人がいた。
何を見てるのかなと思って同じ方向を見上げたら、青い空に広がっている雲の形がおもしろかった。
おそらくその人も、空のそれを見ていたのだろう。
うろこ雲が、うろこの形を無くして、様々な形の羽毛のようになって空一面に広がっていた。
その全てを一方向に風がサーッと撫でたように、一つ一つの羽毛にきめ細やかな白い線が幾本も伸びていた。
普段、こういう空を見る事はまず無い。
写メを撮ろうと思ったが、こういう日に限って携帯を忘れてきた。
なので、印象として残そうと思い、少し長めに見つめた。

今、頭の中には今日の空が広がっている。
最近は写真を撮ったらすぐに移動する事が多かったが、
今改めて思うと、どことなく記憶も四角形のようになっている気がした。
それもいいしおもしろいのだが、
たまには写真を撮らずに、少し長めに見つめるのもいいかもしれないと思った。


 2016年12月17日(土)   梅ぼし umeboshi

ロシアの作曲家、チャイコフスキーの曲で、好きなものを…

 「偉大なる芸術家の思い出」
https://www.youtube.com/watch?v=4bLCsabfLaM

中国の演奏家によるものです。
この演奏者の技術には、中国の胡弓の演奏法のような雰囲気を感じます。
僕は好きです。
一時間近くある曲ですが、個人的には特に第2楽章が好きです。
(この動画では、第2楽章は18:07〜で、
 特に普段よく聴いているその最後部は、36:00〜です)
チャイコフスキーが、親しかった亡き友人のチェロ奏者に向けて書いた曲だそうです。


― ― ― ― ― ― ― ―




 豚肉の梅焼き
 (つまり、しょうが焼きではなく梅焼き)

比較的あっさりしていて美味しいです。
NHKの「きょうの料理」で紹介されていたものです。

◇材料◇
 豚肉(豚以外でも勿論OK)
 やわらかい梅干し2,3個
 だし醤油(めんつゆ、もしくは普通の醤油でも勿論OK)
 酒

◆作り方◆
 ・梅干しを適当に細かく刻む。
 ・それを、酒・だし醤油少々と混ぜる。
  梅干しに塩分があるので、醤油は少なめで良い。

 ・豚肉を食べやすい薄さ・大きさに切る。
 ・上記のものと豚肉を和えて、最低15分くらい置いておく。

 ・フライパンで焼く。
 ・おいしそうになったら完成。


トマトや大根おろしなどと一緒に食べるのが、個人的には好きです。
もしも味が薄かった時には、大根おろしに醤油を掛けたもの等と一緒に食べると、
違和感が少ないと思います。梅干しと一緒に食べても勿論良いです。


― ― ― ― ― ― ― ―


昨夜はこちらでは星が綺麗に見えましたが、今夜もよく見えていて綺麗です。
よく通る道は、正面にオリオン座が見え、
「ああオリオン座だなあ」と、そこを通る時よく思います。

ところで、オリオン座のことを「参宿(しんしゅく)」とも呼ぶそうですが、
これは中国語だそうです。
日本各地では、他に、酒枡星(さかますぼし)、鼓星(つづみぼし)、
くびれ星、袖星(そでぼし)、などとも呼ばれたりしているそうで、
また、農具の唐鋤の刃先に見立てた、唐鋤星(からすきぼし)という呼び方もあるそうですが、
これは真ん中の3つ並んだ星のみを指すそうです。
そしてこれはまた、三つ星(みつぼし)、三連星(みつらぼし)、などとも呼び、また、
真ん中の星が左右の星を担いでいる、つまり、
子供が病の両親を担いでいる様子に見立てて、親荷星(おやにないぼし)、親かつぎ星、親孝行星、
などという呼び方もあるそうです。
ただその場合は、さそり座とわし座の三つ星に対しても同じ呼び方を使っている、
という地域が多いそうです。
色々調べてみましたが、梅ぼし、と呼んでいる地域は多分ありません。
ですが、こんなに様々な見方・呼び方があるので、
時には好きな名前を付けて呼ぶ事があっても良いかと思います。


 2016年12月16日(金)   ペチカ pechka

今日、ロシアとの首脳会談が終わったようだ。

ロシアの国花は、カモミールとヒマワリだそうだ。
寒いところなのにヒマワリというのは意外だと思ったが、
ヒマワリ油の生産量が世界一なのだそうだ。
それもまた意外だと思った。

ロシアといえば…


 雪のふる夜はたのしいペチカ。
 ペチカ燃えろよ。お話しましょ。
 むかしむかしよ。
 燃えろよ、ペチカ。

 雪のふる夜はたのしいペチカ。
 ペチカ燃えろよ。おもては寒い。
 栗や栗やと
 呼びます。ペチカ。

 雪のふる夜はたのしいペチカ。
 ペチカ燃えろよ。じき春来ます。
 いまに楊も
 萌えましょ。ペチカ。

 雪のふる夜はたのしいペチカ。
 ペチカ燃えろよ。誰だか来ます。
 お客さまでしょ。
 うれしいペチカ。

 雪のふる夜はたのしいペチカ。
 ペチカ燃えろよ。お話しましょ。
 火の粉ぱちぱち、
 はねろよ、ペチカ。


北原白秋の「ペチカ」という詩である。
「ペチカ」とはロシア語で、ロシア式の暖炉のことだそうだ。
「いまに楊(やなぎ)も萌えましょ」というのは、
楊の木が燃料に使われていたという事らしい。

「ペチカ」という曲は、1924年当時、満州に住む日本人児童の教科書の為に作られたそうだが、
もともと満州の諸都市はロシア人が基礎を築いている為、
暖炉と調理用のオーブンを兼ねたペチカは、現地で暮らす日本人には馴染みが深いものだったそうである。
作詩者自身も、自宅の洋館にこのペチカを作るほど、道具として気に入っていたそうだ。
(上田信道著「北原白秋の名作童謡100選」よりの情報)

ところで、この「ペチカ」は、山田耕筰の作曲した童謡として知られているが、
実はもう一人、今川節(いまがわ・せつ)という人物もこの詩に作曲している。

その事を知ったのは、やはり上記の「名作童謡100選」からで、
ある日「ペチカ」の詩のページを読んでいたら、こう記してあった。
「この詩には山田耕筰の他に今川節の曲があり、
白秋は「今川君のペチカが好きだ」と評したと伝えられている」、と。

北原白秋のあらゆる詩には他にも多くの人物が作曲しているが、
白秋自身は、自分の詩に曲が付けられる事を嫌っていた。
詩の持つ繊細なニュアンスが失われる、という理由からだそうだが、
山田耕筰の才能だけは信頼し、安心して作品を託していたそうだ。
…うろ覚えだが、確かそういう事を何かで読んだ記憶がある。
そんな人が「好きだ」と言った今川節の曲、どんなものなのだろうか。

インターネットで探してみると、福井県の坂井市立図書館のHPで聴く事ができた。
http://lib.city.fukui-sakai.lg.jp/index.html
(アドレスをクリックすると開きます)
このHPの、左側のメニューの下の方にある「文庫のご案内」をクリックし、
その中の「今川節の部屋」をクリック、
更に「もうひとつのペチカはこちら」をクリックすると、
MP3で無料で聴く事ができる。

ふむふむ…。


好きである…。

そして、どちらのペチカも好きである…。


さっき、夜の散歩を済ませてきた。
今日は星が綺麗に冴えていた。
月はまだ低い位置に大きく掛かっていた。
オリオン座が、今日はなんだか大きいように感じられた。
でもそれは気のせいだろう。
星座の大きさは変わらないはず。
星座って大きいんだなあ…としみじみと思った。


 2016年12月15日(木)   声 koe

今日、録画していたクラシック倶楽部という番組を見たのだが、
今回は日本の歌曲が幾つか歌われ、初めて知る好みの曲もあり嬉しかった。

クラシックと一口に言ってもその中で様々なジャンルやタイプがあり、
どれも好きだが、「声」というのは僕にとっては独特な魅力がある。
一聴してその人だろうなと分かるような個性のある歌手もいるが、
そうではない人の方が、クラシックには多い気がする。
だけど、どうであろうと、美しい声、それはやはり美しい。

ポップス等のアーティストには、声に個性のある人が多い気がする。
そしてまた、美しい声はやはり美しい。

どの声もどんな声も、声はその人の声であり、その人からしか発せられない。
美しいとかとは関係なく、好きな声がたくさんある。
歌手も、友人も、様々にそれぞれの声。
亡くなってもう聴くことのできない声、それはそれで懐かしい優しい記憶だ。
声もまた人。
声はおもしろい。
魅力のひとつである。

ところで、僕の個人的な好みでは、という話だが、
日本の歌曲といえば、好きな曲にこういうものがある。

 しぐれに寄する抒情(大中恩)
 https://www.youtube.com/watch?v=zH0AGezLJQk

 鐘が鳴ります(山田耕筰)
 https://www.youtube.com/watch?v=mprAqT1Du_g

 唄(山田耕筰)
 https://www.youtube.com/watch?v=VtEOKD069LU

(アドレスをクリックすると、それぞれYouTubeのページが開きます)

これらの曲が好きだが、他に、お菓子と娘(橋本国彦)、少年(諸井三郎)、
花季(團伊玖磨)、たんぽぽ(中田喜直)、などといった曲が好きだ。

今紹介した曲は全て、このCDに入っている。
https://www.amazon.co.jp/略
(Amazonの商品ページが開きます)

そういえば、山田耕筰は、最初は「耕作」だったが、
年齢と共に頭髪が薄くなってきた為、「作」という漢字の上に「ケ(毛)」を付けて「耕筰」とした、
という話をテレビで聞いたことがある。アバンギャルドでおもしろい。

紹介したAmazonで売っているCD、115曲という結構な数の曲が入っており、
その内のどれほどが実際に好みであるかは、聴いてみなければ分からないが、
それでも115曲入って2751円という、驚きの、お値打ち価格である。
収録している曲の歌い手は皆、故・立川清登など、著名な一流の人たちだ。
ただ、歌詞カードが付いていない為、知りたい場合はインターネットや本等で探さなければならない。
よく聴くのは十数曲程度だが、それでも、僕は買って損をしたとは思っていない。

年末のAmazonの売り上げ実績に貢献しようと企てている、怪しい者ではありません。

それでは、今回はこの辺で。
いつもあなたの暮らしの傍に…。

ジャパネット高田ケイスケより


ちなみに、上記YouTubeのアドレスに記載した「しぐれに寄する抒情」と「唄」の、
それぞれの発信元のページには、「日本歌曲」という再生リストがあるので、
もしも興味を持たれた方は、そちらでも様々な曲を視聴することが可能なようです。
「しぐれに寄する抒情」の発信元 maniwa menuet は、全ての曲に歌詞を掲載しているようです。


 2016年12月14日(水)   燦 san

サンサン通りを歩こう。
財布を忘れて歩こう。
北風に吹かれても、
暴風雨に晒されても、
飛んできた大きな木の棘に貫かれ、再起不能のようになって、
空一面がぶ厚い灰色の雲で覆われていても、
太陽は同じ空の中にある。
輝きながらそこにある。
燃えて光っている。
太陽は今日もにこにこしているのだ。
空は曇る。
雨は降る。
北風は吹く。
暴風も吹くし、それに乗って大きな木の棘も飛んでくる。
今その空に太陽を見ることができなくても、
太陽は光りながら、同じ空の中にある。
その空一面を覆っているぶ厚い灰色の雲が、少しずつ少しずつ、
時間を掛けながら薄まっていき、
いつか雲間に小さな隙間を作ったその瞬間、
そこから、何も惜しむことなく、太陽は光と熱を真っ直ぐに降りそそがせて、
明るく、眩しく、優しく、暖かく、熱くする。
太陽は光って燃えているから、その光と熱を届ける。
届くよう、届くようにと、届け続けて、光って燃え続ける。
太陽は光って燃える。
太陽は輝く。

僕の空の太陽と、あなたの空の太陽は、ひとつの同じものだ。
全ての人の空にある、その太陽は、今日も輝きながらそこにある。
輝きながら、同じ空の中にある。

サンサン通りを歩こう。
財布を忘れて歩こう。
たまにはサザエを食べに行こう。
財布を忘れて食べに行こう。
愉快だなでは済まなくても
太陽は今日もにこにこしている。
太陽は今日もにこにこして輝きながらそこにある。
同じ空の中にある。
ひとつの同じ太陽が、僕の空にも、あなたの空にも、
輝きながら、そこにある。


 2016年12月13日(火)   生命 seimei

何かに感染したらしい、昨日の深夜より発症中。

僕の体内で居場所を作っている君へ。
僕は君を呪ったりしない。
君の事を呪うよりも、
この状況を愉しむことのできない僕の心を見つけた事の方が、よっぽど重要なのだ。

とは言え、辛いものは辛い。
辛いのは嫌だ。
最悪だ。
君は友ではない。
永遠に友にはなりえない。
友ではない。
…だけど君を受け入れてみよう。
気まぐれではなくそう思うのだ。
君を受け入れてみよう。

君がいることによって僕は今日一日中のろのろとしか動けなかった。
お産の痛みと苦しさはこのぐらいなのだろうかとも思いながらトイレに籠り、
同時に両手で握りしめるビニール袋の中は、君の仕事で一杯になった。

君のその小さな体と小さな精神は、
僕の体内に来てから何か変わっただろうか。
君の中で新しい何かを見つけただろうか。
そうだとするなら、それが明るいものであることを願う。

そして、そうだとするのなら、僕は君を友と言える。

僕の友へ。――君の友より。
君の友はここにいる。

友よ――。
君の姿は、まるで西の水平線に沈んでゆく真っ赤な太陽のように灼熱しながら、
やがて僕の体内から、きっと数日の内にはその姿を見えなくするのだろう。
僕は見届けたい。
それからしばらくは見つめよう。
僕の体内で君のその小さな体と小さな精神が見つけた、明るい何かを。
君が生んだその精神の残光を。
その名残を見つめようと思う。
それは希望の輝きなのだから。

けれど、だ。
君の精神において、もしも何も生まれていないのであれば――。
君はやはり、友ではないのだ。
僕の友ではない。
永遠に友にはなりえない。

僕は今、辛いのだ。
またトイレに籠っている。

様子を見ていたが、夕方になりやはり病院へ行こうと決め、
小雨の降っている中を傘を差して、のろのろと歩きながら病院へ向かった。
おそらくノロウイルスなのだろうと思っていたが、そうであった。
抗生剤を処方してもらった。

これで一安心。
さらば、さようなら、ノロウイルス。

でも、悪い気はしていない。

ウイルスは生物ではないのかもしれないが、…君という生命へ。
――僕という生命より。
僕は僕の身体というかけがえのないものを持って、君と同じ地球に暮らしている。
その地球は、眩しい太陽の光と熱を受けて、今日も青く光り輝いているのだろう。
とてつもなく広い、永遠のように深い、宇宙の中に、幾億もある星のたったひとつの輝きとして。


 2016年12月12日(月)   心象小品 sinshoushouhin



 untitled あるいは植物のような




 untitled あるいは青


8年前、飲んでいた薬を絶った際に、持っていたほぼ全ての物を捨てたのだが、
26年間の、自分で描いた絵や、撮った写真、作った物なども全て捨てた。

絵を描く事が好きで人生でずっと描いてきたが、
薬を絶ってから後はずっと、ほとんど全く描いていなかった。
今年の秋頃から、また描き始めた。

描いていて思ったが、絵を描く事で初めて動く心の部分があると思った。
写真やその他の様々、創作や鑑賞が好きな人は、それぞれに好きな事が、そうなのであると思う。
この先もずっと、その部分を稼働させ続けたいと思った。




ラフ・スケッチ集  
 pieces of mind  〜 心象の一片 あるいは一花 〜


…かっこよく書いてみましたが、つまりはお絵かき集です。






 untitled あるいは小さな風景のある





 untitled





 untitled あるいは「空といふ自由 鶴舞ひやまざるは」に寄せて





 untitled あるいは詩に寄せて





 untitled あるいは波紋と楽器





 untitled





 untitled あるいは人物





 untitled あるいは植物


 2016年12月11日(日)   秋冬句集 syuutoukusyuu

アメリカは あめりかりけり 飴なめる   keisuke

特に意味は無いのですが、

先週のNHKの日曜美術館という番組で、
画家の谷川晃一という人が作った句が紹介され、

 アビニョンの 橋の下で水 浴びにょん

…ツボでした。
これを受けて、真似してみたのでした。

ちなみにアビニョンの橋というのは、フランスのサン・ベネゼ橋という橋のことだそうで、
https://ja.wikipedia.org/wiki/略
上記をクリックするとウィキペディアの、この橋に関するページが開きます。


さて、十二月も半ばに入りました。
普段、気に入った俳句などを見つけたら、ノートに書き留めているのですが、
その中から、秋・冬の句を少し紹介してみたいと思います。
僕にとってこういった文芸は、元気や、癒しや、勇気などにも繋がります。
ご覧になる方にとってそういうものが、この中からもありましたら幸いです。

ではでは…。



 こんばんは 木の葉の蔭のお月様   keisuke


 月の酒 少しまわりしお客様   阿部千鶴子


 落葉して 始まるもののありにけり   海光義沖


 雨音のほかに音なき枯木山   松岡ひでたか


 窓しめて 雨月の其後知らぬかな   濱口今夜
(雨月=うげつ=仲秋の名月が雨で見られない事。其後=その後)


 ぐつすりと眠つてをりぬ 扇山   屋舗信子


 約束の日は雨もよひ 雪もよひ   石井美穂
(よひ=良い)


 新しき雪靴に雪新しき   松尾美子


 帰り花 誰かを待つてゐるやうな   黒木豊
(帰り花=季節外れに咲いた花。誰かを待つてゐるやうな=誰かを待っているような。)


 赤い実を求めて来たる 冬の鳥   寺岡小夜子


 約束を覚えてをりし 冬苺   宮野嘉子


 くつさめを耐え忍びたるコンサート   好子
(くっさめ=くしゃみを耐え忍んでいる)


 薄氷に 青空の青ありにけり   史


 青空になんにもなくて ななかまど   菅野奈美江


 さざんかの白で敷きつめられてゐる   松山スミ


 寒林をつらぬく道のありにけり   奥山泉


 水澄むや 語らぬ言葉美しく   登山磯乃


 寒さむと 青い月照る並木みち   詠み人知らず


 月光のおよぶかぎりを枯れにけり   松岡ひでたか


 枯木より星のこぼれんばかりなり   野原すみ子


 雪だるま 星のおしやべりぺちやくちやと   松本たかし
(星のおしゃべりぺちゃくちゃと)


 花になる夢を見ている冬芽かな   阿南春子


 朝寒の厨に明かりともしけり   詠み人知らず
(厨=くりや=台所)


 冬空にカリンが一つ残つてる   小西琴子


 空といふ自由 鶴舞ひやまざるは   稲畑汀子



作者名が分からない句には、詠み人知らずと表記しました。
苗字が分からなくて書いていない場合もあります。


ではでは、この辺で…。


 2016年12月10日(土)   鳥 tori




鳥 鳴きをり
鳥 飛びけり
枝を揺らして飛びにけり
こぼるるは歌でありけり
鳥鳴く声は枝に積もれる
積もつた歌がこぼるるなり
揺れた枝からこぼるるなり
鳥 また来てよく歌う
鳥はいつもよく歌う
歌つて空へ羽ばたけり
我は黙つて心しずかに
こぼれる歌を聴くとせん
冬の窓辺に


 2016年12月09日(金)   人 hito

テレビを見ながら昼食をとっていたら、
姜尚中という人が喋っていた言葉が、印象に残った。
何かの本に書いてあったそうだが、本の名前はよく聞いていなかった。

「○○という本の中に、こういう言葉があって、

  悲劇は喜劇よりも偉大である
  なぜなら、人間は苦しみや悲しみに合うと、深く考える

 だから、美しい人を見ると、僕は、良かったな、と思う」

と…。
美しい人を見ると、良かったなと思う、そう語っていたことに、
なんだか、自分のことではないが、ホッとする気がした。
そしてまた他人に対しても、確かに、良かったのかもしれないな、と思った。


― ― ― ― ―


人の道をゆく「人の心」は人にしか持てず、
また、人の道をゆく「人の心」は人でなければ磨きえない。

僕は人に生まれ、人なのだ。
その単純な事実が、僕の心を、どこかへ向かわせる。

行きなさい、人に生まれたんだよ、安心して堂々と行くんだよ、
気付かずに間違えながら、たくさん恥をかきながら、
それでも、そうして経験してゆく事が何よりも大きな財産になって、
あなたの感情をより豊かにし、人との関係にも潤いと深みをもたらしていく。

人なのだというその単純な事実が、
まるでそう言いながら、背中を支えて押してくれているみたいだ。

学ばなくてはいけない心の、不完全さと醜さ。
学びつづける心の醜さと、美しさ。
まだまだ学びつづけていくという苦しさ、
それでも学びつづけていられる、という、ありがたさ。

何気ない時間にも、苦しむ時間にも、根底に、人に生まれたという愛のようなものが、流れている。
仮に苦しみの渦中に自殺したとしても、その経験は、
その人の魂にとって大きな財産のようなものに、きっとなっているのではないだろうか。
僕はなっていると思う。
犯罪に遭った人も、それで死んだ人も、その人の魂にとって大きな財産のようなものになって、
美しさを、美しくなる可能性を、持つ。
気持ちを理解することができる、気持ちを分かち合うことができる、思いやることができる、その美しさ。
人は美しくなる力を持ち、そして本当に美しくなる。

亡くなった人は、身体は死んだが、魂は次なる人生を始める準備を整えているところなのではないだろうか。
と言っても、その真相は永遠に分からないことだが、
僕は、なんだか、人に生まれてくることそのものが希望なのだ、と思う。
心はどこかへ向かっている。向かいたい。向かうんだ、そういう希望を持っている。
だから、人に生まれてくる。

動物も、動物の大切な一生を生きていると思う、
僕は飼っている犬が好きだ、
散歩に行って、僕が遅れたりすると、振り返って待っていてくれる。
そういう時、愛情を感じて嬉しい。
ただ、自身が自身の心を磨くということに関しては、できにくいのではないだろうか。
そういうことは考えることがない気がする。
どうなのか分からないが…。

姜尚中がテレビで話していた「美しい人」たちは、
まだまだ何かしらの不完全さと醜さを持ちつつ、まだまだ美しくなる過程にあるはずだ。
人の道に、ゴールはない。
身体はいつかは死ぬ、だが、そして再び、力を持って、きっと、どこかへ向かう。
向かいたい。向かうんだ、という思いのもと、人や何かに生まれ、向かい続けるのかもしれない。

太陽が東から昇ると新しい朝が来るみたいに、
明日という字は明くる日、明るい日と書くみたいに、
明るい方向へ、まぶしさのある方向へ、朝へ、明日へ、心は向かい続ける。
少なくとも現在の僕は、向かいたい。向かい続けたい。向かう。

かつて世の中に存在していた、そして今存在している、
様々な人たちの、その想いの束。
決して枯れない花束のように、世の中にずっと咲き続けるのだろう。
そしてこれからもずっと、その花束の花は増え続けていくのだ。
いつか世の中を覆い尽くすまで。
個人の心ひとつにおいても同じように、つまり僕の心ひとつにおいても同じように、
美しい面積は増え続けるだろう。

花束は言うだろう。
この花で編んだひとつの花の冠を、
世の中にたったひとりの、あなたに、と。
その冠をかぶって、あなたも、僕も、今日も生きている。
そんな気がしている。


 菫程な小さき人に生れたし

(すみれほどな ちいさきひとに うまれたし/生れたし=生まれたい)

夏目漱石の俳句なのだが、ふと思い出した。
作者の正確な意図は分からないが、
僕の解釈では、
菫のような小さな、つまり謙虚な、さりげなく存在しているような、
優しい色を持った人でありたい、と。


 2016年12月08日(木)   蒟蒻 konnyaku

歯科の定期検診からの帰り道、いつもと違う道を通って帰った。
そしたら、テニスコートが現れ、高齢者の方々がテニスを楽しんでいた。
隣にはサッカーのグラウンドがあり、どちらの設備も結構年季が入っているようだった。
へえ〜、こんな所があったんだなあと思った。
こちらに住み始めて20年が経つが、
今日初めて気が付いたということは、僕は20年間、近所に住んでいながらも、
この道を通ったのは今日が初めてということだ。
そんなこともあるんだなあと、しみじみと思った。

知らない道がある。
知らない場所がある。

夕方も近づき、ラジオを聴きながら夕食を作っていたら、
世界にひとつだけの花が流れてきた。
「その花を咲かせることだけに 一生懸命になればいい」
なんだかじ〜んときた。

そういえば2年程前、外食した帰りにコンビニに入ったら、
愛は勝つが流れてきて、そのときもじ〜んとした。
その時は、向き合わなければならない事があり、でも少しくじけそうになっていたから、
「心配ないからね 君の思いが誰かに届く明日が きっとある」
「どんなに困難で くじけそうでも 信じることを決してやめないで」
「遠ければ遠いほど…」
「少し疲れても…」
不意に耳にした、そういった歌詞に、なんだか励まされる思いがした。

世界にひとつだけの花が発売されたのは結構前だと思うが、
初めて聴いた時には、それほどじ〜んとはしていなかったと思う。
愛は勝つなんて、まともに聴いたのは小学生の時以来じゃないだろうか。
どんなにコンニャクで くじけソーメン ニンニクことさ 必ず最後にチキンカツ
替え歌で笑っていたのが懐かしい。
そしてその頃は、じ〜んとするには程遠かった。

初めて通る道。
初めて知る場所。
初めて気付くこと。
そして通り過ぎてゆく。

最後にチキンカツ。
コンニャクソーメンニンニクチキンカツ
気楽にいこう。


 2016年12月07日(水)   樹 ki

合唱団、という言葉がなんだか好きだ。


――花々の合唱。


ところでスェーデンには国花というものはなく、国樹だそうだ。
一応、フィンランドと同じくドイツスズランが国花とされているそうだが、
正式に決められているものではなく、
正式なものとしては国樹で、セイヨウトネリコだそうだ。
樹も花を咲かせるので、このセイヨウトネリコの花が国花と言えるのかもしれない。

http://happamisaki.jp-o.net/green/others/toneriko.htm
(「葉っぱの岬」というHPの、シマトネリコに関する説明のページが開きます。花の写真が見れます。)

最近の流行らしいのだが、…日本全国の事なのかどうか分からないが、
シマトネリコという樹を植えている家をよく見かける。
花の時期は初夏だったと思う。
白い小さな花で、爽やかな、いい匂いがする。
同じ「トネリコ」なので、ひょっとしたらスウェーデンの国樹も、同じような匂いがするのかもしれない。
日本に桜がたくさん植えられているように、
スウェーデンではこの樹がよく植えられているのだろうか。
もしそうだとすれば、初夏のスェーデンを歩くと、あちこちからいい匂いがしてくるのだろう。

もしそうでなくても、日本の、初夏のシマトネリコの傍に立つと、いい匂いがする。





ラフ・スケッチ


 2016年12月06日(火)   噴水 hunsui



交差点の噴水。




そびえるヤシ。
ちなみに、こちらではヤシがどこにでも植えてある、というわけではないのである。




南十字星…ではない。月が、こういうふうに写った。




葉を落とし、すっかり冬の様相になった桜。


桜の葉は、夏には青く生い茂り、
秋には明かりを灯したように赤くなっていたが、
冬にはすっかり冬木となり、寒そうに思えるが、
けれども少しも寒くないようにも思える。
夏は夏で、あんなに暑そうにして…とも思えるけれど、
爽やかに、涼しげにも思える。
秋もまた、明かりを灯しながらも、少し淋しそうに思えるが、
ほのかに温かそうにも思える。

――春。

ぽつぽつと蕾を出して、蕾はだんだん膨らんで、やがてパッと花開く。
少し遅れて他の蕾たちが一斉に花開く。
とても喜んでいるように見える。喜びに溢れて、楽しくて笑っているように見える。

きっとそうなのだろう。
喜んでいるのだろう。喜びに溢れて、嬉しくて、楽しくて、笑っているのだろう。

束の間に、花びらは散り始め、やがて花の吹雪になり、風に乗ってゆく。
どこまでもゆく。
どこまでもどこまでもゆく。

桜の木は、元気なまま、青い葉をつけていき、いつの間にか生い茂り、五月の装いになっている。

六月という月は、色とりどりの硝子が似合う気がする。
桜の木は六月の装いになっている。


 2016年12月05日(月)   鈴蘭 suzuran

フィンランドの国花は、鈴蘭(ドイツスズラン)だそうです。

〜〜フィンランド特集〜〜

YouTubeでいろいろ探していたら、先日書いたフィンランドの作曲家シベリウスの、
植物を題材にした曲があったので、リンクを貼っておこうと思います。
https://www.youtube.com/watch?v=IV3cNrwZe6k
「樹木の組曲」と題された5つの小品集の中の、「モミの木」という曲です。
興味を持たれた方は、どうぞ聴いてみてください。

同じくシベリウスに「レンミンカイネンの帰郷」という曲があり、僕は好きなのですが、
見つけたので、紹介してみようと思います。
https://www.youtube.com/watch?v=2qmy6dFzHp0
(WDR SinfonieorchesterFreunde、ドイツのケルン放送交響楽団の公式ページです。
 ちなみに、これに映っている指揮者はフィンランド人だったと思います。)
フィンランドには、「カレワラ」という民話集があるそうで、それを題材にした曲だそうです。
「カレワラ」については、下記をクリックするとウィキペディアのページが開きますので、
そちらを参考にされてみてください。ちなみに僕はこの民話集を読んだことはありません。
https://ja.wikipedia.org/wiki/

それから比較的最近の、フィンランドのマントゥヤルヴィという作曲家による「天体の組曲」という合唱曲があり、
確かこれもフィンランドの民話を元にした曲で、僕は好きです。
惑星から求婚される娘の話で、
太陽と月を断り、北極星を受ける――という内容の歌詞だったと思います。
AmazonのMP3のページで試聴できるようなので、リンクを貼ってみようと思います。
トラック8〜11が、「天体の組曲」にあたります。
展開しない曲なので、最初から最後まで、試聴できる部分と同じような感じが続く曲です。
https://www.amazon.co.jp/Nordic-Sounds-2

僕は基本的に、NHKのクラシック番組を録り溜めて、その中から好きなものを取捨選択しています。
もしも興味のある方がいましたら、そちらをチェックしてみると、色々と掘り出し物(?)がありお薦めです。
月〜金 朝5:00〜5:55 クラシック倶楽部(小ホールの演奏会)
    〃5:55〜6:00 名曲アルバム(いろいろな曲と解説)
日   夜9:00〜11:00 クラシック音楽館(大ホールの演奏会)
    深夜1:00〜5:00頃 プレミアムシアター(オペラや海外公演など)


狭い知識をしぼり出して書いた、フィンランド組曲ならぬフィンランド組情報でした。
フィンランドといえば、埼玉県に建設中のムーミンのテーマパークの完成が待ち遠しい今日この頃です。

そういえば、フィンランドの料理で、このようなものがあるようです。
・ひき肉、玉ねぎ、人参、キノコなどのみじん切りを炒める
・炒めたものと茹でたマカロニを混ぜて、水を入れて沸かして、シチューのルーを入れる
・つまり、ハンバーグの具材とマカロニでシチューを作る。
 (食べる時にケチャップをかけるので、味つけはやや薄めに)
・グラタン皿に入れて、上からピザ用チーズを乗せて、オーブンで焼く
・ケチャップをかけて食べる

クックパッドで検索していて見つけたのですが、美味しいです。
http://cookpad.com/recipe/1258102
詳しいレシピは上記のクックパッドのページで確認できます。
僕は牛乳の味が苦手なのでこのレシピの通りには作っていませんが、アレンジしたものを美味しく食べています。

以上、私的なフィンランド特集でした。
もしも何か、日常の楽しみのひとつになりましたら幸いです。



青緑のオーロラのなびく空の下、森の闇に、小さなランプを灯しました。
風は穏やかになり、どこからか音楽が聴こえてきます。
音楽は「こんばんは」と言いました。
そして「げんき?」と尋ねました。
それから、「おやすみなさい」と言いました。
やがて眠りに就きました。
小さなランプの灯は消えて、夢のなかで、仄かなあかりを灯しています。



 2016年12月03日(土)   野の nono

本日付で初め違う文章を載せていましたが、4日の今日新しく書いた文章に改めました。
もしも既に見られた方がいらっしゃいましたら、それは気まぐれに一瞬現れた風景、
ということにしていただけたらと思います。

― ― ― ― ― ― ― ―



写真だけを見ると、一面が広い藪のように思えるが、
刈った草などを一ヶ所に積んである場所を、アップで撮っただけのものである。
下の方に白く写っている花はヨメナという名前で、実際の色は薄紫である。
この向こう側には、大学の農学部の畑が広がっている。


 遠い山から吹いて来る
 こ寒い風にゆれながら、
 けだかく、きよくにおう花。
  きれいな野菊、うすむらさきよ。

 秋の日ざしをあびてとぶ
 とんぼをかろく休ませて、
 しずかに咲いた野べの花。
  やさしい野菊、うすむらさきよ。

 しもがおりてもまけないで、
 野原や山にむれて咲き、
 秋のなごりをおしむ花。
  あかるい野菊、うすむらさきよ。


「野菊」 石森延男(いしもり・のぶお)

植物学的には野菊という名称の花は無いそうで、ヨメナというのが多分一般的な呼称であると思う。
野に咲いている花をまとめて野花と言うように、
ヨメナや、他のいろいろな同じようなキク科の花を、まとめて野菊と言うのだと思う。
薄い紫色の、小さな花だ。
ある程度自然のある所へ行けば、その辺に咲いている、という感じの花である。
僕はこの花の色が結構好きだ。

この「野菊」という詩は、
 ささの葉さらさら のきばにゆれる お星さまきらきら きんぎん砂子
という詩で知られている「たなばたさま」という曲の作曲者、
下総皖一(しもふさ・かんいち)が旋律を付けている。
文部省唱歌であり、つまり学校の教科書向けに作られた歌である。
(YouTubeアドレス https://www.youtube.com/watch?v=gdv0Lu5MHTQ

ちなみに、いつもいかにも物知りみたいな雰囲気で僕は文を綴っていますが、
手元の本や、いろいろなサイトを見て確認しながら書いています。実は…。

さて、その手元の本「日本童謡辞典」によると、「野菊」が発表されたのは1942年、
つまり第二次世界大戦中のことである。
作詩者の石森延男は文部省に勤め、学校の教科書を作成・監修していた。
戦争で、世間が暗く重たい雰囲気になっていく中、この優しい詩を、敢えて書いた。
軍国主義の心ではなく、優しい心を、という信念からであった。

しかし、教科書を作るにあたり、軍部の干渉を受けることは絶対である。
戦争に駆り立てるようなものが望ましいとされる中で、当然このような優しいものは相応しくない。
それで……ここからは、たまたま見つけた、ある個人のブログからの抜粋になります…
「軟弱すぎる。もっと勇壮な歌にしろ!」と文部省の教材決定に立ち合った軍部担当者が、
石森延男に詰め寄った。
「勇壮さは日本精神です。日本精神のアラミタマ(荒御魂)です。
 けれど、ニギミタマ(和御魂)もまた日本伝統の精神です。万葉集のニギミタマの心こそ、この『野菊』です」。
必死な弁舌。何とか石森が粘り勝ちしたそうである。
…と書いてありました。ちなみに、下記のアドレスをクリックするとページが開きます。
http://kyoikuchou.cocolog-nifty.com/kyoikuchou/2011/10/post-6730.html
無断でリンクを貼りましたが、おそらく問題は無いであろうと思います。
70歳でブログを始められたそうです。凄い!
画像が表示されていませんが、×印をクリックすると表示されるようです。

…話は戻るが、結果、当時の教科書に掲載される運びとなり、
きっと音楽や詩が好きな子供や大人は特に、
綺麗な旋律と言葉に、癒されて力を貰った人もかなり多かっただろうと思う。

この時代には、そういった優しい唱歌が他にも幾つか発表されているそうだが、
石森延男のように、皆、信念を貫き通そうとした人たちなのだろうか。

とにかく「野菊」の話は、なんだか勇気を貰える話だ。


 2016年12月02日(金)   水 mizu

フィンランドの作曲家に、シベリウスという人がいる。
フィンランドで第2の国歌と呼ばれている「フィンランディア」の作曲者だ。
(YouTubeアドレス… https://www.youtube.com/watch?v=D8DxmUutTgc

シベリウスの曲は、自然の花や木をモチーフに作ったものが多く、僕は好きだ。
好きだと書いたが、旋律の好み・趣向が人にはそれぞれにあり、
その意味で言うと、僕にとっての好みの旋律の曲は少ない。
ただ、自然を写生するかのように曲を書いている、という点がとても好きなのである。
クラシックにおけるそのような曲は、現在僕の知る限りではあまり思いつかない。
アメリカのマクダウェルの「森のスケッチ」
ノルウェーのグリーグの「抒情小曲集」
あと、ロシアのラフマニノフの「リラの花」もそうだろうか。
(上記のタイトルをクリックするとYouTubeのページにリンクします。)
でも、僕がよく知らないだけで、おそらく他にもそういう曲はたくさんあるのだろう。

さて、シベリウス…
好みの旋律のものは少ないと書いたが、好きな旋律の曲も幾つかあり、
「Water Drops(水滴)」がそうである。
(YouTubeアドレス https://www.youtube.com/watch?v=uAlQu4Kk4j0
ヴァイオリンの弦を、弓で弾かずに指ではじいて奏でる短い曲だ。
どこか憂いのある曲でもあるが、耳を澄まさなければよく聞こえないような、
本当に水滴が奏でているようなその旋律は、…単純に好きである。

水滴といえば、雨だれ…ショパン、
そして…童謡の、あまだれポッタン
作詞者:戸倉ハル

 あまだれポッタン ポッタンタン
 つぎつぎならんで ポッタンタン
 ポッタン コロコロ どこへいく

 あまだれポッタン ポッタンタン
 つぎつぎならんで ポッタンタン
 おたいこ ならして どこへいく

ここに出てくる「あまだれ」…つまり水滴…は、悲しみの表現を含んではいない。
わーい高い所から地上に降り立ったぞ、ポッタン!みたいな感じだろうか。
そして、音をならして、どこかへいく。

僕も、僕らも、日々に、ポッタン ポッタン 生きている。
この先がどうなっていくのか分からない。
その中で、ポッタンタン、毎日、日々に音をたてつづける。

現在、新聞で林芙美子の小説「一人の生涯」が連載されており、
普段から読んでいるというわけではないが、たまたま目を通したら、こんな文があった。

 今年の秋も 去年の秋も
 秋は同じであるはずだのに
 人間の世のめまぐるしさは
 龍巻のように崩れてはそだち
 生れては滅び 芽吹き 枯れ
 どの道もラッシュアワーだ

 むなしさの底にあえぎつつも
 人間は理想に向って進んでゆこうとしている
 今日と明日がわからないなりにも
 各々の力をためしているのだ
 燃え光る人類の働きこそは
 自然を超えて歳月を踏みにじってゆけ!

というものだ。
「自然を超えて歳月を踏みにじってゆけ」という部分は、つまり…
…正直なところ僕はよく理解していないが…
…踏みにじるというのはあまり心地よい表現ではないとも思うので…
…僕自身が読み易くする為に、
 最後のところだけ「自然のなかでポッタンポッタンお太鼓鳴らして歩んでゆくのだ!」としよう…

 今年の秋も 去年の秋も
 秋は同じであるはずだのに
 人間の世のめまぐるしさは
 龍巻のように崩れてはそだち
 生れては滅び 芽吹き 枯れ
 どの道もラッシュアワーだ

 むなしさの底にあえぎつつも
 人間は理想に向って進んでゆこうとしている
 今日と明日がわからないなりにも
 各々の力をためしているのだ
 燃え光る人類の働きこそは
 自然のなかでポッタンポッタンお太鼓鳴らして歩んでゆくのだ!

つまり、これまでの歴史の中に、偉人たちばかりでなく、
ごく普通に僕らのように暮らして人生を生きた人たちが、何億何万何千何百億万人といて、
その人たちの生活の形跡の上に、現在僕らは生活している。
その人たちは何かを残してきた。
…物質とは限らない。
何か…とは、つまり簡単に言うところの、プラスになりうるもの、役立てられるもの…を。
それらのまだまだ発展途上である集大成の上に、現在の僕らが生活をして生きている。

その中にあって、やはり僕も、
何かしらのプラスになりうるもの、役立てられるもの…を、
世に残していけたらいい。
物質でなくてもいい。
刹那的なものでも構わない。
世に残るものそのものの効力や寿命はあまり関係ない。
現在を生きる人の心のどこかに、何かしらのプラスになりうるのであれば、それがいい。
現在の上に未来が成り立つのだから。
とにかく、
燃え光る人類の働きの、そのまだまだ発展途上である集大成の小さな小さなごく小さな一部に、
僕の「働き」がその一部分になれるのであれば、
そのような生き方が、僕には理想であり、大きな意味があり、本望だ。


あまだれ ぼくだれ きみだあれ
おたいこ 鳴らして あるきましょ

なみだがこぼれて ポッタンタン
つぎからつぎへと ポッタンタン
ポッタン コロコロ ころがして
おたいこ 聴いて ねむりましょ

「すてきなおとだね」 「うれしいね」
「すてきなおとだね」 「たのしいね」

あまだれ ぼくだれ きみだあれ
おたいこ ふえて おと ふえて
おおきくなって まるくなる
まあるくなって ポッタンタン
ポッタン コロコロ どこへいく

「すてきなおとだね」 「うれしいね」
「すてきなおとだね」 「たのしいね」

おたいこ 鳴らして あるきましょ
みんなで 鳴らして あるきましょ

ポッタンポッタン ポッタンタン
おたいこ 聴いて あるきましょ

ポッタンポッタン ポッタンタン
おたいこ 鳴らして あるきましょ


 2016年12月01日(木)   十二月 jyuunigatu

誰の俳句かは憶えていないのだが、こういうものがある。

 十二月きつねうどんのコンと鳴く

お店で注文して出てきたきつねうどんがコンと鳴くことは無いと思うが、
けれど、コンと鳴いたらしい。くすくす、かわいいね、と声が聞こえる。

十二月である。
十二月になりました。
フィンランドのサンタクロースは、今頃大忙しなのでしょう。
フィンランドといえば、ムーミンです。
ムーミンの作者トーベ・ヤンソンが、フィンランド人だからです。
そしてムーミンといえば、埼玉県であります。
…何故か?
現在、埼玉県の飯能市に、ムーミンのテーマパークが建設中なのです。
「Metsa」…メッツァ…フィンランド語で「森」という意味だそうです。
来年開園するとの事ですが、今のところ詳細はよく分かっておりません。
ただ、僕はとても楽しみにしている、という事だけは確かです。
そして、とても楽しみにしている人は、日本中にたくさんいるはずです。
北欧料理のレストランが併設されるとの情報もあるので、それも楽しみのひとつにしています。
埼玉県に行った事はありませんが、素敵な所がたくさんあるのでしょうね。
僕の中で、埼玉県=ムーミンになっています。

4年前ぐらいに、ムーミンのパペットアニメーションがNHKで放送されていました。
1979年にポーランドで作られたものが、2012年にフィンランドでデジタルリマスター化され、
それを日本語版に吹き替えされたものが放送されていたという訳です。
最初は何気なく見ていましたが、だんだんその詩性や映像に引き込まれ、今は大好きになりました。
現在は録画したものをよく見ています。

ムーミンのテーマパークがフィンランド本国以外で作られるのは、日本が初めてだそうです。
埼玉県の飯能市という所がその場所に選ばれたということです。
ここからはちょっと遠いですが、日本人に生まれて良かったと思いました。
十二月。
きつねうどんがコンと鳴いたり、サンタクロースが準備に忙しくしていたり、
ムーミン谷は冬眠の時期に入ったり…と、
幻想が似合う季節になりました。
さあ、始まります始まります。
十二月が始まります。


往時目譜近時

watanabe keisuke