huukei

往時目譜近時


 2016年01月24日(日)   雪が yukiga



雪が降ること自体が珍しいが、久しぶりに雪がたくさん積もった。
珍しい為か皆雪だるまを作りたくなるらしく、外を歩くと至るところに雪だるまを見かけた。
かくいう僕も小さい雪だるまを作って楽しんだ。

するとその日の夜、寝入ろうとした頃に誰かが窓をコツコツとたたいた。
カーテンを開けてみると、なんと、小さな雪だるまがちょこんと立っていた。
部屋に入れると物珍しそうにきょろきょろ辺りを見回していたが、
やがておしゃべりをしたり、ふたりで踊ったりして楽しい時間が過ぎていった。
それからこっちにおいでよと誘われるままに外へ出て、そうしてふたりは夜空へと飛び立った。

そういうことは勿論無かったが、一週間くらいは溶けきらずに残っていたと思う。

ところで宮澤賢治の小説に「水仙月の四日」というものがあり、
その中に雪童(ゆきわらす)という、精霊のようなものが出てくるのだが、
僕は普段、外出先などで幽霊が出てきそうで恐いなと思うような場所に来た時には、
自分の周りにもいつも雪童がいて守ってくれているから大丈夫、と言い聞かせている。
その為あまり恐くない。雪童いつも有難う、である。

 雪明り美しければ灯を消しぬ (大橋もと女の俳句、以下同)

 雪女ひろき邸の中へ消ゆ

 雪女消えてより雪降ることよ

読み…邸(やしき)
ところで、俳句の季語には「雪女」というものがある。
幽霊ないし妖怪のそれである。勿論、実際に見られるものではない。
そういうものが季語として一般的に扱われていることが、不思議であるし面白いと思う。
柳田国男、小泉八雲、井上円了など、不可思議な存在を探求した人たちが過去にいるが、
科学などの発達に伴い現代ではその存在への信ぴょう性・信心・畏敬…が、ごく自然な流れとして薄れているなかにあって、
雪童も雪女も、実際には存在していないということが明らかであるとしても、
はたまた実在しているとしても僕には、見て確認することはできないのだが、
少なくとも、日々に彩りを添えてくれている、豊かさのようなもののひとつになっていることは確かなのだ。

おおかた実際には存在していない――と思ってはいるものの、
「なんかここ、出てきそうじゃない?」と言いたくなるような所に来てしまい恐くなる時はやっぱりあるので、
重ねて雪童には御礼を言いたい。
(そもそもこちらでは雪が降ること自体あまり無いが、たとえ真夏の猛暑の日々においても、彼らはきっと守ってくれている…はず。)

2016年11月 記


往時目譜近時

watanabe keisuke