1995年09月29日(金) |
29歳 ヌメア→横浜 |
サウス・パシフィック・ツアーズのバスの前にアルファのバスが来て、それに乗ろうとしてしまった。 いっしょに帰る日本人の中には、滞在中どこかで見た顔がけっこうあった。 昼間の飛行なのに機内を暗くするのは、客を寝かせるためだろうか。 東戸塚に着いたときは、気持ちはまだニューカレドニアで、横浜にいるという実感がわかなかった。
パームビーチ・エクスプレスは汽車の形をした自動車で、ガタピシ言うが、結構遠くまで連れて行ってくれる。 森林公園はもう少し時間が欲しい。カグーはずいぶん暗い鳥だ。カンガルーは休んでいた。シカはえさが欲しそうだった。 タヒチアン・サラダは、あの量で820パシフィック・フランは高い。 カグー・ショップのおじさんはおもしろい人だ。 午後からは晴れたので、ホテルのバルコニーで裸で昼寝ができた。 やっと日没が見られると思ったら、水平線に雲があって、その陰に隠れてしまった。 ル・ミレッティには日本人のグループがたくさんいた。姿勢の悪いグループもいた。 やっぱりギャンブルはブラック・ジャックがいちばん楽しい。 サン・レモのおじさんはかっこよかった。一度相手をしたかった。
今日は密度の濃い一日だった。 朝市。果物はバナナとレモンぐらいしか売っていなかった。日本人はあまりいなかった。 ヌメア博物館。メラネシアの木彫りは性器をはっきり表現している。 ル・ビラージュは大したことない。ポート・プレザンスのほうが洗練されている。 ポンツーン。博物館を出たところで会ったオーストラリア人に思いがけず再会した。シュノーケリングがあんなにすばらしいとは思わなかった。魚といっしょに泳いだのは初めてだった。それでもスキューバ・ダイビングを始める気にはならない。深く潜ろうとも思わないし。 帰りにエスカパード島に寄ったのもよかった。 ビルボケ・ビラージュ。満腹のうえ、ワインの酔いも手伝ってボーッとしている。
1995年09月26日(火) |
29歳 リフー島→ヌメア |
今日は朝雨が降っていて、一日雨かなと思ったが、すぐにやんだ。ドキン行きは中止になってしまったが、日光浴はできた。リフー・プレザンスの人たちと別れるのは名残惜しかった。いつかまた来る日があるだろうか。 雲の上はほんとうに気持ちよさそうだった。途中で飛行機が止まってしまったかと思ったが、雲が同じ速さで動いていたということだろう。リフー島と比べると、ヌメアは家がごちゃごちゃ建っていてうっとうしい。 夕方はアンスバタのショッピング・センターを見たが、グラン・ドゥ・カフェ、カグー・ショップ、リックスがよさそう。あと、スーパーは品ぞろえが豊富。 太陽は見ている間にどんどん沈んで行ってしまう。地球の自転は意外に速いのだ。
リフー島での生活も3日目。だいぶ焼けてきたようだ。 今日は6人でガイチャ地区観光に出かけた。今いっしょに泊まっている日本人の男性の方はなかなかいい男だ。 ペン・ビーチ、ジュエウル・ビーチともあまり天気がよくなくて、それほどきれいだとは思えなかった。もちろん日本のビーチよりはずっといいが。砂もロンガニ・ビーチのほうが粒が細かいのではないだろうか。 リフー島の人は鶏を放し飼いにするなど、かなり開放的な暮らしをしているようだ。 このホテルで最後の夜なので、夜はいつもと違うメニューにした。カクテルはオレンジ・ジュースみたいだが、結構強かった。カルパッチオは生ハムのマリネみたいで、レモンの味がきつかった。デザートの「フォレ・ノワール」はチョコレートとクリームのケーキだった。 今夜は昨日よりもたくさん星が見えた。天の川も見えた。そう言えば月を見ていない。
今日はロンガニ・ビーチの日だった。自転車選びには失敗して、ずいぶん小さい自転車にしてしまった。途中で休憩しなければならなかった。 ロンガニ・ビーチはほんとうにきれいだった。本当にパウダーみたいな砂で、裸足で歩くと気持ちよかった。 道路を鶏や豚が歩いていた。メラネシアの人は気さくに挨拶をしてくれる。 日没はここでは見られない。ヌメアまでお預けだ。 最初は星があまり見えなかったが、目が慣れてくるにしたがって、降るような星が見えてきた。
1995年09月23日(土) |
29歳 ヌメア→リフー島 |
最初はウベア島へ行く日本人といっしょだった。リフー島に行く日本人はさすがに私だけだった。このホテルに泊まっている日本人も私ともう一組のカップルだけ。 ホテルの部屋は楽園という感じ。世界にはこんな所もあったんだと思った。 レストランは料理が出て来るのが遅いが、ウェイトレスがとても感じのいい人たち。お腹もいっぱいになる。 今日はホテルの前のビーチで体を焼いた。砂浜の部分は狭いし、時々太陽が雲で隠れたが、砂と海はやはり美しい。本当に誰もいない海だった。でも、水はちょっと冷たかった。 プールとジムはちょっとお粗末だが、ぜいたくは言わないでおこう。フランス人の子供と卓球をした。 今日も日没を見損なった。星も見えない。あしたは必ず見よう。
1995年09月22日(金) |
29歳 飛行機→ヌメア |
ニューカレドニアは意外なほど日本人が旅行しやすいようになっている。いろいろな所で日本語が併記されているし、サウス・パシフィック・ツアーズもサービスがしっかりしている。 また、日差しは強いが、風は涼しい。 ウアントロの丘は大砲以外特に何もない所だった。日が沈むころは美しいのだろう。 ヌメア水族館は小さい所だった。光るサンゴとオオベソオウムガイ以外は大した展示はない。あ、ウミガメもいた。光るサンゴの光るメカニズムはいまだにわかっていないらしい。 日没を見損なってしまった。あした以降も見られるからいいが。今夜は星もあまり見えない。 食事はボリュームが多い。グリーン・サラダはボウルいっぱいで出て来たし、シーフード・ピザもシーフードがぎっしり載せてあって、スープまでかかっていた。
1995年09月21日(木) |
29歳 横浜→飛行機 |
機中泊というのはけっこう疲れる。夜中の1時ごろ晩ごはんが出てきて、リズムが狂ってしまう。乗務員はほとんどフランス語を話していなかった。
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