本日、小学校の参観懇談。
日常のことにはわりと寛容で、というかそれほど強い関心もなく鈍感な私だが、情熱がないわけではない。
自分の思い込みを他人にも強要させようとしたり
「ね?栄花さんもそうおもうでしょう?」
どうかしら。
「こうすべきだと思うの」
あなたはそう思うのね。
「美味しいから食べて?」
お気持ちだけありがたく。
取り巻き意識の強いひと。 ま、誰でも苦手だと思うけど、すーっと離れることができる大人の人と、私なんかは無自覚に適当に佇んでいるから、あれ?と思ったときにはノーと言わなければぐいぐいこられてしまう。しかも相手は、今までかわいがってやった感満載だ。
あ!でも今日は、苛々したな、とは思うけれどぐったりはしてない。 自分の気持ちや意見を正直に言ったからだわ。
ぐったりするのって、自分の意見を言えないときだわね。
自分の気持ちをはっきり言えるような小さな自尊心を支えるのに「今日のネイルがきれい」っていう気持ちとかって意外に侮れない。
2013年11月25日(月) |
パパはサソリ ママはサシモリ |
パパがベトナムに行っていて寂しかろうと、あけみちゃんが鯔背のお刺身をもって遊びにきてくれた。
いつでも美味しいものをたくさんもって遊びにきてくれるあけみちゃんを家族みんなが大好きだ。
あかりも玄関で「待ってましたー!!」と飛び上がって喜ぶ。
初めて彼女が来てくれたときは、山男のような出立ちで寝袋やお酒やおつまみを山ほど持ってパパを相手にぐいぐいのみ、踊り、脱ぎ、語り、早々にダウン。吹雪の中自転車でやってきてしかもパンク。翌日も立ち上がれず昼過ぎまでうちで寝ていた。
そのすべてが面白くって、酔っぱらいに寛容な我が家は、毎回彼女の来訪が待ち遠しい。
いつも緊張しているし真面目だしいろんなことを感じて考えてる。 いろんな人のいろんなことに思いをはりめぐらせては、笑ったり怒ったり疲れたりしている。
どんなエピソードも彼女が語ると、「物語」になっている。 彼女が語る子どものころのお話は実にいきいきとしていてほんとおもしろい。 青い人のはなし、あけてもあけてもある扉のはなし。
鯔背のお刺身に感動しながら
「この女子会、週1でやろう?!定例にしようよ!」
とあかりがはしゃぐ。 なんかもう、その佇まいが、すっかり飲み友達みたいで母さんのほうがドギマギしている。
スパークリングワイン 鯔背の白身の刺盛 ホッキ貝 4種 ロール白菜 柚子大根 ふろふき大根 プリングルス チーズ 焼酎4種
2013年11月22日(金) |
好きな人と好きな事を。 |
今週は、夜中咳き込むし、何を食べてもヘロヘロになるし、バタバタ予定は入っているしでやっと金曜日だという感じ。
昨日今日は、ムスメと寝坊して学校まで車で送る。
今日も、「読み聞かせ」と「うたはな打ち合わせ」だと、体を引きずるようにして赤い紅をひき出かけた。
ら!どちらも大好きなことで大好きな人たちとだったのでどんどん元気になった。
私の読む「かぐや姫」の世界に引き込まれる子ども達のキラキラとした顔。 絵本好きなお母さんたちとの会話。 佳代子さんのピアノとうた、ちほさんのおはなし、持ち寄るおいしいお昼。
好きな人たちと好きな事をするのってなんて楽しいのだろう。 全然疲れないげっそりしない。 ゆっくり味わって美味しく食べる。 ちーちゃんとチラシも作ったよ。
これでいいのかな? 苦手な人ともつき合って苦手なこともしなくちゃいけない?
いやいや、うんうん。いいよね!!いいよ! どんどんいこう!
午前中は、友の会の家事家計講習会。 恵理子さん、清水さんの家計実例。
家計簿が苦手で、数字も大きな彼女達が実例をうけたことはさぞや皆の力を結集させてのことだったろうと思う。
口先だけでなく夢だけでなく生活を数字で表してゆく説得力にはやはりうたれるものがある。
札幌に来てからの生活をほぼ毎日一緒にすごした仲間たち。
懐かしくあたたかいものを感じながらも、やはりもう自分の居場所ではないと感じる。 よき生活者になりたい、家庭から清い風を社会に吹かせて行きたいと理想に燃えたあの頃の情熱と切実さは、もうもてない。何より、亀井さんがもういない。
「栄花さん、何をしれっとしているの。 やっぱりあなたのセンス、あなたのちからがどうしても必要なのよ。 なまけていないででてきなさい。」
母のように慕った上口さんがすっとかけよってきてくださり言葉をかけてくれる。
ずっと思いをかけていてくれたことがわかる誠実な言葉。 しかしあの頃を取り戻す常套句であることもわかる。
わたしは、いま、一生懸命なまけている。
ここ数日、鬱々とするので山へ。 自宅から徒歩5分でいける登山。
雨上がりの円山は、空気がしっとりと水気を含みほんとうに息が楽だ。 暖房風でカラカラに乾いた部屋で夜毎咳き込み、全く疲れがとれない。
坂道をのぼり息があがりを深く吸い深く吐く。 その空気が実ににみずみずしく美味しい。 からだの細胞が隅々まで喜んでいるのがわかる。
葉 幹 光 風 土 小鳥たち
目に映るものすべてが美しい。
ソロの良さを円山に教えてもらった。 1人静かにそこにいると、すーっと山にとけ込めたような受け入れてもらっているような気持ちになれるときがある。
否定も肯定も善も悪もなく ただ皆が、あるがままにいるという。
山頂なんてどうでもいいかな、といつも思うけれど、やはり登ってしまうし、着くと来てよかったと思う。
空が広い。 雲がながれ 葉がそよぐ。
街も生きている。 さて、下界のあれやこれやを楽しみましょうぞ、と思うのだ。
2013年11月18日(月) |
「マッチ売りの少女」 |
ムスメの小学校で絵本の読み聞かせをしている。 お話も読む人も毎回皆で会議をして決める。
先日、私が選本したアンデルセン「マッチ売りの少女」を読み終えたお母さんから、メールがきた。
「少女がかわいそうでかわいそうで思いっきり低いテンションになり最後のほうでは泣いてしまいました。」(←え!読みながら?!)
ムスメに聞くと、
「読み終わったあと、教室が重苦しくどんよりとなっていやな気持ちだった。暗くて暗くてあのお話嫌い」
えー。。それは大変残念。
皆ボランティアなので、お話に対する感度がさまざまなのは承知だが、太宰治と結婚したいと言い切る彼女が悲しみたっぷりにこのお話を読んだかと思うと、選本ミスであったという思いが先に立つ。
アンデルセンは、決していたずらに薄幸の少女の悲劇を描いたりはしない。
雪空の下、裸足で売れないマッチを擦り1人寒さに死にゆく少女は、傍目には確かに不幸だが、彼女は、そのとき自分が心から欲するものをマッチの炎と共にしっかりと目の前に感じていた。 そして「最も求めていた」おばあさまの懐に抱かれて、天国へと召される。
●
何不自由なく生きている私たちの、欲するものの見失い方といったらどうだろう。 傍目に「うらやましい生活」といわれながらも、真に欲する物などなく空虚な気持ちと、人への恨みつらみを抱えている人のなんと多い事だろう。
「寒空の下に灯したマッチの暖かさと夢に少女の幸せを 人を恨まず世を妬まず、すべてを受け入れた少女の心の清らかさを 最愛のおばあさまに抱かれて天国に召された少女の魂に永遠の安らぎを」
わたしはこの物語から感じ、子ども達に伝えたいと思ったのだ。 1127 うたはなの会では、私が読む。
※
「マッチ売りの少女」あらすじ
大晦日の夜、小さな少女が一人、寒空の下でマッチを売っていた。マッチが売れなければ父親に叱られるので、すべて売り切るまでは家には帰れない。しかし、人々は年の瀬の慌ただしさから、少女には目もくれずに通り過ぎていった。
夜も更け、少女は少しでも自分を暖めようとマッチに火を付けた。マッチの炎と共に、暖かいストーブや七面鳥などのごちそう、飾られたクリスマスツリーなどの幻影が一つ一つと現れ、炎が消えると同時に幻影も消えた。
流れ星が流れ、少女は可愛がってくれた祖母が「流れ星は誰かの命が消えようとしている象徴なのだ」と言った事を思いだした。次のマッチをすると、その祖母の幻影が現れた。マッチの炎が消えると、祖母も消えてしまうことを恐れた少女は慌てて持っていたマッチ全てに火を付けた。祖母の姿は明るい光に包まれ、少女を優しく抱きしめながら天国へと昇っていった。
新しい年の朝、少女はマッチの燃えかすを抱えて幸せそうに微笑みながら死んでいた。しかし、人々は少女がマッチの火で祖母に会い、天国へのぼったことなどは誰一人も知る事はなかった。
『そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているか知らないのです。」』ルカによる福音書23.21−34
久しぶりの北栄キリスト教会。 佳代子さんが聖歌隊を率いるというので 特別礼拝に参加した。
明るい光の入る清潔な建物。 高い天井に響く賛美歌。 美しいピアノの音色とオルガン。 あたたかく親切な人々。
やはり安心、した気持ちになる。
埼玉の川口からいらしたという矢吹牧師のお話がよかった。 声がよい。語り口がよい。朗々と変な抑揚をつけてお説教したりしない。
ご自分の言葉で信仰というものを、信仰を通した自分の人生を、簡潔にユーモアを交えて話す。
※
牧師が11歳のとき家に帰ると、母親が生まれたての赤ん坊を抱いていた。
「今日からこの子を我が家の子として育てます。いじめたら承知しませんよ。」
3人兄弟を並べ、そう話したそうだ。
その子は父親の愛人の子どもであった。
母なりの覚悟があったのだろう。その物言いには凄みさえ感じたという。それから牧師は父親への不信感、憎しみを抱きつつ成長する。表立って憎しみはださないものの母親を悲しませた父親をどうしても赦す事ができなかった。牧師が大学生のときおつきあいしていたガールフレンドに誘われ初めて教会にゆく。そのときのお説教が、冒頭の箇所だったという。
『父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです』
「僕は、父は私たち家族に謝罪するべきだ、と思っていました。ただ、そのとき、そうしなければ父を赦さないと思っている「自分」こそを認め赦すべきでないかと発想の転換がおきたのです」
※
・・・つまり?
聖書では 人々は罪なきイエスを死刑にするために十字架を背負わせ歩かせる。
(おそらく恐怖から)自分を責め罵り十字架に磔け罰しようとする人々のために、イエスは祈る。 自分の間違いは棚にあげて、人を責め十字架までを背負わせようとする人々の為にイエスは祈る。
『父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです』
ううーん。愛だなあ。
通常で聞く「お話」ならば、「憐れみ?上から目線?」などと感じがちだが、礼拝のなかできくと、「ああなんと尊い気持ちだろう」と心うたれ賛美歌がしみいる。
それは、「こころ」でも「からだ」でもない、やはり「魂がひきあげられる」という経験なのだろう。
○
牧師と父親は、父親が病気をした晩年の5年間を同居し、その間父親は息子が牧師をつとめる教会に(初めて)通ったそうだ。
息子が牧師になると言った際に勘当したことも、愛人の子どものこともお互い直接言葉にすることはなかったが、穏やかなよい晩年だったと思うと話していた。父親が亡くなっった後、父親の書斎の引き出しには5年間分の教会の週報がきっちりと並べられていたそうだ。
○
石原夫妻ともご挨拶できてよかった。 よい、礼拝であった。
ムスメの学習発表会のちの、ママ友宅でのうちあげに参加。
近隣5、6家族が集った。 日常は母子で気軽におしゃべりして、夫の愚痴などを話しているけれど 夫妻で揃っているとほんと「似たもの夫婦」とはよく言った物だとおもう。
なんだかんだいいながらも、阿吽の呼吸でやりとりをしているのを見るのは実に微笑ましい。
やはり友達よりも夫婦のほうがよほど2人の価値観が似ている。 当たり前だけども。
お金が大事。 経験が大事。 若さが大事。 仲間が大事。
中央卸売市場で仕入れた大量のお刺身とビールサーバー次々にあく美味しいワイン。 大好きなバローロがでた際には「鴨が食べたいなあ」とつぶやいたらすぐにでてきた。
2時から飲んだので酔ってしまい、翌朝、かばんの中から手編みのセーターや漬け物やジャムやら鮭やらが入っていて驚いた。
2013年11月15日(金) |
うたはなの会 打ち合わせ |
ちーちゃんちで、うたはな(うたとおはなし)の会 打ち合わせ。
佳代子さん千帆さんと3人でいるというだけでものすごい安心感。 私はこの人達を絶対に不用意に傷つけたりしないし傷つけられる事もない。
3人それぞれが、自分の今のテーマを持ち寄る。
まったくのゼロから生み出されていく。 いいね!いいね!と互いに感動しながら響き合い洗練されていく。
持ち寄る食事のあたたかさ。 感謝して食べて、さあさあと練習にいそしむ。
こんなに楽しいことはない。
私の後任ヒショだったKさんとランチ 彼女もほどなくして辞職した。
神宮を散歩しながらお話する。 いろいろと大変な研究室だったが、仕事量の多さはこなすしかないし、できないものはできないといえばよい。互いにやれるだけのことはした。何があんなにも大変でどうして私たちはこんなにも傷ついているのだろうと話し合う。
ふたりでTさんという女性に思い至る。 いかにも親切にあれこれ教えてくれていた風で結果、彼女に振り回され余計何かとこじらされ些細なミスを大きくされ、ヒショへの不信感を周囲に吹聴していた。しかもそれは彼女の色恋沙汰に端を発したもので1人密室で多忙な業務をこなしていると現れるヘルパーのふりをした「狸」でだった。
2人で話しながら合点がいき涙す。
人の気持ちが折れるのは仕事量からではない。まるでカルトのように、無力感を味あわされこの人がいないと自分はだめだと思い込まされ、おかしいなと思う事が多々あっても、研究室内のことは他言無用と言われているし忙殺的な忙しさでかまってられない。色恋のどろどろに巻き込まれたくない。相談する人もいない。疲弊していく。そこに子育て、家庭の事情、積み重なって行く仕事。
そうだった。 思い出した。 ふたりで洗脳がとけたように楽になる。
やれやれ。 ひとりお友達ができた。
ぽんちゃんと会った。 ほんとうに久しぶりに。
実に聡明で聖母のようなやさしいことばとあたたかい笑顔をもつ。 私より10歳ほど年上の彼女とはネットでの出会いだった。
彼女の紡ぎだすことばにひかれて、あっという間にファンは増え著名な作家も夢中になるほどだった。
素っ頓狂にとっちらかっていた私をかわいがってくれて、いつでも自分を責めてぐずぐずしているわたしに
「そのときはそうなることが必要だったのでしょう」
と言ってくれた。まるごと全部をうけとめてもらえたような安心した赤んぼうのような気持ちになった。
どうしたらそんなに人にやさしくなれるのか、どうしたら彼女のようになれるんだろう、私と何が違うんだろう。聞けば聞くほどなんでも答えてくれた。彼女の紡ぎだす物語をもっと聞きたくてもっともっと書いてほしくて自分のウェブサイトをつくり彼女の物語を掲載した。
素晴らしい物語だった。 私の幼少期と重なるところも多かった。 主人公達は映画のようには生き生きと動き、語りともに苦しんだ。
お話の中で自分も一緒に再生していける気がしていた。
熱い情熱で始めても、毎日続けていくことは根気よく地道な作業であり、クレームもくる。意地の悪いことばもなげられる。 自分の大好きな人たちと自分を集めて等身大の素人物だった分、批判がくるなんて思ってもみなかった。
そこですっかりしょげてしまい、ぽんちゃんの物語も読めなくなった。 私は実家をでて会社をやめ夜遊びにのめり込み生活時間も乱れていた。 サイトをやめたくてでもぽんちゃんの物語はまだ終わらなくて、もう受け止められなかった。 主人公達は青年期を迎え必死に苦しんでいた。 私だったらあきらめてしまうきっと耐えられない状況を懸命に生きていた。
その頃から私も口からことばがだせなくなっていた。
「わたしはこう思う」 「わたしはこうしたい」 「これをたべたい」 「これはいらない」 「したくない」 「いきたくない」 「やめたい」
人に自分の意志を伝えることがすっかり怖くなっていた。 友達にも家族にも恋人にも。苛立つ周囲の人に囲まれながらも ただいつも連れてかれるままに回転寿司のまぐろを味もわからないまま食べていた。
「自分の否定的な思いを伝えたら、そのことで相手はとても傷ついて強く攻撃的になり私はもっと傷つけられる。だったらまだ今のままなにもいわないほうがいい。」
ぽんちゃんに会って、「ウエブサイトをやめる」と言わなければと思った。 小さな子どもふたりを近所の奥様に預けて私とあう時間を作ってくれた。
でもどうしてもやっぱり言えなかった。
それからづっと言えてない。
「ごめんね。私から言い出したけど、今は少し疲れていてサイトはお休みしたいんだ。ぽんちゃんのお話はまだ終わってないけれどどうしたらいいかな。ぽんちゃんが良ければ私は続きを読ませてもらえたらうれしいです。」
あの時、あのキッチンで言えなかった言葉を繰り返す。 きっと彼女は、あたたかい笑顔で
「どうしようかね〜、はじめたことを途中で終わらすのは好きじゃないからなんとか仕上げるわ。一緒に書き始めた頃は楽しかったねえ」
ふにゃりとした笑顔で答えてくれたことだろう。
自分に傷つく事ばかりに敏感でいやんになる。 今回も言えなかった。でもきっと次に会うときは言える気がしている。
あー。。 今回会って、ぽんちゃんの着物がいかにすてきだったかを書こうと思っていたのにさ。。
2012 2013は、手帳とカレンダーから距離をおいていた。
朝起きてお天気をみてその日にやりたいことをする。 晴れた日はお布団を干し、時間があれば山に登る。 雨の日は、部屋に籠り映画を見たり本を読む。
好きな人とだけ付き合い、ご近所の仲間でたわいないおしゃべり。 真面目に「気ままな晴耕雨読」。
一年すぎて思うのは、 ・ぜんそくが出なくなった。 →掃除をマメにするようになったこととストレスの低下 ・キッチンで飲む酒量が増えた。 →翌日の仕事がないためストッパーがききにくい ・話しができる相手が欲しい。 →おしゃべりでなく ・ストレスに弱くなる。 →問題解決能力に自信がなく判断力が低下する ・雰囲気が和らいだねと言われる →仕事の責任がない ・作り上げる喜び、評価に乏しい ・経済的不自由。 →働いてないから、ま、当然。
あと、なんだろう。 ・スケジュールがあいているので好きな時、好きなところに飛び込んでいける。 ・自分と向合う時間が増える。 →善し悪し。。
そろそろ、todoリストが恋しくなってきた。 漠然と思いつきで過ごす毎日は、楽しいけれど刹那に走りがちだ。 目標をさだめひとつひとつ課題をこなして行くのもそれもまた楽しい。
10月始まりの手帳にいそいそと予定を書き込む。 2014もすぐそこ。
今回、帰省して
尊敬できる素敵な友人たち 小さな頃からの大切な友人 異国の地で知り合った友人たち 最近知り合ったけれど心通う友
そんな彼らにたくさん会って、皆からも今の自分を受け入れてもらえてなんだかとてもほっと楽になりました。
ずっと「帰りたい帰りたい、みんなに会いたい」と思っていた気がする。
この10年、張りつめていたり疲れきっていたりで、自分が何をしたいかなんて忘れてた。
したいように好きなことしている人が羨ましくて愚痴ばかりこぼしていた。
帰りたい帰りたいで実家に逃げていたらきっとこんなに嬉しい気持ちでみんなに会えなかった。
ここ北海道での暮らしを受け入れて楽しみ始めたら、会いたかったみんなにも会えた。
自分の大事な人や物や事が、またちゃんと見えてきて、ああ大事だな、こういうことが大事だと思える自分が好きだな、というこの感覚。
身近な人の大事なことも「あなたにとってほんとうに大事なことなんだね」ということがすとんとよくわかる。
あー、よかった。 苦しかったとこぬけだせて。
そうそう、この感じ。 大丈夫大丈夫。もうかなり大丈夫。 安心して生きて行こう。
体調不良と天候不良のこの3日は、ベット→ソファ→ベット→ソファの往復。
食べて飲んで寝て起きて食べて寝て。。ってそれだけだったら最高だろうな、っていつも思ってるけど実際やってみると頭は重いし部屋は片付かないしたいしてよくない。 ホテルじゃないし。。
レオン 完全版 hulu カラスの親指 hulu ジュージュー よしもとばなな 単行本 コロンボ hulu ロストhulu いいとも増刊号 TV 世界に嫁いだ日本人妻たち TV
よく寝た。 TVも一年分位見た。
2013年11月08日(金) |
秘書のヒショヒショ話 |
大学院研究室で秘書をしていた。
今朝、私の後任だった彼女からメッセージがあり、彼女も退職したのだという。彼女のお嬢さんが我が家のムスメと同じ小学校に通うので「お話聞かせて下さい」という。もちろん、大歓迎で日程をサクサクと決めた。
若い教授で生徒数も多く論文もガンガン書く、大変エネルギッシュな研究室だった。秘書なる仕事は面白かったが、残業やお持ち帰りをしてもやればやるほど仕事は増えていき、契約更新時に双方話し合い 職した。
私の前任も後任もとても素敵な女性であった。 最長3年まで契約更新できるが、これで3人とも「一年足らずでの退職」ということになる。残業や持ち帰り仕事の多さは、私の手際の悪さだけではなかったかな?と、少々ほっとしたのが正直なところ。
家庭にもすこしあの時の秘書モードを取り入れれば、こんなにワイングラスを割らなくてすむかもしれない。
昨夜は、夫が出張と聞いて雅美ちゃん母子が夕飯を食べにきてくれた。すてきに美味しいイタリアワインをもって。
片付かないスーツケースやらでど散らかっていた部屋をマッハで掃除し、ロールキャベツも圧力鍋で仕上げた。
名古屋から札幌にお嫁にきた同じ年の彼女とは、なんとなく戦友のような思いがある。賢くいつも華やかで毎日をよりよい一日にしようと努力している。そしてどこか物憂げだ。
「田舎」と「都会」についてお話す。 世界中、文化は違えどそこが「田舎暮らし」か「都会暮らし」かの分類のほうが住む人も暮らしもわかりやすいと思う。
日常「田舎者」という言葉は、ネガティブにつかわれるが決して「田舎に住む人」「田舎で育った人」をさしてのことばではないだろう。幼少期を大自然と戯れて育ってきた人は例外なくエネルギッシュで繊細な感性を持ち知性と謙虚さを兼ね備えた魅力的な人が多い。
私が、あ、田舎の人かな、苦手だな、と時折思うのは、はじめすごく面倒見よく歓待してくれるのだけどその分の見返りにとても敏感で世界や身体が閉じていて、あと、すぐに派閥をつくる。何かのきっかけで急に「あんなに尽くしてやったのに」と攻撃的になりいつまでも噂話をしたがる。
貨幣よりも手間と気持ちのかかる濃密なコミュニケーション。
雅美ちゃんとそんな話をしながら、でも人のそういう苦手なところを引き出してるのは私なんだろうなと思って、話題をかえた。
人の好意に甘えすぎたり、断るのが下手だったり、都度都度のお返しをまあ、後でいいかな?と思ったり思わなかったり。
2人とも帰省直後だったので、実家のことなどもあれこれ話して気分よく酔っぱらって楽しかった。
連日の千歳空港。
ホーチミンに出発する夫を送りに行く。 隣にたつ彼の血が全身で沸き立っているのがわかる。 ランチに何を食べようか迷い、花畑牧場のチーズパスタに。
昨今、目が食べたいものと身体が欲するものが違う。 パスタおにぎりラーメンお寿司焼き肉。 今までも得意だったわけではないが、食べた後ぐったり と疲れどんよりと意識が遠くなる。
チーズパスタにしたのは、夫が「こんなのもあるよ?」 と薦めてくれたから。案の定、残さず食べてぐったり。 「そういうのやめたほうがいいよ?」と心配そうに夫。
薦められると断れないのも、出されたものを残したくない のも 結果、私が「ぐったり」では誰も幸せにならないのに なかなかやめられない習慣だ。
ムスメにふうれん(風連)のソフト大福を買って帰る。 半纏を着て真っ赤なほっぺで大福を頬張るムスメは間違いなく 北国の子どもだね。
10年ぶりに再開
前回は 夫が「バクダッド」で私は「アンマン」だった 今回は 夫が「ホーチミン」で私は「札幌」。
友人を訪ねて市ヶ谷へ。 九段下で降りて千鳥ヶ淵を歩く。 靖国神社の石畳が懐かしくてぞっとする。
お正月は毎年、父方の実家である月島の祖父母にご挨拶のち 帰りは靖国神社で参拝&銀ブラであった。
父の都会を慕う気持ちと母の里山を駆け巡って遊んだ思いとが 今も自分の中に同居しているのだと思う。
訪れた友の住まいは、性別年齢を感じさせない東西ミックス 無駄を削ぎ落としたスッキリとした一人住い。
ウエルカムシャンパン&パンプキンスープ サーモンサラダ 鮪の漬け丼 珈琲&チーズ シガー
手早く美しい台所仕事は見ていて惚れ惚れとする。 夫の仕事を通じて知り合った方だが、日々の献立、料理意欲を かき立ててくれる今や私の大事な食の先生でもある。
ワインバーをしていたときの話をほんとうに楽しかったと語る。
こんなにもうれしそうに楽しかったときの話をできるというのは実に幸せなことだろうと思う。 ウィットに富んだ会話と美味しい食事で心から笑い満たされた。
帰りは、会社員時代に勤めていた飛栄九段北ビルを記念撮影。 当時の鉄鋼会社は合併してもはやなかったけれど、おお。
麹町郵便局の懐かしさよ!
有楽町線の入口で下から吹き上げる地下鉄の風をワッと浴びたとき当時のことが全身でフラッシュバックした。
素敵なもてなしをどうもありがとう。 次は札幌か佐渡か東京で。。
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