ささやかな日々

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2023年03月12日(日) 
イフェイオンに続きネモフィラも咲き始めた。が、咲き始めたところで気づく。我家のネモフィラは異様に茂ってるということ。ワンコと散歩の道中に植えてあるネモフィラの葉はこんなに大きく育っていなかった。もっと小ぶりで、かわいかった。どうしたんだ我家のネモフィラ。肥料なんてやっていないのに。謎。

311。あの日未だ娘と二人暮らしをしていた私は、ちょうど撮影を終えて被写体の子と家で休んでいたところだった。娘が友人と帰宅し、おかえりーなんて言い合っていた、その時だった。ぐわんと揺れた。あまりの大きな揺れに驚いて、娘と娘のお友達は声を上げながら表に飛び出していった。私はというと、揺れるなぁと思いながらテレビやビデオデッキを両手で抑えていた。
しばらくして、津波や原発のことを知った。福島は父の故郷で親戚がたくさんいる場所だった。胸がざわついた。嫌な感じがした。でももちろん電話は容易につながらず、どうしようもなかった。じんちゃ、ばんちゃは無事か、Y子ちゃんやSくんらは大丈夫か、次から次に友達や親戚の顔が脳裏を過った。何故かみんな笑顔だった。あれは何でだったんだろう。こんな心配している私の脳裏に映る皆の顔が笑顔なものだから、余計に不安が煽られた。
当時まだつきあっていた家人がじきにやってきた。大丈夫かと。うんと応えながら、私は別のことを考えていた。家人は現地に飛ぶのだろうか。私はどうすればいいのだろうか。こういう時どうしたら―――。次から次に考えるべきことが怒涛のように襲ってきた。でも、ちっとも追いつかない。
結局。とんでもない被害が生まれた。東北大震災。

最近思うのだ。語られなかった言葉たちのこと。
語られた言葉というのは、まず、語る相手がいたからこそ、語られたのだ。でも、そんなひとたちはきっと、限られていたはずだ。語ることを遮られたひとたちも多いに違いない。語ってはいけないと思い口を閉ざしたひとたちだって多いに違いない。
数少ない耳の存在に励まされ、語ってくれたひとたちの存在があるから、私たちは震災のことを語り継ぐこともできる。でも。
そこで語られなかった言葉たちは?
語ることから零れ落ち、ひっそりと沈んでいった言葉たちは?

祖母や祖父、父や母の、戦争体験もそうだ。当時幼かった私の耳では、とても受け止めきれなかったことたちがたくさんあったろう。幼い私の耳では頼りなかったというのもあるんだろう。言葉を話題を選びに選んで語ってくれたんだろう祖母や祖父らの、戦争のお話。でも、何故だろう、実際に私が受け取った言葉のもっと向こうが、蜃気楼のように立ち昇ってきて、何かを語ろうとする時が、あるのだ。
そういう、声にはされなかった、語ることから零れた言葉たち、想いたちが、きっとたくさんたくさんある。そのことをちゃんと覚えておかなくてはならない、と、最近強く思うのだ。語られなかったことたちにも、ちゃんと意味がある、と。
だから、言葉と言葉の合間の、余白に、ちゃんと気づいていかなくては、と。そう思うのだ。言葉と言葉の合間、余白に零れ落ちた想いたちの気配を、ちゃんと感じ取っていかなければ、と。

奇跡、だなぁ、と思う。今日を今日として生き、明日を今日にしてゆけることの奇跡。
明日は今日に繋がっていて必ずやって来るもの。あの日性暴力被害に遭うまで私もそう信じてた。現実は違った。明日が今日になる、それはいつだって奇跡なんだ。誰でも陥ってみないと分からない、気づけない。かけがえのない日常。失ってはじめて知るのだ、それがどれほどの奇跡で成り立っていたのかを。


浅岡忍 HOMEMAIL

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