ささやかな日々

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2022年04月15日(金) 
雨。粉のように舞う雨。でも傘をささないでいると髪の毛も服もじっとり濡れてしまう。あっという間に髪に、生地に、吸い込まれてゆくほどの細かさ。夕方まで降り続くらしい。天気予報を確認しながら、今日の予定を辿り直す。
葡萄の芽が小さい新葉を出していて、その葉が掌のような形をしていて実に可愛い。でも、いつ折れてしまってもおかしくない小ささなものだから、私は気が気じゃない。今朝も一番に確認する。ちょうどクリサンセマムとビオラがもさもさ茂ってきてしまって、その子たちの足元に生えているものだから、押し潰されやしないかと心配でならない。棒切れで抑えてはあるのだけれど、それじゃもうクリサンセマムの重さを支えきれていないらしく、よく棒が倒れてしまっている。それを見つけるたび、私の心臓は縮み上がる。

もう一か月も前から今日は父母との約束があって、雨の中出掛ける。前から用意していたミモザと息子から預かった朝顔の種をしっかり荷造りして持って出たのに。バスの中に忘れてしまった。バスを降り、そのまま階段を下りた、そこで気づいた。走って戻ったがもうバスはいなくて。慌てて営業所に電話をするも、バスはまだ走っている途中。荷物があるかどうかも分からず。とぼとぼ歩く道。息子よ、ごめん。
父母は相変わらず姿勢の良い立ち姿をしているものの、ふたりとも膝を悪くしていて、昔の速さでは歩けない。昔はこちらが小走りになって、ふたりを追いかけたものだった。胸の中、そんなことを思いながら、歩く速度をふたりに合わせる。
この店が好きなんだ、と、入って行くふたりに付いてゆく。和食の静かな店。ああ、父母の好みだなとすぐ納得する。私ひとりでは高価過ぎて間違いなく入らない、入れない店だ。父母に合わせて、同じものを注文する。
私の娘、父母にとっては孫のこと、そしてその娘のひ孫のこと、私の息子や連れ合いのことなど、話題は定まることなく、自由自在に泳ぐ。こんなふうに話をするのは実に久しぶりだなと気づく。そうだった、私がひとりで彼らに会うことがそもそも久しぶりなのだ。
食べながら、私の脳裏には走馬灯のように様々な場面が浮かんでは消え、消えては浮かんだ。口にはもう出すことはないけれども、彼らとは本当にいろいろあった。苦々しい思いをどれほどしたか知れない。絶望も悲しみも諦めも、数えきれない。
でももう、口に出すことはきっと、ない。そのくらい、時が経った。少なくとも私にとっては。そう思う。

帰宅し、夕飯時、また家人と息子が喧嘩を始める。行儀が悪い、食べ方が汚い、と、言い合いになる。家人が先にキレて席を立ち、息子はぶうたれて炬燵に潜り込み、それを見て最初は仲介していたのだけれどどちらも食事に戻らない様子を見て私が最後、ブチ切れた。私の分の食事を全部片づけて、勝手にしてください、と言い放った。
換気扇の下で煙草を吸う。気持ちの切り替え。もう今夜は食事はどうでもいいやと思う。そもそも、楽しくない食卓なんて、これ以上やってられない。
家人がぼそっと、もう俺一緒に食事するのやめようかな、と言い出すのを聞いて、正直呆れた。そうやって逃げてどうすんの?と思った。言おうかどうしようか迷ったのだけれど。自分で考えてほしいと思って黙っていた。

遠くサイレンが鳴っている。救急車の音だ。夜のサイレンはどうしてこう、響き渡るのだろう。そしてどうしてこんなに、突き刺さるのだろう。このサイレンに何度も世話になった私が言うのもおかしいかもしれないが、夜のサイレン音には棘がある。
明日は加害者プログラムの日。事前に貰った質問事項のメモを、これからもう一度見返さねば。
とりあえず、濃いめの珈琲でも淹れようか。


浅岡忍 HOMEMAIL

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