| 2022年04月10日(日) |
息子が教えてくれた。朝顔、芽が出たよ!と。連れられて見にゆくと、ふたつ、ぐいっと首を曲げて土を割って出て来た子らが。家人は、何処に芽が出てるのかちっとも分からなかったそうで。「父ちゃん全然気が付かないんだよ」と息子が自慢気な表情で私に報告する。そかそかと私も笑う。 いつも思う。この、土を割って出て来る時のこの力強さ。何という力なんだろうこれは。不思議で仕方がない。自分を覆っていたものを突き破って出て来るこの力。私にもこういう力があったら。私にもこの力を分けてほしい。真剣にそう思う。
夜、NからSOSの連絡が入る。ちょうど息子を寝かしつけているところですぐ出ることが叶わず。寝かしつけてから改めて電話をする。 「ねえさん、犯人が別件で、捕まったんだって。余罪追求してたら、たまたま私の件知ってる人が事件に関わってて。それで…」。Nの声が嗄れ声になっている。きっと歯軋りしすぎて、思いがぐしゃぐしゃに入り乱れすぎて、パンクしているに違いない。そうなって当然だ。こんなこと、あり得るなんて。 「あとひと月であれから十七年だよ。必死こいて今、記念日反応と闘ってるところだったのに。何なの。謝罪したいって言ってきたって。でも、謝罪すればすべて赦されるの? ありえない」。しばらく話をしていて、ようやっとNが涙声になる。それまできっと泣くことさえできなかったのだろう。とにかく今感じていることを吐き出せよと伝える。箇条書きでもいい、支離滅裂でいい、書き出してごらん、と。そう伝える。そうでもしなければ、今受けたものが膿になってしまう。傷になるだけでなく膿んでしまう。 電話を切って半時ほどすると、ぽろん、とLINEが鳴る。Nの罵詈雑言と言葉にしきれない嘆きが綴られたものが送られてくる。読み乍ら私は、彼女と出会ってからの日々を、十数年を思い返す。 「ねえさん、やっぱり、被害者であることから被害者だったに変わるのは、難しいね」 「いや、Nは、もう被害者だったになりかかってたよ。それを今、暴力的に、加害者によって被害者であるに引き戻されてるだけだ。それもまた、暴力」 「ああ、そうか。そうかもしれない…」 去年、彼女はこの時期、ちょうどこの時期、首を括った。たまたま虫の知らせで飛んで行った母親によってそれが発見されて、救急車で運ばれ事なきを得たけれども。もうちょっとで三途の川を渡っていたかもしれなかった。 「何も、今、記念日反応ばりばりの時に重なるようにこんなこと起こるなんて」 「でも、去年あの時期に重なるより、今でよかったと私は思う」 「ああ、そうかもしれない」 「ん」 「私は結局、Rちゃんの命を間接的にでも奪った犯人が赦せないと思う」 「それでいいと思うよ。きれいにまとまる必要はない。NはN。それでいい」 当たり前のことだけれど。私は加害者が顔見知りだったから、犯人が誰だか、分かっていた。でもNのように、見知らぬ人間からの被害だと、こんなふうに、或る日突然「知らされる」ことがあるのだな、と。そのことに気づく。それはどれほど残酷なことだろう。日常が突如分断されるような、暴力的なその知らされ方。たまらない。 でも。 それが現実なんだ。
今日は身体痛が半端なく襲って来る。朝からずっと、だ。鎮痛剤を何度か飲んでみるも、全く効果なし。テニスボールでケアし続けているのだけれど、軽減されるのはテニスボールでぎゅうぎゅう押しているその最中だけで、痛みを取り除くことはできそうにない。
今夜もきっと、眠れない。 |
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