ささやかな日々

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2022年04月08日(金) 
ぼんやりとしたグラデーション、ピンク色からオレンジ色への。そんな空で始まる朝。ベランダに出て呼吸すると、大気がぬるくて驚く。もうこんなに暖かくなっていたのか、と。私はやっぱり、冬の、きーんと張り詰めた冷気が好きだ。その冷気がびっしりな朝が好きだ。ぬるくなってくるとそれだけでやる気が削げる。輪郭が曖昧にされそうで怖くなる。これからの季節が私には憂鬱でならない。もうすでにこの4月の時点で挫けてる私の弱さ。
通院日。昨日から続く身体痛と頭痛を抱えながら電車に乗る。空のグラデーションの如くぼんやりしていたら、もうちょっとで乗り越すところだった。慌ててリュックをしょい直して飛び降りる。一瞬、何処へ行こうとしていたのか分からなくなってホームで途方に暮れる。誰もが出口に向かって一心に歩いてゆく、その流れに乗り遅れて、呆然としてしまう。ひと、ひと、ひと、ひと。顔のないヒトガタが、一方向に流れゆくさまを、少し離れて見つめた。
カウンセリングで、ここしばらくずっと抱えていたもやもやを、何とか言葉にしてみる。被害者、と言ってしまう、被害者という特権が掲げる極端な「正義」が私には怖ろしい、と、途切れ途切れに言葉にして、伝えると、カウンセラーがちゃんと応えてくれて私は胸を撫で下ろす。
カウンセラーがこんな話をしてくれた。何事件だったか名称は忘れちゃったんだけれど、精神病者を座敷牢とかに閉じ込めるのが当たり前だった時代から、それはおかしいと逆に振れる動きがあって、でもまたその反動で強制入院させられる時代があって、その反動で逆に振れてそれはあってはならないという動きが出て、と要するに、極端から極端へずっと振れ続けて今がある、というような。そんなふうに、右か左か、白か黒か、というところをずっとジグザグに進んできてるのが人の世のようなところがある気がする、と。
私は。
今の流れが怖い。

あることを正しいと言う。こうあるべき、と。
こうあるべき、という言葉がすでに、極端に振れてる気が私には、するのだが、そういうふうに振れる時というのは中庸であることさえが罪とされたりする。そのどちらにも与しないというだけで、罪悪というような。
まだうまく言語化できないのだけれど。これが正義であり、これ以外は悪というような断罪の仕方はやっぱり、私は違うと思う。
正義は。ひとの数だけ、ある。

かつて、私にとっての正義が世界の正義だと勘違いしていた幼い頃があった。何を言っているんだおまえは、ふざけるな、である。つくづく思う。私にとっての正義はあくまで私にとってだけであり、あなたにはあなたの正義があるよね、と。どうして私はあの頃分からなかったのか。
私の思いとあなたの思いの、摺り合わさる部分を探そうよ、と、何故そこに至れなかったのか。
いまさらだけれど、つくづく私はガキだったなと。そう思うのだ。

白か黒か。だけで判断できるなら、苦労はない。右か左か、どちらかを選べばいいだけなのだから。こんな楽な話はない。
でも。
右か左か、だけじゃないのだ。右と左のあいだに、幾千幾憶のグラデーションが、存在している。じゃあ右と左の、それぞれのいいところを抜き出して、すり合わせて、右か左かではない道を作る、そんな方法があったって、いいじゃないか。

―――いや、まだ言語化しきれない。
まだまだ取りこぼしていることがたくさんある。言語化できてない部分がたくさんあるせいで、他人に伝えられるほどのものにはなってない。まだ、伝えられない。
とにかくただひとつ言えるのは。
私はこの流れに乗り切れない。何か違う気がする。と。そのこと。

病院の帰り道、燦々と降り注ぐ陽光、車内が光できらきらしていた。細く開けてある窓から風がしゅるしゅると流れ込んでくる。最寄りの駅までまだしばらく間がある。少し休もう。何も考えず。音楽だけ聴いて。


浅岡忍 HOMEMAIL

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