| 2022年04月05日(火) |
早朝の空に横たわっていた薄墨のような雲たちはやがて散り散りになり、気づけば燦々と陽光降り注ぐ有様に。冷たい風がひっきりなしに桜の花を散らしてゆく。私はその花弁舞い散る中、3回も洗濯機を廻し、ベランダが洗濯物でぎっしりになるほど干した。洗濯物の影になるイフェイオンとラヴェンダー、今日はちょっと我慢してねと声を掛ける。 息子が今日も外に遊びに行かない。お友達誘えばいいじゃない、と言うと、もごもごと口ごもるばかり。学期末に喧嘩でもしたのかな、何か争いごとでもあったかな、と想像しながら、じっと彼の様子を見つめる。彼が言葉になりきらないうちに私が先取りしちゃいけないと思うから、これ以上のことは私からは彼に言い募らないようにしている。でも。 息子よ、何かあったならなおさら、自分から行動にかかる方がいいぞ。もじもじうじうじしていても何にもならない。もしも何かあってそれが自分の心にひっかかってるなら、きっと相手もひっかかってる。そのひっかかりを取り除くには、誰かが一歩踏み出さなきゃならない。息子よ、じっとしていただけでは、何も状況は変わらんよ。母は、そう、思う。 ワンコと散歩に出掛けると、アスファルト一面花弁の海。ワンコが吹き溜まりに小山のように溜まった花弁を見つけ、嬉々として喰らう。桜の枝も彼は大好きなのだが、花弁も好きなようで。濡れた鼻面にいっぱい花弁を付けて、そのせいでくしゃみを連続でしてみたりして。それでも花弁を食べようとする。よほど美味しいんだね。人間にとっての桜餅みたいなものかしらん。私は頭の中、あれこれ想像する。
前から思ってた。もやもやしてた。悶々としてた。 私は真っ白です、過ちを犯したことはありません、みたいに声高らかに自分の正当性を訴えてるひとに出会うと、私はもやもや悶々してしまう。言葉になりきらないところで、もやもや悶々と。ずっとそれがしんどくて、しんどくて、つらかった。
真っ白? 本当に真っ白なだけで生きられるの? 本当?
私には、真っ白があり得るなんて、とてもじゃないが思えないんだ。真っ黒なだけの人間もいないと、私はそう思う。白か黒かだけで断じられるくらいなら、人間の世界、こんなややこしいことになってないと私は思うからだ。 むしろ、白と黒との間のグレーのトーンがどれほどあることか。誰もが間違う。間違いを犯す。真っ白なブラウスに一点のシミも曇りもなく生きていくことなんて不可能だ。泥だらけにもなれば血だらけ傷だらけにもなる。 生きてるってそういうことだ、と私は思う。 かくいう私も、かつては、白か黒か、だった。0か100か。そういうところで生きていた。白か黒かじゃなければ、自分を赦せなかった。でも。 そんな、白か黒かしかない世界って、しんどい。きつい。どちらかしか許されない世界なんて、きっといつか、悲鳴が上がる。いや、或る意味楽なんだ、白か黒かで二分される世界は。どちらかしかないから。どちらかだけしか赦さないから、考える分量もその程度で済む。でも。 夥しいグレーのトーンの海の中を泳ごうと思ったら。これはこれでとても、大変なことなんだ。覚悟がいる。責任が生じる。負うものが増える。選択も常にし続けていかなければならないし、考える分量も何千倍何億倍に増える。常に選択をしていかなくちゃいけないから自分自身と常に向き合っていかなければならない。 生きるって、覚悟、だ。それが一瞬一瞬、試される。 だからこそ。 生きるのは、面白いんだ。 |
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