| 2021年12月04日(土) |
久しぶりに数人の友人らと会食。といっても場所は我が家。コロナのために長らく会えていなかった友人との再会。 写真集の話をしたり、今取り組んでいる企画の話をしたり。思い思いにみながめいめい語る言葉をぼそぼそと聴く。それだけで、贅沢な時間だな、と思う。そういうことさえできなかった時間が長くあり過ぎた。 珍しく酔っ払った友が先に隣室でぐーかー。その後も残ったメンバーで夜通し話し続ける。料理はすっかり空っぽ。それでも、炬燵を囲んでぺちゃくちゃ。
当たり前にそれまで為してきたことが、当たり前にできなくなった。でもコロナってそんなに怖いのだろうか。申し訳ないが、コロナよりもPTSDの方が私には怖い。だから、コロナコロナと騒ぐ人の気持ちが今一つ分かり切れていない。この状況下、顰蹙極まりないなと我ながら思うのだが、こればかりは仕方がない。私にとっては、PTSDや解離性健忘の方が、ずっとずっと恐ろしい代物だ。 記憶は飛ぶ、フラッシュバックは起こる、体のあちこちが痛む、幻聴幻覚は繰り返し襲ってくる、動悸息切れ、謎の頭痛、あの日からというもの、症状は果てしなく、そして、ずっと続いている。こんなにしんどいならいっそ殺してくれと思ったことだってあった。でも生き延びて今在る。そんな私にとって、コロナは申し訳ないが、二の次三の次ということになる。 多くのひとが恐れ戦くコロナに、私はそれらを覚えることができないという現実。社会との距離を猛烈に感じる。
展示の準備に息子の発表会の準備に、と、重なってしまって何が何だか分からない状態になっている今日この頃。それにしても、ひとがうようよ集まるとどうして私は異物になってしまうんだろう。とても苦しい。 すべてのひとの顔という顔が同じに見えてきてしまう。そして圧となる。とてつもない恐怖だ。でもそれを他人に理解しろと言っても無理なのだ。だって、そんな経験はまず、しないのだろうから。それが「普通」だから。 私にとっての普通は、そこからあの日を境に大きくズレてしまった。外れてしまった。二度とそこには戻れない。
記念日反応が少しずつ少しずつ、そう、まさに、じわじわ、と、私の内側から滲み出してきている。それもまた、あの日を境に私に訪れたもの。消えない痕跡。
葡萄の種、ずっと殻を被っていた子の、その殻がようやく外れた。もう縮れ切った葉は、きれいには開かないのだけれど、それでも嬉しい。いっぱいお日様を浴びるんだよ、と声をかける。もうひとつ、殻をかぶったままの子が残っている。この子はまるで帽子を深くかぶるみたいに殻を被っているから、たぶん当分外れない。いや、外れる日が本当に来るのだろうかと不安なくらい。頑張れ、芽。 |
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