ささやかな日々

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2021年01月16日(土) 
アディクションリカバリープログラムに出席する日。今日は被害者のある一日というテーマで対話を為す。
たとえば解離、たとえばフラッシュバック、そういったものを単体でそれぞれ知ることはあっても、それが実際どんなふうに連なって一日が成っているのか、参加者の加害者さんたちはなかなか知る機会がない。だから今回、このテーマで、一日という連なりを見て感じてもらおうと思った。
また、想像する力がとても偏っている彼らに、想像力を駆使してもらい、自分なりの像をそこに描いてもらいたいとも思った。
思った以上にみんな真剣に取り組んでくれて、ディスカッションも活発に行われた。質問も彼らの方から幾つも出てきた。
プログラム終了後、S先生と、これは定期的に行うテーマなのかもしれないと話し合う。

帰り道、ちょっとぼんやりしていたら、全く覚えのない電車に乗り込んでしまっており。気づいたら知らない駅に。慌てて路線図を調べる。まさに言葉通り、ここは何処、私は誰、の状態で、もうちょっとでこの歳にして迷子になるところだった。
よほどプログラムの最中緊張していたんだろう。解離する心と体を必死に繋ぎ留めながら何とか本来の帰り道に自分を運ぶ。
慣れた電車に辿り着いて空いた座席に座った時には、冷や汗びっしょりだった。

ようやっとの帰宅後、遅い夕飯を食べる。シチューの残りだけ食べるつもりが、気づいたらごぼうサラダやら何やらにまで手を出しており。あ、これは過食しかかっているなと気づくも止められず。
疲れがピークに達して、丁度いい食事の量も分からなくなってしまっている自分を感じつつ、ぱくぱく冷蔵庫のものを食べてしまう。だめだだめだと、もういい加減止めないとと頭の何処かが言っているのに止められない。何やってんだ自分、とも思うのに。
結局気づいたら、空っぽになった皿が幾つも流し台に。自己嫌悪。

顔を洗いながら、今日一日を思い返す。もはや断片的になっている記憶。それでも、今日は今日として何とか終えたぞ、と自分を慰める。
自分ひとりにできることなんて所詮たかが知れている。それでもせっせと行動し続ける。そうしかできない自分。せめてそのくらいは、納得してやろう。


浅岡忍 HOMEMAIL

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