ささやかな日々

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2020年10月26日(月) 
朝焼けの美しさに息を呑む。でもそれはほんの一瞬の出来事で。瞬く間に空は装いを変えてゆく。私の眼が追いかけることも叶わないほどの速度で。そういう時、いくら写真を撮っても間に合わない。刻めない。だからむしろ、刻まない。私のこの眼でただ、じっと、見つめ続ける。変わり続ける姿をただ、見つめ続ける。

アメリカンブルーはまだ枯れてはいない。他の子たちには水をやらずともアメリカンブルーのプランターには朝晩水をやる。それでも葉はまだもとに戻ってはくれない。私はプランターの前にしゃがみ込んで萎びたアメリカンブルーを見つめる。でも枝たちはまだ青々しており。まだあきらめるには早い、まだ早い、と訴えている。だから私は、そっとその枝を撫でる。大丈夫、あきらめてなんか、ない。
その隣には今ユリイカという薔薇が置いてある。ユリイカはたんまり蕾をくっつけて次々綻ばせている。今朝は二輪、切り花にした。その隣のベビーロマンティカは、ようやっと新葉を出す気になったらしい。音沙汰なくて心配していたが、ほっと胸を撫で下ろす。そのまた隣のホワイトクリスマスは、ユリイカ同様蕾をいくつもくっつけて重たそうに枝を撓らせている。
本当は。ベランダに小さな椅子が欲しい。お風呂場で使うようなあの小さな椅子みたいなものでも構わないから、本当は椅子がほしい。そうしたら私は、長い長い時間ここにいて、ぼんやり風を感じながら何を考えるでもなく時間の狭間を漂っていられそうな気がする。いや、もちろん、そうなってしまったら私の場合一体何時間をここで過ごしてしまうか知れないのでやらないけれども。

解離することに罪悪感を覚えると話したら、主治医は「解離と上手につきあう方法を探ることよ」と笑った。言われて呆気にとられ一瞬頷いてから、いやいや解離なんてしない方がいいでしょ先生?!と私が詰め寄ると、主治医はやっぱり、「解離をゼロにすることの方がずっと難しいと思うわ。付き合い方を探ることの方がずっと簡単だと思うわよ」と。そもそもあなたは何故罪悪感なんて抱くの?と逆に問われた。だから、解離している間に自分の身近な人たちに迷惑をかけてしまうことがつらい、と応えた。すると「なるほどねえ、でも、あなたの解離で被る迷惑なんて、たいしたことないと私は思うけど?」とさらににっこりされた。
どうなんだろう。本当にたいしたことないんだろうか? 家人とはよく、私の記憶の欠陥が原因で言い争いにはなる。でもまぁ、決定的な喧嘩というわけではない。でもその言い争いをするたび、もし私が解離や離人なんて症状を持たない人間だったなら、と考えてしまうのだ。もしそうだったら、今こんな言い争いなんてしなくて済んだだろうに、と。

何となしに窓を細く開けてみる。すっと冷気が滑り込んでくる。でもその冷たさが心地いい。窓の向こうは静かな闇色。濃紺、というよりも少し緑がかった闇色。車の音さえしない。ただ、冷たい微風がすううっと、流れ続けるのみ。


浅岡忍 HOMEMAIL

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