2020年05月20日(水) |
息子と犬の散歩へ。息子が今日もスキップの練習をしている。スキップもどきをしながら私の前をたったたったと跳ねている。最初の三回くらいは成功するのだが、それを超えると足が絡まる、という具合にスキップがスキップではなくなる。 休校が始まってしばらくして始まったそのスキップ練習。突然始まったそれは、今日ようやく完成が見えた。たったたったたったたった…。「母ちゃん、できた?スキップできた?!」「できてたよー!!!花丸!」。大喜びで戻って来る彼の顔は、もう満面の笑み。そうかそんなに嬉しいか、そうだよね、保育園の頃からスキップができなくて、いっつも凹んでたもんね。もう大丈夫だね。彼の頭をくしゃくしゃっとして、私もにっと笑う。
「絶対音感」(最相葉月 著)を読んでいてはっとし、家人に訊ねる。 「ねえ、たとえば音楽とかが流れてきたら、それどんなふうに聞こえてるの?」 「んー…ぽーん、ぽーん、ぽーんって、高かったり低かったりする感じ」 「え…ドとかミとかソとか、そういうんじゃないの?」 「なにそれ」 家人に訊いて、ひとによっては音楽が高い低いといった音の変化で感じ取られることを、この時初めて、私は知った。この時まで私は、音楽が流れてきたらみんな頭の中に五線譜が流れると、信じていた。 違うのか?! なんだか大発見をした気持ちだった。 たとえば先の会話の家人の「ぽーん、ぽーん、ぽーん」は、私の耳には「ミ、ソ、ド」と聞こえた。でも家人にはそうじゃない、ただの音の高い低いなのだ、と。思ってもみなかった。 うまくいえないが。会話していても、相手が抑揚のある口調だったりすると、言葉としての声と、音階としての声が私の中には二重に響く。たとえば「赤い車がこの前飛び出してきてね、とんでもないのよ!びっくりしちゃった!」なんて抑揚のある口調で友達が言ったとしたら。私の耳にはその声が、言葉として、と、音階として入って来ることになる。言葉の意味を捉えると同時に、「赤い車がこの前飛び出してきてね…」という音が楽譜になるという具合。 ああ、この、情報量の違いが、私の混乱する元だったのかもしれない、なんて、今更だけれど思った。 こう書いてくると、まるで自分が「変な人」みたいだ。まったくもっておかしな人だ。困った。 でも私は、それが当たり前で過ごしてきたから、今の今まで知らなかったんだ、みんなの耳にはそんなふうにシンプルに聞こえるなんて。脳内もきっとシンプルに整っているに違いない。しかも、十二音階には固有の、個別の色があって。だから、色付き音符が脳内を跳ねまわる感じ。 みんな、そうじゃないのか。なんてこった。
この気づきから受けたショック大きすぎて、良くも悪くも、当分立ち直れそうに、ない。 |
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