ささやかな日々

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2020年05月12日(火) 
 「母ちゃん、もうオクラ、芽、出てる!」
 相変わらず早起きの息子が早速ベランダに出て大声を上げる。家人と私とが代わる代わる彼のところに行き、一体何処に芽があるのかと探す。まだ首を曲げたままの芽の兆しが確かに彼の指さすところにあり、土を持ち上げている。こんな状態のを発見するとは。家人とふたり顔を見合わせ笑う。「他の子も芽出てるかなあ?!」と言いながらスキップでベランダを回る息子。その様子が朝にとても似合う気がする。

 撮影。S氏と駅で待ち合わせ。ちょっと遅れてS氏が現れる。天気はあいにくの霧雨。でもじきに上がる、はず。ふたりで並んで川縁まで歩く。
 予定していた場所は様変わりしており。ふたりして慌てる。こりゃやばいね。撮影できる?互いに顔を見合わせる。川の水が増水していて湿地が水浸しになっている。これではこの場所に降りることはできない。さらに歩いて撮影可能な場所を探す。
 とりあえずここにしようか、ということで湿地と茂みの間の小道を選ぶ。数か月前骨折して以来踊りからちょっと遠ざかっていたというS氏がスタンバイするのを待って、開始。さっきまでの雨は嘘のように消え、ぎらつく太陽が眩く空に光っている。
 撮影後、展示中の喫茶店へ向かう。S氏と、その元パートナーと三人で昼食を囲む。古事記の話になったり腸の黴の話になったり、はたまた絶対音感と色の話になったり。あっちこっちに話が飛ぶが、三人ともそれぞれの話に興味津々で、これはいずれ互いにまた更なる知識を加えて話をしようということになる。
 そうしていたら、何故か家人と息子が遊びにやって来る。息子と家人は軽食をいただく。店主さんも交えあれこれおしゃべりしているうちにあっという間に時が過ぎる。マスクをしているその下はもはや汗だく。そろそろ帰りましょうかということで席を立つ。

 タロットカードの色、古事記の色、絶対音感の色、それぞれ共通項がありそうだよね、とS氏と話していたけれど、もしあるなら非常に興味深い。そもそも色はどこからやってきたのだろう。どうして人間の眼は色を捉えるのだろう。動物によってはモノクロにしか見えないというのに。改めて考えると不思議だ。

 来月の展示のためのDMの宛名書き。書いているうちにどんどん字が泳いできてしまって、何度も中断する。いまどき手書きで為すことがおかしいのかもしれないけれども、私はこの手書きに拘ってしまう。どうしても。字が多少雑になろうと。意固地な執着なのかも、なんて我ながら思うけれども。シールにプリントアウトしてぺたっ。という具合には、どうしてもしたくなくて。

 メイ・サートンの日記。私に「孤独」の意味を改めて教えてくれた本。久しぶりに読み直したくなった。私はサートンの詩はあまり好きでも何でもないけれど、日記は好きだ。ネガティブなこともたくさん書かれているけれど、そんな中でも彼女が生きることに誠実に向き合っている日々が綴られていて、読んでいると目の前に映像が浮かぶ。クリシュナムルティの日記とはまた別の、味わいが、ある。

 夜、倒れ込むように寝床に横になる。家人と息子が呆れている声が何処かで聞こえる。でもそれさえも構えないくらい疲れていた。こんなに身体が疲れて感じられるのはどのくらいぶりだろう。
 夜が、深い。


浅岡忍 HOMEMAIL

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