2020年04月02日(木) |
やっぱり、ちょっと気を抜くと書かないままになってしまう。しばらくは日記を書くのだということを意識しておかないと。
ベランダのチューリップ、最初の二つがもう開ききってしまって、てろんとしてきた。その隣で真っ白なチューリップが小さく咲き始め、まるでそこだけ灯がともっているかのよう。別の鉢ではクリサンセマムとイフェイオンが競争しているかのように咲き乱れている。ありがたいなあと思う。こんな閉塞した世の中にお構いなしに、植物は誠実に蕾をつけ、咲き、散る。その一連の営みが、私を励ましてくれる。
息子がまとわりついてくる毎日。仕方がない、コロナのことがあって友達と遊ぶことさえできない日々だもの、そう仕方ない。仕方ないと分かっているのに、あまりにべったりされるとしんどくなって「もうね、ちょっと離れてて」と言ってしまうこと多々。そのたび自己嫌悪に陥る。悪循環。 コロナ鬱だね君はすっかり。とオットが言う。確かにそうなのかもなぁなんて他人事のように思ってみる。コロナ鬱でも何でも、どうでもよいのだ。この状況を打破できれば、それでいい。そのくらい切実に、この状況に息切れしている。
小川洋子さんのエッセイを読み始めて、何か違うと思い、ふと、隣に置いてあった上橋菜穂子さんのエッセイを開いてみた。今の私には、こちらの方がしっくりくることに気づく。上橋さんの、特にエッセイが、私は好みのようだ。この間読んだ「生きること、物語ること」は、改めて気づかされることがたくさんありすぎて、どきどきしながら読んだ。今回の「明日はいずこの空の下」も、もう出だしからわくわくしている。彼女のこの、人の描き方が素敵。一方小川さんは、雰囲気を描き出すのがとても上手な作家さん。彼女の作品は、エッセイよりも小説の方が私には合うみたいだ。
ここ数日天気が悪かったけれど、嘘のように今日は晴れた。朝から洗濯機を二回も廻した。洗濯物を干す時というのはどうしてこんなに心がすっきりするんだろう。干した分だけ心が軽くなるかのような錯覚さえ覚える。 今日の空は雲がところどころに浮かんでいて、でもとても眩しい。耳を澄ますと鳥の囀りがそこかしこに。公園の桜が桃色に浮かび上がっている。
春、だ。 |
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