昼食に誰かを待つ日は

2021年01月20日(水) 寒がりの君


 頭がぐぉんぐぉんと回るため、昨日は外に一歩も出ないで家にいた。在宅という名がついてはいるけれど、パソコンの前にずっと座っていられるはずがない。メンタルと身体がやられてしまっては仕事ができない。だから昨日は、充電期間として、ひとりで家の中で遊んだ。
 まずはごはんでも作ろうと、ポトフのようなスープを煮込む。にんじんやジャガイモを切り、キャベツを切り、ベーコンを切り、玉ねぎを切り、お鍋にポイ。それから、馬車道からポールマッカートニーの曲が送られてきたので、それを聞きながら「プラテーロとわたし」を読む。1920年代に書かれたスペインが舞台の、ロバと旅する男のヒトの、ほとんど詩に近い毎日の記録。「ごらんプラテーロ…」、「ねえ、プラテーロ‥」ロバに話しかけるようにして綴られる文に、愛情がにじみ出ていて、なんとも胸がじわじわとしてくる、とても素晴らしい本。
 本を読んで、そのあとスープとカレーを食べて、花の水を取り替えて、ぼんやりする。
 それから唐突にギターが弾きたくなって、引っ張り出した。ビートルズとか、マーシーとか、有名どころを練習していたのだけれど、鼻歌をうたっていたら良いメロディと歌詞が降ってきて、そのまま紙に、文字を書いて、メロディをあてた。その1曲のために3時間くらい費やして、録音して聞いてみると、案外悪くなかった。全然意識しないで詩を書いたけれど、これは紛れもなく歌で、そして馬車道に捧げるような歌になっている。ということで、私はこれを、馬車道に送った。
 彼は耳が良い。送ると、「とてもいいよ。あなたの部屋を思い出す」と、褒めてくれた。森田童子みたい、とも。確かに、声も、歌詞も、なんだか森田童子のようだった。歌詞の出だしは「寒がりの君が顔を赤くしてこの部屋にきたとき」から始まる。馬車道は寒がりだったろうか?でも、馬車道を思い浮かべて作ったんだろう。
 もう今はメロディが思い出せない。
 そして、気づけば夕方になっていた。ようし、と仕事らしきものに取り掛かるが、たいしてやることはなかった。(翌日結構大変な目にあったけど)
 身体も心も、快復したけれど、今こうしてパソコンの前に座っていると、やっぱり健全ではなくなってくる。絶対に、昨日の時間のほうが健全で、しかも生産性があった。でも毎日あんな風に生きていては、生活はままならないのだろう‥‥。ああ、早く帰りたい、おうちで寝たい。
 
 今日は、21時にまたピンク映画を見に行こうかしら、と考えている。でもとてつもなく寒いから、もしかすると行かない可能性もある。ラピュタ阿佐ヶ谷は良い映画館。


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左岸 [MAIL]