昼食に誰かを待つ日は

2020年11月03日(火) もたれあい

誰もいない職場に来ている。11月になってしまった。ゆっくりと自分の生活が一変している。そのなかに身を置くことを幸福だと思いたい。せめて目に見えない彼らだけには祝福してほしい。許されないのだから。あまりにも書きたいことが多すぎてなにも書けない。言葉におさめることがひどく難しいのです。この間写真を現像しにいくと、そこに奇跡のような一本の木がうつっていて、自分で撮ったものであるはずなのに、消えてしまいそうなほど神聖で儚くて、そうして美しかった。この木がある場所に行くには1日以上の時間が必要だし、ひとりではたどり着けない。誰にも言えないし、見せられない場所だ。でもあの木があるということは、私にとってどれだけ心強いことだろう。そうしてその隣に寄り添うようにしてある大きな石。それに自分たちを重ねた。根の部分で繋がっていたいと思った。



ごめんなさいと謝っても何にもならない。だから私は謝ることができない。どんな選択肢を取ったって、もう元の状態に戻ることができない。はたから見れば常識を逸した行為であり、倫理観の外れた行為だと批判される。そんなことは重々承知です。それが正しい。世間では。でも私は自分の尺度で動く。自分に嘘はつきたくない。その面では正々堂々としていたい。



少しでも気が緩まるとすぐ弱腰にはなる。だから茨木のり子の詩集を読んで、襟を正すのだ。強い眼差しの、凛とした女性になりたい。そしてあの人に、その姿をカメラで収めてほしい。人に見られたい、と思ったのは、この人が初めてかもしれない。この人がいてくれさえすれば、もう何でもよいのです。


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左岸 [MAIL]