昼食に誰かを待つ日は

2020年05月21日(木) 出されない手紙

仕事でひさしぶりに心の野獣を引っ張り出されてしまった。朝は仏陀の愉快に生きるための本を読んで煩悩とおさらばしようと試みていたにもかかわらず。
ポルトガルのギャラリーとやっかいなことになっているが、どうにか無事年内に本を刊行できればそれに越したことはない。折れるところでは折れて、それ以外のところで妥協する必要はない。脅しにも思える英語でのメール。どうにかこうにか無事に終えられますようにと今願う。

返事のまったくないIに向けて手紙を書いた。A4の味気ない真っ白な紙3枚分に灰色のインクで文字を書き込む。そして、この手紙は出さない。出さない手紙だけがこうして溜まっていく。出されない手紙はなんのために存在しているんだろう。話したいことがある分手紙にそれを書く。けれども渡す、届けるということは為されない。わたしの弱さ。わたしがここで手紙を書いたところで、それは一種の自己治癒で相手にはなんの影響も及ぼさなければ伝わることもない。そんな勝手な人間であるから、今見放されているんだろう。昨晩も夢の中に彼が現れた。そうして街が焼ける夢も見た。

今がなんの時間なのかがわからない。待たされているのか、待っているのか、終わっているのか、それともまったくなんの意味もない空白の時間なのか。部屋の中の時計がずっと止まっているからだろうか。着実に1秒1秒が過ぎていくという感覚が持てない。生きているんだろうか。自分を影のように感じる。時計を買い替えないといけないです。


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左岸 [MAIL]