昼食に誰かを待つ日は

2020年05月06日(水)

何もしないでいられた日々が終わってしまう。こんなにもひとりで何もせずにいられた贅沢な時間はなかなかない。そうしてこのうちの大半は寂しさで出来上がっている。昼過ぎに恋人に電話をかけた。彼はパスタを作っているようで、電話越しに麺を茹でる音や食器が擦れ合う音がした。肝心の彼の声はまったく聞こえなかった。しゃべっていなかったから。二言三言の会話の後、「疲れた」と彼が言った。「私にだよね」というと、「うん」と。そうして沈黙ののち、「わかった。ごめんね」と言って電話を切った。きっともう終わりなのだろう。しばらくはぼんやりしていた。誰かを疲れさせてしまうことが一番嫌だった。どういう方法で、私は彼を疲れさせていたのだろう。それがあまりわからなかった。となると、私という存在がもはや疲れの対象なのだろうと思い、ますます落ち込んだ。開き直ってみようと、本を読んだり、音楽を聴いたりして気を紛らわせていたけれど、そんなことをしても何にもならかなかった。彼が年末私に書いてくれた手紙の中に書かれていたことは、何一つ達成させられないのだと悟った。当時手紙を書いてくれた彼と、今の彼は、もう変わってしまったのだろう。この手紙にはもう何の力もない。書かれていることは幻想でしかない。震える文字で書かれていたというのに。

部屋のなかでぼうっと過ごしているうちに、大雨が降り出した。ピカッと白く外が光ったかと思うと、ものすごい轟音が響いて体が縮こまった。すこしだけ開けていた窓から、容赦なく白い光が入ってきたほどで、部屋の中に流していた音も消えた。すぐ近くに雷が落ちたらしかった。昨日は深夜に突然携帯で地震のアラームが鳴り、今日は雷の音で震え上がり、どうしてこんなにも脅かされなくてはならないんだろう。怖いね、大丈夫?と言えるような人もいなかった。雷がこの部屋に落ちて焼けてしまっても、人に気がつかれないだろう。


ジメジメとしている。明日はからりと晴れるそうだ。仕事があるというのはまだ恵まれているのかもしれないが、もうとうに何かが遠のいている。このところは現実の世界に身を置いていなかったから。想像のなかだけが救いだった。そこでは私は私としていられたし、たくさんの人がいた。現実に戻ると、話し相手は本当に誰もいないのだった。でもこうしてひとりでいるのが、実はいちばん自分にしっくりきているのだということ。本と音楽、書くものさえあればいい。それから小さな部屋。日記であれ何であれ、何かを書き付けていなければ保てなくなってきた。人といると、満たされていると、書く必要などない。だから満ち足りるのは怖い。何かが欠けていないと、自分を見失う。これまでもそうだった。満ち足りることなど、人生の中ではほとんどない。大半が欠けている。その欠けた部分をうんと見つめていきたい。

彼は私から離れていくだろうか。彼がいなくなったら、楽しいことが減る。それは素直に悲しい。


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左岸 [MAIL]