昼食に誰かを待つ日は

2020年03月14日(土) 鳴る音

ひさしぶりにアコーディオンに触れる。体に背負うそれはずっしりと重い。でも鍵盤を押し、そして蛇腹を動かすと音が出ることがいちいち嬉しい。たどたどしいながらに簡単な曲を練習する。練習をしている間、先生はあまりそばにいない。奥で煙草を吸って音を聞いている。ときどき私がヘンテコな音を出してそのまま進んでしまうとき、そばに来て指の位置を教えてくれる。ずいぶん楽しそうに弾くわねえ、という。楽しいです、と答える。そしてずっと、同じ曲を繰り返し弾く。弾いて、弾くたびに音が全然違う。
「もうそろそろ、やめにする?」「いえ。あともうすこし」「ふふ、わかりました」そう言って先生はまた奥に引っ込んで、わたしは鏡の前でそれを気がすむまで弾く。
次はエーデルワイスを練習する予定。私の最終目標はクライスラーの「愛の哀しみ」を弾けるようになることです。

終わるとチョコレートとコーヒーが机に用意されていて、食べながら先生とおしゃべりをする。この時のチョコレートは奇跡のようにおいしい。脳も体もぜんぶが疲れているとき、チョコレートをひとかけら食べると力がわいてくる。それから気がつけば2時間くらいおしゃべりをしている。音楽のこと、映画のこと、本のこと、人間のこと、人生の底暗さ、お一人様がいかに気楽であるかということ、部屋のこと、いろいろ。


先生は言葉よりも先に楽譜を覚えてしまったという。だからか、話す言葉がリズムを持っている。音楽は弾くことではなくて、想像することが大事だという。まったく音符のことなどわからない私に、四分音符から休符などを教えてくれた。そのあとで、譜面に音符を書き写すことを始めてみて、と勧めてくれた。ド、の音を想像して、ファ、の音を想像して……初歩の初歩から始めてみよう。ただ単純に、したことのないことをすることが好きだから、この作業は今から楽しみだ。音楽はとても数学的なんだと知って、その発見が面白かった。差し引きゼロにするためのあらゆる計算が緻密に盛り込まれているということ。

先生は幼少期、自分の全てを家族に否定されて育ったという。お前はなにもできない人間なんだと刷り込まれたと。「そういう人間は基本的にもうひとのことを信用できないし、きちんと人を愛することができないんです」人間に必要ななにかが、もう子どもの頃から欠けてしまっていると。けれども音楽だけはそばにあった。だから音楽はあのひとの全てで、それしかないという。よく先生の口から「原さん」という方の名前が出る。その方だけをおそらく先生は信用しているのだと思う。前に、先生と原さんが喫茶店でおしゃべりとしているところにばったりで出くわして、気がつけばその席に招かれて、私は原さんとずいぶん話をした。知識が豊富で、好奇心が旺盛な、魅力的な男性だった。でも昨日、先生が言っていた。原さんもそうなんです、と。あのひとも両親からずっと否定して育っている、と。ふたりはだから、よく音楽を聴き、よく本を読み、よく映画を観ている。そういうものだけが拠り所だったんだろう。先生は原さんの話をするときにはよく笑うので、私もつられて笑う。ふたりが出会って、良かったなと心から思う。

今日は雨。昨日朝方まで文章を書いていて、何を書いても満足がいかなくてなんども書き直した。でももう、ここで、終わり。朝4時過ぎに文章を送って、それからなぜか体がどくどくいって、眠れなかった。自分のなにかを人に差し出すのが怖い。本当に怖い。誰も読まなくていいと思う。送らなきゃよかった、と思う。そうしながら眠ると、夢のなかで知らない女の子がいつまでも泣いていた。全然知らない人なのに、それは自分であるようだった。

あとで譜面と楽譜を探しに行きたいけれど、家にずっと引きこもっていたい。でもせっかくの休みが終わってしまう。やっぱりあとで家を出てみようかな。


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左岸 [MAIL]