昼食に誰かを待つ日は

2020年03月05日(木) 風が吹いても誰もいない


はろう、はろう。昨夜は自分で前髪を切った。きれいに切れたと思ったのに翌朝鏡を見るとギザギザしている。しかし隠しようはなくこのまま職場へ向かった。左右で長さが違うことを指摘されたけれど、面倒だからこのままにしておく。

徹底的な観察者になったら人生が変わるだろうか。自分のことにはもう興味も関心もないから、周りにいる奇異な人をよく観察し、記録したら、それはひとつの有効な時間つぶしになるだろうか。
私は今自分というものを持っていない。けれど、知りたいひとはいる。話したいひともいる。そのことについて、その関係性については誰よりよく知っていたい。そうでないと、自分の立ち位置が全然わからなくなって不安になってくるから。なぜあなたは私の近くにいて、なぜ私はあなたの近くにいるのか。ここで話されていること、それは何を意味して、本当に伝えられるべきことはどこにあるのか、そういうことをもっと探っていきたい。不思議と、こうして文字を書いているうちにそれが漠然と現れるときがある。人と話す時間と、書く時間は私にとって全然別のもの。よく知るためにはとにかく書かなくちゃいけない。そうして私が本当に知りたいことというのはなんだと思う? なんだと思う。

どこにも属さず風のように揺られて生きているうちに、さまざまなものが通り過ぎて気がつけば真っ暗闇になっていたなんていうことがあったとしても、きっと後悔はしないけれど、風が吹くままに飛ばされた先で誰もかれもがいなかったら、誰も待っていなかったら、ひどく寂しくなるだろう。

そうかあ、私は今一人になりたいんだ、とこれを書いていて気がついた。あまりに人と一緒にいる時間が当たり前になっていた。けれども今私は誰のところにも行き着きたくないようだ。待ってくれている人がいるからなんだと思う。どこにいても誰と居ても基本的にはひとりだということを忘れる。人といるときのほうが一人ぼっちなのだということをよく知っているんだけどね。


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左岸 [MAIL]