昼食に誰かを待つ日は

2020年02月27日(木) おおきなマスカット


おおきなマスカットが白いお皿に盛り付けられている光景を想像する。色合いがいいし、マスカットは張りがあって、とてもきれいな形だ。白いお皿は平凡なようで実は上質なお皿で、縁には同色の模様が気づかれない程度に施されている。どうしてこんな想像をしているかというと、先日図書館で借りたとある1冊の料理本(資料のために何冊か借りた)をひどく気に入って、著者の名前を検索するとインスタグラムが出てきたので辿っていると、目もくらむような彩りのサラダ、サンドイッチ、そしてフルーツがたくさん載っていて、そのなかで最も惹かれたのがマスカットだったからである。サラダの上にちょこんと盛られたマスカットがいちばん輝いて見えた。画面越しに見てこんな風に思うのだから、実際に目の前に差し出されたらとてもうれしい気持ちになるのだろう。その本を書いている人は、週末は山奥の別荘に行き、朝昼晩とたくさんのサラダやサンドイッチやスープを作り、家族や友人たちに振舞っているそうだった。素直に憧れの気持ちを抱く。こんな風に大勢に、おいしいもの、見ていてドキドキするようなものを差し出せるのはいいなあと思う。


それでさっき、部屋について、自分の食べるものの味気なさを再確認して、気持ちがやや落ち込んだ。一人で食べるもののためにあれこれ頑張る労力は、とても生まれない。最近彼の部屋で料理を作ったりもしているけれど、先日作り置きしておいたスープが一週間経ってもそのままの状態で放置してあって、さらにはサラダまでもが冷蔵庫のなかに入れっぱなしになっていて、それはそれは悲しい気持ちになったのだった。必ず食べてねとまでは言わないけれど、自分で作ったものが人の家で腐っているのを見るのは辛かった。


話は変わって、さっき「小さな夢リスト」を10書いた。夢や希望を持つことに悲観的ではあるけれど、こんな状況だからこそ小さな夢を抱かなければ、枯れてしまうような気がしたので。
私の夢は、ほぼ理想の家と化していた。おおきなお風呂、おおきな窓、おおきなベッド、おおきな台所‥(不思議と、家の外装や大きさはどうでも良い。あくまでも自分が使う場所が大事)書いていて、ちょっと滑稽だった。「おおきなベッドに大の字で横たわって、気持ちの良い風に吹かれながらひたすら眠る」というささやかな夢はいつか叶えられたらうれしい。

こんな風に書いては、ますます虚しさが募るだけ。救われないからこそ、なんでもやってしまえるような気も、するけれど。

おわり。


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左岸 [MAIL]