昼食に誰かを待つ日は

2020年02月07日(金) 話すことがない

昨晩はうまく寝付けなかった。隣で眠る彼の隣で安眠ができず、むしろ思考がクリアになってしまうこの状態を冷静に見つめてみたのだが、自分の殻を作って緊張感を発してしまっていたのかもしれない。人といる時、緊張している時と緩和している時の差が、私にはものすごくある気がする。こんなにも身近な人に対して身を固めてしまうというのは物悲しい。早く眠りたくて、ヒーターの明かりをじっと見つめていたけれど、やっぱりうまく寝付くことができなかった。誰に対してもオープンで、どこにいてもニュートラルで、緊張ではなく共鳴するような人を心底羨ましく思う。

仕事は眠くて眠くて仕方がなかった。特にお腹は空いていないけれど、近くの定食屋に行って、いつものおっちゃんとおしゃべりをする。テレビではコロナウイルスについてのニュースが流れていた。
昨晩、レベッカブラウンの『私たちがやったこと』に収録された短編「よき友」を読んだ。この話は偶然にもまさに肺炎に患って苦しむゲイの男性が描かれている。私には全然フィクションには思えなかったせいか、あまりにその描写がリアルに想像できて、涙が止まらなくなってしまった。トムというその男性は、乾いた咳が止まないし、汗も出て、車椅子を強いられるそんな状況でも(そんな状況だからこそ)、心許せる友人を招いてパーティーを開く。でも、彼以外の人間はマスクを装着し、薄手の透明なゴム手袋をはめて、心なしか彼と接触するのを拒む。楽しげにしているのだけれど、もうすでに彼と彼らとでは生きている世界が違うとでも言う風に。それでも、友人たちとの時間を、限られた時間をなんとか楽しく過ごそうと振る舞うその彼の、底知れない寂しさを想像し、ちょっと引くほどに涙が出た。病人を前にした友人の、葛藤、彼と一緒にいたいのに一刻も早く離れたい、彼には逝ってほしくないけれど、彼と同じ空気を吸うことの恐怖、そのような葛藤は、肌で相手に伝わってしまうのだろう。失えるものがあるうちは、まだ幸せなほうなのかもしれない。失うものがあるというのは、まだ尊いことなのかもしれない。こういうことが今もどこかで起きていることと、明日はわが身だということ。
話はそれて、そしてコロナウイルスのニュースを見ながら食べる鯵の南蛮漬け。先日自殺してしまった日本人の男性について、店の主人と話す。
「そんな、死ななくても。死ぬ前にここに来てくれたらなあ。鯵の南蛮漬けでも、なんでも食べさせてやったのに」

仕事を終える。この間、事務所を出たのはいいが、何も持たずに帰っていることに気づいて戻ったので、それがあったせいか(毎日何かしらを忘れているのだが、鞄は初めて)「甲斐さんが何も持っていないと、そのまま帰っちゃうんじゃないかと不安になるよ」と周囲を不安にさせていたようだった。今日は、ちゃんと鞄を持ち、そして帰宅。今日は本当に寒い日だった。適当に胃袋にご飯を詰めた後で、ハン・ガン『少年が来る』の最後の章を読み終えた。なぜか途中から、書かれている言葉を口に出して読んだ。この小説家を私は尊敬しています。苦しみ抜いて書いたことが伝わるから、少しでも、その魂を感じたくて、近づきたくて、かな。声に出して読んだ。韓国文学だと、フェミニストの何かがもてはやされているけれど、そのような場所とは違うところに身を置いている気がするし、そうであってほしい。小さく、けれど誰よりも熱を持って書かれている言葉が、話があるということ、それを読めるということに感謝。大事なことは小さな声で囁かれている。
その後は李承雨の『真昼の視線』を読了。これはまだ、消化しきれていない。
「話したくないのではなく、話すことがない」(『真昼の視線』)

今朝、井上に『植物たちの私生活』を貸す。というより、私が寝ている間に持って行ってくれたようだった。


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左岸 [MAIL]