昼食に誰かを待つ日は

2020年02月04日(火) 夜の夢ではない夢

mei eharaさんの曲を聴いている。『私をしも』というアルバムの、名前からして良いこと。『ある喫茶』というタイトルの曲名があって、なにもかもが静かにしっくり、くる。

火曜日。仕事。なだいなださんのブログを読んでいた。午後、西国分寺でライターのKさんと打ち合わせ。去年の暮れ、エコノミー症候群にかかって入院生活を送っていたKさんは、この症状の馬鹿にできなさを力説してくれた。なんとまあ、一歩間違えたら死に至っていたのだという。甲斐さんも気をつけたほうがいいですよ、と忠告をされる。
打ち合わせ以外の話が大半で、やっぱりなんの話をしたのか今全然思い出せない。こういうことが最近本当に増えてきている。
夢はあるの?と尋ねられて、特にありませんと答えると、「今の20代の人ってそういうものなの?」というので、「諦念感はあると思います。何かに熱心になること、あんまりないかな」と答えると、ほほうと納得しながらも驚いていた。小さな夢でもいいから、ないの?ともう一度聞かれたので、「窓が大きくて、お風呂が大きなところで暮らしてみたいです」と答える。そんなこと、叶えられるに決まっているじゃない、という。
そう言われるとそういう気がしてきて、万歳をした。でもこれ、私の中では大きな夢かもしれない。大きな植物も、置きたいし。ただし、生活は本当に小さくていいんだけれど。下手しても私生活をラッピングしてわざわざ外側に差し出す、という愚かなことはしたくない。
Kさんはよく笑う快活な女性で、元気が出た。帰りにシュークリームをいただく。

終え、帰宅。つかれて、何も考えたくなく、mei eharaさんを聞き、昨日の鍋のあまりを煮て、煮てもやはりひとり。そしてシュークリームを食べて今に至る。鍋のスープを思い切りこぼし、自分でも聞き取れないような独り言をぶつくさ言っていた。知らない間に独り言が増えているような気がしている。話し相手がいないとこうなってくるのだろうか。

昨日の夜は、レベッカ・ブラウン『私たちがやったこと』を読んだ。この本が昨日手元にあったことはとても大きなことだった。この本の中に自分がいたから、客観的に事を捉えることができて、拠り所がなかった精神を鎮めることができた。今日も続きを読もう。そして、よく眠りましょう。


恵方巻きを食べ損ねたよ。


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左岸 [MAIL]