昼食に誰かを待つ日は

2020年01月23日(木) チープなドレス、神聖な布

午前中、一本の企画が通る。そして一本の企画は遠い未来に向けて保留になった。あの本をもしも出せたならば、私の一生の思い出になったろうが現実は厳しい。その著者はあまりにも著名な人だったから、でも一緒に仕事はせず永遠に憧れていたいという気持ちがあって、正直安堵したのも確かだった。それにしても、会議っていうものは時間が経てば経つほどに飽きて、言葉もだんだんと霞んでくるから前半に言いたいことを言っちまうのが勝ちだろうと思う。ということで前半言いたいことをすべていい、後半は半分脳があっちの世界に行っていた。

昼間はKさんとHさんと隣の定食屋で昼ごはん。テレビで「007は二度死ぬ」が流れていた。私は鰆の定食を、Kさんはカキ定食を、Hさんは茄子のはさみ揚げを食べながら、無言でそれを見る。ジェームズボンドが歩いている最中落とし穴に落ちるシーンが、少なくとも3回くらいあって、ずるりとどこかに滑って行く先に必ず椅子が用意されてあり、かなり長いこと滑っているにもかかわらず必ずお尻は椅子に収まる。見事な着地ぶり。真顔でそれを眺めていた。誰も何も言わなかったが、定食屋の店主だけは「おお!」とか、「ああ!」などとぶつくさつぶやいている。なぜか舞台が日本で、相撲のシーンが流れているときには「あれ?チャンネル回した?」と尋ねられたが、「あ!そうだそうだ。これ舞台が日本だもんなあ」と自分で自分に納得し、そのままずっとテレビの前に立っていたのだった。いいお店で、いいおっちゃんで、私は好き。

帰り道、友人の披露宴が間近に迫り、でも着ていくものが何もないというHさんとウェディングドレスの話になる。以前参加した結婚式が低予算だったのか、花嫁が纏っていたウェディングドレスのクオリティーがあまりにも低くて、もはや見ているこっちが悲しくなってしまったという。そして、そんな風になるのならば、お金があまりかけられないからといってチープなドレスを選ぶくらいならば、ただの「良い布」を身につけているほうが良いのではないかという話になった。そして盛大にする必要もそんなになく、むしろ静かな部屋で茶でもすすりながらしっとりした結婚式があっても良いよなあという。「布」を纏って茶をすする。もはや儀式である。ウェディングドレスに一度も憧れを抱いたことがないが、こういう形ならばちょっと良いなと思う。でも、夢は夢。ウェディングドレスという概念、存在は永遠に神聖なものであってほしい。そこで安っちいもの、チープなものを纏ってすべてを壊したくはない。0か100。
白い布、白いドレスは神聖。でもどこか死の匂いが漂っている。そもそも「白」はそういう雰囲気を孕んでいる。アメリカ映画によく出てくる真っ白い家なんか、本当にこわい。不気味だ。でもあまりにも真っ白、嘘みたいな真っ白で、白い布やドレスとは質が違うのかもしれない。偽りの白の、それはそれは鳥肌の立つ恐怖。(デヴィットリンチの『ブルーベルベッド』がだいぶトラウマになっているのかもしれない)
白いドレス、花嫁といえば、映画の『リップヴァンウィンクルの花嫁』のcoccoが即座に浮かぶけれども、あの儚さ、死の香りは美しい。あれは偽りではなくて、ほとんど透明で、透けるような白だ。(あのcoccoを見て嗚咽をする。彼女の身体は見ているだけで苦しい)
白い布。死んだときに顔に布をかけるのは「尊厳を守る」説があるという。それから、清浄としての意味も。死ぬ時は雪山でぽっくり、サラサラした雪の上で綺麗に死にたいと思うのは、無意識に「綺麗でいたいから」なのかしら。
ハン・ガンの小説では、自分の死後、魂になって自分の死体を見下ろして、そのあまりの汚さ、臭気に耐えられなくなるという描写が出てくる。それこそ尊厳の"そ"の字もなく、蛆虫が湧いて、顔は顔と認識ができず、そういう自分をずっと見下ろして、けれど実体も持てない今では、涙も流すことはできず、ただただそれを見下ろすことしかできない。涙が流せないのに、見下ろす自分の死体の目には蛆が湧いている姿を見つめること。自分の人生の集大成がそれだとするならば、あまりにも酷く、悔しく、やりきれない。この人生に何の意味があったのだろうか、と思わざるを得ない。
さっき読んでいた本で、
"判決が確定した死刑囚が一番「認めたくない」と感じていることは何だと思う?"
という問いがあった。刑が執行されることでもなく、被害者に復讐されることでもなく、答えは「自分の人生には意味がなかったかもしれない」と思うこと。これが一番怖いことらしい。
だったら、その意味を与えるものとして、残されたものができることとして、せめて、尊厳を。白い布を。
別に人生に意味など必要ないと思っている。でもいざ死ぬ直前になると、やっぱり自分の人生にそれなりの意味を見いだしたくなるのだろうか。私は自分の死体を見下ろす時が来るのだろうか。酷い死に様だったら、誰にも見られたくない。なぜ死の話にそれてしまったの。でも野村沙知代大先生(尊敬してます)がとてつもなく心強い発言をしている。
「あの世ってきっといいところよ。だって、誰も帰ってこないんだから」


今日も早寝早寝。寝ている時は軽く死んでいる気がしているけど、帰ってきているのだからそこまで夢の世界は良いところではないのかもしれない。


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左岸 [MAIL]