昼食に誰かを待つ日は

2019年06月14日(金)

夜。ぽつりぽつりと雨が降って涼しい。シャワー後に即ベランダに出て外気にあたる時間が幸福。
薔薇の花がすこしだけ枯れてきているけれど、まだ頭は垂れていない。近くに花があるとうれしい。明日、また花瓶と花を買いに行きたいな、と思う。けど、明日はバイトだ。カレーを作らなきゃ。2週間くらいバイトに入っていないから、きっと何もかもを忘れ、しきりにぐちぐちと何かしら言われるのだろう。それでも、この仕事は嫌いじゃない。体を使う仕事は本当の労働だ、という気がしている。そして自分にはこっちのほうが向いている。現に、今日PCの前にずっと座っているときに、ああもう駄目だ。と、突然スイッチがオフになってしまった。同時にあらゆる逃亡方法を考える。将来は綺麗な海で身投げをしてすべてを終わりにしよう、などと浅はかなことを本気で思った。死ぬことを考えるとふっと楽になる。これはマイナスな意味でなく、生きるための手段。また嫌なニュースが飛び込んできて暗澹たる気持ちになったのだけれども、今度は次第に、腹が立ってきたのだった。このヘンテコな社会のなかに、確かに身を置いているけれども、なぜこんなにも毎日、自分がわざわざ落ち込まなければならないのか。私は私の生活、というより自分を守らなければならないのだ。ということを思い出し、自転車を強く漕ぎ、漕いで、漕いで、そして泣いた。この姿勢を忘れると、一気に弱くなって、力尽きてしまう。いつもひとりでよっこらせと立ち上がり、いつもひとりでしょぼくれて、そんなことの繰り返しではあるけれども、なんとか生きている。それでも毎日悲しいです。それでも毎日絶対にひとつは、幸福なこともあります。今日は、さっきの一瞬。ベランダで外気に触れたとき。こんな小さなことを、わたしは幸福だと思う。そばに花があることも。今日は突然思い出したことがある。私の精神状態が相当に良くない頃に、とある人が夜車で海に連れて行ってくれたのだ。なぜそういうことになったのかというと、わたしが突然に、ほんとうに突然に、「海に行きたい」と言ったからで、それで、わざわざ横浜から車で来てくれた。その人のことは好きでも嫌いでもなく、今でも印象が薄い。それでも一緒に海に行った日のことを今日思い出してみると、とても懐かしい気持ちになる。夜に出発したために着いたのは真夜中近く、あたりは真っ暗だった。人も全然歩いていなかったし、灯りも少ない。けれど、その暗さが逆にわたしにとって安全安心で、おそろしくテンションが上がり、車を駐車場に止めてからすぐ駈け出すと、海の付近に線路があった。それで、ステンドバイミーごっこがしたい、とまた突飛なことを提案して、ステンドバイミーのあの歌を口ずさみながら、線路の上をたったたったと歩いて、死体探しの真似をした。もちろん見つからなかった。線路を歩いていたら海について、真っ暗だったから遠くの灯台の灯りや星がいやにはっきりと見えた。肝心の海は真っ黒で、それでも波の音はちゃんと聞こえた。わたしにとって、夜の海、誰もいない海、はやっぱり安心安全そのもので、ほんとうに嬉しくて、だから砂浜の上で好きなだけ踊り、つかれて波の音を聞いて、星を見て、そのときはずっと幸せだった。そういうようなことを突然思い出した。あの精神状態でいることは本当にしんどかったのだけれども、それでも、自分に素直に生きていた。ほとんどずっと泣いていたけれど。急にこうして強くなったようなつもりではいるけれども、多分根っこの部分は全然変わっていないのだ。いまでも、真夜中の真っ暗闇の海に行きたいと思うし、それに、砂浜の上で踊りたいとも思う。全然おかしなことではないのだ。どうしていま、週5で、それなりに働けちゃっているんだろう。何より、よくもまあ、一人で暮らせているものだ。いろいろしでかしてはいるものの(池に人を落としちゃったり!)、それでも、こんな当たり前のことが当たり前ではなく、ちょっと奇跡にちかい。皆が当たり前だと思っていること、全然当たり前じゃないよ。だから、みんなすごい。
成長しているのか、成長していないのか、全然わかんない。それで、社会の常識も身についているのかわからない。それでも、あのときといまが違うのは、なんか、「自分」が、「私」が、減った。だからちょっと楽になった。なんというか、そこらへんを漂っているタンポポの綿毛みたいな、そんなような感覚になった。通過して通過して、ときどきどこかにふっと止まって、そして過ぎ去って、過ぎ去っていくことも忘れられて、それでも続いて、どこに着地するのかはわからないけれどなにかに身を委ねている感じ。「私」を減らしたい。

そのために、もっとしなくちゃいけないことは観察だ。小さなことを、見逃しがちなことを、よく見つめること。仕事、辞めたいな。生きるためとはいえど、1日の大半をPCの前で過ごすなんて人生損している。めまぐるしい情報など、頭のなかに入れたくない。私・私・私ばかりの人たちで、ひどくつかれる。

こんなことを別にいいたいんじゃなかった。
やさしい人に会いたい。やさしい人になりたい。
与えるんではなくて、受け入れられる器みたいなものになりたい。
すべて、いろんなことが入ってくるなかで、でも、自分のことをふっと受け入れてくれるところって、全然ないじゃない。見て、聞いて、うなずきたい。


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左岸 [MAIL]