昼食に誰かを待つ日は

2019年05月30日(木)

朝。青空。カーテンを閉めないで寝ているので、6時ごろ光が差し込み健康的に目覚める。その後二度寝をし、若干寝すぎてしまった。

自転車で通勤。PC起動。特別忙しくもない日。

ずっと座っていることが出来なくて、途中で外に営業へ出た。涼しい日。なにをしたのかあまり思い出せないけど、アイスコーヒーを2杯飲んだ。夏はアイスコーヒーではなくホットコーヒーを飲もう、と決意したばかりなのに。
ふらりふらりと戻って、戻ってもまだ17時。ほんとうに今日はなにをしていたのだろう。
そういえば朝、きょうが金曜日だと思い込んでいた。5月31日だと思い込んでいた。でも今日は木曜日だった。思い込みたいだけで、でも現実は現実である。
思えば、つい最近まで社会人になることなど到底不可能(ましてや週5働くことなど想像できなかった)だと思い込んでいた。それに、なぜだか社会は冷たいものだと思っていた。けど、意外とそんなことはなく、そして大人たちはシンプルだった。勝手にことを複雑に、難しく、自分の首を絞めるように考えていただけだったらしい。というより、そういう人たちから離れたところに身を置いているだけなのかもしれないが。
身の安全、精神の安全を何より一番に考えたい! 去年や一昨年は目上の大人と喧嘩ばかりしていたが、今はまったく穏やかで、穏やかすぎて、軟弱になってきたような気がする。心の獣が冬眠したような。

隣の席のMさんが、机の上に見たことのない植物を置いている。妙で、なんか長い。
あまり言葉を発さないMさんが時々鉢を抱えて水を注ぎに行き、そしてまた元の場所にその謎の植物を戻す。
そのときのMさんは満足気だ。
これは一体なんなのだろう、と思いながら、目のやり場に困るときには隣の席から、それを眺めてしまう。
なんというか、枝にそっくりなんだけど、鉢にすっぽり収まっている。
きれい、とか、そういった感情を一切抱かせないので、確かにこれは、置きたくなるような気がしてくる。
いちいちなにかをきれい、うつくしい、と感じる必要はない。

それでも仕事の後屋上に行って空を見上げていたらば、その空はたいへん美しかった!

そういえば、今朝I君から連絡が来たのだが、私の写真(動物園でクマの銅像と写っている。それもふてぶてしい顔)を間違えて親戚一同に送ってしまったというのだ。何をどうすれば間違えるのだろう。受け取った方々のことを思うと、謝りたいような気持ちになる。急に、クマと写っている見ず知らずの女の写真が送られてきたら困惑するだろう。こちらも胸が痛み、このことはなかったことにしたい。

本当になにもない日であった。それでいい。



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左岸 [MAIL]