昼食に誰かを待つ日は

2019年05月25日(土) 日記

シモーヌ・ヴェイユの『工場日記』、メイ・サートンの『独り居の日記』を同時に読んでいた。
とくに「日記」を買おうと思って買ったわけではなく、偶然に、この2冊が手元におさまっていた。

日記。

日記は毎日書いている。手書きの日記帳もあれば、PCのなかに保存しているものもあれば、適当な紙っぺらにその日の出来事を乱雑に書き記したものもある。それに加えて、この日記サイトを見つけた。多くの誰かが「ただ日記を書いている」シンプルさが気に入った。
わたしはさいきんめっきりネットから遠のいていて、(単純に光で目が疲れる)仕事以外ではもはやインターネットに触れていない。でも、久しぶりにこの変なサイトのなかの、見知らぬ人の日記を読んでいるのはなぜか心地よかった。なんか、一昔前のにおいがする。それが良い。だからこれにも書いてみよう、といま書いている。

きょうは独り屋上に座っているときに、サガンの名前は、変換すると左岸になるのか。綺麗だな、と考えていた。左岸、字面がいい。気に入ったから、左岸。とここの名前に打ち込んだ。
検索すると江國香織の小説が出てくる。それもそれで気に入った。

何でもないことを、取るに足りないことを、ボソボソと書き連ねていこうと思っている。
このサイトが無料で使用できるのは2週間と定まっていて、それ以降は有料になる。
なんとなくこのサイトにはお金を払ってもいいんじゃないか、という気がしています。

飽き性だから、すぐに飽きると思うけれど。

今日はアコーディオンで「幸せなら手を叩こう」を、大変たどたどしい指使いで弾いた。音符も読めない人間が、よくもこんなに複雑な楽器に挑戦しようと思ったものだ。独りで奏でられる、というのがこの楽器の良いところ。
だからか、アコーディオンを触るひとには圧倒的に「おひとりさま」が多いらしい。
蛇腹を動かすとき、呼吸を吐いたり吸ったりしながら、一体になる瞬間があって、それが心地よい。
普段使わない指を使って、脳がつかれる。終わったあとに食べるチョコレートがやたらと美味しく感じられる。この時間がとても好きだ。今日はジーンケリーの曲がずっと流れていた。べつにうまくなりたという訳ではないけれど、楽器に触れる時間、へたくそだけど、自分の音を出す時間は、いまのところ尊い。

今日はようやく金曜日。明日も労働。でも、『工場日記』を読むと「労働」と言えるようなことは何もしていない気がしてくる。それでも、頭を使うよりも手を動かしたい、身体を使いたい。できないことがたくさんあって、野菜の切り方も下手で、当たり前のことが当たり前にできない。でもじぶんの不器用さを実感することは時になぜか不思議な安心感がある。手を使う、身体を動かす、あちこちに意識を向ける、そういうことの積み重ねは、わたしにとって大事な作業だ。訓練だ。
しかし、休みたいなあ。めんどうくさいなあ。というのは本心。棘のある言葉を店主に向けられると、素直に心がひりひりする。
何かできるようになるのは、わたしは、たぶん50歳を超えてからくらいなのではないかと思う。だからそれまでは生きていないと。

今日はここまで。ノラ・ジョーンズの新しいアルバムが素敵です。


正確な5月25日の日記。

前半は5月24日のもの。でも、書いた時間はすでに0時を過ぎていて25日と表示されている。
いまが、確実な5月25日。の、22時半。朝起きると、空に雲がひとつもなく青空で、気持ちが良かった。
こんな日に働きに出るのは億劫で、だから布団のうえに長いこと寝そべっていたが、意を決して目覚める。
暑くなる前の涼しい朝に、せまいせまいベランダに腰掛けて、ずっと上を見てた。
働き先の駅が、好きではない。やっぱりきょうも人が多く、それだけで辟易とする。いったいこんな暑い日の昼下がりに、みんなどこへ向かっていくんだろうな。八百屋のおじちゃんは今日も声を張り上げて、青果を一生懸命に並べていた。おっちゃんのそういう姿は見ていて気持ちがいい。

開店15分前に店に着く。店主は来ていない。でも、お客さんが来てしまった。
席に座らせて、水を持って行き、曲を流し、店主が来るのを待ち、けっこう待ち、そして現れた店主は顔色がいつも以上に悪く、半ズボンをはいていて、両手には重そうなビニール袋を抱え、そこにたくさんの野菜が詰め込まれていた。
お客さんはきょうも少なかった。怒られるのがいやできびきび動くと、怒られる代わりにいつも以上に話しかけられ、それはそれで手を動かしながら対応するのが難しかった。
途中で店主はいなくなった。しばらくすると帰ってきて、なにをしていたかと尋ねると「境内のなかで涼んでいた」という。そうですか、と返事をして、労働を終える。ときどきトンチンカンな発言や行動をするこの店主をけっこう好きだけど、きょうもそれなりにチクチク刺さる言葉があった。カナダ土産の長いメープル味のポッキーをもらう。メープルの素朴な味がした。帰り道にも人があちこちにいて、それはそれはつかれる光景だった。暑い、というだけでたちまちすべてのことが嫌になる。

今日読んだ小説のなかの「ビビ」という女性のこと。きっとこれから思い出すであろう女性のひとり。

ビビ。ずっと病気で人と同じことが一度も出来なかったビビ。手が綺麗なビビ。教育なんてろくに受けていなかったビビ。日課が、アパートの屋上で、物置に座っているだけのビビ。結婚相手がいつまでも見つからなかったビビ。青春なんて一度も知らなかったビビ。病気の暗さが毛穴の奥から滲み出ていたビビ。誰の子かわからない子供を身ごもって、そして病気が治ってしまったビビ。相手が誰なのか、誰にも口を割らなかったビビ。ビビ。悪魔、と呼ばれていたビビ。

ビビ。ただ呼びたい。


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左岸 [MAIL]