スリムクーラー1L



○○(地名)のおっちゃん、おばちゃん

2021年01月13日(水)

ちっちゃかった頃、よく祖母や母が「○○(地名)のおっちゃんが…」とか話してるのを聞いた。

なんとも思ってなかったのだが、今、まさに、自分がその「○○のおっちゃん」になってるんじゃないかと思うことがある。

で、考えてみると、いとこもいない関係の、つまり結婚してなかったり子供がおらず、ひとりでへんぴなところで暮らしてるおっちゃんおばちゃんについては、所在地+おっちゃんおばちゃんと呼ばれるというシステムだったのかなあと思う。いとこがいれば「○○ちゃんのおっちゃん」でいいのだが、そういうのがいないと、居るところにおっちゃんおばちゃんとくっつけて呼ばれるんだ。

でもあのころはまだ全然、しゃべらない、胡麻のおっちゃんとか瀬田のおばちゃんが、たまに放浪者のようにやってきて、何日か朴訥と過ごし、またふわぁっと帰っていく…というよくわからない時間があった。遊んだ記憶もしゃべった記憶もないのだが、いた記憶だけがある。たぶん今もう死んでるだろう。

現代社会において、わたしがそんな感じで今ある眷属のリングのなかに居れるかっていうと、そんな隙はまったくなくて、ああ、鷹揚さのない、きもちのわりぃ社会だなと思わずにいられない。

そういうものが「影」を落としてはいけない社会なのだ、と思う。なんか4人で道幅いっぱいに横並びでまったく人が見えないかのように話している人も、影を落としたくないからホームレスを見ないし、誰も避けようとしないのだ。「下がる」と、「影」の意識をもつと、暗渠行き、つまり終わりなのだ。日本には、行き先は暗渠しかない。たまにそういう上昇志向じゃなくて、(仲間から)堕ちない志向のようなものを若い人から感じる。その堕ちるというのも結局はクラスタの移動であって、なにも嘆くことじゃないのだが。若いうちは。と書いてみて、たまにテレビできく「40やのに」とか「男やのに」とかは、ひとのチャレンジ精神をとにかく阻むなあとおもう。くぐりぬけて美談になれないようなものも蠢いていける世の中にしていきたいなあ。あー。

1Kの学生マンションに住んでるので、最近SUUMOでそろそろ定住しようとおもって中古物件を見てるが、さっき言った胡麻とか瀬田というのは買えそうなのだがそこそこへんぴなのだ。それで、地名のおっちゃんのことやおばちゃんのことを考えていた。自分もその地名のおっちゃんになる(誰にも知られずに!)のだと、ふとおもった次第。

※一応言っとくが、別に胡麻や瀬田がへんぴだと言ってるわけじゃないんじゃないですよ。

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nemaru [MAIL]

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