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思い出話(鈴木謙介〜ネット)

2020年12月28日(月)

朝はいつもめざましテレビ派なのだが今朝はたまたま6をつけていて、おはよう朝日だった。起き抜けに気力もわかず、ただ「あのエレクトーンとうさぎのやつまだやってるんや〜」と思ってると、新聞を並べてしゃべるコーナーにcharlieこと鈴木謙介さんが出てたので「えっ」となった。

去年、コロナで図書館が閉まる前に慌てて借りたのが鈴木謙介さんの『ウェブ社会の思想』『ウェブ社会のゆくえ』だった。これらの本に書いてあったのが情報空間の「多孔化」という概念で、これはドーム状の文脈が共有された空間に、オゾン層に穴が開くようなイメージで、他の文脈からさまざまな情報が飛び込んでくるよといった事だったかと思う。

ポケモンGOの情報によって、なんでもない道端に人が固まってるとか、一緒にごはん食べてるのにスマホでなんかやりとりしてるとか、向かいにいる人が向かいにいながらにして全然外部と情報をやりとりしてたり、全然共有してる文脈や社会規範が違ってるかもしれないみたいなことになるみたいなことだった気がする。

最近Youtuberになる妄想をしてて、そこでインターネットの詩について語りたいと思ってて、インターネットに入るときには、インターネットというドーム状の空間があって、そこに開いた穴から、それぞれが寄生獣の胞子みたいに降り注いだということを言いたいとおもってる。

降り注いだ座標は時代が下がるにつれ経済的にも技術的にもパーソナルになる。常時接続なんか大学とかだけで、あとは家でテレホーダイだったり。あるいはガラケーのインターネット機能からしか入ってこれなかった人や、ちょっと金があってサーバー借りる人とか。

わたしはジオシティーズで無料のホームページを作ってバナーやWebringで擬似的に向こう三軒両隣をつくって、そのジャンルのポータル的機能を果たす場所(詩の場合だと投稿サイトか、詩の同人サイト的なもの)のうち、もっとも自分に適合するクラスターに移動して所属して、だんだんライフステージが忙しなくなってきて、自然消滅していくみたいな流れがあったようにおもう。で、この頃に忙しかった人の出戻りする人がいる。それはある種の呪いというか、端的にいえば現実に戻る場所がなかったということがあるのかもしれない(わたしもそうなのだ)。

あるいは、色々あって「ここ」にまったく気づいていなかった人が最近気づいたりして、たまに文脈を辿ろうとしているのを見たりすると、最初からインターネットと折り合いをつけて節度をもって接してきた「大人」と、ライフステージの繁閑がもろに接続状況に影響する「若者」がいて、そのあとから来る人というのは「若者」じゃない場合は、なんで生きてるのか、とか、生きてる意味というか、表現手段を探している、何ものかになろうとあがいている人ということになる。ただなんとなく女性のほうが経済的に安定し、男性はみすぼらしい。黒田三郎さんの詩の書き方の本に「女性は耐えてきたものが噴出して心配になるが、男性は心得があるぶん生ぬるい詩になる」みたいなことを書いてて、それは新聞投稿を念頭においた発言だったのだが、今のネットの状況でいうと、有閑マダム的な女性と貧しい男の自己実現の場になっていて、心得はむしろ女性のほうがもつようになってきている気がする。かといって新聞投稿のころとは逆に、男性のほうが耐えてきたものを噴出して心配になるかといえば、そんなことはなく、もともと男は同性からも異性からも心配されないから何も起こらないのだった。まあそんな感じで、結局そういう立ち位置の違う男女が同じところでもんもんとしているのをみると基本的にはざまーみろというのか生老病死というのか、結局人生いいことなんてないんだなーみたいな、ただ安定しても特になんもならないんだなーとは思う。
そういや数年前花椿で連載されていた、はるな檸檬のダルちゃんという漫画でも、なんとなくこのへんの「噴出」をめぐる男女の対立のようなものがかかれてた気がする。

単純にネット上では、ある程度「切る」ことができるので、噴出したところで、新聞投稿のように直結するわけではない。逆に、インターネット上では、心得ることと、実名や仮名といったパラメーターの加減によって調節しなければならなくなる。そして、新聞のような、みんなが見るひとつの場所ではなく、ひとつの場所をみんなに見せる戦略が必要になってくる。

このクラスターの移動も「居心地」や「レベル」もあれば、たまたま最初に目についたのがそこだったとか、憧れの人がそこにいたとか、いろんな理由があってそこに居つくことになる。自分のホームページというのをもったところで、結局来てもらうにはどこかにうっすら所属したり、BBSに挨拶してリンクのページにお互いのバナーを貼ってみたいなことをする必要があった。

で、ポータル的な場をつくる人というのが当時わたしが「大人」だと思ってた人たちで、今思えば時間を持て余しているというか、昔とった杵柄で、何かしら業余を活かすような動きとか、インターネットというものに対する期待が入り混じったような、ある種の使命感があったように思う。わたしたちはお金もないし、テレホーダイでピーガーやって、無料でサーバーのスペースを数メガ借りてこちょこちょやってたころ、大人はロリポップ(しらんけど)とかさくらインターネット(しらんけど)のサーバーを借りてCGIでなんか色々ビジョンをもって自分の城を作っていたのだった。

あと、サイトの構造そのものにその人のセンスがもろに出るし、毎日通うようになると、だんだんフレームの中のフレームの目次を押して、というふうに勝手知ったる動きでお目当ての場所(一番更新頻度の高い場所)に行って、新しい書き込みを読んだりしてた。

(つづかない?)


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