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2020年10月16日(金)

たまに、工場の人が産休をとるにはどうすればいいのかと思う

工場といってもそんな大規模ではなく、手作業の、
「こうじょう」と「こうば」の中間の規模、かつ、
コミュニケーションになんらか特徴あって、
そこに押し流されて来ている、
というのか、コミュニケーションで順番に産休をとっていく
(うちの事務には暗黙的にその雰囲気がある)ような
           ﹅﹅﹅﹅
コミュニケーションは「とれない」現場で、
数ヶ月、現場に、穴をあけて戻ってくるためには、
いったい何が必要なのだろうかと思う。

そのような職場環境では結婚=辞めどきであり、
そこに夢を見るようなていで飛び立つしかなく、基盤を整えてから
辞めようということができず、それもただ「はずかしい」といった
表現でなされるときもおおい。

わたしはそれはとても理不尽で、不平等なことだなと思う。
正規の人間はふたりとも同じ会社に勤めながら産休をとり戻ってくる(そして二人目へ)のに対し、
工場のパートはその手が使えない数ヶ月はそれなら辞めてくれ、と無言の圧がかかり、本人もそれを前向きに、踏み切り板に幸せのふりをして新天地に巣立つしかない。そこから先はわたしたちは知らない。それは新天地のようでいてもしかしたら暗渠かもしれないのに、おめでとうとしか言えない。

仕組みをつかえるように算段をととのえる、ということがとても重要になってきていて、私たちはいろんなことをよしとしなければならない。私は結婚しないし子供も産まないが、私が結婚も子供も産まなかった分のことは何も返ってこないし、そのことを権利としてもらえるわけでもない。産休分の産休じゃない休みがもらえるわけでもない。そして産休は休みではない。ただ会社からみたときに休みにみえるというだけだ。だが私も会社から休みにみえるというだけならそういう休みをとりたい。なぜ同じだけの休みを、それをしない人にも与えられないのだろう。バカ、と言われている気がしてくる。




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nemaru [MAIL]

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