スリムクーラー1L



フォーマルは打つ1

2020年10月08日(木)

ここは書き味?がよくてずっとブックマークしてたのですが、ともちゃんさんのことでの返信がどうしてもおもいつかなくて、1年以上書きあぐねてました。

この1年は変に早かった。日記や読んだものを見ればちゃんと時間があった気もするのですが、体感的にとてもすかすかして、茫洋や茫漠という言葉が浮かびます。なにやったかな、って感じです。でも4月のマスクが…、トイレットペーパーが…!というのはとても昔のことです。そしてその半年前がともちゃんさんの追悼のイベントがあって…ということになると、さらに時間の感覚がおかしくなってきて、かるくめまいをおぼえます。



最近、私が昔2chにコピペした松岡宮さんの詩が、匿名のまま斎藤環さんの目にとまり、本(家族の痕跡)に引用されていたことを知りました。現在では斎藤さんが松岡さんに許可を得ているようです。

謝れ職業人
https://pentaxx.hatenadiary.org/entry/20120814

もしかしたら、別の人が同時期に2chにこの詩をコピペしたのかもですが、自分だったと思いたいなあ。いや、ほんとうはやっちゃいけないことだったのかもしれない。いや、いけないことなんですが、、、二の句が継げません。

このことに気づいたのは、松岡さんの別の詩を探している最中でした。探していたのは「きょうの吐瀉物」という詩です。

きょうの吐瀉物
http://web.archive.org/web/20050222061446fw_/http://poenique.jp/kotodama/kyouno.htm

最近の詩は長いのが多いので誦じるのが難しいからか、わたしは最後の2、3行を覚えていて「都会のルールが〜よくあることです」をたまに思い返します。

他にもフォーマルハウツにあった徳弘 康代さんの「ライブレッドの重さについて」という詩の

https://web.archive.org/web/20050102105646/http://poenique.jp/cgi-bin/fhs/cbbs.cgi?mode=one&namber=865&type=0&space=0&no=0

「それはわたしたちを/八月へ向かわせさえするのです」

この最後の感じがすごく好きで、なんとなく詩の中のこういう「さえ」はある種の慣用句というか、セイタカアワダチソウと同じレベルの高濃度詩語だと個人的には思うのです。ある種のリズムとりや雰囲気に使われる詩語でありつつも、それでいてある種とても微細なものを掬い上げたり厳格に適用範囲を定めているかのようにふるまっているようにも感じられるというか、とても不思議な爽やかさをもってる。ふつうそれはそんな作用はもたらさないのだけど、よくよくみると、かすかにわたしたちもひっぱっているというような、そんな良さがある。谷川俊太郎の「語りさえしたのだ」の「さえ」とかがもっている「さえ」も、おそらく「語ったのだ」から「語りさえしたのだ」を引き算すれば、さえの意味もわかるのでしょうが、なんかそこまでしなくても直感的にしゅんでくるものがあるような、それでいて雰囲気だけのような、何か不随意かつ自動的なニュアンスをもった言葉、運ばれているようなかんじをあたえます。




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