スリムクーラー1L




2020年09月03日(木)

数年前から休みたがっている。あれは3月のライオンの何巻だか
島田さんが登山で人を籠絡する人と戦って、あの人はしょいこをいっぱいにするまで帰ってくんなと山形でそこそこジャージの野生児だったので、その登山の人の落石落盤とかも、ひょいひょいとかわして、山のくぼみみたいなところで一息ついているという将棋の盤面のイメージ(ミスター味っこで食べると爆発が起こったりするようなことです)があって、確か、しょいこをかたわらに置いてそこにひじをつきおーいお茶的なものを飲んでいるジャージ島田やれやれみたいな絵だったのだと思うが、それを見た瞬間ずっきゅーんと、ああ、おれもこんなふうに休みたい!と渇望し始めたのだった。

その渇望がもうかれこれ3年つづき、コロナの中でしばし擬似的に得られたのではあったが、かといって、ガチに休もうと思うとこれからおうちを買いたいのに、そんなことはとてもできないと思ってしまう。

山、というのは仕事というか人生というか、ずっと登り続けなきゃいけないもののことである。一定のクオリティを保ちながらしょいこを背負ってずっとずっと登らなきゃならない。一息つくことも許されない。ずるっと下がることも許されない。

いや、目的地について、車をしめて、一瞬そこで先に走り出す人を後ろにみてじんわりとよかったな、と思うというような満足は随所随所、要所要所にあって、
でも私にとってそれは結局しんどいのであった。

それは結局まわす、つまり水車のような、ハムスターの回し車のようなものが、勢いの頂点で止まりかけ、またその頂点にある重りのおかげでまた勢いよく、回り出すようなものであって、それはそもそも勢いの頂点で止まりかけたのも重りのせいだし、勢いよく回り出すのも重りのせいである。ただ、回る方向だけは少しだけ常に、逆に回らないようにだけ気をつけなければならない。もし逆に回ることがあれば、そうなるとあとはずっと、その反対側の頂点から少しずつ下がったところ、またその反対の頂点からさらに少し下がったところへと、反復を繰り返し、まもなく真ん中のそこで留まってしまう。

でも一回止めてみたいのである。



と思いながら働いている。さっきiPhoneのFirefoxのタブが80を超えていたので読んでは消してやっと60ぐらいになった。Twitterで風のハルキゲニアさんや斎藤環さんや熊代享さんがリツイートしてるやつを読むことが多い。精神科医の人は読書家でネットに昔からいてなんか政治性とかスタンスがなんか好きなのだ。それは昔からあまりかわらない。

さっき読んでたのはバレーボール界の暴力という、東洋経済オンラインの記事だった。元バレー選手の益子さんと大川さんとライターのかたの3人でZOOM的なもので話したものだと思うのだが、読んでいて途中から仕事のことや昭和のことや半生のこと、自尊心や自己効力感、ミスや自由、自主性、人生設計、目標設定、ライフプラン、指導、さまざまに飛び交った。

うちの会社は業務を引き継ぐとき、指導者が怖くて(そして粘着質で正解がどうとでもとれるような詰問ばかりしてきて)、誰も引き継げなくて頓挫したりとかして上司もそれに手を打たないのでだんだんうんざりした。

あしかけ5年ぐらいかけて、そういった昭和のバレーコーチみたいな人はじょじょに遠ざけられていった。おせえよ。というのがみなさんの本音だし、そういう人の自主性というのは往々にしてサバイブなのであって、基本生ききるための道があり、それを邪魔するものは排除する、芽を摘むという方向か、好好爺ふうの田舎のねちょっとした粘り腰で居続けるような感じがあり、生き方がもろにでて、往々にして仕事をねじる。

それはもう生まれた時期に掲げられたゴールの光だし、私も少しそれを抱えているからわからないでもない。でもどちらかというと私はその世代の中でも(精神的に)遅れているぶん、もう世の中をあまりサバイブだとは思ってはいないのだと思う。つまりサバイブ世代は朝礼スピーチや面談で光学迷彩を纏いだすが、後発はそうでもない。

これはサバイブ世代のミスが社会的な死を意味する時代の処世術で、それが命取りどころかおいしい時代になったのが私たちなので、

単なる思い込みかもしれないが、私たちはそういうことに対するしなないという思いが強い。そしてそういう思い自体が通貨を信じるようにして覆ってくれている。それは社会に大学生が繁茂して仲良くなりやすいのと似ている。私は破瓜型の専門卒なので地縁ではない人間関係の頃は狂っていてほとんど誰とも喋らなかったので、わたしはその、大学生の距離感のつめかたを見ていると、つらくなる。つまりがんばってしゃべっても気付いたら抜かれている。こめた努力よりぞんざいなトークでさらっと超えていく。そして、さっき私ががんばって喋っていたひとも、もっと砕けて大学生の彼とうちとけている。そうそう、これなのよ、といった感じで相好を崩し、破顔している。
>∩(・ω・)∩<
あれは大学生の通貨のようなものが覆ってくれているのだと私は思う。


ニュータブー

サバイブだと思うからサバイブになるというか。仕事をパワーゲームにしたり言質をとったり「言うた」とか「聞いてへん」とか、それこそミスらないように時間をくそほどかけるとか伝統工芸品ならそれでいいがExcelのひとこまにそんな神経をかけて家でExcelの1を消してるんだよ、お父さんはけっして1を消すことを間違わないんだよとか言うのだろうか。そういうところにまず矛盾を感じて新しいことを行って欲しいのだが、なぜかそのへんだけがサバイブする世代にとっては靄がかかるのかあーあーきこえなーいなのか、まあサバイブが換金されさえすれば手段は問わないのだから、それはそうと、最近自分が適応障害なのではないか?すくなくとも半年前はそうだったような気がしてならない。ここのところ適応障害のような気がする。

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nemaru [MAIL]

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