てくてくミーハー道場

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2019年09月21日(土) 『日の浦姫物語』(紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYA)

2012年に大竹しのぶ×藤原竜也というスペシャルな配役で観ておりますが()、この二人が超絶すごかったという記憶しかなく(ストーリーは大枠は覚えてる。でも最後どうなったんだっけなー?ぐらいのアホ観客)、今回のコンビ(朝海ひかる×平埜生成)については、いささか期待薄ではありました(コムちゃんごめん)



近年、こまつ座女優化?気味のコムちゃん、相変わらず可愛い。そして、相変わらず声質が固い。←

決して悪くはないのだが、今回は座の巡り合わせというのか、“もう一組の主役コンビ”と言っても良い「説教聖」と「三味線弾きの女」の後者・毬谷友子大先輩(同じ雪組ではあるが、コムちゃんはトンコさんが退団してからの入団であるのですれ違い)のめくるめく超怪演に滅多打ちにされてしまった感じ。

まあ、トンコさんと対等に渡り合える女優なんて、それこそ大竹しのぶぐらいじゃなかろうか。

コムちゃんとトンコさんが芝居でからむのは、日の浦姫がすっかりおばさんになって(←語彙力)米田庄の女棟梁とその侍女・月小夜という役柄でなんだけど、すっかりトンコさんの掌の上で弄ばれてる感があった。



稲若と魚名の二役の平埜君は、なにせかつて竜也君がやった役なのでしっかり比べられてしまったと思うのだが、これが意外(失礼)にキビキビ溌剌とした美青年(遠目←おい)

なんだよ、こんな上手い俳優どこにいたんだよ、ってくらいの感想を抱いて経歴を見てみたら、『私はだれでしょう』で“山田太郎”を演ってたあの器用な若者だったんだ。なるほどなー。

口跡もさわやかで、ぼく的には大合格の稲若&魚名でした(ただ、ここは竜也君もそうだったんだけど、上人になってからの落ち着きというか気高さというかその辺を出すにはまだまだ人生経験足りんな・・・という感想)



ただ、今回どうしても書いておきたいのは、この話、本当の主役は日の浦姫と魚名(と稲若)ではなくて、それを語ってる説教聖と三味線弾きの女だったんだなあというのが、はっきりと分かった点。

前回観た時にそれを感じなかったのは、この二人を演じた俳優さんの力不足だったのかしら?と思って当時のパンフレット見てみたら、恐れ多くも()木場勝己さんと立石涼子さんだった。

ば、ば、ば、ばちあたり!!!(ぼくが)

何だろ?なんで今回とこんなに心に突き刺さるものが違うんだろ?

辻萬長&毬谷友子コンビが今回の主演コンビよりも存在感すごすぎたからだろうか?

それとも、前回のぼくが大竹&藤原コンビに思い入れが激しかったからだろうか?

その辺はよく判らないが、この芝居はこういうオチだったんだ(“断罪”について考えさせられる)ということを思い出せて良かったです。





説教節っていうのは、最後に必ず「謙虚な心で仏さまに懺悔するのが、罪を雪ぐ唯一の道なんだよ」というオチで終わるらしい。その辺が時代にそぐわなくて廃れてきたのかもしれない。

けれど、見ず知らずの(あるいは空想上の)人物の波乱万丈の物語に耳を傾けて、「それに比べりゃあたしたちは幸せだわねえ」などと安心感に浸るっていう娯楽は、未だにあるわけじゃないですか。

それこそ、こうやって芝居を観て、「うん、今日は勉強になった」みたいな自己満足に浸ることも、説教節聴いて投げ銭してた中世の日本人と精神的成熟度は大して変わっていないような気がする。

そんなことを感じた今回の観劇でございました。


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