てくてくミーハー道場
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2016年01月23日(土) |
『DNA-SHARAKU』(新国立劇場 中劇場) |
いつまでもSMAPSMAP言ってると伊勢谷友介さんに怒られちゃうので(←誰も幸せにしない皮肉を言うな!)、てくてく通常運行をしてまいりました。
キャスティングがバラけてて面白い。
脚本・演出が『SHOW-ism』シリーズの小林香さんで、おなじみのキャストも数名。
原案は、小説家の冲方丁氏だそうで、内容を簡単(かつ非具体的)に言っちゃうと、「SF」→「未来社会」→「政治vs人心」→「時空トラベル」・・・とよくある設定の中、舞台作品とはとても親和性のある(だからこそ、今まで何十、何百と描かれてきたであろう)「感情活動を危険とみなし葬ろうとする支配者たちと、それに対抗する“創作者”たちの戦い」みたいな感じ。
「人工知能が支配する未来社会」という設定は、それこそ大昔から小説や映画、舞台作品の中で描かれてきたものだが、これがどうも最近では絵空事でもなくなってきているというからびっくり。
Pepperくんを「カワイー」とか言うてる場合ではないのだ(いや、Pepperくんは現実“無害”らしいが)
東京公演は明日で千穐楽だが、まだそのほかの地での公演もあるので、結末はバラしたくないのだが、まあ、お察しの通り、“創作者”側が勝ちます。
ただ、通り一遍に「人間(心)が人工知能(機械)に勝ちました。めでたしめでたし」という終わり方ではなかったので、「陳腐な話っぽいなあ」という懸念は覆された。
ただし(おや?)、その“勝ち方”に、もっと説得力はなかったものかというのが、ぼくの一番の感想であります。
あー、やっぱり、これ?(←これでバレたかな?)っていう流れだったので。
今作品、二幕もののミュージカルで、音楽は井上ヨシマサ氏という、J-Pop界の大御所。非常に耳馴染みの良い「今風」なナンバー群だったのだが、口の悪いぼくに言わせると、J-Pop界に大いにありがちな、「どっかで聴いたことのある旋律」ばっかだった。
まあだからこそ聴きやすくもあり、ヒットしやすいんだろうけど。
そんなノンストレスな(だから皮肉やめろ!)メロディーをぼくたちオーディエンスに届けてくれるキャスト陣が、ごく数名を除いて(ておどるさん、今日はいつにもまして口がお悪い)壮絶歌ウマ様たちばっかりで、この点は本当にうれしかった。
お名前を挙げます。
新妻聖子どの。
坂元健児どの。
藤岡正明どの。
田野優花どの。
Mizどの。
そして(ニヤリ)、中川晃教どの。
そして、よく考えたら当たり前なんだけど、
ナオト・インティライミどの。
初めて歌を聴いたので意外だった歌ウマさんたちは、
Spiどの。
ミッツ・マングローブどの。
上手とは言えないが、基礎はできてる朝海ひかるどの。
(コムちゃんは明らかに美人+ダンス要員でった)
メインキャストで今名前が挙がらなかった方は、「芝居要員」ということで。(おいこら)
うーん、繰り返しになるが、一番の感想は、「どうやって主人公たちが勝利を収めるか」という部分の描き方が「あ、やっぱり?」すぎる、そして、それが「なんでそれで勝ってることになるの?」という、説明力の足りなさが気になった。
もうちょっと理論的な構築はできなかったのだろうかと。
一幕が85分で二幕が60分と、一幕の方が圧倒的に長いのだが、「起承転結」の「転」までを一幕でやっちゃうので(二幕目にさしたる展開がないというわけではない)、むしろ一幕目の方が退屈しなかった(二幕目が退屈というわけではない)
なので、なおさら「いかに勝利を収めるか」の部分に、もうちょっと“何か”がほしかった。突然レビューが始まるんじゃなく(あっ、バカ/焦)
そして、今回もアッキーが安定のキレキャラだった(キレまくってた/笑)ことが、ぼくの満足度を上げてくれました(←)
そういや昔、『超電磁ロボ コン・バトラーV』というアニメがあって、ガルーダという(略)←興味のある方は検索しなさい
ま、音楽にせよ舞台作品やドラマにせよ、全く前例のない新しい発想というのは、時代が下るにつれ困難度を増していくものです。そういう宿命だしね。
今回の作品ではそういうことはテーマになっていなかったが、「創作」というものに触れるときにはどうしてもそういうことを感じてしまう現代の我々。
“未来”のクリエイターたちは、そんな苦しみの中でどのように創作活動にあたっていくのか、そんな話も今度は観てみたいな。ある意味、一番やりにくい題材かもしれませんが。
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