てくてくミーハー道場

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2013年03月01日(金) 『LesMisérables〜レ・ミゼラブル〜』

アン・ハサウェイが、ゴールデングローブ賞に続いてアカデミー賞の助演女優賞とりました。

もちろん封切り前から楽しみにしていた映画なんですが、なんやかんやで今日やっと観に行けました。

デカいスクリーンで、良い音響で観たいので、大き目の映画館へ。

封切られて2か月以上経ってるのに、見事に混んでいた。

で、映画版の感想です。










いきなり興ざめなこと書いてしまって申し訳ないのだが、これって、映画にする必要ってあったんかな?

いや、すばらしいんですよ? 映像も、出演者(のビジュアル、演技力、そしてもちろん歌唱力)も。

でも・・・だからこそ、かな?

これって、舞台用じゃん。

脚本も、音楽も。

むしろ、舞台で観て聴くからこそ、沁み込んでくるというか。



映画って、いわゆるスケールとディテールの映像芸術じゃないですか。

一方、舞台って、リアルなのになおかつ大雑把さが許されるところが良いというか。

細かいところなんかどうでも良くて、登場人物たちのカツラのラインがばればれだろうがかまうことなくて、そのくせ、映画なら“映ってない”はずの出演者も、舞台上にいる限りは絶対に気が抜けなくて。

観客が気にするところが、全然違うんだよね。

映画では、舞台では絶対にできない「雪山の稜線を歩いてきたジャン・バルジャンが朝日を見つめる」「パリのはるか上空からジャベールを見下ろす」なんて技もできる(今回の映画、やたらこういうカメラがはるか上空にパン――てシーンが多かった。ちょっとくどかった)。ジャベールが自殺するシーンも、本当に高い高い橋から川に落っこちる。

今回の映画では、そういう「スケール感」の押し付け(こらこら/汗)が若干気になったのぼく。

特に最近では、こういうのCGじゃん・・・。ありがたみが薄いのよ、逆に。

で、「ディテール」になると、今度は当時のフランスの最下層の人間たちの汚れっぷりがすごい(アカデミーではメイクアップ賞もとったのよね)

バルジャンがマリウスを助けるシーンも、これでもかってくらい汚い下水道の中を這いずり回る。

本当にシラミがわいてるような乞食たち、土埃や泥水だらけのパリの下町。

舞台では、大金持ちと貧乏人の衣裳は、遠目でのシルエットで差をつけているにすぎないのだが、映画では、それぞれの服の質感、見た目の清潔さの差をくっきりとつけている(といっても、もちろんあの汚れは“ヨゴシ”っていう加工なんだろうけど)

ファンティーヌの落ちぶれっぷりも半端じゃない。

ファンティーヌがかもじ屋に売るために髪を切られてしまうシーンは、アン・ハサウェイのリアルロングヘアを本番一発で切ったのだそうだ。

そういう“女優魂”エピソードはみんな大好きだが、ぼくはそれより、やはり彼女の「I Dreamed a Dream」に感動いっぱいだった。

テレビCMでもこの曲のさわりが使われてるし、あそこだけ見ると、なんだかやたら過剰演技に見えて「なんだかな・・・」と思ってしまうのだが、今回映画でフルで唄ってるのを聴いたら、そらもうえらい魂のこもった唄いっぷりなのである。

聴きながら途中で「おおお〜っっ!!!」と思ったのは(注※ここネタばれですっ!)フルコーラス、ノーカットの長回しで撮っているのである!!!!!(やたら「!」が多くありません?)

すなわち、このシーンには、すばらしく舞台的な高揚感があったと言える。

舞台オタク的感想でごめんなさいね。

翌日追記。

この「I dreamed a Dream」の歌唱、よく思い出してみると、舞台版と場所が違っていて、舞台版(前回演出までの)では、ファンティーヌが工場を追われてすぐに歌っていたのが、この映画版では、散々落ちぶれて娼婦になってから歌っているのだった。

これにより、ファンティーヌの心情がすっかりどん底に至ってから歌っているので、このナンバーの心情が完璧に観客に伝わるという効果があったのだと思う。

あれ? これもネタばれかしら?

今回、これに似た効果というか、むしろ逆効果になってしまっていたのは、エポニーヌが歌う大名曲「On My Own」で、そもそもエポニーヌの役の大きさが、舞台よりもかなり縮小されていて残念だった。

マリウスのために大活躍する印象のある舞台版のエポニーヌだが、映画版(というか、原作どおりなのかも)ではほとんど、運命の逆転劇に翻弄されるか弱くかわいそうな女の子である。

まぁそれでも、見る人によってはコゼットよりもエポの方がヒロインとして印象に残るケースもあるようだが。



あとそれと、『レミゼ』とゆうたら、上記のヒロインたちをさておいてでも、ジャン・バルジャンとジャベールの対立関係が鑑賞のメインだ、という観客もいるくらい人気キャラのジャベールでありますが、今回の映画ではどハンサムなバルジャン(これはヒュー・ジャックマンのお手柄だ)に対して、いかにも権力側のブルドッグのようなおっさんジャベール(これはラッセル・クロウのせきに・・・ごほごほごほ)、しかも歌唱力も少々劣るのだった。

だが、ぼくは舞台版でのバルジャン vs ジャベールの構図が、年々ミューオタ好みの“キャラ対決萌え”みたいになってることが若干気になっていて、二人ともおんなコドモ好みの美形キャラみたいになることをあまり良しとしない。

正直、「STARS」は作品中で浮いてるナンバーだと思ってるくらいだ。

あの曲は、作品中どうしても必要なものというよりも、“ジャベール役の俳優が、他の役の人たちと同等にスター役者だと客に教えるための”ビッグナンバーだって気がしてならない(←ヒネクレてますね)

クロウの歌唱力の弱さが、その考えをますます強めてくれた気がしている。



そんなわけで(どんなわけなんでしょうか例によって)、どうせこんなにお金かけて豪勢なセット、豪華なキャスト、衣裳やヘアメイクをそろえたのなら、内容もリアルに、重厚な仕立ての「本格的大河ドラマ」にした方が“映画”という芸術作品の特性を活かすことができたんじゃないかと思ってしまったのだ。

まあ、以前に何本も作られてるから、「今さら」というのもあるのかもしれないが。

ぶっちゃけぼくが今回この映画で何度も泣いて、ラストシーンは思わず立って拍手をしたいほど感動したのは、結局音楽が良かったからで。

だったら、帝国劇場で生演奏・生歌を聴くほうが、やっぱり満足度が大きいのであって。

(確かにオーケストラは、帝国劇場で上演している東宝オーケストラの皆さんよりも贅沢な編成だったかも知れない。でも言ってみればこれ、録音だもんな。当たり前だけど)






いやー『オペラ座の怪人』と全然違う感想でごめん。

映画自体の出来は、大して違いない(というか、『レ・ミゼ』の方が評価が高いみたいだ、なんとなく)のにね、なぜなんでしょうね。

舞台版へのぼくの思い入れの差かしら?

まあとにかく、帝劇版のオープニングが、待ち遠しいことでござる。

新演出だしな。



あ、ただ、これだけ一言。

ヒュー・ジャックマン、まったくええ男やったわー。

ステキ♪(←なにこの気の多さ?)


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