てくてくミーハー道場
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2012年09月21日(金) |
『100歳の少年と12通の手紙』(東京グローブ座) |
(20日に観劇した公演なのですが、同じ日付けで2本以上の日記をアップできないため、翌日の日付でアップいたします)
『ラブレター』に代表されるような“二人朗読劇”というジャンルがあるのかしら。
ぼくは『ラブレター』、直に観たことがないんだよね(テレビ放映されたものなら、ある。キャストは忘れてしまったが)
・・・関係ない話をしてしまった。
この作品は、基本的にはその“二人朗読劇”形式でありますが、舞台上にはもう一人、ダンサーが重要な位置にいて無言の存在感を示し、そしてピアノ一台と二人のヴォーカリストが“音”を添えるというものでした。
ストーリーをモロにネタばれしますと、ガンで死期が近い10歳の少年が、一日に一通「神様」に手紙を書き、13日目に亡くなるという、ぶっちゃけぼくが普段は避けている「泣・け・る」話。
もー、この「泣ける」って形容詞がぼくは大嫌いで。(←今日もとばしてるねー?)
泣くかどうかはぼくが決めるんだから、ほっといて! って思うわけよ。
そうじゃありません?
なのに今回行ってしまったのは、ひとえに出演者の一人がたぁたん(香寿たつき)だったから。
もう一人は川平慈英。
10歳の少年と、年齢不詳(でもおそらく、50代ぐらいではないだろうか)のおばさんが登場人物。
少年オスカーは、実際は子供に過ぎないのだが、毎日10歳ずつ年を重ねていく。精神的に。
外国の子供によくあるように、実際“大人”びた口をきく少年なので、オスカー役のカビラ君は、ことさら子供っぽい演技はしない。これは正解。
だけど、そんなオスカーも、やはり本当はイトケナイ少年なのだ、ということが判るクリスマスイブ(この日のオスカーは、精神的には60代のはず)がたまらんかった。
カビラ君本人もつい感極まってか、演じながら本当に泣いてしまっていたのだが、「それは俳優としてはいかんぞ」と思いながらも、彼を責める気持ちにはならなかった。
たぁたんはさすがで、もう言うことなしの演技力。
たぁたん自身は特にそういう扮装をしているわけじゃない(普通のお化粧+ピンクのパジャマみたいな衣裳)のに、前身が怪しすぎる保健婦ローズさんの、太り肉で、ぼさぼさの金髪を束ねたソバカスだらけの化粧っ気のないおばはんであろう姿かたちが見えてくるようだった。
この作品、『ラブレター』と同じように、毎回別キャストのカップルで演じられてて、他の日のキャストの中にも興味を惹かれる組み合わせがあったのだが、やっぱりたぁたんのローズさんの日に行って良かった。ぼくにとっては。
音楽にしても、中島周くんのダンス(振り付けは平山素子氏)にしても、極力感傷を排除したスズカツ(鈴木勝秀)さんの演出もけっこうだった。
だけど何より、フランスで書かれたという原作がことさらに「泣かせよう」としてないところが良かったんだよな。
これはキリスト教という土台のおかげかもしれないが、オスカーの手紙がアラウンドクリスマス(12月19日から31日にかけて)に書かれてることと、「死」に対する日本とのメンタルの違いが、作品に成熟した印象を与えていたように思う。
作品中のオスカーは10歳なのだが、実はこのお話は、
「例えあなたが死ぬのが何歳のときであっても、それまでの生き方次第で、余命は全然不満足にもなるし、満足にもなる」
というメッセージなのじゃないかと思いました。
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