てくてくミーハー道場
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(以下、もちろんフィクションです)
緊那羅「あぁ〜あ、東京の仕事も、あと3日か。長かったな」
乾闥婆「全くやな。それにしても、ここんとこ残業残業で、めっちゃしんどいわ」
緊那羅「ホンマやな。ただでさえ土日は残業やろ。ほんでここ一週間は、もうじき終わりやからゆうて毎日8時までの残業で、ええ加減しんどいのに、今日なんか急に、お客が途切れへんゆうて、いきなり30分の延長やもんな。やってられへんわ(怒)」
乾闥婆「しゃあないがな。オレら人気あるもん(笑)」
緊那羅「ちゅうか、人気あるんは・・・」
(二人、黙って顔を見合わせる)
阿修羅「あ、兄さんがた、お疲れっした〜」
緊那羅「おぅ、アシュちゃん、お疲れ」
乾闥婆「お前も毎日大変やな、毎日前後左右から客に見られて。気疲れするやろ」
阿修羅「いや・・・、仕事やと思うてますし・・・」
緊那羅「偉いなー。仏像の鑑やで」
乾闥婆「国民的アイドル・・・いや、国宝はこうやないとアカンな」
阿修羅「けど・・・ホンマはボクも兄さんがたと一緒に、興福寺の国宝館におる時みたいに並んで展示されたかったんですけどね。一人だけ別の部屋にポツンと置かれて・・・寂しいですわ」
乾闥婆「しゃあないやろ、お前の前から客が動かへんねんもん。あんなけ人がようさんおったら、十大弟子像さんらにも迷惑かかるし」
緊那羅「オレらもけっこう人集めとるけどな、お前とはレベルが違うわ」
阿修羅「すんません・・・」
緊那羅「謝ることあらへんがな。そもそも今度の仕事のメインはお前やし。ポスターもお前一人、名前もお前一人・・・」
阿修羅「・・・すんません、(泣きそうになって)スンマセン・・・」
乾闥婆「(緊那羅に)お前、やめとけって」
緊那羅「いや、別にオレは・・・」
迦楼羅「何しとるんや」
緊那羅、乾闥婆「あ、迦楼羅兄さん、お疲れっす〜」
阿修羅「(涙をこっそり拭う)お、お疲れっす・・・」
迦楼羅「今の話、実は聞こえててんけどな。まぁしゃあないことや。確かにオレらは『八部衆』ゆうて8人のユニットやけど、普通の日本人に、『知ってるメンバーの名前ゆうてみ』ゆうたら、まず阿修羅クン以外出てこぉへんがな。NEWSでいう山ピーみたいなもんや」
緊那羅、乾闥婆、阿修羅「・・・山ピー?」
迦楼羅「あっ!(慌)エヘンゴホン・・・。このブログ書いとるアホミーハー中年の教養レベルのせいや、気にすんな。・・・要するに、知名度が違うっちゅうことや」
乾闥婆「確かにそれは言えますな」
迦楼羅「けど、わかっとる人から見たら、オレら一人ひとりに個性があって、それぞれにちゃんとファンもついとるやろ」
乾闥婆「迦楼羅兄さんなんぞは特に、その個性的なビジュアルで、かなりマニアックな・・・スンマセン」
迦楼羅「あっははは、わかっとる。マニアなファンが多いわ、オレは(笑)」(アンケートでは、マニアどころか、八部衆中第2位の人気です。ちなみにぼくも八部衆の中で2番目に好きです。“ガルーダ”ですもん:著者)
緊那羅「阿修羅が人気あるんは、やっぱ、そのビジュアルなんかねえ?」
乾闥婆「そらそうやろ、スレンダーやし小顔やし(3つあるけど)、何といってもそのお顔が、日本人がグッとくる典型的な中性的美形ときてるしな」
ここで、興福寺阿修羅像の「顔」についてお話しします。有名な中央の顔は、よく夏目雅子に似ている(夏目雅子“が”、阿修羅に似てると言った方が正確)と言われますが、本当にそっくりだとぼくも思います。顔の造作もですが、『西遊記』の三蔵法師の禁欲的な美しさのイメージが未だに残ってるからなんでしょうね。
あと、若い頃の、人生がゴタゴタする前の(おい!)貴乃花光司氏にも似てます。あの人もゴタゴタする前は(略)
そして今回、ぐるっと回ってしっかりと見てきた左右のお顔。向かって左側は、赤ちゃんの顔であることは周知です。「赤ちゃん」つまり、自我が生まれる以前のお顔。「誰」ってことはないのです。強いて言えば、人類皆が、生まれてから必ず一度は得ていたはずの、「全ての大人たちから『守りたい』と思ってもらえる」最強の顔、とでも申しましょうか。
そして、向かって右側。
これはもう、ミーハー中年のたわごとだから、笑って流していただきたいです。
背後45度から見たら、おーちゃん(大野智)そっくりでした!(≧∇≦)
ところが、その顔を正面(つまり、像の真右)から見ると、目鼻のパーツが顔の中心にやたら寄っているので、朝青龍に瓜二つなのです!(^^ゞ
まあ、阿修羅は基本“相撲取り顔”だったと☆\(−−;)オイッ!
実は、阿修羅像の右顔というのは、あの腕の形を見ていただけばわかるように、帝釈天に向かって弓を引いている姿なんですね。けしからんのです(←?)
だから、ちょっと闘争心のある表情なのです。
で、ぼくはこの顔が一番好きです。キュンとしちゃいます(お前にキュンとされてもなー・・・)
(閑話休題)
阿修羅「けど、沙羯羅なんかも、がんぜない幼児みたいな顔してますよね?」(沙羯羅は幼児なので(嘘)疲れてもう寝てることになっています:著者)
緊那羅「その通りや。今は胸から上しか残ってへんけど、五部浄なんかも、可愛い顔してるで」(五部浄は今回、ずっと離ればなれだった“腕の一部”と一緒に展示されていました。ちょっと泣けました:著者)
迦楼羅「オレらは天平時代に同時に作られたんやから、似てるんは当然なんや。それぞれ年齢も違うように作ってあるけど、どことなくユニット感があるんは、そのためや」
乾闥婆「まあ、あと少しで東京も終わるし、来月からは九州行かなあかんしな。長いツアーなんや。仲良うしていこうや」
緊那羅「別にケンカするつもりはないねんで。オレはそもそも奈良でも一人だけ家違うし(緊那羅像だけ奈良国立博物館にお住まいだそうです)、今回みんなと一緒でめっちゃテンション上がっとるんや。それはそうと、先に奈良に帰ってた鳩槃茶兄さんと畢婆迦羅の兄貴は元気しとるかなー?」(畢婆迦羅像も、三国志の武将みたいなルックスで、渋くてカッコいいのよねー♪:著者)
五部浄「兄さんたち、ボクは九州行かへんから、先に奈良帰ってるわ」
緊那羅「そやったな。鳩槃茶兄さん畢婆迦羅の兄貴と一緒に、ちゃんと興福寺の留守番頼んだで」
五部浄「うん。道真はんによろしゅうな」
迦楼羅「よしっ、みんな、あとひとふんばりや。気張っていこう!」
緊那羅、乾闥婆、阿修羅、五部浄「おぉーっ!」沙羯羅「(寝言で)おー」
(以上、まじで妄想です。真面目な人、怒らないでください。あと、「奈良弁が違う!」と思っても、見逃してください)
2009年度の第一次修羅場が急に去り、今日から来週のアタマぐらいまで、ぽっかりとヒマになりました。
よしっ! このチャンスを逃してはならじ。
花組(タカラヅカじゃなくて、「芝居」の方)観に行こう!(当日で)
と勇んでいたら、終業時刻間際になって、「ちょっとコレ簡単なんで、やってもらっていいですか」と言われる。
・・・ホントはイヤだったけど、『矢車会』の前科があるので、イヤとは言えず、しぶしぶ引き受ける(←わがまますぎるぞ!)
超特急で(でも手抜きはしなかったよ)仕上げ、定時に職場を飛び出したが、シモキタまでの所要時間を考えると、どう考えても間に合わないので、あっさり諦め(今日のゲスト出演は桂くんだったのに・・・。他の日、観に行く気しない・・・←おいっ/怒)
なんで、急遽行き先を変更し、上野に向かった(って、いつもの帰宅ルートだが)のであります。
『興福寺創建1300年記念 国宝 阿修羅展』(東京国立博物館・平成館)
良かった。すんごく良かった(*^^*)
なので、こんな罰当たりな妄想会話を書いてしまいました。
で、別部屋に展示されていた仏像群(四天王とか、薬王・薬上菩薩コンビとか)も、さすが鎌倉時代ってなでかさと迫力で圧倒されました。
可笑しかったのは、運慶作の釈迦如来像のアタマ部分と左右の御手が並べてあったんだけど、見てる人が百パーお釈迦様の右手と自分の右手の“手相”を見比べてたこと!(≧∇≦)すっごいキモチわかる!!!
運慶さんはお釈迦様の感情線を、くっきりまっすぐに描いて(彫って、かな)いました。
すごい正義感の持ち主だったようです(←そ、そうなんだけどさ、罰当たりだぞ!)
昼間はすんごい混雑してるようだけど、入館締め切りギリギリに入った(だから、ホント八部衆だけ見て帰ってこようと思ってた)おかげで、逆に阿修羅クンまでの待ち時間0分だったし(ただ、「阿修羅部屋」は大混雑)、上に書いたように、急遽30分閉館時刻を遅らせてくれたので、逆に良かったです。結局中を3周しちゃいました(*^^*)建物の外に出ない限り、何周もできるんです。国立博物館、太っ腹!
で、いつもは必ず図録を買うぼくですが、今回は売場の大混雑にめげたのと、我が家の本棚の現実を鑑みて(−−;)買ってきませんでした。
でも一番の理由は、「実際に、ガラス越しでなく、この目で見たありがたさこそを、胸にしまっておきたい」と思ったからで(←キザ)
写真を見返していると、その写真の印象の方が強く残ってしまう気がして。
あー、いいもの見た。
奈良に戻られてからも、いつか見に行きたいものです。
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