てくてくミーハー道場
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今日のネタは本当は『三文オペラ』(シアターコクーン)のはずだった。
だった。
過去形「だった。」
つまり、・・・観に行けなかったのだ(涙)
誰のせいでもない。自分のせいだ。
起きられなかった(マチネで千龝楽だった)
昨夜、職場の飲み会があって、イヤイヤ出席してきたのだが(飲み会は本当に苦痛なのだが、欠席ばかりしているとますます職場に馴染めなくなるので、極力サボらないようにしている/若い頃は、自分に正直に散々サボっていた)、やっぱり苦痛になって途中で帰ってきた。そしてすぐ寝たのに、起きられなかった。
知らないうちに疲れがたまっていたのかもしれない。
何度も目覚ましを(10分ごとに)鳴らして、「あと10分して起きなきゃアウト」という時刻に「よし、起きるぞ」とケータイを握りしめたまま、ふかーく二度寝してしまった。
何にもせずに一日が終わってしまった。
しかも、どんだけ寝ても眼精疲労が治らない。
悲しい。
何がゴールデンウイークだ(←やさぐれ)
『禅ZEN』は無事先週観に行ってきました。
もともとさほどドラマチックな生涯ではなかった道元様なので、脚本は正直たいくつだったが、「画面」の美しさ(「日本列島や日本人には、こんなきれいなところがあったんだ」という部分をたくさん映している。CGもあったけど)は心に残った。
勘太郎は徹頭徹尾きりりとしており清々しかったが、この映画の中で一番「カッコいい」キャラクターは、やはり宋で出会う老典座(通称「しいたけ坊主」)である。
笹野高史さん、良すぎる。
ちなみに笹野さんは、『おくりびと』の中でも、ぼくが一番「カッコいい」と思った役をしておられた。
笹野さんだからカッコ良かった、てのも半分ぐらいあったかもしれない。
あと、藤原竜也くん(北条時頼)の芝居に、やはり引き込まれた。
怨霊に悩まされて暴れるようなところは、若い役者ならみんなそれなりに出来る芝居だと思うのだが、道元と対峙している時、「若いながらも、鎌倉幕府の執権だ」「支配者である」という迫力・鋭利さといったものが、佇まいや表情からにじみ出ている。
勘太郎に迫力負けしてないところが、すごいと思った。
やはり竜也くんは徒者ではない( ̄w ̄)
逆に、内田有紀と哀川翔の夫婦が、どう見ても鎌倉時代の人じゃなかったのが残念だった。
内田有紀はカラダをはって頑張ってる、てのは分かるんだが、そんなのは女優として当然のことだろ、と思ってしまうのだ。
ただし、この二人だけが特に悪かったわけではない。
俊了役の高良健吾なんて、ハンサム過ぎて全然鎌倉時代の日本人に見えない。・・・まあぼくは鎌倉時代の日本人を実際に見たことがあるわけではないが(←当たり前)
えっ? つまり勘太郎はしっかり鎌倉時代の人に見えたと。そう言っているのね? と敏感に察した方は、黙ってるように(コラ)
いやしかし、勘太郎の、あの伸びた背筋の美しさ。
いくら道元様でも、端座したまま入滅されたってのはフィクションなのだが、それを「本当かも」と思わせてしまうほどの端正さ。
あれはやっぱ歌舞伎役者ならではの鍛錬の賜だと思った。
1月に公開されて、未だに細々と(こら)上映されている本作品だが、意外に客が入ってたことにぼくはびっくりした。
曹洞宗檀家や駒沢大学関係者の集団鑑賞作戦も、既に終わってた頃だろうし。
皆さん、何に惹かれて観に行ってたんでしょうなあ?(さっきから、失礼発言連発)
実際、宗教映画以外の何ものでもないのだが(毒)、あまり拒否反応が出なかったのは、ぼく自身が曹洞宗になじみがあるせいなのだと思うし、最初に書いたように、映画としてさほど傑作だとも思わない(高橋伴明カントク・・・正直言って、かつてのラジカルさは全く感じられなかった)
同じ題材(禅僧)を扱ってるのに、真逆の味わいである『ファンシイダンス』(ぼくは原作マンガが大好き。でも、映画も周防正行×本木雅弘という「ハズレなし」のコンビで、公開当時もカルトな人気を誇った)と観比べるのも一興かと思った。
なんか、一回映画を(ちゃんと映画館で)観ると、はずみがつくよね。
この連休は、今んとこ全く予定がないので(一日だけ、タカラヅカが入ってる)、久々に映画観まくろうかな・・・(いや、絶対「寝て」終わる予感)
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