ささやかな日々

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2024年02月11日(日) 
この間オットと諍いをした後思った。自分は自分が普段思っている以上に頑なで、トラウマにまみれて多くの行動に制限がかかっているのだな、と。いやそんなこと当たり前じゃないかとも思うが、当たり前にそうしていたから改めて省みることをしなかった。
たとえば今通っている整骨院。治療方針がオットの望む方向と異なるようで、変えた方がいいんじゃないかとオットが言い出した。それに対して私は、どうして今?と思った。三年も通っていてこの程度しか良くなってないじゃないかというのがオットの言い分。私は私で、ようやく三年かかって、意思疎通が苦なくできるようになって、自分からここに違和感がある等言い出せるようになったところで、それなのに転院するなんて考えられない、と。オットの、もう三年、という感覚と、私の、ようやっと三年、という感覚と。この違い。隔たり。埋まらない。
何というか、たとえばワンピースが着られるようになったらいいなと思って、私は時々衝動的にワンピースを買ってしまう。でも何とか家の近所でそれを着ることができても外出らしい外出で着ることはいまだ叶わないでいる。オットからしてみたら訳が分からないに違いない。でも。私にとっては。これが今の私の限界だったり、する。
整骨院や歯医者の先生が男性でも、何とか対応できるようになるのに私はすごく時間がかかる。大丈夫、と思えるようになるのに人の倍以上の時間がかかる。大丈夫と思えてはじめて、ああここで頑張って体を治すんだ、歯を治すんだ、と私には思える。でも。オットの言うように、それはあまりに長い時間過ぎて、普通に考えたら、「まだなの?!」となるんだと、今回の諍いで痛感した。
ワンピースもそうだ。買うくらいならちゃんと着なよ、と。自分でもそう思う。私は被害に遭う前ワンピースが大好きでしょっちゅう着ていた。ロングのフレアスカートやワンピースは私にとっては極上のおしゃれだった。
だから、今だって、それらを着たい。着用したい。だから買う。でも、いざそれに袖を通して外を歩こうとすると、足元から入ってくる冷たい空気に恐怖がぶわっと噴出して、どうにもこうにもならなくなる。結局すごすご家に戻り、いつものGパンに着替える。ようやっと安心する。その、繰り返し。
自分では、あまり考えていなかったけど。どれもこれも被害に遭ってのトラウマが関係している。
被害によるトラウマが、あまりに当たり前になり過ぎてしまって、私は改めて考えたりしてこなかったけど。私の行動振る舞いは、そうやって、トラウマによって幾重にも幾重にも制限がかかっているんだな、と。
なるほどなぁ、と、今更なのだけれど、思ってしまった。

長いな、と思う。今年で29年目だ。来年になったら30年目だ。ひと一人、ゆうに成人してる年頃じゃあないか。そんな年頃なのに、私はいまだこういうところなのか、と、そう考えてしまうと凹む。
だから、そう考えるのはやめる。私はこのトラウマたちとどうやってうまくつきあってゆくかを模索する方が性に合ってるんだろうな、と。そう考えることに、する。


浅岡忍 HOMEMAIL

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