まりんと私のシニア倶楽部
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2019年10月16日(水) 優しい時間をありがとう

myホームページの「まりんの部屋」に入ると「ごあいさつ」でお迎えする。

これが最後のご挨拶になるかと思うが、文末を「優しい時間をありがとう」と締めくくった。

ハムスターのプーやマロやお花の時も「優しい時間をありがとう」と感謝の気持ちを表した。それ以外の言葉が見つからないのだ。

どんなに心がギスギスしていても、トゲトゲしていても、ペットと接している時は、必ず優しい気持ちにさせられる。

煩悩を持たない動物は、「今」という時間をなんの疑いもなく活動している。

ヒトは物心がつくと無明に入るので、修行によって「今」を見たら、それを離し、何もかも離し、本来の自己に出会わなければならない。(受け売り)

六道を彷徨うヒトは、動物と接している刹那に人間界に引き戻され、優しい気持ちを取り戻す。

迷い人は良くも悪くもペット依存症なのかもしれない。


2019年10月10日(木) 神経疲れ

9年ぶりに仕事を始めた。清掃員としては初めての経験。

週2日、8時半から午後4時まで。

初日は優しい先輩が休み返上で付いてくれて、指導を受けながらの清掃作業。

無意識ながら「がんばってます!」の大アピールよろしく大汗かきかき、掃除機、モップ、便器をゴシゴシと、そりゃぁもう、無駄な力出しまくり。

「そんなに力を入れなくてもいいよ、後が続かないよ」と思いやりの言葉にヘニャッと脱力。

2日置いて、2回目の出勤。

優しい先輩はもういない。手順を覚えているかと訊かれると「大体」としか言えない。

一度パニックになった。

女トイレ、多目的トイレ、オムツ替えトイレと進み、男トイレに行こうとするが、「男トイレが無い!」

さっき男トイレの道具入れからバケツを取りに行ったのに、消えて無くなっていた。(壁の向こう側だった)

汗みどろのおばさんが、バケツとモップを両手に持って立ち往生している姿を見ていた人がいたかもしれない。

シフト制なので、毎回人が違う。休憩時間、質問するたび「だから〜」の枕詞が、胸に刺さる。

最後にお互いの持ち場をチェック。さっそく「だから姉さん」にミスを指摘された。

私は失敗から体で覚えていくタイプなので、端的にいうとアタマが悪いので、いくら口で説明されても覚えません。

「だから姉さん」これからもよろしくお願いします。

帰宅して、夕餉の支度を終えた後、今までにない(たぶん)疲労感を覚え、一抹の不安を抱えつつ、早々床に就いた。

翌朝の目覚めは悪く、夕方になってやっと疲れが取れた。

畑に水やりに行ったら、隣の畑の懇意にさせてもらっているご年配のOさんから「シルバーで仕事始めたんだってね」と声をかけられた。

「昨日の疲れが取れないの」と言ったら「神経疲れよ!慣れないから」

そうか、これは神経疲れなんだ。

原因が分かってほっとした。


2019年10月03日(木) 愛しのワイレスちゃん

片耳のワイヤレスイヤホンが、遂になくなった。

今までの、探索に費やした時間はいかばかりか。後悔と反省と「もう失くしません」の決意は何だったのだ。

ウォーキング、野良仕事、電車やバスでの長い移動時間。ワイヤレスイヤホンで音楽を聴くことが、退屈で面倒な事からどれだけ救われたか。

見つかるときは、何となく見つかるような気がしたものだが、空の充電器に気が付いたとき、年貢の納め時かと観念した。

最後に使った日時や場所の記憶を辿れば、エプロンのポケットから、畑に持って行く手提げカゴから、散歩のポシェットから、大抵は見つかるものだ。

時間が経ちすぎて記憶がない、辿れない。

何しろ親指ひと節ほどの可愛いワイレスちゃんだ。細心の注意を払って取り扱っているつもりが、例えば畑の除草中、誰かに話しかけられ咄嗟に耳から外しポケットへ。

話しに夢中になり、ワイレスちゃんは忘却の彼方。汗にまみれた衣服はそもまま洗濯かごへ。

洗濯機に放り込むときポロリと落ちて、九死に一生を得たこともあった。

考えてみれば、この半年は激動の半年だった。

まりんの介護と凄絶な死。凄絶は私の内面であって、まりんは因果の法に則ったまで。理屈では分かっても、六根が凄絶と判断する人間界の住人よ!

癒えぬ間の9年振りの社会進出が、ストレスに拍車をかけ集中力を鈍らせた。

それが、愛しのワイレスちゃんを葬り去った因果の法だ。


2019年10月01日(火) まりんが居ないとつまらん

まりんが居なくなって、初めての長い外出。朝5時に出て夜10時過ぎの帰宅。

玄関の鍵を開けるとき、ふと、まりんのことを想った。少しづつ癒えてゆく抑鬱的な寂しさが、また蘇ってきた。

リビングの扉を開けると、ソファの上のまりんが浮足立って、キュンキュン泣いて私を責める。

「どこに行ってたんだよう。もう帰ってこないと思った」

「ごめんね、ごめんね。よしよし」

おやつをあげると、
「もっとクレクレビーム光線発射だ!」
「よっしゃ!私のストリップショーで反撃だ!」
まりんは急に大人しくなって寝たふりをする。

「なんでやねん!」とつっこみ入れて、私は浴室へ。

これが我が家で起きる、深夜帰りの親娘漫才や。

呪文のように唱える。

「まりんが居ないとつまらん」


2019年09月27日(金) 慰霊祭お知らせのハガキ

慰霊祭のハガキが来ていた。10月20日日曜日。

「まりん、行くから待っててね(^^♪」

10月から仕事だ。今日、仕事のシフト表をもらった。

ガック〜〜〜ン!!!

10月20日、仕事が入っている。

新人なので、来月は11日間と皆より少なく組まれていた。この職場は公共施設で休館日がない。なので、31日間のうち私の出勤日数は11日間だ。確率的にあまり気にしていなかった。

それなのに、嗚呼それなのに、仕事が休みであってほしい日が、まりんの慰霊祭の他に3日あり、それが全部出勤日であった。

宝くじなら大当たり!

ビンゴくじなら「ビンゴ!」と叫ぶところだ。

隣に住む娘がのっぴきならぬ用事があって、孫のお守を頼まれていた。それをすっかり忘れて申告していなかった。

恨みつらみをさんざんほざいて、結局のっぴきならぬ用事の日の変更はできたらしい。

そんなことはどうでもよい。

問題はまりんの慰霊祭の日。

出勤できない日を申告したのが9月13日。ハガキの消印は9月13日。しかも暑中見舞いのハガキで抽選日が9月2日。当然ハズレ券。

いよいよマーフィーの法則のドツボに嵌ってきたぞ。

暑中見舞ハガキが余ってしまったのか、何かの事情で郵送が遅れたのか、経営が厳しいのか・・・いや、いや、いや、、、

そもそもハガキが届いた時点で、シルバー人材センターに電話すれば済む話だったのだ。

トーストを落とすと、バターを塗った面から落ちるマーフィーの法則を回避できる可能性は充分あったのだ。

全て私の不徳の致すところ、まりんに陳謝(涙)


2019年09月20日(金) シルバー人材センター

ひょんなことから、シルバー人材センターに登録に行くことになった。

なかなか仕事は回ってこないようだ。気長に待って、気に入った仕事があれば働いてみようと、軽い気持ちで行った。

「待ってました!」とばかり、さっそく仕事をもらった。というより有無も言わせず、あてがわれた?

週三日、一日6時間半、公共施設の清掃だ。

先日、その清掃の様子を見に行った。8時半から11時半まで、ベテラン清掃員にずっと付いて回った。

主に、広い床のモップ拭きとトイレ掃除。

便器の中は柄の長いブラシなんか使わない。ゴム手袋にナイロンの研磨シートで直接磨く。

広い範囲を何か所も、丁寧に、迅速に、手際よく、無駄な動きは一切ない。一息なんか付いてない。

80歳近い人が最近やめられて(定年が80歳)困っていたところに、60代の若い人が入ってくると噂していたらしい。私のことだ。

「若いからすぐ慣れるわよ!」

自信ないっ!!!


2019年09月15日(日) 納骨堂にまりんを納めた

午後、バケツと雑巾を持って、納骨堂にまりんを納めに行った。

観音扉を全開にして、光と風を入れた。ペット葬儀社へのクレームの効果なのか、彼岸入り前なのか、床や棚の汚れは少し改善されたように見える。

まりんの棚を清めて、骨壷と小さいお皿と遺影を安置した。

「また来るよ、バイバイ」

家に帰ると、祭壇が無くなって、これはこれでまた寂しくなった。


2019年09月13日(金) まりんの痕跡

家の中からぽろりと出てくるまりんの痕跡。

冷凍庫から鶏のささ身、まぐろのペースト。使わなくなった骨のガムや、美容院で付けてくれた髪飾り。

ひとつ、またひとつ、捨てていく痕跡と後を引く心残り。

水道料が跳ね上がっていて驚いた。

「え、なんで?」漏水の調べ方まで書いてある。

5月分から7月分。「まりん…( ; ; )」

検針票にもまりんの痕跡が…

汚れたタオルやマットを取っ替えひっかえ、洗濯回数がいつもの2倍3倍。漏水なんかじゃない。

まりんと私の闘いの数値化。


2019年08月27日(火) 動物の納骨堂

まりんの遺骨を持ち帰って10日になる。

写真立てをふたつも作り、「秀作だ」と自画自賛したりして、祭壇の準備は整った。

その前に、もう一度納骨堂へ行ってみた。

社務所のカウンターに置いてある鍵をもらい、鉄の重い扉を開ける。

入り口に汚れた掃除用具と大き過ぎる古びたゴミ箱。

一番奥には鎮座まします観音様と、まわりに飛び散っている灰や折れた線香。

天窓の明かりに小さな電灯。薄暗い。

掃除はほとんどされてない。供養棚は埃にまみれている。空きが目立つ。写真立てが数個、棚の隅に置き捨てられている。

一度預けたらそれきりでもいいと、私は思っている。

でも、ペットを亡くして悲しみに暮れている飼い主が、初めて足を踏み入れたら、その悲しみに追い打ちをかけるような慰霊所はダメだろう。

暗い気持ちを引きずりながら帰宅した。

「ペットのお骨や遺品は残さない方がいい」という意見がある。私もそれに賛同していたが、今、お骨は手元にある。

まりんの遺骨の前で、「合同葬の方が良かった?」と独り言ちた。

暗い気分はしばらく晴れそうにない。また、家の中をまりんの姿を探している。


2019年08月21日(水) 後悔の底なし沼

秋の虫が庭でしきりに鳴いている。

夏の終わりを告げに、また軒先にやって来た。幾星霜、季節の移り変わりのセレモニーを迎えた事だろう。冬に向かうメランコリーに浸りながら、物のあわれを抱きしめる晩夏。

今宵は耳鳴りのように聞こえる虫の声。嗚呼、レクイエムなら鳴かないで。

まりんのあごに棲みついた新生物が、醜怪な顔で私に話しかけるのだ。


「連れて行くと何度も言った」
「まだ水が飲める、流動食も摂れる」
「与えれば与えるほど、己れは肥るしかないのだ」
「舌の動きを封殺したな」
「限界なんだよ」
「医者に薬で眠らせてやりたいと言ったら、きっと後悔するとやんわり諭された」
「どっちを選択しても、ヒトは後悔する生き物だ」

エンマコオロギの鎮魂歌に導かれ、「後悔の底なし沼」に引きずり込まれそうになった。


ハムのいる家+わん

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