日記
DiaryINDEX


2018年03月09日(金)

 私より後から起きてきた妻に、「いびきかいてたよ」とちょっと意地悪く言ってみると、彼女はとても嫌そうな顔をして、「大きかった? うるさかった?」としつこく聞いてくるので、「うーんそうだね、目が覚めたからね」と答える。本当のところを言うと、そのいびきは寝息をちょっと大きくした程度の、気にならない程度の音だったのだけど、そんなふうに言ってみたのは、少し大げさに言ってみて、彼女がどんな反応をするのか見てみたかったからだった。

 私は妻がいびきをかいてもかかなくても気にしないし、そのことはもう前から伝えているんだけど、彼女はたぶん”いびきをかいている自分”が許せないようで、どうにかしていびきを止めようとスマホを手にいろいろと調べ始めた。

 翌日にはもう、アマゾンから鼻に突っ込んで鼻腔を広げるシリコンのようなものが届いていた。妻はそれを鼻に突っ込んで、「痛い……」とつぶやきながら眠りについた。次の朝、どうだったと聞かれたので、あんまり変わらないんじゃないかな、と答えると、そのシリコンのようなものをゴミ箱に捨ててしまった。

 その晩から、彼女はまったくいびきをかかなくなった。というか、聞こえるかどうかわからないほど小さな寝息しか立てないようになった。ちゃんと息をしているかどうか心配になるくらいに。

 いびきが意志の力で止められるなんて、私はこれっぽっちも思っていない。だけど現実に、妻のいびきは止まってしまった。彼女は寝るときも緊張を強いられているのかもしれない、彼女は十分に眠れてないのかもしれない、私の軽い一言が彼女をそうさせてしまったのかもしれない……私のほうがそんなことを考えるようになってしまった。

「まだいびき聞こえる?」と聞いてくる妻に、「もう全然聞こえないよ」と答えると、彼女はとてもうれしそうな顔をする。そして目の下の隈を隠すため、化粧道具を手に洗面所へ向かうのだ。


2018年03月08日(木)

 机の引き出しを整理していたら、ずっと昔に付き合っていた女性の、成人式での振袖姿の写真が出てきて、その写真のことはよく覚えているのだが、もうずいぶん前に失くしてしまったものと思いこんでいたので、唐突にそれが目の前に現れたことで私は少し動揺して、左の肘をコーヒーカップにぶつけてしまって、仕事の書類に染みを作ってしまった。もう何十年も昔の写真なのにそれを見て思わず動揺してしまうほど、両の手を前であわせ少し左肩を前に出すようにして、ほんのちょっとだけ首を傾げてこちらに微笑みかけている写真の中の女性は美しかった。

 妻も私も、過去に付き合った相手の一人や二人いるだろうことは承知のうえで結婚したのだから、たかが写真一枚で狼狽えることなどないはずなのに、顔も名前も知らないのならまだしも、過去の相手が写真という形で残っており、またそれを私が大事に持っていると知ったら妻も気分を悪くするだろうと思って、おそらく私はこの写真を机の奥深くに仕舞い込んだのだろう。だが、それからかなりの年月が経ち、すでにお互いの間に嫉妬という感情は失われて久しく、今、この写真を妻に見せたところでどうということもないだろうと思ったし、もし仮に何らかの感情を引き起こすのであればそのことにもちょっと興味があったし、そんなわけで、ついさっき動揺してコーヒーをこぼしたことは棚に上げて、夕食のときに妻に写真を見せてみようと思ったのだった。
 
「きれいな人ね」

 と妻は言った。その言葉は、興味はないというように聞こえたし、感情を表に出さないよう注意深く発せられたようにも聞こえた。このときの妻の心境が本当のところどうだったのか、この言葉だけで推し測ることはできないが、少なくともこの時、彼女が感情を顕わにするようなことはなかった。
 
「なぜ別れたの? こんなにきれいな人だったのに」
「さあ、なんでだったかな」
「別れてから一度も会ってないの?」
「そうだね、会ってない」

 嘘をついている。写真の女性と、私は別れてから一度だけ会っている。

*

 救急車の音が聞こえてきて、その音が一秒ごとに大きくなっていく。当直のベッドに寝転がったまま、そのまま通り過ぎればいいのにと祈る私の気持ちを嘲笑うかのように、その音はこの病院の前でピタリと止まる。後部のハッチが開く音、救急隊員や看護師の足音、そしてストレッチャーを引っ張り出す音、そんな聞き慣れた音が、エンジン音と重なり合いながら聞こえてくる。患者が私のところに運ばれてくるまでには、まだ少し間があるだろう。ベッドから抜け出し、機器がすぐ使えるよう立ち上げ、患者の情報をチェックする。急性アルコール中毒の女性。年齢は私よりもひとつ下だった。アル中ならば検査の依頼は来ないかもしれない、そう思った矢先、ポケットの中のPHSが震えた。

 髪の毛にも洋服にも吐物を付着させたままその女性は運ばれてきた。「今は眠ってますが、突発的に嘔気が来るようなので気をつけてください」と、連れてきた看護師は私にゴムの手袋を渡しながら言った。試しに名前を呼びかけてみたが返事はない。ゴム手袋をつけた手で、女性の顔にかかった髪の毛を無造作に払ってみると、名前が変わっていたから気づかなかったが、そこには見覚えのある顔があった。私と付き合っていた二十年前とさほど変わらないその顔立ちは、吐物に塗れていながらなお、美しかった。

 看護師と二人で検査台に載せ、五分ほどで必要な検査を終えたその直後、女性は仰向けに寝たまま嘔吐し始めた。気管に吐物をつまらせたりしないよう、看護師は女性の首を右に無理やり捻った。私は機器を操作して、女性を元のストレッチャーに移す準備をした。その間も、女性は嘔吐を繰り返していた。女性は、嘔吐する音と呻き声の合間に、私の知らない男の名前を繰り返し呼んだ。嘔吐が落ち着くと、女性は薄目を開いて辺りを見回したが、自分がどういう状況に置かれているのかを理解している様子ではなかった。検査室から出ていくまでに、一度だけ私と目があったものの、女性は私が誰なのか気づくことはなかった。

 女性が残した吐物を掃除する間、彼女が繰り返し呼んだ男の名前と、その変わらない美しさについて考えていた。

*

「なぜ別れたの? こんなにきれいな人だったのに」

 別れた理由と美しさは無関係だし、そう尋ねられても私はこの女性となぜ別れることになったのかを、もう思い出すことができない。彼女と紡いだはずの思い出は、この写真以外残らず、あの晩の吐物の臭いと知らない男の名前で上書きされてしまった。

 彼女は確かに美しかった。妻から写真を受け取りながら、私はなぜ、会っていないと嘘をついたのかを考えたが、その理由はよくわからなかった。写真を受け取って、冷蔵庫からビールを出してきてくれるよう妻に頼んだ。そのすきに私は、写真を繰り返し破ってズボンのポケットに仕舞い込んだ。


2018年03月07日(水)




「君はだから自分に甘いって思うんだよ」

 会社を出て、並んで歩き始めてからずっと黙ったままだった彼女は、商店街を通りぬけ、僕たちが左右に別れる交差点に届く手前でそう言った。

「え?」

「なんであれにオーケー出せるの? 誰が見たってやり直すべきじゃない。このくらい見逃してくれると思った? そんなふうだからいつまでたってもきちんとした仕事任せてもらえないんだよ」

 ああ、彼女は僕が今日やらかしてしまったミスのことを言ってるんだ、と気がついて、ちゃんと弁明しなきゃと思ったけれど、その時にはもう彼女は交差点を左に折れようとしていた。この時間はもう、リヤカーを引いてくる行商のおばさんたちも店じまいしている頃だけど、まだ売れ残っているものがたくさんあるからなのか、それとも今日は売り始めるのがちょっと遅れたからなのか、一台だけまだ商売しているリヤカーがある。このおばさんもいろんなミスをしながら年を重ねていったんだろうかなんて、どうでもいいことをちょっとだけ考えて、それから彼女のほうを見た。じゃあね、と手を振ってくれたので、僕も同じ動作を返して、交差点を彼女と反対方向に折れた。




 彼女はハンバーグが好きだ。理由は知らない。たまに、他のものを注文しようとメニューを見ながらあれこれ考えるんだけど、結局は面倒になっていつものハンバーグを頼んでしまう。彼女は体に似合わずよく食べるし、僕は彼女の食べる姿を正面から眺めているのが好きだ。ここのハンバーグを、僕はそんなに美味しいとは思わないけど、彼女の食べ方は、ああやっぱり僕もそれ頼めばよかったかな、と思わせる。

 勘定を済ませて店を出ると、傷だらけでなんと書いてあるかもよくわからない看板を見て、ごちそうさまでした、と彼女はつぶやく。この店の名前がなんだったのか、実は今も知らない。彼女には「傷だらけの看板の店」で通じたし、彼女以外の誰かとこの店に行くことはないから、他の名前で呼ぶ必要もない。




「ねえ、あそこの古着屋、今日からセールでさ、初日はオールナイトで営業するんだって」

 そんなことあるのかな、と彼女の言葉を半分疑いながら、もう深夜に差し掛かる時間に、その店のある通りに入ると、周囲の店がすべてシャッターを降ろしている中、本当にその店だけが営業をしていた。とはいえ、客で賑わっているというわけでもなく、常連の客が何人か、店員とビール片手に話をしていて、そういう雰囲気が少し苦手な僕の手を、彼女はぐいぐいと引いて店内を回った。これがいいんじゃない? と彼女が手にとったのは、「50%OFF!!」という札の貼られた棚にあった、薄い緑色のTシャツで、僕はそれ1枚だけを買って帰った。

 職場では、なかなかきちんとした身なりをしている彼女も、プライベートではTシャツにジーンズのような、ラフな格好で過ごすことが多かった。このジーンズ僕にも履けるよ、と言って、彼女が買ってきたメンズの古着ジーンズを履いてみせると、じゃあいっしょに履こうよ、と笑って言った。そうやって置きっぱなしになったままのジーンズが、僕の部屋には何本かある。




 通ったことのない道を歩くのが彼女は好きだった。いっしょに歩いていても、脇道やちょっとした路地を見つけるとすぐに入っていこうとする。怖がりのくせして、ひと気がなさそうな、薄暗い路地にもどんどん入っていこうとするのは、僕がいたからなのだろうか。僕は彼女に、そんな安心感を与えられるような存在だったのだろうか。

 彼女と過ごしていた頃、この街に三軒あった古本屋は、彼女が僕の元を去るまでにすべてなくなってしまっていた。古本屋がひとつなくなるたびに、彼女は「また待ち合わせの場所がなくなったね」と言った。僕がちょっと時間に遅れて、待ち合わせている古本屋に行くと、彼女は決まって海外ミステリの並ぶ棚で立ち読みをしていた。待たせたことを謝ると、ごめん、もう少し読んでもいいかな? と逆に謝られた。




 この街になくなって久しかった古本屋が、最近になって新しくオープンした。仕事帰りに立ち寄ってみると、古本屋というよりは洋服屋のような雰囲気で、ソファに腰掛けてゆっくりと本が読めるような店だった。彼女と過ごしていた頃にこの店があったなら、きっとここに座って何時間でも読んでるんだろうな、と思った。




 その古本屋で、偶然にも、彼女が好きだと言っていたミステリを見つけた。読んでみてよ、と勧める彼女もその本を持っていないうえに、当時は絶版状態だったということもあって、僕はずっとこの本を読むことができなかった。300円で買ったこの本を、僕はこれからひとりで読むことになる。




 当時はポラロイドにはまっていて、彼女と散歩するときは、中古で買ったポラロイド1000を首から下げて出かけた。歩きながら適当に、でもフィルムの残りを気にしながらシャッターを押しては、二人立ち止まって、フィルムに像が浮かび上がってくるのを待った。彼女が特に気に入った写真は、その場でもう1枚撮って、二人で1枚ずつ持つことにした。そうやって何枚も撮った、まったく同じようで、実はほんのちょっと、どこかがずれているその写真のように、僕と彼女の関係も、いつのまにか少しずつずれていった。

 ポラロイドは色褪せて、棚の奥にしまいこまれたジーンズは、もう僕の腰には小さすぎる。時間は確実に、そして残酷に、いろんなものの形を変えていく。ただ、記憶だけが、この街と彼女と僕が作りあげた古い記憶だけが、今も僕の心を鮮やかに彩り続ける。


2018年03月02日(金)

 俺の親父は、高校生のころ母親(俺の祖母)に弁当包みの中にタバコを一箱必ず入れておくことを強要していた。昭和30年代半ばのころだ。何らかの事情でタバコが入ってなかったりした日には、帰ってきてから祖母を殴り飛ばしたという。その時祖父が何をしていたのかは知らない。俺が物心ついたころには既に脳梗塞を発症した後で、片麻痺や失語を抱えていつも何かに怒っていた。昔は温和な性格だったという祖父は、祖母が殴られるのを見て見ぬふりでもしていたのかもしれない。意味の知れない言葉を叫びながら効く方の手足をバタバタさせて歩く祖父しか知らない俺は、温和だったころの祖父がまったく想像できなかった。何かにつけては祖母を殴り飛ばしながら、それを祖父に見ぬふりされながら、親父は大人になった。

 親父は高校を卒業して、地元の醤油製造会社に就職した。その会社で親父は、商品をトラックに積み、あちこちの取引先に配送して回る仕事をしていた。小さい会社だったけど今も潰れずに残っていて、地元に帰った時に近くを通ると、ほのかに漂う醤油の香りがいろんな記憶を思い起こさせて妙な気分になる。

 親父とお袋はその会社で出会った。どちらから先に声をかけたのかは知らない。中卒で既に事務として働いていたお袋に、親父が声をかけたというのが妥当なところだと思うが、当時の写真を見る限りでは親父もなかなかいい顔立ちだったので、ひょっとしたらお袋が先に惚れたのかもしれない。付き合い始めてから結婚まで、そう時間はかからなかったという。結婚の2年後に俺が生まれ、その2年後に妹が生まれた。

 親父は女にだらしがなかった。外に女を作って何日も帰らないということがよくあったという。そんなことが頻繁にあれば、さすがに俺も覚えていると思うが、俺が小さいころの親父といえば、仕事が終わってから、西日の強く差す公園でキャッチボールをしてくれたことくらいしか記憶に残ってない。外に女がいて何日も家を空けていたなんて当時はもちろん思いもしなかったし、そのとき当然あっただろう夫婦喧嘩すら、俺の記憶にはまったくない。

 俺が小学校3年か4年のころ、親父は配達の途中で、不注意からトラックのドアに自分の親指を挟んでしまい、結果的に切断するという事故に見舞われる。左手にぐるぐると巻かれた包帯の痛々しさはよく覚えていて、ああとんでもないことになったなと子どもながら心配していた。親父は結局その事故をきっかけに仕事を辞めた。指の見舞金だか退職金だか知らないが、かなりの額の金を受け取ったのだということを、俺は後からお袋に聞かされた。そしてその金のほとんどが、他所の女や酒に費やされ、家族には1円も入ってこなかったということも。

 ほどなくして、親父はハンバーガー屋を開業した。いつか飲食店をやりたかったのだという。マクドナルドが1971年に日本第一号店を開店してから8年、九州の片田舎ではまだマクドナルドはおろか、ハンバーガーという食べ物を知る人もそれほどいなかっただろう。店には、当時まだ珍しかったスペースインベーダーも置かれていた。インベーダーがあることがうれしくて、俺は友達にそれを自慢しまくったけど、店はまもなく不良高校生のたまり場になり、商売そのものもうまくはいかなかった。その後親父は、ハンバーガー屋、焼肉屋など、飲食店を開業しては潰し、借金をどんどん膨らましていった。借金が膨らめば膨らむほど、親父とお袋の間の亀裂は大きくなっていった。

 借金が膨らむたびに女のもとに転がり込み、親父はもうほとんど家に帰ってくることがなかった。お袋は仕事と子育てと姑からの嫌がらせに、たったひとりで立ち向かっていた。親父のいない家には、借金取りからの電話もよくかかってきていたし、親父の間違いで始まったいろんなことが、俺や妹も含めて、家族を疲弊させていった。俺はお袋に、親父と離婚することを勧めた。中学3年のときだった。お袋はそれまで見たこともないような情けない顔をして、俺と妹に「ごめんなさい」と謝った。謝ってほしくて離婚を勧めたわけじゃなかったので、俺は戸惑ってしまい、その後何を言ったのかまったく覚えていない。親父は「いつか借金返したらまた元通りになるからな」と言ったが、俺も妹もそんな言葉をこれっぽっちも信じていなかった。

 お袋と妹との3人ぐらしになってからも、借金取りからの連絡は後を絶たず、やくざがアパートに怒鳴り込んでくることもしばしばあった。ドアを隔ててやくざに対応したり、警察に電話したりするのは俺の役目だった。最初はものすごく怖かった恫喝の言葉にもそのうち慣れてしまった。親父がそのころ何をしていたのかは詳しく知らない。お袋に聞いても、日雇いの労働者としてどっかで働いてるんじゃない? としか返ってこなかった。

 それから親父が死ぬまでに、俺はたった一度だけ、地元の駅で偶然親父と遭ったことがある。タクシーの制服を着ていた親父は髪がずいぶん白くなっていて、見るからに老いていた。苦労したのだということは伺えるが、それも自業自得だろうと俺は思っていた。その前の年に結婚した妻と一緒だったので、お互いを紹介した。お祝いもできずに申し訳ないと言って、親父は去っていった。もう今となっては、その時の感情を詳しく説明することはできない。何も知らない妻が俺の表情を見てびっくりしていたことだけはよく覚えている。

 親父が死んだことを伝える電話は、なぜかお袋からかかってきた。行きたいなら行ってきなさいと、通夜と葬儀の時間を伝えられた。行かないつもりで妻にそういうと、バカじゃないの? というので、妻と息子と3人で通夜に行った。前の晩酒を飲んで帰ってきて、そのまま床につき、翌朝には冷たくなっていたのだと、一緒に住んでいるという女の人から聞かされた。死に顔を見て、無性に腹が立った。なんでこんなに安らかな顔をしてるんだ? と声に出そうなのを飲み込んだ。遺体が置かれた部屋を見回すと、小学生のころ授業で作った彫刻やら絵やら俳句やらが飾られていた。ずっと大事に持っていたみたいです。時々、それを見ながらあなたのことを話してましたよ。女の人はそう言って、よかったら持って帰りますか。というので、棺桶に入れてくれるよう頼んだ。帰りの車の中で、生きてる時に会いたかったな、と息子がつぶやくのを聞いて、思いもがけず俺は泣いた。

 これを書きながら、親父の店で食わせてもらった、ベーコンと卵の挟まったハンバーガーの味を思い出している。表面がこんがりこげ茶色に焼けていて、でも中はふわっとしているバンズと、噛んで口に入れると同時に肉汁がぶわっと染み出してくるパテ。それら本来の味を殺さず、むしろ引き出すよう量が絶妙に調整されたケチャップとマスタード。「噛んだら肉汁がぶわっと」なんて、グルメリポーターの常套句みたいだけど、それがどういうことなのか、俺はこの舌で経験している。親父は親としても男としても人としても本当に糞みたいな奴だったけれど、このことだけは認めてやらなきゃなと思っている。

 本当に味わいたいものは、もう二度と味わうことができない。俺たち家族が、綱渡りのようなぎりぎりのバランスで、家族を保っていたころの記憶とともに、あの時の味は死ぬまで俺の舌に残ると思う。


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