内村航の日記

内村航

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2017年02月05日(日)

もともとは美術大学の油絵科が出自なので、学んだことも今振り返ってみれば無意識にも西洋芸術を中心に据えた見方で学んでいたのだと思う。とくに好きだったのは大竹伸朗。彼もまた、20代のころのイギリスへの旅し、デイヴィット・ホックニーやマイク・ミルズと出会ったことが画業を形成していく上での重要な要素となっている。彼のその後の活動はアフリカに旅したり、日本の地方に注目したりと、決して西洋を中心に据えて表現を行っているわけではない。しかし、表現活動をする場として選択しているのは現代アートのギャラリーや美術館で、そういった施設のキュレーターは西洋美術や現代アートばかりを勉強してきた人たちなので、どんなに作品が非西洋圏をモチーフとしていたとしても、展示の仕方や紹介のされ方などは自ずと西洋的な文脈に書き換えられてしまう。

自分の働いているミュージアムのコレクションには、ホモジーニアスな歴史観から逸脱しているような、血なまぐさい首刈りだとか、人身供養などの風習があった地域のものもたくさんある。そういった地域の歴史や思想というのは、現代アートでも深く掘り下げられることは少ないし、ましてや義務教育では教わらなかった。

いまこうやって世界の染織品を直に手で触れたり、その民族について深く知るにつれて、いままでの「現代アート」的なフィルターで見ていた、いってみれば物見遊山に流し見気分で見ていた感覚とは違う、新しい感覚をが芽生え始めている。はっきり言うと、自分の今までの生き方や考え方が、そんなに正しいものとも思えなくなってきた。近代資本主義的生活、国家、社会、そして「私」までもが、確固として存在していることに疑問が湧いてくる。

いま自分がやっていることは、モノを見ること以上にその「背景」を見る経験なのだと思う。人類が散り散りになってそれぞれの空間で生き延びていくうえで作られたモノたち。それらには現代に溢れかえっている趣味的な「なんちゃって作品」にはない、必然性がある。そしてその必然性は、ホワイトキューブの中で一巡してすぐに理解できてしまうような簡単なものでは決してなかった。



2017年02月03日(金)

別冊ele-king「アート・リンゼイ 実験と官能の使徒」に寄せられた文化人類学・今福龍太さんのインタビューから多くを学んだ。アート・リンゼイのニューヨークとブラジルを往復するなかで生まれた新作『CUIDADO MADAME』をテーマとしつつ、今福さんとブラジル・中南米との関わりや、映画監督の話があり、最後はブラジル・ガイーアのカンドンブレ、キューバのサンテリーア、ハイチのヴードゥー、アメリカ南部のフードゥーなどの音楽が全て「黒人奴隷の移動の軌跡とインディアンの強制移住の歴史」の上で同じ系譜にあると語る。そしてそれらを繋ぎ合わせようとする現代ミュージシャンのハイブリット試みは非常に刺激的だという。「顔つきも、身につけた言葉遣いも、身体のリズムもみなそれぞれ違うけれども、それを出会わせてみたら、おなじひとつの兄弟姉妹から生まれた末裔たちはなにを感じるのか。」

この発想は自分が今関わっている仕事にも活用できないだろうか。フォークテキスタイルという工業化以前の名もなき民の染織品は、身のまわりの自然と共同体との強固な結びつきから生まれたものである。歴史のなかで複雑に絡み合った国、民族、宗教を紐解いていき、一つの大きな道をたどっていく…。
おそらくテキスタイルにおけるこの探求のプロセスとしては、民族のアイデンティティを表す文様や色などが主要なテーマとして位置付けられ、他方では風土に根ざした素材・技法といった視点がより背後にある造形性として比較されるだろう。もっといくと、やがて経糸緯糸以前の、乱数的なテキスタイルとしてのフェルト、樹皮布までさかのぼることになろう。また、テキスタイルという枠をとってしまえば、人類の起源まで遡り、ついには人、モノ、生物、すべての境界が消滅した「無」という哲学的境地をさぐることになる。

こまやかでマニアックな探求ではあるが、このような大きな道筋をたてて研究することが、研究を人類全体の未来を探りえる有意義なものとして成立させることにつながる。


人格
2017年01月28日(土)

困難な状況においても焦らず、めげず、へこたれず、冷静に対応できるか。「どうなっちゃうんだろう」という不安に対して、きちんと向き合えるのか。「今やるべきことはなんだろう」と、絶えず自問自答できるのか。そしてそういった時に心の支えとなるものを持っているか。考える時は孤独になれて、ひとの力が必要な時には求められるか。反対に誰かが求めている時は力を貸せるのか。そもそも誰が何を求めているかを認識しているのか。

色々な問題が次から次へとやってきたときに、自分のことで精一杯になっていては何もできない。心を無にして、その状況を切り抜ける「術」を磨くんだ。


行動
2017年01月09日(月)

白楽に行ってから、鶯谷に行き、生田に帰り、寝て、起きて根津に行ってから、武蔵五日市に行き、また生田に帰って寝る。


今年の抱負
2017年01月03日(火)

皆が抱負といって様々なことを言っている。私もその流れに乗ってひとつ。

去年は年明けすぐに転職、教育実習、個展、祖母が亡くなる、旅行もわりと行く、と実にいろいろなことがあった。たくさんの出会いがあり、別れがあった。たくさんの場所に行った。楽しいこともあったし、悲しいこともあった。実はまだ整理しきれていないくらいだ。

そこで、今年はゆっくりじっくり過ごすように心がけたい。そんなことを思っていたって、実際たぶん忙しく過ごすのだと思う。だけど、去年のたくさんの出会いをきっかけに、今年はそれを深めていく、というとなんだか辛気臭い。けれど初めて会った人と次会う時は、もっとゆっくりじっくり、たくさん話したいと思う。「出会い」というのは、たんに人と人が「こんにちは、はじめまして」ということだけではなくて、相手をよく知る、知ろうとすることだということを最近思っている。だから旧友と話すことだってそれは新たな出会いだ。新たな出会いを重ねること、そんな一年にしたい。


正月
2017年01月02日(月)

2017年がはじまった。
年末から始まった整理整頓の願望が年を越しても続き、しかもその願望が親にも感染してしまったようで、連日ネットでポリプロピレンのケースを発注し、箪笥の中で今まで大小の段ボールで仕分けされていた荷物の整理や、玄関の戸棚に溜まった履かない靴、汚れた布、園芸用品、スポーツ用品、捨て忘れ続けた小物金属、電池、インクカートリッジなどの廃棄、工具箱の中のネジやビスなどの仕分け、など、家族皆で狂ったように掃除している。
楽しい。


祖母のこと
2016年12月29日(木)

今年は節目となる展示を終えて、新しい仕事がはじまり、未来にむけての希望が生まれた。しかし、秋に祖母が急逝し、残された者としての深い思いも味わった。

小さい頃から大好きだった祖母。

保育園によく迎えにきてくれた祖母。
初めて僕にCDを買ってくれたのも祖母。
サーターアンダギーを揚げてくれた祖母。
真面目で、決して派手ではなかったけど、フォークダンスが好きで、
部屋の奥にキラキラしたドレスや靴をしまっていた祖母。

幼少期からの様々な思い出がよみがえり、その愛情を改めて感じた。

さらに、四九日を過ぎ落ち着いてからは、祖母の生まれ故郷である熊本を訪れた。祖母の姉妹たちと会い、故人の思い出や生い立ち、育った家庭環境についてかなり細かく聞き訪ねた。その中で、家庭がその人に与える影響の大きさや、戦争が落とした暗い影、決死の思いで上京してきたこと、などを驚きを持って知った。

年齢としては、当然、上の人間だけれど、自分と同じように幼少期があり、青春があった。その時の思いを追体験するようで、時代を超えて祖母のことを知れたような気もした。もういなくなってしまったけど、これからも、いろいろ知りたい。ひとまず、今までありがとう。80年の人生とてもがんばったね。

生きることは大変で、時にはくじけそうになることもある。だけど、自分なりの尊厳をもって、信念をもって生きること人は、とても美しく感じる。自分もそうなれるように、ちゃんと生きようと思う。


己の道を行く
2016年12月27日(火)

生産性のあることしか考えられないような精神状態でここ3日間くらい過ごしている。そして人の意見を聞くことよりも自分の思考を整理することに手一杯である。そう、年末の大掃除が仕事場と実家とほぼ同時に始まったのであった。どうしたら最小のスペースで最大の物質を配置できるのか。しかも美しい分類、美しい配置によって。既に決定された間取り図と棚の寸法の中で、私は最高の整理を目指す。「未整理」と大書きされたクリアファイル、山積みになった書類、「きちっと整理するべきではない。あいまいな物もあっていい。」といった意見などの反逆要素にもめげずに、自分なりのディヴィジョニズムを具現化させていく行為。


悲しき熱帯
2016年12月20日(火)

レヴィ=ストロースの「悲しき熱帯」やっと上巻読み終わる。志の高さと知性溢れる素晴らしい本。
こんな自分が言う資格なんてないかもしれないが、その崇高さを目指す者でありたいなあ。頭を使って時に苦しい時もあるけれど、この調子で下巻を読むのだ。読破するまで他はお預けです。


ここ7ねんぐらいを回想してみる
2016年12月19日(月)

一枚の美しい布を見たときに感じる、きらきら光る崇高さ。その奥には、日々の生活から生まれる力強さ、それも豊かな自然環境の中で育まれた人間にしかできないしなやかな力強さがある。
なぜこんなに力強く美しいものが生み出せるのだろう、そう思いながら自分の浅い制作経験と照らし合わせてみる。油絵学科のときは、「なぜつくるんだろう」という問いばかりが先行して、頭だけで手が追いついていないようだった。テキスタイルに移ってからは、手に職をつけるのが精一杯で、それでも後からなんとか思考もついてきたようにも思う。その途上で経験した共通絵画の1ヶ月は、今から考えても自分にとって大切な時間だった。

目の前にある石、たったひとつの、だけどとてつもない存在を、どう受け止めればいいのか。シンプルな故に小手先では逃げられない命題を出されたようだった。それまでの油絵の課題では言葉ばかりが先行していてモノが後回しになっていたが、(今自分が生活している環境も、モノより言葉が重要視されがちであるけれど、)あの時は「大きな石と自分」というシンプルな関係をどうとらえるか、その一点だけが重要だった。大きな石というモノの秘めている力と、自分の奥深くに眠っている無意識を、ひたすらに感じ、対峙させた一ヶ月だった。そしてその時は「こわい」という単純な感情が、石と自分のとりあえずの帰結点となって画面に現れた。

その後の、テキスタイルの2年間、社会に出ての3年間は、いってみれば技術習得がメインだった。しかし、日々の合間を縫っての制作や、これから始まるミュージアムの仕事も、技術ではなく、「モノがあって自分がある」というシンプルな関係性を追求し続けること、(もしかしたら美術という枠すらも取り払って)そうして見えてくる本当の美しさを求めることが、これからの自分にとってのテーマなのではないか。



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