Mari in Sapporo

2013年11月27日(水)


本日、小学校の参観懇談。

日常のことにはわりと寛容で、というかそれほど強い関心もなく鈍感な私だが、情熱がないわけではない。

自分の思い込みを他人にも強要させようとしたり

「ね?栄花さんもそうおもうでしょう?」

どうかしら。

「こうすべきだと思うの」

あなたはそう思うのね。

「美味しいから食べて?」

お気持ちだけありがたく。

取り巻き意識の強いひと。
ま、誰でも苦手だと思うけど、すーっと離れることができる大人の人と、私なんかは無自覚に適当に佇んでいるから、あれ?と思ったときにはノーと言わなければぐいぐいこられてしまう。しかも相手は、今までかわいがってやった感満載だ。

あ!でも今日は、苛々したな、とは思うけれどぐったりはしてない。
自分の気持ちや意見を正直に言ったからだわ。

ぐったりするのって、自分の意見を言えないときだわね。

自分の気持ちをはっきり言えるような小さな自尊心を支えるのに「今日のネイルがきれい」っていう気持ちとかって意外に侮れない。




2013年11月25日(月) パパはサソリ ママはサシモリ

パパがベトナムに行っていて寂しかろうと、あけみちゃんが鯔背のお刺身をもって遊びにきてくれた。

いつでも美味しいものをたくさんもって遊びにきてくれるあけみちゃんを家族みんなが大好きだ。

あかりも玄関で「待ってましたー!!」と飛び上がって喜ぶ。

初めて彼女が来てくれたときは、山男のような出立ちで寝袋やお酒やおつまみを山ほど持ってパパを相手にぐいぐいのみ、踊り、脱ぎ、語り、早々にダウン。吹雪の中自転車でやってきてしかもパンク。翌日も立ち上がれず昼過ぎまでうちで寝ていた。

そのすべてが面白くって、酔っぱらいに寛容な我が家は、毎回彼女の来訪が待ち遠しい。

いつも緊張しているし真面目だしいろんなことを感じて考えてる。
いろんな人のいろんなことに思いをはりめぐらせては、笑ったり怒ったり疲れたりしている。

どんなエピソードも彼女が語ると、「物語」になっている。
彼女が語る子どものころのお話は実にいきいきとしていてほんとおもしろい。
青い人のはなし、あけてもあけてもある扉のはなし。

鯔背のお刺身に感動しながら

「この女子会、週1でやろう?!定例にしようよ!」

とあかりがはしゃぐ。
なんかもう、その佇まいが、すっかり飲み友達みたいで母さんのほうがドギマギしている。


スパークリングワイン
鯔背の白身の刺盛 ホッキ貝 4種
ロール白菜
柚子大根
ふろふき大根
プリングルス
チーズ
焼酎4種


  



2013年11月22日(金) 好きな人と好きな事を。

今週は、夜中咳き込むし、何を食べてもヘロヘロになるし、バタバタ予定は入っているしでやっと金曜日だという感じ。

昨日今日は、ムスメと寝坊して学校まで車で送る。

今日も、「読み聞かせ」と「うたはな打ち合わせ」だと、体を引きずるようにして赤い紅をひき出かけた。

ら!どちらも大好きなことで大好きな人たちとだったのでどんどん元気になった。

私の読む「かぐや姫」の世界に引き込まれる子ども達のキラキラとした顔。
絵本好きなお母さんたちとの会話。
佳代子さんのピアノとうた、ちほさんのおはなし、持ち寄るおいしいお昼。

好きな人たちと好きな事をするのってなんて楽しいのだろう。
全然疲れないげっそりしない。
ゆっくり味わって美味しく食べる。
ちーちゃんとチラシも作ったよ。

これでいいのかな?
苦手な人ともつき合って苦手なこともしなくちゃいけない?

いやいや、うんうん。いいよね!!いいよ!
どんどんいこう!



2013年11月21日(木)


午前中は、友の会の家事家計講習会。
恵理子さん、清水さんの家計実例。

家計簿が苦手で、数字も大きな彼女達が実例をうけたことはさぞや皆の力を結集させてのことだったろうと思う。

口先だけでなく夢だけでなく生活を数字で表してゆく説得力にはやはりうたれるものがある。

札幌に来てからの生活をほぼ毎日一緒にすごした仲間たち。

懐かしくあたたかいものを感じながらも、やはりもう自分の居場所ではないと感じる。
よき生活者になりたい、家庭から清い風を社会に吹かせて行きたいと理想に燃えたあの頃の情熱と切実さは、もうもてない。何より、亀井さんがもういない。

「栄花さん、何をしれっとしているの。
やっぱりあなたのセンス、あなたのちからがどうしても必要なのよ。
なまけていないででてきなさい。」

母のように慕った上口さんがすっとかけよってきてくださり言葉をかけてくれる。

ずっと思いをかけていてくれたことがわかる誠実な言葉。
しかしあの頃を取り戻す常套句であることもわかる。

わたしは、いま、一生懸命なまけている。



2013年11月20日(水) 円山

ここ数日、鬱々とするので山へ。
自宅から徒歩5分でいける登山。

雨上がりの円山は、空気がしっとりと水気を含みほんとうに息が楽だ。
暖房風でカラカラに乾いた部屋で夜毎咳き込み、全く疲れがとれない。

坂道をのぼり息があがりを深く吸い深く吐く。
その空気が実ににみずみずしく美味しい。
からだの細胞が隅々まで喜んでいるのがわかる。






小鳥たち

目に映るものすべてが美しい。

ソロの良さを円山に教えてもらった。
1人静かにそこにいると、すーっと山にとけ込めたような受け入れてもらっているような気持ちになれるときがある。

否定も肯定も善も悪もなく
ただ皆が、あるがままにいるという。

山頂なんてどうでもいいかな、といつも思うけれど、やはり登ってしまうし、着くと来てよかったと思う。

空が広い。
雲がながれ
葉がそよぐ。

街も生きている。
さて、下界のあれやこれやを楽しみましょうぞ、と思うのだ。







2013年11月18日(月) 「マッチ売りの少女」

ムスメの小学校で絵本の読み聞かせをしている。
お話も読む人も毎回皆で会議をして決める。

先日、私が選本したアンデルセン「マッチ売りの少女」を読み終えたお母さんから、メールがきた。

「少女がかわいそうでかわいそうで思いっきり低いテンションになり最後のほうでは泣いてしまいました。」(←え!読みながら?!)

ムスメに聞くと、

「読み終わったあと、教室が重苦しくどんよりとなっていやな気持ちだった。暗くて暗くてあのお話嫌い」

えー。。それは大変残念。

皆ボランティアなので、お話に対する感度がさまざまなのは承知だが、太宰治と結婚したいと言い切る彼女が悲しみたっぷりにこのお話を読んだかと思うと、選本ミスであったという思いが先に立つ。

アンデルセンは、決していたずらに薄幸の少女の悲劇を描いたりはしない。

雪空の下、裸足で売れないマッチを擦り1人寒さに死にゆく少女は、傍目には確かに不幸だが、彼女は、そのとき自分が心から欲するものをマッチの炎と共にしっかりと目の前に感じていた。
そして「最も求めていた」おばあさまの懐に抱かれて、天国へと召される。



何不自由なく生きている私たちの、欲するものの見失い方といったらどうだろう。
傍目に「うらやましい生活」といわれながらも、真に欲する物などなく空虚な気持ちと、人への恨みつらみを抱えている人のなんと多い事だろう。


「寒空の下に灯したマッチの暖かさと夢に少女の幸せを
 人を恨まず世を妬まず、すべてを受け入れた少女の心の清らかさを
 最愛のおばあさまに抱かれて天国に召された少女の魂に永遠の安らぎを」

わたしはこの物語から感じ、子ども達に伝えたいと思ったのだ。
1127 うたはなの会では、私が読む。



「マッチ売りの少女」あらすじ

大晦日の夜、小さな少女が一人、寒空の下でマッチを売っていた。マッチが売れなければ父親に叱られるので、すべて売り切るまでは家には帰れない。しかし、人々は年の瀬の慌ただしさから、少女には目もくれずに通り過ぎていった。

夜も更け、少女は少しでも自分を暖めようとマッチに火を付けた。マッチの炎と共に、暖かいストーブや七面鳥などのごちそう、飾られたクリスマスツリーなどの幻影が一つ一つと現れ、炎が消えると同時に幻影も消えた。

流れ星が流れ、少女は可愛がってくれた祖母が「流れ星は誰かの命が消えようとしている象徴なのだ」と言った事を思いだした。次のマッチをすると、その祖母の幻影が現れた。マッチの炎が消えると、祖母も消えてしまうことを恐れた少女は慌てて持っていたマッチ全てに火を付けた。祖母の姿は明るい光に包まれ、少女を優しく抱きしめながら天国へと昇っていった。

新しい年の朝、少女はマッチの燃えかすを抱えて幸せそうに微笑みながら死んでいた。しかし、人々は少女がマッチの火で祖母に会い、天国へのぼったことなどは誰一人も知る事はなかった。





2013年11月17日(日) 矢吹牧師


『そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているか知らないのです。」』ルカによる福音書23.21−34

久しぶりの北栄キリスト教会。
佳代子さんが聖歌隊を率いるというので 特別礼拝に参加した。

明るい光の入る清潔な建物。
高い天井に響く賛美歌。
美しいピアノの音色とオルガン。
あたたかく親切な人々。

やはり安心、した気持ちになる。

埼玉の川口からいらしたという矢吹牧師のお話がよかった。
声がよい。語り口がよい。朗々と変な抑揚をつけてお説教したりしない。

ご自分の言葉で信仰というものを、信仰を通した自分の人生を、簡潔にユーモアを交えて話す。



牧師が11歳のとき家に帰ると、母親が生まれたての赤ん坊を抱いていた。

「今日からこの子を我が家の子として育てます。いじめたら承知しませんよ。」

3人兄弟を並べ、そう話したそうだ。

その子は父親の愛人の子どもであった。

母なりの覚悟があったのだろう。その物言いには凄みさえ感じたという。それから牧師は父親への不信感、憎しみを抱きつつ成長する。表立って憎しみはださないものの母親を悲しませた父親をどうしても赦す事ができなかった。牧師が大学生のときおつきあいしていたガールフレンドに誘われ初めて教会にゆく。そのときのお説教が、冒頭の箇所だったという。

『父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです』

「僕は、父は私たち家族に謝罪するべきだ、と思っていました。ただ、そのとき、そうしなければ父を赦さないと思っている「自分」こそを認め赦すべきでないかと発想の転換がおきたのです」




・・・つまり?

聖書では
人々は罪なきイエスを死刑にするために十字架を背負わせ歩かせる。


(おそらく恐怖から)自分を責め罵り十字架に磔け罰しようとする人々のために、イエスは祈る。
自分の間違いは棚にあげて、人を責め十字架までを背負わせようとする人々の為にイエスは祈る。

『父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです』

ううーん。愛だなあ。

通常で聞く「お話」ならば、「憐れみ?上から目線?」などと感じがちだが、礼拝のなかできくと、「ああなんと尊い気持ちだろう」と心うたれ賛美歌がしみいる。

それは、「こころ」でも「からだ」でもない、やはり「魂がひきあげられる」という経験なのだろう。



牧師と父親は、父親が病気をした晩年の5年間を同居し、その間父親は息子が牧師をつとめる教会に(初めて)通ったそうだ。

息子が牧師になると言った際に勘当したことも、愛人の子どものこともお互い直接言葉にすることはなかったが、穏やかなよい晩年だったと思うと話していた。父親が亡くなっった後、父親の書斎の引き出しには5年間分の教会の週報がきっちりと並べられていたそうだ。



石原夫妻ともご挨拶できてよかった。
よい、礼拝であった。





2013年11月16日(土) 夫婦

ムスメの学習発表会のちの、ママ友宅でのうちあげに参加。

近隣5、6家族が集った。
日常は母子で気軽におしゃべりして、夫の愚痴などを話しているけれど 夫妻で揃っているとほんと「似たもの夫婦」とはよく言った物だとおもう。

なんだかんだいいながらも、阿吽の呼吸でやりとりをしているのを見るのは実に微笑ましい。

やはり友達よりも夫婦のほうがよほど2人の価値観が似ている。
当たり前だけども。

お金が大事。
経験が大事。
若さが大事。
仲間が大事。

中央卸売市場で仕入れた大量のお刺身とビールサーバー次々にあく美味しいワイン。
大好きなバローロがでた際には「鴨が食べたいなあ」とつぶやいたらすぐにでてきた。

2時から飲んだので酔ってしまい、翌朝、かばんの中から手編みのセーターや漬け物やジャムやら鮭やらが入っていて驚いた。





2013年11月15日(金) うたはなの会 打ち合わせ

ちーちゃんちで、うたはな(うたとおはなし)の会 打ち合わせ。

佳代子さん千帆さんと3人でいるというだけでものすごい安心感。
私はこの人達を絶対に不用意に傷つけたりしないし傷つけられる事もない。

3人それぞれが、自分の今のテーマを持ち寄る。

まったくのゼロから生み出されていく。
いいね!いいね!と互いに感動しながら響き合い洗練されていく。

持ち寄る食事のあたたかさ。
感謝して食べて、さあさあと練習にいそしむ。

こんなに楽しいことはない。



2013年11月14日(木)

私の後任ヒショだったKさんとランチ
彼女もほどなくして辞職した。

神宮を散歩しながらお話する。
いろいろと大変な研究室だったが、仕事量の多さはこなすしかないし、できないものはできないといえばよい。互いにやれるだけのことはした。何があんなにも大変でどうして私たちはこんなにも傷ついているのだろうと話し合う。

ふたりでTさんという女性に思い至る。
いかにも親切にあれこれ教えてくれていた風で結果、彼女に振り回され余計何かとこじらされ些細なミスを大きくされ、ヒショへの不信感を周囲に吹聴していた。しかもそれは彼女の色恋沙汰に端を発したもので1人密室で多忙な業務をこなしていると現れるヘルパーのふりをした「狸」でだった。

2人で話しながら合点がいき涙す。

人の気持ちが折れるのは仕事量からではない。まるでカルトのように、無力感を味あわされこの人がいないと自分はだめだと思い込まされ、おかしいなと思う事が多々あっても、研究室内のことは他言無用と言われているし忙殺的な忙しさでかまってられない。色恋のどろどろに巻き込まれたくない。相談する人もいない。疲弊していく。そこに子育て、家庭の事情、積み重なって行く仕事。

そうだった。
思い出した。
ふたりで洗脳がとけたように楽になる。

やれやれ。
ひとりお友達ができた。


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